4話 麗しの美女
「今日はお散歩をしよう」
そう言うと文子は弟子を伴い、3階へと上がった。そこは確かに倉庫として機能しているようであり、様々な呪具からガラクタまでそれなりに(・・・・・)整頓されて陳列されていた。だが、四角い部屋の一辺、階段を上がった正面の区画だけは、棚も何も置かれていない。それもそのはず、そこは大きな扉となっているのだ。
「何でこんな所に扉が?」
「ははは。馬鹿な事を聞くねぇ。そりゃ簡単な話じゃん~」
そう言いつつ、文子は観音開きのそれを外に向かって押し出す。
「私たちは空を飛ぶんだよ」
ニコリと笑った。
龍刻の谷を、雄呂血川の流れとは逆に飛ぶ。竜子は美夏萠に腰掛けていたが、文子は単身で飛んでいた。
「文子さん、羅依華ちゃんは?」
「上、上」
見上げると、金色の竜が気持ちよさそうに飛んでいた。
「じゃあ、折角だし、飛びながら座学をしようか。あ、でも飛んでるなら飛学かな」
「はい!」
ちょっと~今の笑うとこ~とふて腐りながらも、師匠の顔つきで話を始める。
「竜子ちゃんは、得意と苦手は分けてる?」
「うん。何となくだけど」
「先ずはこの夏に何を延ばして、何を克服するのか決めないと行けないからねん。ちょっとそれを教えてくれるかしらぁ?」
竜子は少し考える素振りを見せ、言葉を選ぶようにして口を開く。
「まず、苦手なのは多すぎる多重契約かな。お母さんは百鬼女帝なんて二つ名で呼ばれるほど、多重契約が得意だったけど、私は正直あと二枠も契約したらキャパって感じだね」
そう言って、今の従者を簡単に紹介した。
「それで、得意なのは従者と感覚を共有することと、呪力を練るのも一応『呪力循環 発』を制御出来る程度には、得意で……。あ、そうだこの間、美夏萠と自分の境界が分からなくなるまで一体になったけど……、結局、上手く使いこなせなかったんだよね」
最後はただ記憶を思い出しているだけ、といった口ぶりでそう話した。
「うんうん。大体分かったよん。まあ、求来里はどっちも大得意だったどねん」
「お母さんが……? じゃあ、私も」
「ちっちっち。それは違うぞ、少女よ。呪術者が強くなるには、自分の使う術の中で、自分に合ったスタイルを形成するところから始まるのだよ。ほら、君の周りも思い出してみなよ」
竜子は素直に記憶を手繰る。言われてみると、智鶴も紙操術の中で紙吹雪に特化させているし、百目鬼も千里眼の中で遠くを見ることと弱点捕捉に特化している事が頭に過った。
「確かに……じゃあ、私はより深く従者と繋がれる様になれば良いのかな……」
「おおっ。流石、若さは偉大だねぇ。察しが良い弟子は好きだよん。そうそう、君が使おうとしたのは私の術『境界霧化』に近い様だし、先ずはそれをマスターして貰おうかしらん。それと苦手の部分だけど、殊更克服しなくてもいい感じだから、一旦置いておくことにしておくわあ」
「うん。境界霧化……。私、頑張る!」
「若いってのは素晴らしいねえ。その息だよん。あ、丁度良い場所がある。あそこの平地に一回降りよ~~う」
文子の指示した崖の上に、美夏萠へ指示を出し、降りたつ。
そこは霧も晴れており、とても気持ちよく風が吹き抜ける草原だった。
羅依華が空中でバチンと静電気のように爆ぜると、人型になって降りてくる。
「此処はやっぱり気持ちいいな! おい、美夏萠もこっちに来いよ!」
羅依華が美夏萠に向かってそう叫ぶ。
「……」
「お前さぁ、昨日から思ってたんだけどよ~、旧知の仲だろ? なんでずっと挨拶の一つもしてくれねえんだ?」
「……」
「やっぱりシカトかよ! 吾輩、何か気に障ることしたか? なあ、おい~」
「……」
羅依華が腰に手を当てて、前のめりになりながら、美夏萠に問いかけるも、蛟は黙ったまま人語を解さない。
「竜子、アイツっていつもああなのか?」
「え? それってどういうこと?」
竜子が言葉の意味が分からないと、困り顔を浮かべる。
文子はそんな様子をニヤニヤしながら見ていた。
「ああ~。分かったぞ……。お前、さてはまた何か難しい事考えて黙ってんだろ。そうやって300年前も誤解を受けてさ~。懲りないよな~全く。竜子~知ってるか~? アイツな~」
「ああああ! もう! うるさいガキなのは何千年たっても変わりませんね!」
突如そんな声がどこからか響くと、美夏萠がザブンと水になり、草原に滝の如く降り注いだ。と思ったら、その滝からは青く美しい着物に、深い海を思わせる青い髪の姿の女性が出てきた。
「おお! 美夏萠! その姿は、久しいなあ!」
「ええ、お久しぶりです。羅依華。それに文子さんも」
「……」
目の前で起こった事が理解できないのだろう。竜子はぽかんと黙って美夏萠を見つめていたが、暫くすると我に返った。
「ええええ!? 美夏萠!?」
龍刻の谷に木霊した。
「もう、羅依華のせいですよ。ワタクシが喋ると知ったら、竜子様が甘えてしまうのでは無いかと思って、ずっと我慢してきたのに。いつか彼女自身で、納得の出来る強さになった時、自己紹介しようと思ってたのに」
ぷんすかぷんぷんと、姿勢良く正座する美夏萠は怒った風だが、そんな彼女を置いて、竜子は余りの事態にカチコチに固まって居た。それを文子が面白そうに突く。
「でもさぁ~。竜子ちゃんも竜子ちゃんだよ。超級の妖が喋らない訳ないじゃんか~。疑問にも思わなかったの?」
「あ……あい。思わなかったれす」
「ああ、これは駄目だわぁ。ちょっと休憩~」
完全にフリーズして使い物にならなくなった弟子を見捨てると、文子は煙管に火を付け、くつろぐような態勢をとる。
「おい、美夏萠、お前いつぶりだっけ?」
「求来里様とここへ来た時ですから、もうかれこれ20年ぶりくらいですかね。もっとかも知れません」
「そっか~。そんなか~。人と過ごすようになってから、ヤケに時間の流れが遅くてな。もう100年は会ってない位に思ってた」
「そんなことより、ワタクシは怒ってるんです。ほら、言う事は?」
「うへ~姉さん気質は健在かあ。ああ、ゴメンよ。ちょっと言い過ぎた」
「分かれば良いのです。分かれば」
羅依華との会話を適当に切り上げると、カチコチに固まる竜子の前へおずおずと進み出て、三つ指を突き、深く面を下げる。
「竜子様。長きにわたるご無礼をお許し下さい。ワタクシがずっと黙っていましたのは、先に申し上げたとおり、竜子様を思ってのことです。どうか、どうか、ご理解下さい」
「甘えちゃうってより、お前が甘やかしちまうってのが、正しいんじゃ無いか?」
「羅依華は黙ってなさい!」
ちゃちゃを入れる羅依華の頭上に、ゲンコツのような水弾が降り注いだ。「ぐへっ」と一声上げると、羅依華は黙った。
「え、あ、あ……あのさ、と言う事は、あんな独り言も、こんな独り言も、全部意味が分かって聞いてたって、そういう……事?」
カチコチ状態から解かれた竜子はおずおずと、事の真相を確かめようとする。
「あ~~ええ、まあ、はい」
「いや~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
意味が分かっていないと思うからこそ、吐き出せていた言葉が、ちゃんと相手に伝わっていたと思うと、どんどんと恥ずかしくなってくる。
羞恥の余り真っ赤に染まった竜子は、大噴火を起こした。
「わぁ。凄いね~。炎の術に切り替えるぅ?」
相変わらず文子は、ケラケラと笑っていた。
「文子さん! そろそろお昼だし、お家に戻るよね? ね?」
「え~どうしようかなあ」
「ぺぺロンチーノ」
「よし、戻るとしようかぁ」
昨夜の夕飯と本日の朝食で、すっかり竜子に胃袋を掴まれていた彼女は、あっけなく竜子の側についた。
「それと、羅依華ちゃん! 文子さん乗せないなら乗せて! 今日だけは、今日だけは美夏萠に乗りたくないよ~~~~~~」
「おお! 良いぞ! 文子以外を乗せるのも久しぶりだなあ」
竜子の発言に分かりやすくガビーーーンと落ち込んだ美夏萠は、ふらふらと崖から落ちるように、飛び立った。
その日は実技・座学両方の基礎を見て貰い、夜になった。文子から大きなダメ出しこそ食らわなかったものの、別段褒められた訳でもない。ほぼ独学の身としては、上々の滑り出しではないかと自分に言い聞かせ、自室に戻った。
そこには月明かりが差し込む窓に向かって、美夏萠が座っていた。竜子が入ってきたのを感じ取ると、ゆっくりと振り返る。
「竜子様……。ワタクシは……ワタクシは……」
「美夏萠。もう平気だよ」
「それでも、ワタクシがッ」
美夏萠がネガティブな発言をすると思ったのだろう、竜子は大きな声で「よっこいしょ」と言って窓枠に腰掛けることで、それを遮った。
「いい? 美夏萠」
「はい」
背後から月光に照らされる主人を、上目遣いで見上げる。自分を優しく見つめる瞳に、自分が映り込んでいた。
「私はあなたが居てくれなかったら、今頃術者なんてやってないの」
竜子の目はとても透き通っている様に見えた。そのガラス玉の様な目で過去を懐かしむ。時折そっと目を細めては、話を続ける。
「お母さんが居た時は、お母さんに褒めて欲しくて、だから術を覚えたくて、沢山沢山修行してたけど、あの日、お母さんが居なくなって、私はぱったり術を使わなくなった。それでもね、美夏萠がふらっと帰ってきてくれたじゃない? そして、私に頬ずりをしてくれて、契約に応じてくれて……。本当に嬉しかったんだ。それで、美夏萠が居てくれるなら、ちゃんと術者にならなくちゃって、こうして今も修行が出来てる訳で……」
一度言葉を止め、一呼吸置くと、ニカッと笑顔を作る。
「美夏萠。いつもありがとう! 今日はちょっと恥ずかしくなっちゃって、酷い事言っちゃったけど、あなたのこと大好きだよ! きっとこれから辛い修行が待っているだろうけど、あなたと一緒なら、大丈夫って気がするんだ!」
「竜子様……」
にっこりと笑う主の顔をみて、従者はそっと一筋の涙を流した。
竜子が美夏萠と出会った頃、百目鬼は――
「お前には先ずここで修行して貰う」
「え? ここって……?」
辺り一面様々な草花が、豊満な芳香を匂わせる花畑で、座禅を組まされていた。
どうも、暴走紅茶です。
今週もありがとうございます。
寒い日が続きますが、お体をご自愛なさって、
また来週もよろしくお願いいたします。




