6話 最初の課題
木枯山での生活も4日目となると、大分慣れたものになってきた。
朝起きて、寝間着から修行着に着替えると、分担表の通りに栞奈と家事を分けて取りかかる。
木枯山は智鶴が登ってきた表側が草木の一本も生えないハゲ山で、その裏側が獣道しか無い様な森林であった。その生死が共存しているような不気味さが人を寄せ付けず、次第に妖の住み処となった事が、霊山となったきっかけとも言われる。
そんな裏側に流れる川まで水を汲みに行くのが本日最初の仕事だった。術は使わずに、自力だけで。というのは勿論のこと、裏側であっても例のガスは漏れており、霊力循環を解くことは許されない。
そして昼頃までに掃除洗濯朝昼ご飯の支度と片付けを済ませたら、そこから修行の時間が始まる。
山小屋の前に置かれた丸太に座って、智房が講義を始める。
「今日から本格的に修行を始めっからな。ちゃんとついてこいよ」
「ええ。任せておきなさい」
「ホント、頼もしさだけは素晴らしいな。とまあ、そんなことは置いといて。今日までの3日間、仕事や自主練で術を使う所をちゃんと見せて貰ったが、そうだな。お前さんはまだまだ紙操術のというより、呪術に対する認識がなってないな」
「どういうことよ」
沢山本を読んで、学んで、理解を深めていた彼女は、言われている意味が分からないという風に、腕を組み首を傾げる。
「まあ、そう慌てなさんな。良いか? お前さんは紙操術をどう捉えているんだ?」
「どうって……。紙を操り、紙に出来る事なら大抵のことが出来る術……かしら?」
考えながら意見を纏めてそう言った。
「まあ、間違いでは無いな。でも、それだけじゃねえ」
「え?」
「紙に出来ない範囲まで、可能性を伸ばせって事だよ」
「出来ないこと……?」
「例えば、速記術。あれは紙じゃ無くてどちらかというと、筆やペンに出来る事だろ。それに発火も、紙だけじゃなかなか難しい」
「ああ、なるほど」
そうである。紙操術とは、何も紙単体で起こりうる現象のみを再現する術では無い。何かが紙に及ぼす現象をも、術にて再現することが出来るのだ。
「でも、私が得意とするのは折紙と紙吹雪で、そんな発展は出来ないんじゃないかしら。紙刀を燃やすにしても危険があるし。紙吹雪を燃やしても直ぐに燃え尽きてしまうわ。それに速記だって、あれは何十年も修行してやっと手にすることが出来る術よ。夏休みだけじゃどうにも出来ないわ」
自身に関係しない事を、何でわざわざと、智房の言葉を否定するように言った。
「だから、そう回答を急くな。センスがねえなぁ。それにお前さん、頭が固すぎるな。やっぱりセンスがねえ」
「言ってくれるじゃ無い」
フグの様に膨れる少女の頬を、苦笑いで受け流しつつ、話を進める。
「お前さんには今日から『紙漉』という技術を教える。それに当たって、今日からその馬鹿でかいロール紙は使用禁止とする。第一そんなの背負ってたら、機動力が落ちるだろ。智房位の小さいサイズならともかくだ。因みに、使うなら細かく刻んで、紙吹雪として使うこと。だが、逆は良しとする」
「逆?」
「そう、逆だ。まあ、見てろ」
そう言うと、智成は智鶴の巾着から紙片を拝借し、数枚を空中に浮かせた。そこに手を翳し呪力を練る。すると、その一枚一枚が繊維を絡ませ、くっついた。
「凄い……」
「これが『紙漉』の完成形だ。そんなに難しい技術では無いからな、直ぐに会得出来るだろうよ。最初は繊維を動かす所から始めな」
言われ渡された紙片。智鶴は簡単だろうと高を括り、挑戦するが、これがなかなかにどうして難しい。
「ふんっ! ふんっ!」
鼻息荒く術を行使する度に、力を込めすぎてしまう。
「力みすぎだ。センスねえな。紙を構成する繊維一本一本まで呪力を行き渡らせるんだ。いいか? そもそも紙っていうのはな、繊維の集合体だ。これを会得すれば、また次の応用に繋げられるかも知れねえ」
「分かったわ。一本一本ね」
言うは易し。ウネウネと繊維が触手のように蠢く智成と対照的に、智鶴のは丸まるで針のようにピンと立ったまま動かない。
「……まあ、気長にやるこったな。仕事まで暇だし」
「え? ちょっと今日はこれだけ?」
「今日はというか、これが出来るまでこれだけだ。もっと術を知りたければ、早く会得するんだな。あ、因みに俺は半日で動かせるようになって、1日で紙漉まで持って行った」
「1日……。ふん、上等じゃない。半日で完成させてやるわ!」
「ホント、言葉だけは頼もしいなぁ、お前さんは」
そしてそこからきっかり半日が過ぎた。日も傾き、玄関横の土間で、栞奈が鼻歌交じりに夕飯を作っている声が、外へ漏れ聞こえている。
今日の夕飯当番で無い智鶴は、結局昼からずっと紙漉に挑戦していた。
そんな様子を、軒下の長椅子でゴロゴロしながら監督する智成だったが、ウトウトとしかけたタイミングで、智鶴に呼ばれた。
「あ、と、智成!」
「なんだ。ヒントでもくれってか? そんなもんはねえって……嘘だろ!」
智鶴の手には、不格好ながらくっついた紙片が摘ままれていた。
結局それは風に煽られ、直ぐに離れてしまったが、半日で術の成功に漕ぎ着けたのは、紛れもない事実である。
「お、おう! よくやったな。で、でも、まだまだ不格好だ。もっと上手くできるようにならねえとな」
「分かってるわよ」
おいおい嘘だろ。俺は丸1日かかって、今の智鶴ちゃんくらいの出来映えだったぞ……? コイツは、もしかすると、もしかするかもな……! 智成はそう思うと、心の奥底からワクワクとしたものが湧き上がる感覚がした。
「で、これをどう応用するのよ」
「それは、人に聞くことじゃねえ。お前さんが自分で考えることだ。お前さんが思う以上に呪術は自由だ。既存の術も、過去の誰かが想像して、創造して、試行錯誤の末にやっと編み出した力を、その後何代にもわたって磨き上げてきた力なんだ。そうして術者はみな、誰にも負けない力、誰も見たことの無い力を手に入れようと、必死に藻掻き続けるんだ。俺がこの夏を使って、そのきっかけをくれてやる。いいか? この夏が運命の分かれ目だと思え。この夏に手にしたものをどうしようが、お前さんの勝手だが、決して無駄にはしてくれるなよ」
「ええ。分かってるわ。任せておきなさい」
「おう! その息だ!」
智成が密かに抱えていた、少女の持つ可能性への疑惑が、期待に変わった瞬間だった。
翌日、家事と昼飯を済ませ、外に出ると既に智成が座っていた。
「紙漉の特訓なら1人でやるわよ?」
「いいや、今日はまた違った術を教える」
「え? 昨日は紙漉が完成するまでは次に進めないって……」
「言ったな。うん。言ったよ。でもな、一応は出来たんだろ。もうコツというか、仕組みは理解できている筈だ。だから先へ進むことにした」
「へえ。昨日はまだまだって言われたし、ちょっと拍子抜けするわね」
「嫌ならまだ紙漉でもいいんだぞ」
「そんなこと言って無いじゃない。良いわよっ、次の教えなさいよ!」
焦って否定した。
「ははは。分かった分かった」
そう言って立ちあがると、栞奈を呼んだ。
「なんだー? わっちも参加して良いのか?」
「勿論。今から智鶴ちゃんに教えるのは、『自動防御』っていう技術だ。これが出来ないことには『紙鬼回帰』は絶対に教えられんからな、ちゃんとマスターしろよ。それじゃあ、言うより見るが易しってな訳で、俺はここに座って動かないから、栞奈! どこからでもかかってこい!」
「おお! それは楽しそうだぞ! 呪術もアリか!?」
「何でもアリだ!」
「おおお~。じゃあ、見ておれよ! 降霊術 鬼熊!」
栞奈がそう唱えると、彼女の手から毛が生え、爪が鋭利に伸びた。身長も心なしか伸びているように見える。
これが栞奈の呪術だった。巫女の血筋を引く彼女はこうして様々な霊を憑依させる降霊術を得意としている。
「いっくぞ~」
栞奈が予備動作を十分にとり、攻撃を仕掛ける。中距離から踏み込んだパンチが智成の死角から飛んでくるが……。ひらりと舞った紙がその攻撃を防いだ。
「これが『自動防御』だ。試しに、ほら智鶴ちゃんも掛かって来いよ」
「凄いわね! ……じゃあ、遠慮無く」
「紙操術 巨人の拳固!」
20枚という規制は既に取っ払った智鶴は、数百枚の紙吹雪で渾身の拳を叩き込んだが、彼の前には紙吹雪が集まり、『紙漉』でそれらが一枚の紙に、壁になって防いだ。
「おう。ここまでだ」
栞奈が元に戻り、智鶴は再び切り株に腰掛けた。
「紙鬼の力を引き出し、攻撃力に集中した途端に不意打ちを食らって、袋だたきにされたら元も子もないだろう。攻撃や特技に力を振る代わりに、こうして無意識下での防御発動が出来るようになっておけば、それも回避出来るって訳だ」
「……なるほど。じゃあ、早速教えなさい」
「まあ、これもそんなに複雑じゃないからな。覚えちまえば後は慣れるだけだ。先ずはそこに立ってみろ」
言われるがままに立ちあがる智鶴。
「そして、自分の周り半径3メートルを包むように、球形の呪力の壁を張る」
「こ、こうかしら」
呪力循環を強くすることで、身体に纏った呪力を広げようと力む。
「ああ、違う違う。そうじゃない。もっと薄くで良いんだ。要は敵の攻撃を感じ取る包囲網を作るんだ」
「それは……意外と難しい事を言うのね」
「何言ってるんだ。気配取りの基本だろ」
「そ、そうね……」
智鶴の顔があからさまに引きつった。気配取りは全呪術の中で一番の不得手である。
「お前さん、まさか気配取りが出来ないとは、言わないよな?」
「え、ええ。ちょっと苦手なだけよ……」
「はあ……。まあいいか。栞奈、呪力壁の張り方から気配取りまで教えてやってくれ」
「あーい」
そこからは栞奈とマンツーマンでの気配取り講座だった。年下に術を教えられるのが初めてで、どこか照れくさくも感じるが、そうかこれが結華梨の感覚なのかもしれないとも思った。
紙鬼と対面するまではまだ時間が掛かるようだった。
どうも、後厄まみれの暴走紅茶です。
読んで頂けた幸せをツマミに酒を飲みます。
では、また来週。