16話 あめあめふれふれ
百目鬼が組み手で万里眼を使い始めた頃、同じく竜子も境界霧化の基礎を終えようとしていた。
「境界霧化!」
美夏萠に跨がり、大きな声でそう叫ぶ。
あの日――取り乱し、真相を知った日以来、美夏萠との境界霧化で湖に落ちるような感覚はなくなっていた。それもそのはず、その翌日から始まった、『輪郭取り』と呼ばれる、境界霧化の最中にも自分という枠を意識する修行が始まったからだ。
もともと多くの妖を従え、自分の霊力を分け与える『契約術』を基礎に置いている彼女であるから、それは少しの意識改善でメキメキと上達していった。
それに、自分の枠を意識する事で、流す霊力の量、受け取る竜気・妖力の量を調節することが出来るようになり、境界霧化の精度もどんどんと向上している。
「いっくよ~~~~~」
その一言だけで、全てが通じ合う。
文子が空中に設置した呪具の的を、美夏萠の水弾で正確に打ち抜いていく。
「やった~~~~! 全中!」
「おお~。お見事だね~。降りてきてね~。次に進むねん」
地面に足を降ろすと、文子と羅依華が近づいてくる。
「境界霧化への切り替えは、大分出来るようになったね~。いい感じよん。次のステップだけど、これは契約術からは少し離れちゃうかも……いい?」
「強くなるためなら」
「よく言った! じゃあ、説明してくね~」
どこからか文子はホワイトボードを持ってきた。
「これからは、竜子ちゃん自らが、水を操る術を学んでいくよ~ん」
「え? でも、それって龍人一体じゃないと……」
「違う違う。確かに境界霧化の範疇でっていう制限は付くけどぉ、美夏萠ちゃんの、水を操る性質を持った竜気を扱うんだもんね、水くらい何てことないよ~」
竜気はただ竜が発するだけの『気』に非ず。美夏萠なら水、羅依華なら雷と、竜自らが持つ性質が竜気に反映されるのである。
「ここで、解説ね~。境界霧化ってのはぁ、自分と対象の気を混ぜてぇ、整える術だからぁ、竜子ちゃんで言うとぉ、普段美夏萠ちゃんが発する力の内、50パーセントを使えると思ってねぇ」
文子はホワイトボードに、竜子と美夏萠と思しき可愛らしいイラストを描くと、『50%』と大きく書いた。
「50%?」
「そう~威力も出来る事も、全部半分だと思ってくれていいわぁ」
「う~ん。それだと、美夏萠に頼ってる方がいい気がするな? だって、美夏萠を通せば100%出るんだよね?」
「良いとこつくねぇ。確かに、基本は美夏萠ちゃんに戦って貰えば良いと思うわぁ。でもぉ、例えば別々に戦う時や、竜子ちゃん自身を狙われた時なんかはぁ、ど~~するのかなぁ?」
「ああ、そうか。私って基本丸腰なんだよね」
これが契約術師の痛いところだった。妖を操り、戦わせるのがこの術の最たるモノであり、また弱点でもある。そう、術者自身を攻撃されたとき、契約術だけだと戦う術が無いのだ。それに、もしも重傷を負ってしまったら従者の力も制限されてしまう。そうなってしまっては、鵺戦の時のように超級の美夏萠が、上級の妖に圧されてしまうのだ。
「そうそう~。だからぁ、アナタが戦える道を作るのよん」
そう言いながら、文子は川からバケツに水を汲み上げてくる。
「じゃあ、この水を浮かすところから始めようか!」
「わざわざ汲まなくても。水ならすぐそこに沢山……」
「はははははははは。いいね~若いって、無邪気ねぇ、素敵よぉ。でもぉ、あんな流れのある動的なモノを操るのはまだまだ無理無理よん。まずはこれをクリアしてからね~~」
「そうなんだ……。で、やり方は?」
「知らないわよ~。だって、私、水なんて操れないしぃ。雷の竜だもんっ」
「だもんっ。って、嘘でしょ……? ノーヒント?」
「流石にそれは可哀想だから、ヒントはあげるわぁ。ヒントその1、境界霧化を使うこと。その2、あとは美夏萠ちゃんが教えてくれるわぁ」
「え、ちょ、ええ~」
ヒントを告げると、満足したのか、文子は手頃な石に腰掛け、煙管を吹かし始めた。
「まあ、いっか。美夏萠、やってみよう!」
「ええ、では今日は私が先生という事ですね!」
いつの間にか人型になって居た美夏萠が、期待と嬉しさで爛々(らん)と輝く笑みを浮かべていた。
「そ、そうだね……。よ、よろしく、美夏萠」
「いいえ! 今日は美夏萠で無く、先生と呼んで下さい」
「あ、はい、先生」
ノリノリな美夏萠だった。
それから水を浮かす特訓が始まった。美夏萠の手本を見よう見まねで繰り返してみる。何度も挑戦している内、最初こそピクリともしなかったバケツの水面に、段々と波紋が浮かぶようになり、1時間もしない内に、ビー玉サイズくらいの水を浮かせられた。
「はあ、はあ……。物質を浮かせるのって、こんなに、大変、なんだね……。智鶴ちゃん、凄いなあ……」
「おお~。いいねえいいねえ」
文子に成果を見せる頃には、その水塊はポチャンとバケツに戻っていった。
「竜子様! その調子で、もう一回です!」
「せ、先生~。休憩~」
境界霧化を使いながら別の術を使うこと自体まだまだ苦しいのに、不慣れな浮遊・操作の術を使った竜子はヘトヘトだった。
「そうですね、じゃあ、休憩がてらお手本を見せましょう!」
先生と呼ばれ、もうその気になって有頂天を極めている美夏萠は、それはそれは上機嫌だった。
彼女は川縁にたつと、身体の前で腕を振るった。するとどうだろうか、川の水がまるで水芸のように、いや水芸よりも生き生きと華やかに、その美しさを披露した。
優艶克つ雅趣に富んだそれは、文子や羅依華も釘付けになる程だった。
一通り終わると、3人から拍手が上がった。
「凄いね! こんな特技持ってたんだ!」
「ええ、まあ、それほどでも無いですわ。1000年も生きていれば、暇を持て余すことも300年くらいはありますので、こういうのを習得してたんです」
「はえ~。私には到底真似出来ないよ……」
「あれ? お手本のつもりでしたのに!?」
竜子の特訓に活かされると思っての行動が、ただの隠し芸大会になってしまい、褒められて嬉しいのに、何だか複雑な気持ちがした。
結局その日はビー玉サイズからの進歩もなく終わった。それでも、そのサイズでキープ出来るようになったし、なにより初日から水を持ち上げられて、心が沸き立つ思いだった。
翌朝。雨が激しく窓を打ち、雷鳴が轟く音で目が覚めた。髪の毛は湿気でいつもの艶を失っており、その髪の毛を弄びながら暗雲立ちこめる空模様を見上げて、心まで暗くなった気がした。
だが、遙か上空に小さく2匹の竜が見えた。羅依華と美夏萠だ。彼女らは大量の水気と雷気を浴び、楽しそうに、嬉しそうにじゃれ合っていた。
「ふふ。雪の日のワンちゃんみたい」
そんな従者とその友の様子を見たら、自然と頬が緩んだ。竜子はさっさと支度を済ませようと、歌混じりに洗面所へ向かった。
お昼過ぎ、降り止まない雨を好都合と、文子は竜子を連れ立って庭に出た。
「フードは被らないの? 濡れちゃうよ」
「それで良いの~。滝行ならぬ、雨行よん」
今日の文子は可愛らしいレインポンチョを身に纏っていたが、何故かフードは被っていなかった。
「だ・か・ら~。美夏萠ちゃん。術解いてぇ~」
「え? でもそれだと竜子様が」
「いいの~。言ったでしょ? 今日は雨行なんだよ」
渋々術を解く。すると、今まで竜子を避けて降っていた雨が、途端、彼女を狙い撃ちし始めた。
「ちょ、ちょっと~。髪の毛、湿気対策ちゃんとしてたのに~」
もう既にずぶ濡れの2人は髪が顔にべちゃっと付き、化粧も流れ、散々な見た目をしていた。
「雨の日は又とない水気の日。熱帯雨林とか行けば、話は変わってくるけどねん」
「それで? 何するの?」
「そうねえ……。じゃあ、この降ってくる雨を受け止めよっか」
「受け止める?」
竜子は言われたとおり、両手を柄杓のように合わせて、降り注ぐ雨を受け止めた。
「ああ、違う違う。そうじゃないよん」
「じゃあ、どうするの?」
「今日は勘が悪いねぇ。境界霧化の特訓よ?」
「あ、そっか。すっかり忘れてたよ」
「美夏萠ちゃ~ん、今から私の言うとおりにしてくれる? お手本よん」
「は、はい! 竜子様、見ててくださいね!」
美夏萠が嬉しそうに、ふんすと意気込む。
「じゃあ、いくよ~ん。まず、利き手を前に出して。そうそう。そしたら、今降ってる雨を、辺りに漂う水気ごと丸めてみて」
美夏萠が言われたとおりにすると、掲げた掌の前に大きな水塊が形成された。
「そうそう。それそれ! 竜子ちゃんには今からこれをやってもらいま~す。勿論、昨日のビー玉サイズで構わないわぁ。大気に漂う水気と触れ合うことが、今日の課題よん」
「わかったよ。やってみる!」
竜子は今目の前で見た通り、掌底を打つ様に、掌を前にだすと、気を練る。美夏萠から流れてくる竜気、自身の霊気、大気の水気を均等に混ぜ合わせ、その力を使って、雨を空中で堰き止めるイメージ。
「こうかなっ!」
集中する為に閉じていた目を開いて唖然とした。眼前の景色は何一つ変わっていなかったのだった。
「残念、残念。そうじゃなかったみたいねん」
竜子が目を瞑っている間に軒下へと移動した文子は、早速煙管に火を付け、後ろから羅依華にドライヤーをかけて貰っていた。それ、煙管吸いにくいんじゃ。と思う竜子を余所に、文子はケラケラ笑っていた。
それから雨に打たれ続けること2、3時間が経った。身体が冷え切り、真夏だというのに、身体がガクガクと震えた。
「寒い……」
いくら朝から降り続く雨だったとはいえ、真夏にここまで凍えるものだろうか。異常なほどの寒気に、意識が嫌にハッキリしてくる。
「竜子様、一度休まれては……?」
「ううん。大丈夫。ちょっと寒いだけ」
雨足がだんだんと弱まり、次第に止んだ。雲間が開け、ずっと“かくれんぼ”をしていた太陽が、見つかって渋々出てくるかのように、のそりと顔を覗かせる。
辺りにむせ返るような湿気がむんと漂いだす。だが。
「寒い……」
竜子の身体はまるで温まってこなかった。その感覚、以前にも感じた事がある。そう、あの取り乱した時だ。恐怖に震えた際の感覚と酷似していた。彼女の脳裏に嫌なイメージが浮かび、背筋に冷や汗がつとと流れる。
「文子さん……身体が寒くて寒くてしょうがないんだけど……。私、また変になってるのかな?」
「う~~んにゃ? 違うよ~。あれだけ水気を吸ったんだよぉ? そりゃ身体も冷えるでしょ。でもでも、いまが絶好のチャンス。昨日のやつやってみて~~~」
文子が彼女の足下に並々と水が汲まれたバケツを置く。
「う、うん。わ、わかった~」
寒くて寒くてしょうがないから、自分で自分の身体を抱きしめて暖を取っていた竜子が、意を決して両手を離し、バケツに向かう。
「えい!」
下から上に、モノを持ち上げるように腕を動かすと、とぷんと、バケツの水が半分も持ち上がった。
「え~~~~! 凄い、凄い! 何で!?」
はしゃいで集中が途切れたから、水がバケツに収まりきらず、辺りにバシャンと散った。
「よしよし、解説をしようねえ。でも、その前に一個質問。寒さが無くなったか、少し和らいだでしょ~?」
「あ、うん。確かに」
「だよね~。今竜子ちゃんは身体に吸い込んだ水気を吐き出して、扱う気を水属性にブーストしたって感じかなあ。普通でも美夏萠ちゃんの竜気が水の気に近いけど、更に純粋な水気が交ざった事で、より水との親和性が上がったんだよ~。こうなるから、雨の日はチャンスなんだよん」
「あれ? でも、じゃあ、何で、雨そのものは掴めなかったんだろう」
「簡単な話よ~。動的な物を捉える技術がまだまだだからよん」
「あ、あはは~。そう言うことか~」
照れ隠しに後頭部を掻いた。
こうして各地での修行は加速していくのだった。
どうも。暴走紅茶です。
今週もお読みくださり、ありがとうございます。
本日ワクチン接種してきまして、投稿されている頃には死んでいないことを祈ります。
では、来週もまた元気でお会いしましょう。さよなら~