7話 オフの日
智鶴と百目鬼、竜子の3人はそれぞれ『紙鬼回帰』『妖術』『境界霧化』の習得を目標に修行を始めた。だがそれは皆、一朝一夕にとはいかないもので、上手くいかずに落ち込むこともあれば、一歩前進した気がして喜ぶこともあった。
そんなこんなで一週間と少しが過ぎようとした日曜日。この日は百目鬼にとって休みの日であり、診察の日でもある。彼はバスを乗り継いで、2時間ほど行った先、牡丹坂家本家屋敷を目指していた。
「牡丹坂、仕事で、会ったこと、あるし、家にも、治療や、配達で、来るけど、屋敷に、行くのは、初めてだな。どんなところ、だろう」
そんな事を呟いてみる。バスはどんどんと進んでいく。
一度都会じみた郊外の街を抜け、再び長閑な風景になるともう直ぐである。
最寄りのバス停で降りた彼は、スマフォと術で道のりを辿ること数十分。目的の屋敷に着いた。
「おお~。千羽に、負けず、大きい」
千羽家本家に比べれば幾分か小さくはあるが、一般的な尺度で言えば十分に大きい屋敷が立っている。通りに面する入り口には『牡丹坂薬剤』と大きな看板が掲げられており、店の入り口たるガラス戸にも、ペンキで牡丹坂薬剤と書かれていた。
牡丹坂家は千羽家傘下の呪術一家であり、薬学を得意とする一族である。霊的薬学にも人的薬学にも長け、呪術界のみならず、表の世界でもその名を馳せる珍しい一族だ。
その為に田舎町であるというのに、豪奢な服装のお客さんが何人か接客を受けているのが、ガラス越しに覗える。
ガラッと音を立ててそのガラス戸を開けると、その先は表土間となっており、棚には様々な薬が並べられている。その棚周り及び屋敷内では、従業員や門下生があくせく働いているのだろう、活気のある声が聞こえてくる。
「あのう」
机上で大福帳を付けていた男性にそう声を掛けると、直ぐにこちらをむいて一言。
「いらっしゃい! どんな薬をご所望ですか?」
「いや、違います、俺は……」
要件を伝えようとすると、たたたたたたたたたと、足音が近づいてくる。シュタッと目にも止まらぬ早さで動いたその影は文机の横に蹲るような姿勢を取った。その尋常ならざる動きに驚嘆し目を向けると、美麗な振り袖姿の少女が2人して三つ指を突き、頭を垂れていた。
「百目鬼様「お久しゅう御座います「牡丹坂桜樺です「同じく椿姫です」
桜色を基調にし、金糸で桜の刺繍が散りばめられた振り袖の少女が桜樺で、深紅を基調にし、白糸で椿の刺繍が施されているのが椿姫である。双子の彼女らは百目鬼よりも一つ年下だが、既に某有名国公立大学から特待生扱いでの推薦状が出ている大エリートである。
百目鬼は以前、まだ再生が上手く出来ない頃、傷付いた折に彼女らから診察を受けたことがあった。また、しょっちゅう怪我をする智鶴の診察によく千羽家へ来ており、知らない仲ではないのだ。
「百目鬼様「診察を担当させて頂きますので「こちらにおいで下さい」
交互に喋っているにも関わらず、その声音が似すぎていて、違和感が喪失していた。何だか脳がクラクラするなと思った。
機械や薬を使った人体的な検査に、呪術的な道具を使った診察や、霊医学の診察では常識である『視察』――『力の流れを視る診察』が行われる。どの工程も滞りなく進んでいくが、触診だけは問題があった。
「あら、百目鬼様、上腕二頭筋がお堅いですわ「お姉様、そんなに触ってはいけませんよ、あ、でも、この腹直筋の隆起具合……「こら、椿姫、それは触診じゃありません事よ……と、ヒラメ筋も……」
この2人、暫く会わない内に、姉妹揃っての筋肉フェチに目覚めたようで、触診を進めて欲しいのに、筋肉の具合を見るところから一向に進まないのである。
「ちょ、ちょっと……」
「なんでしょう「どうかいたしましたか?」
「あ、いえ……」
いやに真剣なその声に、たじろいでしまう。
前にあったときは、もっと静かな姉妹だったのに……。思春期を迎えて、彼女らに何があったというのだろうか。
「あら、百目鬼様、リンパの流れが「お姉様、リンパはそんなところに流れておりません「あら、椿姫、この間の論文まだ読んでいないんですか「そんな論文ありません「いえ、ありますよ、先日の即売会で……」
そんな会話を体の上で繰り広げられている百目鬼は、どう抵抗して良いか分からなくて、お、女の子って分からないなぁ……と、そっと涙を流した。
「診察は以上で終わりです「結果を直ぐにお出しいたしますので「客間にてお昼ご飯を「召し上がって下さい」
「ありがとう」
触診という名のセクハラも終わり、客間を目指して歩く。以前に来たことがあるから、場所は分かるものの、見慣れない屋敷についつい緊張して、きょろきょろしてしまう。
客間につくと、既に食事が用意してあった。薬草いっぱいの精進料理が出てくるかと思いきや、意外にも肉や魚を中心とした豪華なお膳の様だった。
それを食べていると、背後の襖が開け、桜樺と椿姫が入って来た。
「御食事中失礼します「召し上がりながらで結構ですので「結果のご報告と問診をさせてください」
「はい、よ、よろしく」
触診を思い出し身体が強張るも、2人の表情は至って真面目なものであり、ほっと胸を撫で下ろした。
「百目鬼様「最近、再生頻度を「増やしてらっしゃいますよね」
「確かに、増えてる、かも」
「百目鬼様は「先祖返りで「妖気を発するとも「ベースは人間です。「再生というものは「人の域を優に超えたもの「度を超えて繰り返す度に「妖に近づきます。「百目鬼様は「元から血が濃いお方ですが「再生を常態化させる事が「どんな結果になるのか……「「ゆめゆめお忘れなきよう」」
最後は2人の声が重なって、より重く心に刺さった。
どうなるか……そんなことは言われなくても分かっている。だけれども、どんな結果になろうと、手を伸ばしたい。今はどうしても留まっていられない。
「ありがとう。肝に、命じる、よ」
姉妹はそう聞くと、安心した様でフッと口元を綻ばせた。
そこから伝えられた結果は健康というもので、それは修行の続行を意味した。
食後、2人に別れを告げると、帰路に就く。
家に着くと、14時を廻っていた。今日くらいゆっくり休むか、宿題をやるか……と思っていたが、リビングに入ると妹の華英が飛びつき、手を取ってきた。
「おかえり! これから皆でお買い物行くんだけど、にーも来るよね?」
キラキラとした目でそんなことを言われては、当初の予定など吹っ飛んでしまう。
「勿論」
そこからは完全にオフだった。日々鍛錬を重ね、学校・道場・部屋また道場の生活を続けていたから、家族で出かけるという事がどんな事か、想像もしたことがなかった。
ショッピングモールで、華英に勧められるがままに洋服を見漁った。私服は一番近いスーパーで適当に揃えた数着しか持っておらず、生活の殆どは制服か修行着で過ごす彼には、ブランド名すら読めなくて、何度も笑われた。
華英も気が済んだのか、満足そうな様子だったので、母の提案から休憩がてら喫茶店に入る。日向夏のレアチーズケーキの甘みと酸味が、渋めのダージリンとよく合い、慣れない場所を歩き続けた疲れを癒やしてくれる。
すっかり暗くなってからの帰り道、お父さんのお気に入りだという焼き肉屋で夕食を食べた。華英はお気に入りの服に匂いが付くと、最初こそ抵抗していたが、一度肉が目の前に出てくると、舌の根も乾かぬ内に舌鼓を打っていた。
まるで普通の人々が送っている様な、そんな休日を過ごした。
身も心も幸せいっぱいに満足した百目鬼は、家族と共に帰宅した。後はお風呂に入って寝るだけか……なんて事を思ったが、そう思うと何だか不安感の様な、焦燥感のような、そんな感覚が襲ってきた。
「あ、俺、やっぱ、ちょっと、体、動かしてくる」
リビングに向かう一行にそう宣言すると、真っ直ぐ自室へ向かい、ブランド名が書かれた幾つかある紙袋の中から、スポーツブランドのモノを選び、開封する。今時のちょっとお洒落な黒いジャージを、華英に選んで貰っていたのだ。袖を通すと何だかウキウキした。それと同時に、絶対鱗脚との修行には着ないと心に誓った。
そして、走り込みと気配取りと……もともとのルーティンに今の課題を混ぜてきっかり0時まで体を動かした。
くたくたに疲れてベッドに潜り込む。接触冷感の敷きパッドが、お風呂で火照った身体にヒンヤリと心地よい。今日の事を思い出してみた。だけど少し思い出した所で、満足と幸せと沢山の温かい感情に包まれ、直ぐにぐっすりと眠りについた。
どうも。暴走紅茶です。
今週もありがとうございます。
来週も宜しくお願いいたします。




