2話 到着
住宅街のとある一件で、ピンポーンと呼び鈴が鳴る。スピーカーからは声が聞こえてこないが、代わりに直ぐ玄関が開け放たれた。
今回は前みたいなぎこちなさは無い。
「おかえりなさい」
「ただいま」
百目鬼は修行中の1ヶ月半を実家で暮らす事になっていた。祖母の家の裏山、金奉山まではバスで30分も掛からない所なので、こうすることにしたのだ。
「これから、直ぐに、挨拶、してくる、から、悪いけど、荷物、だけ、置かせて」
「うん、気を付けて行ってらっしゃい」
「うん」
もう大分日が傾いていたから、大急ぎでバスに乗り込むと、金奉山を目指す。舗装の悪い道のりに、バスがガタガタと揺れる。移動の疲れもあってか、その揺れも揺り籠のようで眠気を催す。が、あの鱗脚と会うのに、寝起きでは格好付かないと、必死に目を擦り睡魔と戦う。
三柏翁が住まう柏の木を目印に、集合する予定である。一度行ったことがあるとは言え、キチンとした道がある訳でも無く、また山中に分かりやすい目印は無い。迷いそうになったが、柏の木からは三柏翁の気配がする。それを辿れば何という事も無い。
「やっときたか」
集合場所に着くと、鱗脚がその柏の木の根元に座っており、三柏翁も近くに立っていた。
「遅れ、ました。今日、から、宜しく、お願い、します」
「ああ、任されよう。だが、今日はもう遅い上に、家族と積もる話もあるだろう。明日からの説明を聞いたら、帰れ」
「分かり、ました」
「先ず最初に、お前の話し方は何とかならんのか? 遅くてたまらない」
鱗脚は俊足の妖だからだろうか、とてもせっかちなようで、百目鬼の話し方にイライラして足をパタつかせている。
「これは、どうにも……」
「分かった。じゃあ、敬語を辞めろ。それだけでも幾分かマシになるだろう」
「分かり……分かった」
鱗脚はひとつ頷くと、話を進めた。
「まず修行は日が一番高くなる昼から、月が一番高くなる夜まで行う。行きも帰りもバスを使うな。いいか? 自分の足で来い。そして、本来なら休む間も与えたくない所だが、貴様の所の智喜から、週に一度診察を受けさせるように言われている。よって、毎週日曜日を休みとする。休みだからと言って怠けるな。その日は自主的に修行を行う日だと思え」
「分かった」
「じゃあ、今日は解……」
解散と言い切る前に、どこかへ駆け抜けていった。
「早っ。新幹線、みたい」
捕捉であるが、妖に稽古を付けて貰う都合上、どうしても人間との齟齬が現れてしまうことがある。それによって体調を崩したり、身体に異変が起きたりする可能性もあるので、彼は週に一度、千羽家傘下で薬師の一族牡丹坂家にて肉体的診察と、霊的診察を受けるようにと智喜に言われているのだった。
帰り道は言いつけ通り走って帰った。道は分からないが、家族の気配は分かる。もう3人とも帰ってきている様だった。それが分かると心が浮き立ち、足取りも軽くなる。
「た、ただいま!」
家に飛び込むと油と鶏の良い香りがした。夕飯までには帰って来ると思っていたようで、みんな食べずに待っていてくれた。楽しい夏休みになる。そんな予感がした。
一方竜子はと言うと。
美夏萠に乗り、龍刻の谷は雄呂血川の岸辺に位置する家を目指していた。山は雲を被り、その視界はヤケに悪い。夜では無いと言うのに、飛行型の妖に三度ほど襲われながらも、何とか目的の家を見つけた。
その家は河原にポツンと建ってはいたが、圧倒的な迫力を備えていた。
「え、お城じゃん……」
竜子がそう呟くのも無理はない。立派な門構えに家庭菜園の花咲く庭。そしてそこにそびえ立つは3階建てで白塗りの上に、黒瓦の建物。何も無い河原だからだろうか、余計にその立派さが目に付き、また同時に異様さを醸し出していた。
「こんにちは~」
門を開け、中に入ると、その家から飛び出してきた者が居た。
「いらしゃぁぁぁい~。その節はごめんよぉ~」
そう。飛び出して来たのは、あの日、実家から帰る竜子を襲った女性だった。今日は高い位置で括られたお団子ヘアーにジャンプスーツを着て、大きな眼鏡を掛けていた。
「いえ、お陰で助かった事もありましたし」
「え~? どういうことかしらん?」
「まあ、また追い追い。それでは、今日からお世話になります。十所竜子と申します。よろしくお願いいたします」
「まあまあ、これはご丁寧に。こちらこそよろしくお願いするわねぇ。常磐文子よん。立ち話も何だしね、ささ、入って入ってぇ」
お城の様な家の中は、思っていたよりもだだっ広いという感じは無く、生活感はありつつも、小綺麗にされている。
「竜子ちゃんは、2階の左側を使ってねん。私は右側。因みに、1階が生活スペースで、2階が寝室、3階が倉庫よん」
「ありがとうございます。早速で悪いですが、荷物だけ置いてきて宜しいでしょうか?」
「いいわよ~。お茶いれて待ってるから、直ぐに降りてらっしゃいねん」
「はいっ」
竜子が重そうにスーツケースを持ち上げ、2階に入ると、正面と両側にこれまた立派な襖が聳えていた。
「開けるのも畏れ多いよ~」
傷でも付けようものなら、一体何ヶ月ただ働きになるのか……。考えただけでも恐ろしかった。
怖々(こわごわ)とした手つきでそれを開けると、い草の良い香りが肺にたっぷりと入ってきた。中は畳敷きの部屋で、優に10畳近くはありそうだった。
ベッドは無く、押し入れがあるので、恐らくは敷き布団で寝ることになるのだろう。独り暮らしの家では、面倒からベッドを使う竜子だったが、実家ではずっと敷き布団で寝ていたこともあり、実は敷き布団派の彼女は何だかホッとした気持ちになった。
「んん~良い香り。それに、ウチよりも広い! 気がする!」
そんな独り言を言って一つ伸びをすると、階下に降りていく。
文子がお茶をすると言っていたが、そう言えばどの部屋か分からない。外見よりも狭く感じるとは言え、十分広い家だ。これは迷子になってしまうなとそんな事を思いながら、適当に襖を開けてみる。風呂、トイレ、客間……と進んでようやく見つけた居間に文子は座っていた。
座卓の上からはアッサムティの香ばしい香りと、もしかしたら焼きたてだろうか、クッキーの甘い香りが、ふくよかな二重奏を奏で、鼻孔を満たしてくる。
「今日は移動で疲れたでしょぉ? 修行は明日からにして、ゆっくりなさいよぉ」
「ありがとうございます」
「も~そんなに堅くならないでよ~。もっとフランクで良いわ~。でも、そんな所ちょっと求来里を思い出しちゃうわね~」
「え? お母さんを知ってるんですか?」
「ほら、もっとフランクによ!」
「あ、ご、ごめん、ね?」
文子はそうそうと言って、親指を立てる。お気に召した様子だった。
竜子がズズッと紅茶を啜るところを、満足そうに見届ける。
「求来里にもね、術を教えてたんだよぉ。それでお姉さん、気になっちゃって、あの日にちょっと様子を見に行くつもりが、年甲斐にも無くアツくなっちゃってねぇ。まあ、本物の雷じゃ無くて、強めの低周波にしておいたから、むしろ体調も良くなった筈だけどねん」
言われてみれば肩が軽かったなと、竜子は何とも言えない気持ちになった。
「え、お母さんに術を教えてたって、文子さん幾つなの!?」
「こらこら、レディーの年齢は聞いちゃ駄目だぞ」
見た目は30歳前後という彼女であるが、求来里の師となれば、若く見積もっても既に4、50歳かもっと……。何か若さの秘訣があるのだろうか。女の子として聞いておきたい竜子だったが、淑女の嗜み(たしなみ)として、それは我慢した。
「あと、明日からね。朝はちゃんと早起きして、ご飯を作ってねぇ。それからお掃除して、お昼ご飯の後から修行、夜ご飯の後にはこうしておしゃべりとかぁ、復習とかぁ、そんな時間にするから、よろしくね~」
「うん、分かったよ」
「ああ、そうだ。忘れてた~。うっかりうっかり」
そう言うと、文子は適当な場所を向いて、お~~~いと叫んだ。
するとどうだろう、どこからかダダダダダと走ってくる足音がして、勢いよく襖がスパーーンと開け放たれた。
そこには竜子と同じくらいか少し低い身長で、金とオレンジが混じった長い髪を靡かせた少女が、ニカッと笑って現れた。
「どうした文子!? 敵襲か!? 散歩か!?」
「だ、誰!?」
「同居人~? みたいな?」
「おお! 客人か! これはこれは辺鄙な所までようこそおいでなすった。吾輩は羅依華! よろしくな!」
そう言ってペコッと頭を下げると、文子の隣にちょこんと座る。
「え? 羅依華って……?」
「そう~私の愛する、雷竜ちゃん」
そう言いながら、愛娘を可愛がるように、羅依華を膝の上に座らせ、頭を撫でた。
百目鬼とはまた違った夏休みが到来していた。
どうも。暴走紅茶です。
これからみんな、どんな夏休みになるんでしょうかね?
そして、一つ告知させて下さい。
来週で、この小説も1周年を迎えます!それに伴いまして、なななんと、来週の更新は、通常更新の他にも何かあるかも知れません。
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では、また来週!