5話 監査開始
「ふぁああああ……今日もよく寝たわ」
終礼のチャイムと同時に目を覚ました智鶴が、一つ大きな欠伸をした。
「おはよう、ちーちゃん。ヨダレの跡がついちゃってる」
「やだ」
日向に言われ、ポケットから出したタオルハンカチでそれを拭うと、帰り支度を始める。
「千羽、ちょっと来い」
早速帰ろうと鞄を持ち上げた時、タイミング悪く先生に呼ばれてしまった。
「はい。何でしょうか」
「なんでしょうか? じゃない。お前、居眠りのし過ぎで色んな先生から苦情が来てるが、もう少し起きていられないのか? 夜はちゃんと寝ているのか? ゲームでも読書でも勉強でもいいが、夜更かしはよくないぞ。学校の授業を受けるというのが、先ず第一のすべきことだからな。それとも、辛いことがあって眠れないのか? それなら先生も相談に乗るが」
ああ、これか……。と智鶴は嘆息した。昔からこういう先生はいた。夜の仕事は、勿論、一般人の先生は知らない事。きっと想像だにもしていないのだろう。自分の物差しで人を見るのか。などと自分が居眠りをしていたなんて、棚の上の見えないところに上げて、智鶴はそんなことを思っていた。
「いえ、ご心配には及びません。昨日読んでいた本が面白くて、夜更かしをしてしまって。それに、私、体力が少ないので、体育のある日は眠くなってしまうだけです。これからは気をつけます。すみませんでした」
とってつけたような嘘の言い訳を、すらすらと吐いた。
「そうだったのか。そんな理由なら安心した。ちゃんと罰を受けてもらえるな。じゃあ、このプリントを職員室の俺の机まで運んでおいてくれ」
「え、あの、先生? さっき、体力ないって……」
「お前が体力測定で、それなりに良い点数を取っていることくらい、担任が知らないとでも思ったか」
「ああ、はい……。直ぐに、運ばせて頂きます!」
今日は、おじいちゃんから早く帰ってくるように言われてたんだけどなぁ……。智鶴は教室を出ながら、日向に別れを告げると、職員室までの道のりを急いだ。
「普通、こんな重い物、女の子になんて持たせないわよ」
とクラス全員分のプリントを持たされた智鶴は、そんな悪態をついてみた。でも、実はこっそり術で数センチ浮かして持っているのだった。、
渡り廊下を進んだ先で、チラッと竜子の姿が見えた気がした。誰か先生だろうか、大人の人に付いていくように見えた。
曲がり角の先で見えなくなってしまったから、気になって後を追ってみるも、そこにはロッカーがあるばかりで、どこにも彼女の姿はなかった。
「あら? 見間違いかしら? ……まあ、いいわ。急がなきゃ」
ただ見間違えただけ。そう思うと、職員室に急いだ。
*
家に着くと、玄関に見慣れない靴が数組揃えて置いてあった。以前にもこんなことがあったなと、智鶴は唯雄の一件を思い出すが、今回は女物も混じっていた。
「お帰りなさい。奥で智喜様がお待ちです。お荷物をお預かり致しましょうか?」
門下生の1人が玄関近くで控えていたようで、彼女の帰宅を察知すると、素早く現れた。
「ありがとう。でも、いいわ。荷物は持っていくから」
門下生が頭を垂れたのに目もくれず、奥の間へと向かった。
「智鶴よ。ただいま戻ったわ」
閉められた障子に向かって、部屋の中へ一言声をかける。
「入りなさい」
智喜の声を聞くと、ソロソロと障子を開け、敷居を跨ぐ。するとそこにはお祭りのような法被姿で、如何にも活発そうな20代前半の男性と、タイトスカートのスーツ姿で20歳手前くらいという雰囲気の女性が居た。
「こちらの方は?」
「今からそれを話す所じゃて。そう先走るな」
「ごめんなさいね」
謝りながら手に提げていたリュックを置き、祖父の隣の座布団へ正座する。すると、まるで台本があったかのように、タイミングよく女性の方が三つ指をついた。
「初めまして、智鶴様。私は吹雪会傘下、弐ツ(つ)杁家跡目候補の弐ツ(つ)杁杏銃と申します。以後お見知りおきを」
そして、すかさず隣の男性も続く。
「お初にお目にかかる。俺は獺祭漢吉朗が主、吹雪会傘下、獺祭家当主補佐の獺祭漢九郎と申す。以後見知りおきを」
「これはご丁寧に、どうも。私はお2人の知っている通り、紙操術宗家千羽家所属の千羽智鶴よ。よろしく頼むわ」
智鶴も流れを汲んで自己紹介を済ませた。
「うむ。とりあえずの自己紹介は済んだな。では、本題に入らせてもらう。先日の吹雪会定例会にて、千羽の現状を客観視し、より強固な体制を固めるために監査を入れることとなった。じゃが、魔呪局の監査じゃと、ちと不都合もあるでの。吹雪会傘下の獺祭家から漢九郎と、弐ツ杁家から杏銃、定期検診のついでに、牡丹坂家の姉妹が監督すると決議した。今日から1ヶ月の間、この2人がここに寝泊まりし、千羽の色々を見て回る。勿論、智鶴、お前さんの仕事も見られる。じゃから、こうして通達したというわけじゃ」
「ええ……仕事っぷりを監視されるの? 修行とかも?」
「勿論じゃ。じゃが、こうなったからとて変に気張るでないぞ? 普段通りにしてもらわぬと、監査に支障が出てしまうでの」
「そうは言っても、身構えちゃうわよ」
智鶴はどうしたもんかしらと、困った顔を作る。
「まあ、2、3日もすれば慣れるじゃろうて。一応道場へ通達は貼り出すが、百目鬼と竜子にも連絡をしといてくれ」
「……ええ、分かったわ」
ここまで進んでしまっているとなると、もう抵抗は出来ないと悟った智鶴は、呆気なく指示に従う事にした。
*
夜。百目鬼と竜子と3人で集まったところに、監査役の2人も現れた。漢九郎は夕方挨拶をした時と同じ姿であったが、杏銃は髪をお団子に束ね、青のツナギを腰で結び、上には白い半袖のTシャツを着ていた。
「紹介するわ。こちらの2人が、夕方頃に連絡した漢九郎さんと、杏銃さんで」
次は勘九郎たちの方へ向き直り、
「こっちの2人が千羽家付の術師、百目鬼と竜子よ。短い間だけど、仲良くやりましょう」
それぞれ名前が挙がる度に、よろしくとそんな事を言い合った。
「一応ですが、言わせて頂きますね。私たちは監査に来ている訳なので、皆さんの実力を知るためにも、基本的に戦闘への関与は致しません。よっぽどの時は出ますが、それ以外は見ているだけです。そもそも私は非戦闘員ですがね」
「え、そうなんだ。てっきり、バチバチの戦闘員が来ていると思ってたよ」
「弐ツ杁家は呪具作成が生業なんです」
「へ~、そうか、そういうお家もあるよね」
自分の家の話をした途端、杏銃の目の色が変わった。
「で、す、の、で、是非とも、皆さんには、たまにで良いので、私の試作品を試して頂けないかと!」
鼻息荒くそう言う彼女に一同若干引いていたが、漢九郎だけは既視感があった様で、肩に手を置くと、忠告した。
「おいおい、さっきまで関与しないとか言ってなかったか?」
「ああ、そうでした、でもでも、少しだけなら……だめかな……」
何とか抜け道はないかとありあり書いてある顔ですがりつく杏銃に、彼はたじろぐことしか許されなかった。
「今、呪具、使い、出した、所、だから、興味、ある」
だが、百目鬼は気になった様で、口を挟んだ。
「ええ! 呪具を使ってらっしゃるんですか!? 因みに、どんなのを……?」
「これ」
百目鬼はポケットから黒い手袋を取り出すと、彼女に差し出した。
「ほう、これはこれは、密教系の術式ですね、呪的意味は『粉砕』と言ったところでしょうか」
「え、見ただけで分かるの!? 凄いわね!」
「まあ、小さい頃から叩き込まれていますから」
杏銃は智鶴の驚きに、照れ笑いで返すと、更にまじまじと呪具を見る。
「なかなかに緻密な作りですね。耐久力も勿論のこと、色んな応用で妖力に適応されているのも、評価の高いポイントです。これはどこで?」
「師匠に、貰った、から、分かん、ない」
「そうでうすか。ウチの作成じゃないことは分かるんですけど、どなたの作なんでしょうか……」
「杏銃。話はそこまでにしておこうぜ。これじゃ、彼らが仕事を始められん」
「そうですね。失礼しました」
彼女は手袋を百目鬼に返すと、一歩引いた。
「私たちは少し離れた所から見ていますから、皆さんはいつも通りお願い致します」
その言葉を最後に隠形を発動し、漢九郎と杏銃の2人はスッと姿を消した。
「う~ん。姿は見えないけど、見られてると思うと、なんかソワソワするね」
「そうね」
竜子は自分を抱きかかえるように、腕をさすった。
「今日は妖も少ないし、見せ場が無いのが残念なところね」
「平和が一番だよ」
「それもそうね。それじゃあ、パトロールして回りましょうか」
智鶴の提案で、3人は千羽の地を見て回り、現れた妖を滅したり、霊的に不安定な場所は無いかと探したりした。
「……これで、一通りは終わりね。百目鬼、どうかしら?」
「大丈夫」
「じゃあ、今日はお開きで。また明日」
そんな3人の様子を杏銃と漢九郎はただ静かに見守った。
どうも! 暴走紅茶です!
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新キャラ登場です! 吹雪会の若手はどんな子たちなのでしょうか?
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