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紙吹雪の舞う夜に  作者: 暴走紅茶
第四章 強さのイミ
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13話 わたしはだあれ

夏の日差しがピークに到達し、夏休みも後半となった頃、竜子(りょうこ)の修行は本格化していた。

(きょう)(かい)()()!」

 その声一つで、従者と自分の境目を揺らがせ、お互いの気と気を混ざり合わせる。(てん)(くう)・ムーニーとはより高度に情報を共有し、くさりん・マドちゃんとはより攻撃・術の幅を持たせるように調節する。

 そして、美夏萠(みなも)とはその全てをより高度に、より緻密に、より強力に共有していく。

「良い調子だね~~~。もう天・空・ムーニーとは呼吸で会わせられてるよん。でも、くさりん・マドちゃんとは伸び代ありって感じね~。美夏萠とはまだまだねん」

「だって、まだ(りゅう)()の翻訳が上手くできないもん。(よう)()なら何とか翻訳出来るようになったけど」

「だってじゃないよ~。妖気の翻訳もこんなに駆け足でクリア出来たんだもんね~。竜気もちゃちゃっとやってくよ~」

「はーい」

 この翻訳というのは、妖気や竜気と言った、人の(れい)()とは異なる気を、自身で扱えるようにする技術の事であり、外国語を母国語に訳し理解するのと似ているため、(ふみ)()はそう呼んでいた。

「美夏萠。今日もよろしくね」

「はい。もちろんです」

 美夏萠と手を繋ぎ、境界霧化を発動。自身に流れてくる竜気を翻訳していく。

 数分そうしていると、パッと手を離し、のけぞるようにして後方に手を突く。

「やっぱり難しい~。妖気みたいに単純じゃ無いのが、なんとも出来ない~」

「出来ないと思うから出来ないのです。ほら、もう一回やりましょう」

 美夏萠はスパルタに目覚めたようで、ここ最近、段々と容赦してくれなくなってきた。

「うへ~。分かったよ。もう一度、境界霧化!」

 とまあ、こんな感じで日々が流れていく。修行はほぼ全て境界霧化のトレーニングと、軽い組み手。他にも、竜子が持ち込んだ秘伝の書の解釈が分からないところを質問したり、文子の用事を手伝ったりして、1日が終わっていくのだ。

 

「竜子ちゃ~ん、出かけるよ~~ん」

 今日も昼頃からこの修行を始めていたが、少し日が傾いた頃、文子に呼ばれた。竜子と美夏萠が何回目かの挑戦をしようとしている所だった。

 今日の文子はゆるりとしたスカーチョに、少しゆとりがある程度のTシャツを着ていた。とてもラフな格好である。

「何処に行くの?」

「とっておきの場所~。着替えが居るところだから、荷物をとって来てねん」

「着替え? うん。分かったよ。ちょっと待ってて」

 言われたとおりに下着から何から着替え一式を持つと、文子に続いて空へ飛び立つ。今日は珍しく羅依華(らいか)に乗っての空中遊泳だった。

「どう~? 美夏萠ちゃんとの境界霧化は上手く行ってる~?」

「まずまず……。と言えたら良かったんだけど」

「こればっかりは、コツを掴めないとね~。コツを掴めば早いんだけどねん」

「コツか~。コツコツやるしか無いかな。なんて」

「オヤジギャグ? さむ~い」

 なんて言って、文子はケラケラ笑っていた。

「境界霧化のトレーニング始めてから、何か変わったこととかない~?」

「変わったこと? あ~、なんかこうして飛んでる時、ふと美夏萠に乗ってるって事を忘れる時があることかな? 一緒に飛んでるんだけど、乗ってないって言うか、そもそも自分が飛んでるみたいな」

「ほうほう~。その感覚の先に、コツがあるのかもね~。あ、そろそろだ。降りるよ~」

 龍刻の谷から暫く行った先にある山の頂付近に向かって、下降していく。文子から隠形は要らないと言われたので、その通りに降り立つ。竜子を下ろしたことを確認すると、美夏萠は人型に(へん)()した。

「うわ~。何ここ? お風呂屋さんかな? でもなんでこんな山奥に……?」

「おお~、一発正解だ、()(ざと)いね~。そう、ここは人も妖も皆が集う湯屋、『山ヶ(さんがとう)』だよ~。まあ、人と言ってもそれは術者が殆どなんだけどねん」

「へ~。でも、それって、喧嘩にならないの?」

「ここにはここの掟があるの。そもそもこの場所は(ふし)(さん)って山でぇ、元々は『不死山』って書く山なの~。ここではね、あらゆる殺生が禁止されててぇ、妖と人の喧嘩は勿論、虫を殺すことまで御法度なのよん」

「へ~。そんな場所があったんだね」

「まあ、相当古い術者でもないと知らない、マイナーな場所だからねん。竜子ちゃんみたいに若い子は多分居ないと思うよん」

 そんな説明を受けてから、『女』の赤い暖簾をくぐり、番台に出る。

「おやおやおやおや、文ちゃんじゃないの、無沙汰ね~~~~」

 番台に、異常なほど皺を蓄え、もう目の位置も捉えられないほどの老婆が座っていた。それは(しわ)ばあと呼ばれ親しまれている『山ヶ湯』の看板ばあさんであり、その正体は山姥(やまんば)だった。

「皺ばあちゃん、お久~。2人分よろしくね」

「割り勘かい?」

「いや、私から一括で良いよ」

「あいよ」

 返事をすると足下から、先が針でなく吸盤になった、嘘みたいに大きな注射器をが出てきた。それに驚くことも無く、文子が腕を差しだすと、吸盤を押し当て、ブランジャーを引く。するとどうだろう。透明な彼女の気が吸い出されて行くではないか。

「ほいほいほい。これで2人分ね。元気かい?」

「ありがとう! こんなもんじゃ、私はまだまだ元気だよん」

 文子はピースをして見せると、竜子を伴って奥へと向かう。

「ねえ、ここは気が通貨なの?」

「通貨というかね~。何て言うんだろうかね~。そもそもこの建物自体が『マヨイガ』の一種でね。こうして利用客からの供給で生きながらえてるんだけどぉ。う~ん。私もそこまでよく知らないから、通貨って認識でいいや」

 マヨイガとは『迷い家』と書く屋敷型の妖であり、そこから物を一つ持ち出すと、幸運に恵まれるなんて言い伝えもある妖である。

「え、ここ、マヨイガの中なの!? 私初めて! うわ~。なんかドキドキするね」

「間違っても契約しちゃだめよん」

「しないよ~」

「求来里はしそうな勢いだったけどねん」

「お母さんもここに来たの?」

「うん。連れてきたよ~。今のあなたみたいに、はしゃいでたわ~」

「そっか」

 2人と2匹は会話をしながら脱衣を済ませ、浴室の引き戸をガラッと言わせ中へ入る。蒸気に満ちたそこは、所謂街銭湯といった様子だったが、露天風呂もあるらしく、とても開放的な造りになっていた。

「文子さん、背中流すよ」

「おお~。気が利く弟子だね~。ありがとうありがとう。じゃあ、お願いするよ」

 竜子はタオルに石けんを擦りつけると、文子の背を擦っていく。

「文子さんって、一体いくつなの? 凄い肌綺麗だね」

「ふふふ。女性の年齢は秘するものよ~。しかも、そんなお世辞、こ~~~んなに若々しいお肌を見せつけられながら言われても、嬉しくないわ~~~」

「そんな~」

「あれ? ここ、怪我? 2本筋がある」

 綺麗でツルッとした肩甲骨の辺りに、2本の縦筋が入っていた。

「そんなとこ~。まあ、昔々の話だから、気にしないでねぇ」

「うん……」

 竜子はその筋にどこか違和感を覚えたが、直ぐに気にしないようにすると、再び背中を擦り上げた。

 身体を洗い終わると、湯船を転々としながら、露天風呂へと向かう。熱めの湯船、夏特有の少しヒヤッとしつつも、湿度の高い風、そして目の前に広がる木々と、どこかからか聞こえてくるせせらぎのヒーリング効果に、心がホッとする。

「美夏萠や羅依華って、服脱ぐとそんな感じなんだね」

「そ、そんなってどういうことですか!?」

「いや、もっと鱗びっしり、尻尾が生えてて~みたいなのを想像してたから」

「そういう時期もありましたが、もう完全に人へ化けられるので……。ご期待に添えず、申し訳ありません……」

「いやいや、良いんだよ。それにしても、美夏萠、以外と大きいねぇ……ほら、ご主人様の元へおいで……」

「ひ、ひぃぃぃいい。せ、セクハラですよ!」

「同性だし、気にしない、気にしない」

「でも、そう言う竜子もなかなかだな。ほら、お前の師匠の友としては、ちゃんと触診しておかないとな!」

「ちょ、羅依華、離れてよ~。ひゃんっ。ど、どこ触って……」

「ほらほら、みんなあんまり暴れちゃ駄目だぞ~」

 知り合いの妖と談笑しながら日本酒を煽る師匠は、どこか逆上せたような声で飛沫(しぶき)を上げる弟子たちを見守った。


 風呂上がり、腰に手を当て、牛乳を煽る4人組。口から瓶を離すと、(みんな)同時にぷは~~と声を上げた。さらさらと流れる夜風が、心地よく流れていく。

 牛乳瓶をベンチに置くと、文子は煙管に火をつけた。紫煙が湯屋の明かりに照らされながら空へと登っていく。

「もう、お風呂上がりに煙管なんて吸ったら、また匂いが付いちゃうよ」

「ははは。お子様には分からないだろうね~。これが旨いのよん」

 からからと笑う文子には歳という概念の気配が無かった。

「私は大人になっても吸わないよ!」

「あらあら健康思考なこって。でもねえ、どうせ私はこれ以上どうにもならないからねぇ」

「どういうこと?」

「お子様はまだ知らなくて良い事よん」

 文子が煙管を吸い終わると、2人と2匹は空へと舞っていった。

 心地よく逆上せた帰り道、今日はよく寝られそう。とそんな事を考えながら、美夏萠の背に乗っていた。


 だが、彼女の異変は今晩から始まるのだった。


 深夜、川縁の谷底にはムンとした湿気が溜まり、寝苦しい夜だった。湯屋の帰り、夕飯を済ませると、直ぐに布団へ飛び込んだ竜子はそのまま眠り落ちていた。

「ん……。喉、乾いたな……」

 深夜3時、そんな事を言いながら布団を出ると、階下の台所へ向かう。

「んく……んく……」

 冷蔵庫を開ける事も面倒だったので、蛇口から水を出して飲む。ここの水道は地下水を()()して組み上げているので、千羽町の家で飲む水よりも美味しく感じる。

「トイレ……」

 水を飲んだら身体が冷えたのか、ついでにトイレにも行きたくなった。

 用を済ませ、手を洗う。その時、ふと鏡を見た。

「あ……れ? 私の顔ってこんな感じだったっけ?」

 鏡に映る彼女の姿は今まで通り、見紛うこと無く(じゅう)(しょ)(りょう)()そのものの顔だった。それでも、彼女はそれに違和感を覚えた。

「そもそも私って誰? 何? 私は美夏萠? 違う……えっと、ムーニーじゃなくて……あれ? あれ……?」

 自分の顔を首を腕を胸を腹を尻を足を何処を触っても、自分のものという感覚が無い。自分の身体ってこんなだっけ? 鱗は生えていなかったっけ? 翼は生えていなかったっけ? そんな(はた)から見れば意味の分からない疑問が次々と湧いてくる。


「私は……だれ?」


 その瞬間、足下が急に底の見えない水面となって、ドボンと落ちる感覚が襲う。

 藻掻いても藻掻いても、一向に浮上する気配は無い。ゴボゴボボボと口から空気が抜けていく。どんどん、どんどんと水底に落ちていく。そして、そこに居たのは……。

――私!?――

 真っ黒な影にも見える人らしきそれがゆっくりと笑い、両手を差し伸べる。黒くてはっきりと分からないのに、何故かどうみても竜子自身であると自覚出来た。

――怖い、怖い、助けて、助けて――

 息の出来ない水の中、頭の中で何度も叫び、水面を目指した。藻掻いて、藻掻いて、あと少しで水面……と思えば、またトイレの鏡の前に立っていた。身体がガクガクと震える。

「怖い、怖い、怖い、寒い、怖い、怖い、寒い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、寒い、寒い、寒い、怖い、怖い、怖い、怖い、寒い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、寒い、怖い、寒い、怖い、寒い……」

 自身を抱きかかえ、震えていたのに、気がつけば駆け出していた。言うに言われぬ不安が身を襲う。家から飛び出し、目の前の雄呂血川(おろちがわ)に入っていく。冷たいという感覚が足から登って脳に到達する。

「冷たい、何で? あれ? 私は蛟? あれ?」

「あれ? あれ? あれ? あれ? あsれjりがんう゛ぉばえぃrgはい;おwひv;あn」

 錯乱した彼女は時折、声と分からぬ奇声を上げた。

 そんな彼女を2階の自室から見下ろす文子は一言。

「始まったか……」

 とそれだけ言うと、窓辺に足をかけ、竜子の元へと飛んでいく。

「ほら、しっかりして、あなたは誰?」

 どこかから彼女を連れ戻そうとせんばかりに必死となる文子は、いつもの口調では無くなっていた。語気を荒げ、竜子の胸ぐらを掴んで離さない。

「私は……私は……」

「はっきり答えな!」

「ひぃぃぃいい! ……私は……私は……私は、私は私は私は?私は?私は!!」

 取り乱した彼女は、瞳孔が開き、視線も定まっていない様子だった。

「そう、あなたは?」

「私……私……」

 そんな彼女の頬に平手打ちを食らわす。パーンという高い音が渓谷にシンと響き渡る。

「痛い! 何するの!?」

「打たれたくなかったら、自分が誰か言いなさい!」

「私は……」

 更に一発。

「痛いよ! 私は、そうだ、私は竜子、十所竜子!」

 打たれたショックからか、正気を取り戻した竜子は、瞳孔が収縮し、自分の名前をはっきりと言う。

「そう、あなたは竜子ちゃんよ。美夏萠でも無い、天や空とも違う、あなたはあなたよ。気をしっかり持ちなさいね!」

 抱きしめられる感覚はキチンと自分の物と分かる、温かい感覚だった。


 家に入り、温かいココアをいれてもらう。それを啜り、ホッとした表情を浮かべる竜子。そんな彼女を見つめる文子は、顔色が悪いようだった。

「もう大丈夫? ここがどこだか分かる?」

「うん。もう大丈夫。でも、なんであんな取り乱し方したんだろう……? 私こんなに錯乱したの初めてで、本当にどうしてか分からないの。その、心配掛けてごめんなさい」

「いいのよ~。いや、私か。謝らなきゃなのは」

「え?」

「そうだね。話してなかったよねぇ。境界霧化の副作用というか、使い始めの、弊害というかぁ」

 言いにくそうな様子の文子はどこから話そうか迷っている様だった。とその時、襖がバタンと音を立てて開けられた。

「文子が言いにくいなら、吾輩から言わせて貰おう」

 そこには恐ろしく表情の無い羅依華と、その背後におずおずと美夏萠が立っていた。

「今、竜子の身に起こっているのは、文子の言った通り、境界無感の初期症状、弊害だ。こうなることは今ここに居る、お前以外の全員が知っていた。人の身で様々な妖者との境界をうやむやにする術を使ったお前は、さっきのあの瞬間、無意識下で境界霧化を発動してしまった。一種のぼうそうだな。だから、自分と他者の境が分からなくなって、取り乱した」

 そこまで話すと、羅依華は部屋の中に入り、座布団に腰を下ろす。それに倣って、水面も羅依華の対面に座る。

「人も妖も、自分という輪郭の中に存在を保っている。それを何度も蔑ろにしたら、そりゃ噛み合わない部分も出てくる。まだお前の身体はそれに慣れていない。しかも、お前は境界霧化を学び始めたばかりで、自分の輪郭を感じ取る技術が追いついていなかったと言う訳だ。この症状が出る事を誰も言わなかったのは、絶対に起こるとは言い切れないから。変に不安を煽るよりもいいと思っての事なんだ」

「羅依華~。もういいよ、ありがとうね~」

 そこで羅依華の言葉を止めると、続きを引き継ぐ。

「竜子ちゃん。本当にごめんなさい。分かっていながら、止められなかった。伝えられなかった。言い訳をすると、まだだと思って居たの」

「……」

「もうここで辞めても良いよ。それなら、私、絶対に他の方法を探るから」

「いや、続けるよ。今の私に必要な術である事は確かだもん。でも、それならちゃんと教えて。この境界霧化の先にあるものを」

「……」

 文子はまた、どう話そうか迷っていた。羅依華も、美夏萠も。皆が閉口したまま、誰も口を開かない。

「今から話す事を、実行しない、私の真似はしないって、約束してくれるなら、話すわ」

 そんな中、責任感に駆られた文子が、煙管に火を付けながら話し始めた。自分を落ち着かせようと、肺の深くまで煙を吸い込む。

「それは、聞いてから考えさせて」

 竜子の剣幕を見た文子は、しょうがないかと諦め、話し始める。

「昔々の話ね~。ある戦いで窮地に追い込まれた私は、とある術を使ったの。28才くらいの頃だったかな。負けたくない一心で、当時の師匠にも止められていた術なんだけどねぇ。その術は『(りゅう)(じん)(いっ)(たい)』という術なんだけど。その術の弊害で、私は歳を取れなくなった」

「歳を取らない? 不老不死って事? そんな術が完成していたなんて……」

「う~ん。不老不死とは違うかなぁ」

 文子は一度羅依華と目配せをすると、先を話す。

「私はぁ、この子と文字通り一心同体なの。だから空も飛べるし、雷も出せるの。そして、寿命も一緒。私はもう人と言うよりも、竜に近い存在なの。霊気なんてもう流れていないしね~」

「そんな……。それが境界霧化の先にあるの?」

「正しくはぁ、違うかな。境界霧化を極めた先に使える『術』なのよ。龍人一体は。だからぁよっぽどの事が無い限りは、境界霧化だけじゃ人の枠からは外れないよ」

「そっか。じゃあ、心配ないね。私は竜使いじゃなくて、契約術師だもん。美夏萠のことは勿論大事だけど、この子だけを選ぶ訳にはいかない。他の従者の事も考えたら、私は龍人一体の選択肢はとれないよ」

「……絶対よ~? 絶対の絶対に、龍神一体は使わないでね」

「うん」

 竜子の返事に、満足そうな顔を浮かべた文子だったが、眼の奥では後悔と不信感の火がゆっくりと揺らいでいた。

 かつての自分を竜子に重ねる。あの日、あの選択を取ってからの日々。後悔はしないと誓ったが、それでも大切な人たちがどんどんと年老いて、死んでいく日々は耐えられなかった。この可愛い弟子には、自分のような過ちを犯さないで欲しい。ただそれだけを、竜に祝福された女性は静かに祈った。

「さて、今日はもう遅いわぁ~。寝ましょうねん」

 元の調子に戻った文子は、煙管の燃えかすを煙管盆に落とし、立ち上がる。そんな彼女の姿を見て、不安を感じた弟子は、声に思いを乗せた。

「文子さん。私、文子さんを師匠にして本当に良かったよ。何も後悔は無い。龍人一体も使わない、だから、だからね、明日も――ううん、この夏休みが終わってもいつまでも私の師匠でいてね」

「はいは~い、分かってるよぉ~」

 弟子に背を向け、後ろ手にひらひらと手を振る彼女は、涙を堪えて、必死に声を絞り出していたのだった。


 *


 ストンと、対面の部屋で襖が閉まる音がした。竜子が部屋に戻ったのだろう。何だか寝付けない文子は、窓枠に腰掛け、煙管をふかしていた。視線が自然と、竜子が錯乱していた場所に吸い込まれる。

「寝れないのか?」

 気がつかぬ間に、足下の布団の上には羅依華が座っていた。

「うん~。ちょっとね~」

「後悔か?」

「いや~? 違うかも」

「はっきりしないな」

「ごめんごめん~」

「我の前では、そんな嘘くさく笑わなくていいぞ」

「ははは、見破られたか」

「長い付き合いだろ」

「本当にね。長い、長い付き合いだね~」

「ああ、長い付き合いだし、これからも付き合ってく訳だしな」

 その言葉に、目を伏せ、何と無しに赤く燃える煙管の先を見つめる。

「羅依華、ごめんね~」

「何が」

「私の選択が、だよ~」

「何を今更」

「本当に今更だけどね~。あの子と接していたら、あの時、あんな術を使わなくても良かったんじゃ無いかって、時折思っちゃってぇ」

「いや、あの時はああするしか無かった。それはお互い同意の上でだろ」

「そうだったね~。ああ、そっかあれももう100年以上前の話なんだよね~」

「早いもんだな。まあ、我としてはお前と過ごした100年も、その前、産まれてからの2000年くらいも、どっちも楽しいけどな」

「ふふ、そう言ってくれるなんて、嬉しいねぇ」

「照れるだろ、やめとけ」

「そろそろ寝るかな~。今日は助け船出してくれて、ありがとうね」

「ああ。それじゃ、おやすみ」

「うん。おやすみぃ」

 月明かりがパタンと閉められた木製の雨戸に遮られ、部屋に漆黒の(とばり)が降りた。

どうも、暴走紅茶です。

暖かくなってきたと思ったら、もう卒業式も終わって、3月も終わるんですね。

卒業された方、おめでとう御座います。

4月1日から新生活の方は頑張って!


ではまた来週!

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