4話 動き出した闇
智鶴たちが帰ってきてから暫くした日の事、いつも通り登校していく孫たちを見送り、智喜は1人、縁側で新聞を広げていた。
それは新聞社が毎朝・晩届けてくれる一般社会のとは異なり、魔呪局が発行し、毎夜隠形をかけられた鴉が運んでくる、魔呪新聞だった。
「何やら物騒じゃのう……」
彼は紙面を睨みながら、何と無しに呟いた。
普段不安を煽るような内容の少ないこの新聞が、今日は大きく「動き出した闇か!?」の文字が見出しに躍っており、各地で神社が荒らされているという事件の内容が書き連ねられていた。
神社が荒らされている。ただその文言だけを聞くと、賽銭泥棒でも多発しているのかと、それくらいにしか思わないかも知れない。いや賽銭泥棒だって立派な犯罪であるし、大問題だが、そんな表向きの事件が載るような魔呪新聞では無い。荒らされたというのは、そう、神社の内部だった。『神が祀られた御神体が呪的に侵された』という報告が、各地の魔呪局支局から届いているそうだった。
「千羽や傘下の者からは、まだ聞かぬから良いけどのう。ウチかて、裏には鼻出神社がある……。そこが陥落されれば……」
智喜の脳裏に嫌な想像が湧き上がる。
「いや、考えるのはよそう。あそこは美代子さんにしっかり結界を張って貰っておる。それに、ワシだって、ただいつも縁側に座っておるばかりではなし、孫たちも頼もしくなってきた。大丈夫じゃ、大丈夫……」
不安を吹き飛ばすために、自分へ向かってそう言い聞かせる。智喜はトップに立つ者だ。それ故に、誰も彼に優しい言葉をかけてはこない。それは畏れ多いからであり、そんな相手は皆死んでしまったか、どっか遠くで隠居しているからでもある。一抹の寂しさが、心にフッと吹き込んだ気がした。
「智喜様、吹雪会揃ってございます」
遠くを見つめる彼の元に、白澤院告が報告にきた。
「うむ。今行く」
智喜は老眼鏡を外し、袂に仕舞うと、寂しい気持ちを抱えた老人の顔から、スッと千羽家当主の顔付きになり、蝋燭の灯りのみに照らされる広間へと向かった。
「皆、よく集まってくれた」
智喜の声に、一同深い一礼で返す。
「では、皆様定例報告をお願い致します」
司会進行・書記を務める告が、ホワイトボードの前に立ち、ペンを構える。
何人かの発言が終わったところで、月謳家当主月謳詠の番になった。呪的文字の書かれた紙で顔を隠している為、表情がよく分からなければ、声も籠もって聞こえるが、まだまだ30代そこそこくらいだろうという、溌剌とした声音の持ち主だった。
「どうも。皆さん、今朝の魔呪新聞は見られましたかね? 実はねー、ウチの管轄区内の神社にも、呪痕らしきものが見つかりましてね。目下調査中ですので、新聞記事は差し止めたンですケド」
呪痕とは、呪術をかけられた痕跡の事だ。
詠は他の反応を確認して、先を進める。
「占いには、どうにもねぇ。黒い者の影が出るんですよねぇ。これって、もしや……」
「おい! 軽々しく言うな!」「正気か!?」「誠かにゃ!?」
咄嗟に皆が、口々にヤジを飛ばす。
「うるさいのう」
智喜が手にしていた扇子で一つ畳を叩くと、ブワッと鬼気が空間を支配する。それに気圧された場は、水を打ったように静まりかえった。
「先を続けなさい」
「私の方も、ま、まだ確証は得られておりませんので、どうにも言えませんが、物部への警戒意識を持ち始めても、よ、よろしいかと……」
恐怖を浮かべた顔で、彼女の口調が堅くなる。
「ほう、物部か。その名も久しく聞いとらんかったのう。そうか、ヤツらが動き出した可能性か。うむ、じゃが検討するにも、情報が足りぬ。各々の管轄で何かがあれば、吹雪会開催に関わらず、直ぐ報告すること」
『御意』
皆の声が揃った。
「ちょいといいかい?」
智喜の鬼気に皆が威圧された中で、獺祭漢吉郎が控えめにだが、それでも主張したいことがあると、手を挙げた。
「俺らが死守しなきゃならねえのは、何に代えてもやっぱり千羽家であり、この土地っていう認識は、皆同じでいいですかい? そりゃあ自分の管轄区域も大事だが、千羽町が陥落すると、取り返しが付かねえってのも、事実ということで」
漢吉郎の言った通り、ここに居る面々は吹雪会の傘下であるからこそ、今日の呪術界で、ある一定の地位に居られるのである。そんな彼らにとって、千羽陥落というのは、主を失うというだけで無く、地位剥奪・領地没収さえ危ぶまれる。もしそうなれば、生活もお家の存続もあったものではない。
謂わば、彼らにとってこの地は、生きる上での要なのだった。
それをしかと心得ている傘下の当主たちは、バラバラにでも、一同首肯で返した。
「よし、それなら俺の話も続けられるってもんだ。智喜様よ、今千羽の守りはどうなってるんですかい? 万全なら良いが、そうじゃねえなら皆で考えなくちゃならねぇ。どうなんです? 実際」
傘下当主陣が、一斉に智喜を注視する。
考え事をするように、主が首を傾げた。首からポキッと音がした。
「そうじゃのう。万全かと聞かれると、不安なところもあるが、鼻ヶ岳の結界も呪いも機能しとるし、異界の鍵も千羽の者にしか手出しできなくしてある。夜の警備も、門下生と智鶴たちが行っておるしのう……」
吹雪会前に感じた不安を唐突に突かれ、言葉も尻すぼみになってしまう。
「少しでも不安があるようなら、一度客観的に見てみるのは、どうですかい? 物部が動き出したって確証が見つかってからじゃ、全てが後手に回っちまう。今ならまだまだ準備が出来るってもんです」
尻切れトンボに終わった智喜の二の句を待たずに、漢吉郎は提案した。
彼は、吹雪会最年少でありながらも、自分という軸がブレない男だった。たとえその相手が『手出し無用の五家』の一角で、仕える主だったとしても。言葉にせず、後悔をすることだけはしたくない。常々そう思っているのだ。
「客観視ってどうやるのさ? まさか、魔呪局に監査を頼むってのかい?」
雪華術宗家雪ヶ(が)原家当主・雪ヶ(が)原巴が横槍を入れた。
因みに魔呪局の監査というのは、依頼主の土地の守りや諸々を徹底的に調べ尽くし、フィードバッグが貰えるサービスだが、あやふやで回っているからこそ成り立つ部分や、こっそり行っている事まで何故か全てがバレる上に、その結果は全てでは無いものの、反面教師にしたり、生かす部分を取り入れたりする為に他家にも公開されてしまうことから、呪術師たちからはもっぱら不評であった。
「巴さんよ。そりゃあ、流石にねえな。だから、俺たちが自分で千羽を監査すりゃあいいじゃねえか。魔呪局なんか呼ばなくとも、ウチからは漢九郎を出すし、他の家からも誰かを出して貰ってよぉ。見極めれば良いじゃねえか。その結果、不都合があるなら、対処する時間の余裕はあるはずだぜ?」
漢九郎を出すという発現に、一同からザワザワと声が上がった。
「漢九郎かにゃ!? それはお前の所の当主補佐じゃにゃ~か! そんなの出したら、家が手薄ににゃっちまうだろ!」とか「漢九郎さんレベルの人となると……。今のウチでは厳しいですね……」等と言う声が聞こえてくる。
それらの意見を聞きながら、扇子で畳をコツコツ小突きながら、智喜は考え、結論を出した。
「……ふむ。たまにはそう言うことをしてみるのも――悪くはないかのう。告、直ぐにスケジュールと予算を出せ。それに、漢九郎だけじゃ偏るからのう。他に誰か千羽へ出向させられる者はおらんか?」
「では、私の家から杏銃を出しましょう」
呪具制作一族の弐ツ(つ)杁家当主、弐ツ(つ)杁銃羅が小さく手を上げて発言した。
杏銃は御年19になる銃羅の娘であり、現在跡目候補として日々修練を積む術師だった。この提案にも、一同にざわめきが沸き起こった。
「それでは、常駐させることは出来ませんが、百目鬼君や智鶴様の健康診断ついでになら、うちの椿姫と桜樺にも意見を出させるようにしますわ」
上品な声でそう言うは、薬師一家牡丹坂家当主の牡丹坂咲良である。
挙がる名前がどの家も跡取りや、自身の補佐など大物ばかりであるから、まだ発言をしていない当主たちは居心地が悪そうだった。
「他にはおりませんか?」
告は、獺祭家、弐ツ杁家、牡丹坂家以外に出ないのを感じ取ると、念を押すように確認をとる。
「……はい、いないようですので、千羽の監査は獺祭漢九郎、弐ツ杁杏銃が常駐にて、牡丹坂椿姫・桜樺が週に1回の検診ついで。という持ち回りでよろしいでしょうか」
「うむ。その期間じゃがとりあえず1ヶ月でどうじゃろうか。そうすれば牡丹坂の監査も4回入れられるのでの」
「ウチはいいですぜ」「御意でございます」「よろしいですわ」
監査に出向させる三家が合意を示したところで、今回の会はお開きとなった。
果たして、これで千羽の弱点が露わとなるのだろうか。それに、動き出した影の行方は……?
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