17話 そして迎えた最終日
最終週に入り、どこの修行場も最終行程に入っていた。
龍刻の谷、雄呂血川の岸辺で竜子から、水柱が上がる。
「うん。上出来だねぇ。凄いねえ。やっぱり若いっていいね~」
文子が腰に手を当て、そう言った。
「そう? へへ」
竜子がステレオタイプにも、後頭部を掻く。
「コラ、調子に乗らないの!」
「分かってるって。でも、なんか調子がいいよ」
「竜子様、無理はなさらずに」
汗を掻いた主人に、美夏萠がタオルを渡した。
「無理じゃ無いよ。さあ、もっとやろう」
「じゃあ~。もう最終週だし、実践形式で手合わせしましょう」
「臨む所だよ」
両者構えて見つめ合う。先に竜子の放つ竜気が炸裂した――
――30分ほどの組み手の後、文子がストップをかけ、模擬戦は終了した。
「うんうん。最初とは見違えるほどだよ~。霊気も安定してるし、竜気や妖気の扱いも大分出来てるね。良い子だね~」
文子が竜子の頭を抱きしめ、撫で回す。
「ちょと、やめて~痛いよ~。嬉しいけど、痛いよ~」
「あらあら。ごめんごめん。じゃあ、今日はこの辺で切り上げて、お風呂行こうか~!」
「賛成!」
2人と2匹の竜は家に向かって歩き出した。
*
その頃、金峰山では百目鬼が花畑に座っていた。
「百目鬼ぃ。いくぜ~~~~~」
「イェ~~~~~~イ」
メダカの音頭で昼の修行が始まる。百目鬼も一ヶ月半もの間このノリに会わせてきた。慣れとは怖い物で、最初の頃、あんなに声を出すのが恥ずかしかった彼も、もう大きな声で返事をしていた。
「草花の総数は~~~~~?」
「450株!」
メダカの問いに、テンポ良く応えていく。アップテンポなBGMが聞こえてきそうな雰囲気だ。
「その内、花の咲いてるのは~~~~?」
「322株!」
「花の数は~~~?」
「1458輪!」
テンポが上がった。
「赤い花!」
「8種類!」
「青い花!」
「6種類!」
「白と黄色を足すと~~~~?」
「丁度、10種類!」
「全部大正解だぜ~~~~~~~!!!!!!!」
「いえ~~~~~~~い」
メダカとハイタッチする。
「見違える様だな!」
「まだまだ、だよ」
「い~~~や。最初の頃と比べて、凄く良くなってるゼ~~~イ」
「うん。最初と、比べたら、大分、よく見える、よ」
「だろう? 世界が変わるだろ?」
「うん。そりゃあ、もう」
ニッコリと笑った。
「よし、それじゃあ! もっと色んな物を、者を、モノを見に行くぜ~~~~! 俺についてこ~~~~い!!」
「いえ~~~~~~い!」
百目鬼はメダカと共に山を駆け回った。川に行けば魚の数を数えて、山を登れば、街の様子を観察して、森の中では動物の数を、洞窟に入って暗闇でも見える練習を、山のそこら中を修行場にして、眼を養った。これが最近追加された修行だった。
そうこうしている内に夜が訪れる。太陽が役目を終え、月が現れると、師匠もメダカから鱗脚に変わる。
「百目鬼! 行くぞ!」
高速で鱗脚が迫る。
百目鬼はニヤリと笑うと、それを躱し、「遅く、なった」と一言。
「言ってくれる!」
鱗脚との組み手も、最初のようなリンチから、誰が見ても組み手だと分かるような力関係になってきていた。
――だが、まだまだ戦闘は不慣れなようで、
「おっかしいな~」
などと言って、殴られた頬を擦りながら、傷口に再生繊維を伸ばしまくっている訳だが……。
*
百目鬼がそんな組み手を終えた頃から、智鶴の『仕事』が始まる。
「よ~~~し、今日から仕事での紙鬼回帰使用を許可する! だが、まだ30分の縛りは解けん! 考えて使うように!」
「任せなさい!」
智房の指示に、智鶴は嬉しそうな顔で応えた。
「わっちも戦闘する訳だから、時間を計ってやれん~。ゴメンよ」
「大丈夫よ。自分でやるから」
両手を合わせて、申し訳なさそうにしていた栞奈から、ストラップの付いたタイマーを受け取ると、首に提げる。
「よし、じゃあ行くか!」
「ええ!」
智成が引き戸をパーンと開け放つと、そこはもう魑魅魍魎が跋扈する世界。
低級から上級までの様々な妖が、木枯山のガスに釣られてやってくる。
「紙操術!」「降霊術!」
智鶴と栞奈が、目に入った妖を片っ端から滅し、己の術で道を空けていく。その様子を満足そうに見ると、智成もジャリッと地面を蹴り、2人とは別方向の妖を目指して走り出した。
「今日も雑魚ばっかねっ」
「油断するなよ!」
「栞奈こそ!」
たった一ヶ月半という短い期間ではあれども、共に戦ってきた実績があり、今となっては背中を任せ共闘する仲になっていた。
「うおおおおお。巨人の拳固!」
目の前の妖に放った術のゲンコツが、全くはじき返された。
「出たわね!」
彼女の目に映る妖はその名を『夜叉』という、仏像の様な見た目をした三面六臂の上級妖だ。その3つの顔による死角の無さと、6本の腕に握られた剣や盾による絶え間ない攻防に、命を落としてきた術者も、1人や2人では無いと言われるような敵である。
だが、智鶴は余裕の笑みを絶やさず、タイマーのスタートボタンををピッと押し、一声。
「紙鬼回帰!」
と叫んだ。
*
そして迎えた最終日。それぞれの修行地では各々が感謝と別れを告げていた。
「ありがとう、ございました」
金峰山の山中で百目鬼が深々と頭を下げた。
「ああ、この夏、しっかりと成長したように思うが、まだまだひよっこなのに変わりは無い。向こうに戻っても、怠けずに鍛錬しろ」
「はい!」
「って、旦那ァ堅ぇよ。軍隊かぁ~~~~?? 百目鬼! お前はいい眼を持ってるぜ。大丈夫だ。そのままもっと先を見据えるんだぜ~~~~」
「イエ~~~~~~~」
「Fooooooooooooooooooooooo!! その息だ!」
百目鬼のこの返答を初めて見た鱗脚が、目を丸くしていた。
「ひょっひょっひょ。まあ、またいつでも遊びに来たらええ。どうせ鱗脚も寂しくして居るだろうしのう。里帰りのついででいいから、またのう、少年」
「はい」
「いや、別に寂しく等は……。だが、そうだぞ。いつでもまた来い。俺も腕を磨き上げて待ってる」
「うん、絶対に、また、来るよ」
そして手を振り、山を下りる。
荷物を取りに家へと戻ると、家族3人が見送りに出てきた。
「本当に送らなくて大丈夫かい?」と、父。
「うん。ここから、バス、乗ってく」
「にぃ~。行っちゃうの? 次はいつ帰ってくるの? 明日? 来週?」
華英は兄の服の裾を掴んで、離そうとしなかった。
「華ちゃん、それは、ちょっと、無理、かな。まあ、都合が、合えば、年末、とか?」
「いいねえ。じゃあ、大晦日にすき焼き、しましょう。すき焼き」
母はもう泣かなかった。すき焼きの言葉を聞いて、テンションを上げた妹は、意外とすんなり裾を離した。
「うん!」
「ああ、そうだった、そうだった。これ、渡しておくわね」
そう言って、母から鍵を一つ渡された。
「なに、これ?」
「ウチの合鍵よ。これでいつでも帰ってきて良いからね」
「母さん……うん、ありがとう」
百目鬼はその鍵をギュッと握りしめると、実家を後にした。後ろ髪引かれる思いはあれども、振り返ること無く、一歩を踏み出した。
*
同刻。龍刻の谷・雄呂血川の川縁では、文子と竜子が向かい合っていた。
「本当に、帰っちゃうのぉ~。もっと居なよぉ」
「そうだぞ。吾輩も美夏萠と竜子とまだまだ遊びたいぞ」
羅依華が地団駄を踏んで嫌がった。何千年も生きているだろうに、仕草がほんとうに見た目の歳相応で、竜子は思わずぷっと吹いた。
「あはは~。そう言ってもらえるのは嬉しい事なんだけどね。あっちで待ち合わせてるから、行かなきゃ」
竜子は遠い千羽の地を思い出す。もうみんな帰路に就いただろうか。人型の美夏萠を見たら、智鶴ちゃんは驚くだろうか。隼人君はまた固まるかもな。そう思うだけで、心が早く早くと騒ぎ出す。
「そっか~。まあぁ、そうだよね~。引き留めたら、私が智っちに怒られちゃうしぃ」
「ずっと気になってたけど、その智っちって……」
「ん? あんたらの大将、千羽智喜の事だけど~?」
何か変? とでも言いたいように、あっけらかんとそう言ってのける。
「やっぱり……」
「智っちとは古い仲なのよぉ。語れば長いわ。それに大して変わった話でも無いしね~」
「そうなんだ」
「そうそう~」
最後まで文子は軽いノリだった。
「荷物も積んだし、そろそろ行くね。きっとまた来るから」
「うん。あっちに戻っても、修行はちゃんと続けるんだよ? 美夏萠ちゃんと従者の皆と仲良くね。それと、それとぉ~」
「分かったよ。分かったから。もう、お母さんみたい」
「……」
竜子の口からお母さんという単語が出たのを聞いて、どこか気まずそうな顔をする。
「別に、もうお母さんが居なくなったこと、もう引きずってないよ。大丈夫」
「求来里は……。求来里は良いお母さんだった?」
「覚えてないけど、きっとね」
「それならよかったぁ。師匠冥利に尽きるわ」
「じゃあ、今度こそ行くから。またね、文子さん」
「お世話になりまして、どうもありがとうございます。羅依華も、元気で」
竜の姿のまま、美夏萠が礼を言う。他の従者達も、かってに顕現化し、口々に礼を言った。
「こら、みんな勝手に~。まあ、いっか」
竜子はひらりと美夏萠に跨がると、「ばいば~~い。またね~~~」と叫び、2人の姿が見えなくなるまで手を振った。地上の2人も同じくそうしていた。
*
竜子の別れより1時間くらい経った後、木枯山から悲鳴が響き渡った。
「うわ~~~~~。寝坊した~~~~~」
声の主は智鶴だった。飛び起き、スマフォを確認する。きっともう他の2人は出発してるだろうと推測される時間。
「栞奈も智成も何で起こしてくれないのかしら!」
部屋の戸をスパーンと開けて居間に出ると、そこでは朝食を終えた智成と栞奈が茶を啜っていた。
「わっち、起こしたもん」
「寝ている時に部屋に入るなって、言われたしなあ。なのに怒るなんてセンスねえ事この上ねえぜ。全く」
「あ~。もう、私が悪かったわよ」
「そりゃそうだ」
「で、智鶴は、修行着で帰るのか? 新幹線でその格好は、ちょっと浮くと思うぞ~?」
「え? あ、ホントだ! 私服どこやったかしら……」
バタバタと居間に出てきたかと思えば、またもやバタバタと部屋に引き返していく。
「最後まで忙しない奴だな~。帰ってからが思いやられるぞ」
「全くだ」
2人に呆れられながらも、バタバタと支度していく智鶴。荷物をチェックして、服装も整えて、1時間で全部済ますと、玄関に出た。
「忘れもんないか? どっかに何か置き忘れてるとか無いだろうな」
「大丈夫よ」
「智鶴、わっちがいなくて大丈夫か? 独りで朝起きられるか?」
「だ、大丈夫……だと思うわ」
「不安だな~」
栞奈が腕を組んで訝しげに智鶴を凝視する。
「それより、本当に世話になったわ。ありがとうございました」
「おう、良いって事よ。爺さんとか美代子さんとかによろしくな」
「ええ。分かったわ。智成も、その内実家に帰って来なさいよ」
「まあ、帰りづらくてな……。いつかきっと気が乗ったら、帰るわ」
明後日の方向を向いて、頬を掻いた。智成の心中にそれは、重くぶら下がってるのかも知れないが、智鶴には関係の無いことだった。
「いつでも良いと思うわよ。何か腹に一物あるなら、私をここへやったりしないと思うし」
「そうだな……。まあ、それもそうだが、智鶴ちゃん。あんまり無茶をするなよ。向こうに戻ったら、ちゃんと人の言うことを聞いて、身の丈に合った行動をするんだぞ」
「大丈夫よ。任せときなさい」
「その息だ!」
最初こそ怪しく思って居たこの言葉も、すっかり信じられる言葉になって居た。
「智鶴~。またいつでも来いよな? わっち、智鶴が来てくれて嬉しかったぞ。寂しくなるなあ……」
智鶴と智成の話を聞いていたら、別れの実感が湧いてきたのか、栞奈の声が悲しそうになって居た。
「も~。最初の態度は何処へ行ったのよ。大丈夫、きっとまた来るわ。その時には栞奈も驚くような成長をしているはずよ。っと、そろそろ行かないと、バスが……」
尻ポケットからスマフォを取り出し、時刻を確認する。
「じゃあ、行くわ。またね、2人とも」
手を振って別れた。山を下りる。バス停に着くと、程なくしてバスが来た。
こうして3人は各々千羽の地に向かった。
一ヶ月半の修行の成果は、そして、彼らを待つモノとは……。
どうも。暴走紅茶です。
詳しい後書きはエピローグに書きますので、続けてどうぞ!