1話 帰還
新月の夜――それは、妖が一番湧く夜。低級から準上級、たまに上級まで様々に。千羽町は吹きだまりやすい地域。普段でさえ引き寄せる性質があるうえに、新月の力が加わり、その様まるで百鬼夜行。それでもここに主は居らず、ただ悪意を持った妖が、闇の濃い夜、闊歩する。
「こりゃ、すごいね。今晩は大量だよ」
「そう、だね」
夏休み最終日。修行から戻った竜子と百目鬼は、千羽家当主・千羽智喜に報告を済ませると、早速戦地に赴いていた。だがそこには、
「もー、智鶴ちゃん、なんでいないの!?」
――智鶴の姿は無かった。
「終電、だって」
「それ、もう過ぎたよ」
「え……?」
あっさりと言い切る竜子に、驚き呆れる百目鬼。
「まあ、何とかするでしょ」
「そう、だね、行こう!」
「うん!」
妖の湧く鼻ヶ(が)岳麓の林に立ち入る。竜子は美夏萠を、また同時に天を顕現化させた。
「よし、サクッと決めちゃいますか! 境界霧化!」
視覚は天と通常の接続で共有し、その他は美夏萠と境界霧化にて一体化する。
「捉えた! 流水砲!」
妖からの攻撃を避けつつも、敵が一直線に並ぶ瞬間を逃さない。竜子が両手首を合わせ、竜の口を模した形を作ると、そこからジェト噴射の水が飛び出した。普段は美夏萠の口から出る技だが、こうして境界霧化を使い、彼女が扱う事で、威力は落ちるが小回りが利くようになった。
それに押し流された妖たちは、皆木の幹に押しつけられ、呆気なく塵と消えていく。
「すご……」
遠目に竜子の新技を見て、百目鬼は舌を巻いたが、直ぐに戻すとポケットから手袋を取り出し、ぎゅっと指先まで、しっかり填めた。
この手袋はなかなか攻撃の威力を出せない彼の為に、鱗脚が用意してくれたものだった。手の甲にデカデカと黄色の呪い文字が刻まれた黒いそれは、以前彼がぬらりひょんの百鬼:蛇骨鬼に向けて使った、智喜の呪符と近い性質を持つ。込められた呪的意味は『粉砕』。殴れば敵を粉砕できる……となれば良いのだが、それでは彼の負担が大きすぎると、実際には数割だけ威力増強程度の代物である。
「妖術……万里眼!」
百目鬼が一つ口にすると、全身に『眼』が顕現化し、視界が一気にクリアとなる。四方八方から、何体もの妖が肉迫する事を感知し、全てに先回りしていく。
「……1匹……2匹……3、4、5匹……」
まるでシラミを潰すかの様に、次々とその拳で、正確に霊的弱所を叩く。
彼の背後には、妖の残した塵が、キラキラと輝いていた。
「……遅い」
一言吐くと、次の標的に向かって踏み出す。
林の中心、木々が生えず、ぽっかり空いた草原を軸に、百目鬼は右回りで、竜子は左回りで妖を滅し続ける。
片方からは水しぶきが飛び散り、もう一方からは妖の塵がキラキラと舞い続ける。2人は30分ほど時間を掛け、丁度半周回り、ハイタッチで再開した。
と、その時だった。中央ので濃い邪気の気配がした。
「うっそ……ここで上級出る?」
「ちょっと、キツい、飛ばし、すぎた」
息を整える間もなく、林を突っ切り草原に立った。そこには1匹のひょっとこ面を被り、赤い袢纏を着た子供が立っていた。
「もしもし、遊ぼう?」
ひょっとこ面がこちらを向きながら、ゆっくりとおどろおどろしく、問いかけてきた。
「隼人君! まだ戦える!?」
「……大丈夫」
2人は構え、敵の出方を探る。ゆっくりとすり足で間合いを測る。
「……大分、強い、気を、つけて」
「うん」
百目鬼は悟られぬように、霊的弱所を見定める。位置は捕捉したが、それでもその隠し方の上手さときたら、並大抵の妖で無い事が分かる。
妖が一歩踏み出ると、ひょっとこの口から火を噴いた。
「火! なら、美夏萠! いくよ!」
竜子が一つ指を鳴らすと、空から幾千もの水で出来た刃が降り注ぎ、妖に突き刺さった……様に見えた。
「あれ? そっち?」
その場所から、妖の姿がゆらりと消え、その少し右側から、ゆらりと現れた。
妖、名を『焔童子』と言い、口から火を噴き、操り、そして陽炎を発生させる。それと蒸発した水分により蜃気楼を見せ、現れては消えて、消えては現れる。
「俺、捕まえ、る。竜子、雨、降ら、せて」
「分かったよ」
百目鬼に言われた通り、美夏萠の力で雨雲を呼び、意図的に雨を降らせる。すると、温められた空気が冷え、同時に焔童子の動きが止まった。
「それ、おもしろくない」
「え?」
「それ! おもしろくない!」
駄々をこねる様に言い放つと、無邪気な邪気が妖を中心に渦巻いた。
「……ヤバい」
百目鬼が地面を蹴って突っ込む。が、焔童子の方が少し早かった。
「ようじゅつ! ひあそび!」
一声叫ぶと、笑いながら次々に火の塊を振りまいた。一つ一つは小さなそれも、量を増すごとに、美夏萠の雨を蒸発させ、濃い霧を発生させた。視界が悪くなり、焔童子の姿が見えなくなる。
それでも、百目鬼にはしっかりと視えていた。気づかれぬように、気配を殺して近づく……と、背後から火の玉が飛んできた。勿論避けたが、それによってまた敵から距離を取らされてしまう。
「キャッキャ! おーにさんこちら! てのなるほうへ!」
焔童子は楽しそうに声を上げ、手を叩く。
「竜子! 延焼、防ぐ、から、雨だけ、よろしく!」
次の手を考えつつ、時間を稼ごうと、そう指示を飛ばした時だった。
「巨人の拳固!」
空から声と共に大量の紙片と、禍々しい鬼気が降り注いだ。
それは焔童子の振りまく妖術の焔を、鬼気で拡散しつつ、敵を地面にめり込ませた。また、紙の拳が降り注ぐ事で発生した乱気流が、霧をまき散らし吹き飛ばす。
霧が晴れるにつれ、焔童子の他に、人影が浮かび上がってくる。
新手か……? 2人とも一応身構えはしたが、その正体など考えるまでも無かった。
「「あ!」」
竜子と百目鬼の声が重なった。
「智鶴ちゃん! おかえり!」
そこには紙鬼回帰を発動し、紙鬼の姿となった智鶴が立っていた。
「ただいま。と言いたい所だけど、先ずは目の前の妖ね!」
「その、格好、大丈夫?」
「大丈夫よ! 任せときなさい!」
百目鬼の心配もどこ吹く風。智鶴は思いっきり地面を蹴ると、高く跳躍する。
焔童子が立ち上がりざまに「おこったぞ!」と怒鳴ると、全身の毛穴から火を噴いて、火達磨になった。
「かみなんて、もやしてやる!」
「出来るもんなら、やってみなさい! 紙吹雪! 合掌!」
智鶴が柏手をひとつ打つのと同時に、巨大な掌を模した紙吹雪の大群が、蚊を潰す様に焔童子を押しつぶす。だがそれも直ぐに燃え上がると、中から焔童子が現れた。
「ほらほらほらほら! ぼくのほのおのが! つよいんだ!」
「そうね。でも、相手が悪かったかしら」
「え?」
焔童子が、驚くような声を上げる。
智鶴に気を取られている内に、背後へ回った竜子が、「水切り」と言いながらフライングディスクを投げるようにして、お皿のように平たく、高速回転する水塊を投げ飛ばした。それは、丁度智鶴の紙吹雪が燃え上がるタイミングに合わせて、敵へと到達し、見事に眉間を割った。
「捕捉、通り」
百目鬼が満足そうにそう言うと、霊的弱所を突かれた妖は、傷口から塵となり、晩夏の風に呑まれていった。
「おつかれさま~~」
竜子が伸びをしながら、2人の元に歩み寄り、
「それと、おかえり~~智鶴ちゃん!」
と抱きついた。
「おかえり、遅かった、ね」
「ごめんなさいね。寝坊した上に電車間違えちゃって、東北地方に入りかけたところで気が付けて良かったわ」
そう言いながら。紙鬼回帰を解いた。
「東北! それはそれは」
「しかも、終電だったから、駅からのバスが無くて」
「ああ、だから飛んできたんだね」
「派手な登場が出来て満足だわ」
「また、また~」
1ヶ月半ぶりに仲間と合い、そして他愛も無い会話をして、ホッとした。みんな見た目に変わったところが見当たらず、無事で良かったと、3人が3人にそう思った。
そんな時、皆の頭上から声が降り注いだ。
「竜子様! お疲れ様です」
智鶴と百目鬼が空を仰ぎ見ると、水塊の弾ける瞬間が見え、そこから降ってきた滝の中から、髪も着物も肌以外の所を青系統の色で統一した麗しき美女が現れた。
彼女は、感情を控えながらも嬉しそうに、竜子の半歩後ろに着いた。
「え、えええ……。まさか?」
「そう、美夏萠」
「こちらの姿では、皆様、お初にお目に掛かります。時に智鶴さん? その節はミミズだの何だのと、散々言ってくださいましたね!? あの頃は喋らない時期だったからとは言え、ワタクシ、腸が煮えくりかえる思いでしたのよ!?」
「あ、ああ~。そんなこともあったわね。あの時のことは、心から謝罪するわ。ごめんなさい」
深々と頭を下げた。あの時は竜子を許せなかったからとしても、本当に酷い事を言った。勿論、美夏萠にも。こうして謝る事で、過去の何が変わる訳でもないが、それでも彼女は、そう言葉にした。
「そ、そんなに素直に謝られると、悪い気はしませんわね。良いです。今回だけは許します」
「ありがとう」
美夏萠と智鶴が和解している間、百目鬼は、驚きの余り全身の眼をかっぴらいて固まって居た。
*
「千羽智鶴、ただいま帰りました」
「うむ。ご苦労じゃった」
「遅くなってしまって、ごめんなさいね」
「いやいや、無事で何よりじゃ」
仕事終わり、荷物を部屋に置いた彼女は、千羽家屋敷の奥の間で、智喜と向かい合っていた。
「それで、成果は、如何様に?」
「……紙鬼回帰」
智鶴の額から長く細い角が伸び、片目は白眼に、更には髪と爪が伸び、身体の筋肉が膨張、血管が浮き出て、筋張った見た目となる。
「こんなもんよ。私は鬼気を選択したわ」
「そうかい。うむ。よく出来ておるな」
「まあ、まだ30分までって言われてるけどね」
「これから精進あるのみじゃな」
「うん」
そう言う智喜の顔は、孫の成長が嬉しい祖父の顔だけで無く、何やら複雑そうな、難しそうなそんな表情を秘めていた。
「では……そろそろ話さねばならぬのう」
「何を?」
本当に何を言われるのか、智鶴は悪い知らせではないかと、心臓がキュッとした。
「お主に、呪術を禁じていた訳を。じゃ」
「……」
智喜はこの16年間閉ざし続けた口を、ゆっくりと開いた。
どうも。暴走紅茶です。
早い物で、もう第五章まで来ました。今回は初めて物語の『真実』が語られる回となりましたね。
はてさて、智喜は他にも覚悟を決めているのでしょうかね?
これからの展開に乞うご期待
では、第五章もご贔屓に! また来週!