1話 出発の日
「とうとう明日出発ですか」
「はい」
夏の暑さを扇風機という空調設備だけで、何とかしようと試みる道場は、うだるような夏の暑さが居座って離れようとしない。終業式、長ったるい先生たちの話を聞き、一学期を終えた智鶴は今、道場で藤村と向き合っていた。
「智鶴様、僭越ながら、あなた様はお一人で強くなられてきました。それは私の知るところではありません。ですが数週間前、智鶴様が道場へおいでになってからは毎日の成果を見させて頂きました」
彼女が無言で頷く。
「最初こそ独学の弊害が見受けられましたが、数週間の稽古でそれは大分矯正されたかと思います。それでもまだまだです。本当は出稽古に行かれるのも、時期尚早かと思うところもありますが、今のあなた様は、ここに居たところでどうすることも出来ない壁に突き当たってしまったと聞いております。ですから、渋々、道場としても了承をしました。良いですか? 出稽古先でも慢心すること無く基礎トレーニングを欠かさないで下さい。そして、沢山吸収して無事に帰ってきて下さい。それが私から智鶴様への課題です」
「分かってるわ。任せなさい。藤村、取り敢えず数週間ありがとう。帰ってきたらまた宜しく頼むわ」
智鶴の目には確かに光が宿っていた。その光は希望に燃え盛る炎のそれだった。
「はい。勿論です」
そうして挨拶を済ませ道場を去ろうとした時、丁度百目鬼が入ってきた。彼もまた藤村に挨拶をするのだろう。智鶴はそんな彼に一瞥をくれると、外に出る。
鉄製引き戸を開けると、その真下、コンクリートの階段に結華梨が座っていた。
「智鶴様……」
彼女の気配に気がつくと、上目遣いに見上げてくる。
「何かしら」
「出稽古に出ると聞いて。それで……」
何だか今日の結華梨からは、いつものような明るさが感じられず、項垂れている様だった。
「ここだと邪魔になるわ、場所を変えましょう」
そう言うと智鶴は結華梨の手を取り、本家居間の縁側に連れて行った。
「智鶴様、ここ、本家……」
「私が連れてきたから良いのよ。気にすること無いわ。それで、何か話があるのかしら?」
「ああ、でも、あの……やっぱりいいです……」
「もう、わざわざここまで移動したのよ。はっきりなさい。聞いてあげるから。それとも私が相手じゃ不満かしら」
「いえ、そんな事は……。では、えーと、つまらない話ですが。聞いて下さい」
そう言って結華梨は話始めた。
「私は、つい最近まで普通に大学生をしていました。ちょっと霊や妖が見えて、ちょっと術が使えるだけ。あとは本当に周りと変わらない大学生でした。でも、今年の初めに当主だったお爺ちゃんが倒れました。元々力の強くない中之条家は、霊視すらできない人が産まれることもしばしばありまして、丁度お父さんがそれでした。跡取りはどうする。そんな騒動の中、白羽の矢が立ったのが一人娘のこの私です。私は直ぐに大学を休学すると、一年間の跡取り候補期間に、立派な呪術者となるべく、ここへ送り込まれました」
「大変だったのね」
「でも……」
結華梨はその続きを語る。物憂げな目線がぼんやりと庭を捉えていた。
「でも、私、ここに来てまだ何も学べていないんです。智鶴様みたいに出稽古なんて夢のまた夢。それだけじゃなく、他にも年下の子がばんばん術の練習に励む中、私は、まだ基礎すらこなせない。このままじゃ何のために友達と別れてまでここに来たのか……」
「なんだ。そんな事」
「そんな事って何ですか!? 私は、私は!」
「言い方が悪かったわね。ごめんなさい。誰でも最初はそうよ。私だって独学で穴だらけだけど、もう10年以上も術を学んで仕事もかれこれ4年目。今では千羽のお守りも任されているのよ? 比べる相手が違うわ。たまたまタイミングが重なっちゃって、道場の稽古が一緒になったから焦っちゃったのね。悪かったわ」
「……」
彼女の言葉に、首を擡げた向日葵が、ゆっくりと太陽の方を向くが如く、結華梨の顔が智鶴を捉える。
「あなたは十分出来てる方よ。中には霊力から呪力に練るだけのことで何年もかかる人だって居るの。なのにあなたはもう出来ているじゃない。さらにはその呪力を元に、もう術の発動だって出来る。立派なものよ。ここで1年確り学べば、きっと強くなれるわ」
「本当ですか……? 私、友達と別れた価値、ありますか?」
「それはあなた次第よ。体を壊さない程度に頑張りなさいね」
「はい! 話、聞いてくれてありがとうございます。大分軽くなりました」
そう言って結華梨は自分の胸を擦り(さすり)、そしてガッツポーズをとって見せる。
「いいのよ。私こそありがとうね」
「え? 何がですか?」
「気にしなくて良いわ」
「そうですか……それで、あの、いってらっしゃい。きっと戻ってきて下さいね」
「当たり前じゃない。ここが私の家よ。それに、出稽古と言っても夏休みの間だけだわ。あなたこそ、千羽にもしもの事があった時は、よろしく頼むわよ」
「そんな……いえ、はい! お任せ下さい!」
いつも通り結華梨は元気に返事をした。
その後智鶴は八角齋にも挨拶を済ませると、荷造りをして早めに寝た。
朝になり、目を覚ます。
起きて早々、蝉の五月蠅い日だった。
午前9時。朝ご飯を済ませた頃に竜子がやってきた。百目鬼と3人庭に集う。縁側に智喜が立ち、3人を見下ろす。
「それでは良いか? 3人とも今から出稽古先へと向かって貰う。先日言った通り、ワシの言いつけを忘れぬように。ではの、1ヶ月半後また元気に帰ってきなさい!」
「はい! 行ってきます」
声が揃った。
そうして千羽家の門を出る。ガタカタガラカラとスーツケースを転がし、田舎特有の割れ目と穴ぼこの目立つ、雑なアスファルトの上を進んでいく。桜並木に差し掛かった辺りで竜子が言った。
「私、美夏萠に乗っていくからここでお別れだね。別に千羽家から直接乗っても良かったんだけどさ。何となく名残惜しくて」
彼女ははにかみ、美夏萠を呼んだ。
「じゃあね。また新学期に!」
「あ、ちょっと待ちなさい」
「何?」
出鼻をくじかれた竜子が、ばつの悪そうな顔をする。
「あの、えっと、私、お母さんに教えて貰って一つ呪い符を作ったの。それだけ受け取って貰えないかしら」
「勿論!」
智鶴はもじもじしながら肩に掛けたショルダートートバッグを漁り、手帳を取り出した。どうやらそこに挟んであるらしい。
「これなんだけどね」
それは一般的な呪符や護符と同じサイズの紙で、文字とそれを三等分するように、横方向へ点線が書かれていた。智鶴はそれを2人に呈示する。
「私が真ん中を持つから、百目鬼は左、竜子は右側を掴んで」
2人は言われた通りにした。
「掴んだわね。じゃあ、少しで良いから力を流し込んで。そうそう。そんな感じ」
3人の力が注がれると、紙は墨で書かれた点線に沿って、綺麗にパキッと千切れ、3人は少し驚いた表情を浮かべる。
「あんまり呪術的な呪い(まじない)ではなくて、古風な民間のお呪いなのよ。意味は『再会』そうして割り札を持っていると、また会えるらしいわ。新学期にちゃんと再開できるようにって事で用意したんだけど」
「最高。ありがとう、智鶴ちゃん」
「ありがとう」
2人はそれぞれ財布や鞄の分かるところに仕舞うと、竜子は美夏萠に跨がった。
「じゃあ、今度こそまたね。2人とも頑張ってね!」
「アンタもね!」
「うん!」
直ぐに竜子は雲の上に消えていった。それを眩しそうに見上げていたのも束の間。バスの時間が近いと、智鶴と百目鬼は慌てて走り出した。
願わくば、3人の修行に幸多からんことを。
プロローグに引き続きまして、
あけましておめでとうございます。暴走紅茶です。
第四章は修行編です。みんなが自分と向き合います。
果たして強くなれるのか!? こうご期待。
ではまた来週。




