9話 百目鬼の過去ー2
百目鬼が退院して数日が経ったが、幼稚園への復帰はまだしていなかった。一応園服には着替えるのだが、出掛けの寸前、玄関で脚が竦んでしまい、先に進めない。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
玄関で蹲り、何度もそう呟く息子をギュッと抱きしめる。
「良いのよ。今日はお家に居ようね」
妹の華英も、兄絡みで悪口を言われている様で、幼稚園に行きたがらない。これは退園か、転園を考えなくてはいけないかと考え始めていた。
そうして子供たちが家にいるからパートにも行けていなかった。店長からはそろそろシフトを出してくれないと困るとせっつかれているが、明日がどうなるか分からなくて、自分のスケジュールすら組めないでいた。
ため息もつきたくなるが、それで子供に負担を追わせてしまうのじゃないかと思うと、吐き出せない。喉の辺りでぐっと堪え、気丈に笑う。
そんなこんなで週末になった。退院以来息子は目の話題を出さなくなった。それでも、時折、腕を視てビクッとしたり、頭を抑えたりしている。「大丈夫?」と聞いても「大丈夫」と言うばかり。息子に無理をさせているのじゃ無いかと思うだけで、胸が張り裂けそうになる。
でもそれは、今日までかも知れない。
今日は夫が隼人をつれて神社へ行ってくれる。華英と2人でお留守番だから、最近構ってあげられていないし、久しぶりに華英を甘やかそう。そうしようと思った。
「じゃあ、行ってらっしゃいね」
車に乗り込む息子に手を振る。
「行ってきます」
バタンと音がして、車の扉が閉まった。
車はどんどん先へ進む。
「おとーさん、どこ行くの?」
「神社へね、行くんだよ」
「なんで? お正月じゃないよ」
「お正月じゃ無くても、行くものだよ」
「へ~」
「隼人は何も気にしなくて良いからな。大丈夫だよ」
父は最大限言葉を選んでいるつもりだったが、幼いながらも察するモノがあった様で、顔を暗くする。
「……腕のこと? 腕のこと聞きに行くの?」
「……」
車内に響く疑問に口籠もってしまう。それが良くないと分かっていても、何と言えば正解なのか、一切分からなかった。
そのままカーステレオの音だけを頼りにして、神社に着いた。
鳥居をくぐり、社務所で手続きをする。事前に連絡を入れておいたから、すんなりと話が進み、拝殿へ通された。
拝殿の中には、パイプ椅子が2つだけ置かれていた。そこに座って待っていると、奥から礼装の中年よりも少し歳の行ったと見られる男性が1人現れた。
「こんにちは」
父に倣い、息子も頭を下げる。
「今からお祓いを始めます」
「はい。よろしくお願いいたします」
「希にですが、これくらいの子は途中で退屈してしまったり、騒ぎ出したりしてしまうことがありますので、よく見ていてやってください」
「分かりました」
それくらい分かっているから、早くしてくれと言いたい気持ちをグッと堪えた。
そしてお祓いが始まる。祝詞を上げ、幣を振り、厳かな雰囲気が流れ出す。
「が、うわっ、ぐ……」
始まって数分経った頃か、隼人が暴れ出した。苦しそうに藻掻く。うめき声が口から、体の内から漏れ出す。
「や、やだ……やめて……」
隼人は何故か強い嫌悪感に襲われた。そして、「眼」が開いた。また沢山の情報が流れ込み、世界は再び黒く消えた。
息子がまた入院した。
その事実が、夫婦の間に暗い靄を落とす。
「アナタのせいよ、アナタが神社に連れて行かなければ」
「何だよ。俺のせいだってか!? そもそも神社やお寺と言いだしたのは君の方じゃ無いか」
「何よ! 私が悪いというの!?」
お互いにカッとなったが、信久が一度深呼吸をすると、落ち着いた声で話し始める。
「悪い。感情的になった。君も一回落ち着いてくれ」
「落ち着いてるよ! もう、なんなの……」
机に雫が、一つ、二つ、ポタッポタッと落ちる。
今2人がこうなってしまったのは、何も百目鬼が入院した事だけでは無い。それもきっかけの一つではあったが、それよりも神社で言われたことと、町内での事が大きな原因であった。
先ず、神社で言われたのは、「確かに目は発現し、それに邪気はあるが、私の力ではどうしようも出来ないし、紹介できる人も居ない」と言う事だった。神社でお祓いを受ければ、どうにかなると思っていた2人は大きく落胆した。
また、信久と隼人が神社に行っているころ、華英と春賀は近所の公園へ行っていたが、そこでも問題が起こった。
息子と同じ幼稚園に通う子供のお宅は、近所に何件もある。そういった所から噂が飛び出していた様で、その結果春賀と華英は好奇の目に晒されたのだ。中には直接話を聞きに来る者も居たり、華英と年の近い子が、彼女に心ない事を言ったりした。耐えきれず娘の手を引くと足早に家へ引き返した。
一日の間に起こった2つの出来事が、言い合いに発展する一番根深い原因であった。それに加えて息子の再入院。次また目を覚ましてくれる保証はどこにも無い。
「ねえ……どうしたら良いの」
泣きそうな声で夫にすがる妻。
「……引っ越しを視野に入れるか」
もう、他に案の無い夫。
暫く沈黙が流れる。
「……引っ越すにしてもどこへ?」
「取り敢えずは俺かお前の実家へ行くしか宛てが無いよな……」
「それが現実的かしらね」
「うん」
その後、2人は自分の両親へと電話をした。どちらも快く承諾してくれたが、様々な話し合いの末、信久の実家へ行くこととなった。
信久の転職先と引っ越しの段取りが決まったのは、その日から約2ヶ月後の事だった。
あの後直ぐに退園の手続きをすると、子供2人は少し複雑そうな顔をしたが、決して嫌と駄々をこねる事は無かった。だが、子供たちが家から出ない日が続くとやはり噂になってしまう。人の目から逃れるようにして、近所のスーパーやドラッグストアには行かず、少し遠い店舗を選んで行く様になった。
週末に遊びに行くとしても、隣県の人気の少ない小さな遊園地や運動公園が主となった。多少の不便はあれども、生きていけなくない。それに、子供たちを悪意に晒すよりはずっとマシだった。
引っ越しの日、家財道具を全て引っ張り出すと、家がこんなにも広かったのかと驚く。
妻はまだ華英の生まれる前、夫と息子とここに引っ越したのがもう5年も前のことだとは到底思えなかった。まるで昨日の様なんて言葉があるが、その通りの心境だった。殺風景でまっさらな光景を見たから、余計に当時を思い起こしてしまう。
あの頃は……そう考えたくなるのを必死に堪えた。
「さあ、これからおじいちゃんちに向かうよ」
信久が優しい声で子供たちにそう言う。子供たちはそれを聞いて嬉しそうに頷いた。
彼の実家はここから太平洋沿いに北上した所にあり、ここと比べると田舎だが、これと言って不便も無い小都市であった。
「では、先に向かわせて頂きます」
「はい、よろしくお願いします。向こうで父が待っておりますので、指示を仰いで下さい。私たちも直ぐに着ける様にしますので」
「分かりました。では、お気を付けて」
引っ越し業者のトラックがどんどん小さくなる。百目鬼一家も、それを追うようにして車を走らせた。
実家に着くと、引っ越し作業も終盤となって居た。途中、華英がトイレに行きたいと言い出し、サービスエリアに寄ったり、お腹が減ったという子供たちの為に喫茶店に寄ったりしたせいで到着が予定よりも少し遅れてしまった。
「おお、やっと着いたか」
「うん。ただいま父さん」
実家の駐車場に車を止めると、隼人の祖父信人が出迎えてくれた。
「おじいちゃ~~ん」
子供2人がはしゃいで祖父の元へ駆けていく。
「ごめんな、ちょっと寄り道してたら遅くなっちゃって」
「いいんだいいんだ。無事に着けただけで安心したよ」
「お義父さん、ご無沙汰をしておりました」
「おうおう、春賀さん。これから同じ家に住む訳だし、そんなに丁寧に接しなくていいぞ、もっと肩の力を抜いて、リラックスしてな」
「はい、よろしくお願いします」
こうして新たな生活が始まった。家はそれほど広いという訳ではないが、6人で暮らしてもそんなに狭さを感じないサイズではあったし、信久の母喜美子はとても気さくな人で、嫁姑問題など起こらなかったのが、春賀にとっての安堵であった。これでパートにも行けるようになるし、子供たちの新しい幼稚園探しも進められる。何より自分の時間も作れるようになると、義母にはとても心を救われた。
夫も新しい会社で前の会社と同じ役職を頂き、バリバリと働き出した。近所からも好奇の目で見られることも無く、全てはまた上手く行きだした。
百目鬼も祖父母の家に来てから例の症状は出なくなってきたし、もしかしたら都会の空気が良くなかったのかも知れないと思うようになって居た。
しかし幸せな日常などそう長くは続かなかった。引っ越しし、新しい町にも慣れてきた9月、息子・隼人が不思議な行動を取るようになる。
その異変に気がついたのは、妹・華英であった。
「おかーさん、最近にーが独りで喋ってて、遊んでくれない~」
と、そんな事を言い出したのだ。今度は何を言い出したのかと母は頭を抱えた。
前に息子の言葉を信じなかった自分を省みて、華英の言葉を信じ、隼人の行動に注視すること2日。確かに時折隼人は独りになると、ぶつぶつ独り言を言っていた。しかもそれは会話のようで、虚空と語り合っているかのようだった。幼い子供はイマジナリーフレンドと会話をすることがあると言うが、きっとそうじゃない。春賀には見えない何かと話している気がした。そして、それは見える人には見えるのだろうと直感していた。
次の日、春賀はそっと隼人に質問した。
「ねえ、最近お友達でも出来た?」
「え? うん。幼稚園のお友達ならみんな仲良くしてくれるよ」
新しく通い出したのは、公民館の直ぐ脇にある寺田幼稚園だ。森田寺というお寺が母体となる仏教幼稚園である。園長先生は和尚様も兼ねており、息子の事情も知ってくれているので、春賀は安心して通わせている。
「あら、それは良かったね。家に呼んでも良いんだよ?」
「う~ん、また今度にしようかな」
「お母さんにも紹介してよ」
「そうだね~。うん、今度誘ってみる!」
春賀は本題を切り出すタイミングを覗っていた。
「いいね。お母さん、ケーキでも焼いちゃおうかな」
「わ~い」
その声がなんだかぎこちない気がした。
「あとね、最近お部屋で声がするんだけど、お気に入りのおもちゃ見つかった?」
この家にはかつて信久が使っていたおもちゃがまだ眠っており、それは全て子供たちに引き継がれている。
「あ……」
息子があからさまに二の句を探している。
「あ、うん。そうなの。うん!」
何かを隠している事だけは分かったが、それ以上は何も聞き出せず、息子は話を切り上げると、2階へ上がっていった。
「もう、お家ではおしゃべりしない方が良いかも」
物陰で百目鬼が何かと話している。
「ええ、オイラ隼人ともっと話したかったのに」
「ごめんね。お母さんにバレると、また困らせちゃう」
「そうか、隼人は優しいんだな」
「そんな事ないよ。艮助ともまだお友達で居たいもん。またおしゃべり出来る場所を探すよ」
「ありがとよぉ。お前、やっぱ良い奴だなぁ」
「おおげさだよ」
隼人は湯(、)飲(、)み(、)と話していた。母の予想は半分的中した訳だが、よもや湯飲みと話しているとは思っていないだろう。
――それと百目鬼は少し前に出合った。
その日はお父さんが主体となり、家の外にある、もうずっと開けていない物置を整理していた。埃っぽさに鼻をムズムズ言わせながら、隼人もお手伝いをしていた時、棚の奥から声がした。気になって探ると、古ぼけた一つの箱が手に触れた。どうやらそこから声がしている様だった。何とか箱を引っ張り出し、開けると湯飲みが出てきた。しばらくそれをジッと見ていると、ぴこんと2つの目が開き、手足がにょきりと生えてきた。
「うわっ」っと声を上げたが、好奇心が勝ったのか、怖い物見たさか、それを手に取ると、更にまじまじと見た。
「おお、懐かしいなぁ。それは俺が若い頃に使っていたもんだ」
背後に居た祖父が声を掛ける。またそれに驚いて「うわっ」と声を上げた。
「これ、お爺ちゃんのなの?」
「そうだよ。もしかして気に入ったのか?」
信人は百目鬼の驚き声に笑いながらそう言った。
「う~ん……。うん! 気に入った!」
「じゃあ、これは隼人にあげようかな。今日から使うと良い」
「ありがとう!」
そうして、暫くそれを使って居ると、数日後それは口を利くようになった。それ曰く「オイラは湯飲みの付喪神、艮助って言うんだ」ということだった。そう、彼は竜子のくさりん同様の付喪神であった。付喪神はその名に神と言う文字を宿すことから、妖よりも若干位が高く、人と接する中で魂を得る事から、こうして口をきける個体が多い。
こうして艮助と百目鬼は出会い、今に至る。
「オイラ、きっと隼人とゆっくり話せる場所、見つけるよ!」
そんな言葉で話を終わらせると、窓から飛び出て行った。それきりその日は戻って来ず、百目鬼は心配を抱えた。
だが数日後して、彼はケロッとした表情で戻ってきた。彼は泥だらけであった。母に見つかると面倒なので、庭のホースで泥を落とす。
「ああ~。気持ちいいなぁ。数日ぶりに綺麗にならぁ」
「もう、どこ行ってたの」
「ああ、西へ東へ安息の地を探してえんやこらどっこいせっと」
「ははは。頑張ったんだね」
「おうともよ。それでな、小型の妖が集まる場所を見つけたんだ。そこでなら、ゆっくりと話せると思うんだけど、どうかな? 隼人は妖の匂いも濃いし、多分馴染めるだろうとは思うんだけど」
艮助は少し照れたように、不安げに聞く。対して百目鬼は妖の匂いが濃いと言われ、微妙な顔をしていた。
「う~ん。今日はもう遅いから、明日幼稚園が終わったらね」
「来てくれるのか! やった~。明日が楽しみだ~」
隼人の手の中で手足をバタバタさせるものだから、彼の顔に水が飛ぶ。それでも、それが可笑しくて声を出して笑った。
本当は今、唯一の友達だった。
翌日、幼稚園の休み時間、他のみんなは元気に運動場で遊ぶ中、隼人だけはその隅っこで蟻を眺めていた。紙の上に書いた点線のようにどこまでも連なってゆくそれが、なんとも好奇心を引く。新しい幼稚園ではもう友達を作るのは止めようと思った。仲良くなっても、また眼が出たら、みんな怖がって嫌われて、離ればなれになる。それは凄く悲しくて、やるせなくて、もう二度とそんな気持ちになりたくはなかったのだ。
それでも今日は帰ったら艮助と遊びに行く約束がある。凄く楽しみだった。友達と遊ぶなんていつぶりだろうか。早く幼稚園終わらないかなぁ。朝から考えるのはそんなことばかりだ。
なんとか1日を耐えて、家に帰り着く。母はまだ帰っていないようで、祖母だけが家にいた。祖父母の実家に来てからは幼稚園バスで送迎をして貰っているため、帰っても大体母は居ない。
そ~っと台所に行き、艮助をひったくると、家を出る。祖母には遊びに行ってくると言った。嬉しそうに笑って頷いてくれた。何だかそれが、ちょこっとだけ心に刺さった。
「隼人! 九重公園って知ってるか?」
「うん。一回行ったことあるよ」
「そこの近くに目的の場所があるから、取り敢えずはそこに向かってくれ!」
「うん!」
隼人は嬉しそうに走る。艮助も彼の手の中で嬉しそうに歓声を上げていた。
九重公園は家から子供の脚で30分程行った先にある、川沿いの公園だった。休日にはピクニック等で老若男女問わず人が居るそこも、平日の夕方となると、子供とその親くらいしか居ない。
何となく幼稚園の同級生と出くわしそうな気がして、ドキドキした。もし会っても僕のことなんて分からないだろうなと思いつつも、ついこそこそした行動に出てしまう。
「隼人、隼人」
艮助が声を潜めて百目鬼を呼んだ。
「何?」
「あっちの茂みにちょっと穴が空いているの分かるか?」
「どこ……?」
「そこだよ、あ~もう少し右かな」
「あった! あそこに入れば良いの?」
「そうだ! 行こう! 隼人は話が早くて助からぁ」
艮助が先導して、茂みに入っていく。もしも人に見られてはマズいと警戒したが、この茂みの周りには不思議と人が少なかった。
艮助に続いて、どんどん奥へと進む。進むにつれ、この茂み、こんなに広かったの? と不安にもなったが、それよりもワクワクした心が先を急がせる。
「ここだよ、ここ」
艮助が指す先には、大きな木が生えていた。そしてその根元には子供一人くらいしか通れない程の両扉が付いていた。
「入るぞ~」
艮助がノックすると、扉が内側に開く。
「あら、艮助じゃない。いらっしゃい」
「よお、前に言ってた友達、連れてきたぜ!」
「あれまあ、これ、人かい? いや、妖かい?」
声だけ聞こえて、誰が話しているのかは分からなかった。
「まあ、そんなことは良いじゃ無いか。他の連中は来てるか? 早く中に入れとくれよ」
「まあ、艮助はせっかちねぇ。ささ、中へ入りなさいな」
「おいっ隼人、入るぞ」
またもや艮助の先導で中へ入る。中は木目調の小粋な喫茶店の様な造りになっていた。
木の中だから狭いと思っていたが、案外とそこは広く、普通の喫茶店と変わらないサイズ感だった。
キョロキョロした後、先ほどの声の主を見つけて驚いた。
「ね、猫!?」
「坊や、化け猫を見るのは初めてかい?」
三毛猫が立って話しかけてくる。
「ば、化け……?」
「まあ、フタマタになれないような弱小だけどね、一応化けられるんだよ」
フタマタとは、化け猫の上位種である。
「へ、へ~」
そうして、猫が喋る事へは一応理解の様子を示した百目鬼だったが、カウンターに座ると、我を取り戻したのか、ハッとして艮助に向き直る。
「ご、艮助。そういえば、ここ、喫茶店じゃ無いの? 僕、お金持ってないよ」
「大丈夫大丈夫。妖は金なんか取らねぇって。なあ、マスター」
「ああ、坊や、ゆっくりしていきな」
とてもダンディな声に驚いて顔を向けると、そちらにもまた猫が居た。こちらはとてもハンサムな黒猫だった。
「おっ。艮助じゃん」
次々に妖が現れる。今度は一つ目小僧だった。
それからもお店には様々な妖が出入りした。艮助の友達も居れば、そうではないのもいる。それでもみんな気さくで、とても楽しい時間を過ごした。誰かと居て楽しいなんて思うのは久しぶりだと、隼人は少しだけ涙ぐんだ。
どれくらいの時間が過ぎたのかいまいち分からなくて、艮助に聞いた。
「ねえ、今何時? 夕飯までに帰らないと怒られちゃうよ」
「今か? あ~分からねぇなあ。オイラ妖だし。人の時間なんて分からねぇよ」
「そ、そんな……」
「なあ、隼人?」
艮助が珍しく真面目なトーンで話しかけてくる。
「何?」
「もう、帰らないでここに居ようぜ」
そろそろ帰らなくちゃいけないかなと思うばかり、気が急く隼人だったが、艮助の言葉に体が固まる。
「オイラ、何があったのかはしらねぇけどよぉ。隼人は人に傷つけられてここに来たんじゃ無いのか? なあ、今、人の友達は居るのか?」
「……」
「人は直ぐに他人を傷つけたがる。何故だかどうしても他人よりも優位に立ちたがる。でもよぉ、それって互いに辛くねぇかなぁ。俺たち弱い妖は互いが互いを庇って、助け合わねぇと存在していけねぇ。だからこそ、誰かを傷つけたりなんてしないんだ。なあ、オイラたちとここで暮らさねぇか?」
艮助の言葉に、隼人の鼓動が早くなる。そうだよもう人と関わりたくないと思う自分と、僕は妖じゃ無いと思う自分がせめぎ合う。いっそこのままと思う自分を自覚しているからこそ、冷や汗が背を伝う。
と、その時だった。急に背後の扉がバタンと音を立てて開いた。暫く新たな客は来ていなかったから、久しぶりのその音に、ビクンと飛び上がりそうになる。
「おいおいおいおいおいおいおいおい! 大変だ~~~~」
コウモリの妖、天鼠が飛び込んできた。
「おや、天鼠じゃないか。そんなに慌ててどうしたんだい?」
「ひひひ、人がやってくる! 茂みを掻き分け始めた!」
「えええ! 何でまた?」
「何やら人の子を探しているみたいだ……って、人の子~~~~!? いや、妖者か?」
「ぼ、僕……」
「隼人は妖だ! オイラと一緒に居るんだ」
「……」
艮助の叫びに、百目鬼は押し黙ってしまう。
「ねえ、艮助? もしも、その子が本当は人の子なら、ちゃんと家に帰してやらなきゃだめだよ? 人の親はね、子を傷つけられた時、本当に恐ろしい鬼になるんだ。そんなのに襲われたら、ここなんて一溜まりもないんだよ」
「し、知らねぇやい!」
「艮助、聞き分けな。ほら、坊や、お家に帰ろう。私が手を引いてやるよ」
三毛猫はクルンと一回転すると、和服姿の淑女に化け、百目鬼に手を差し伸べる。
「う、うん……」
「は、隼人? 行っちまうのか? オイラは? オイラとの友情は?」
三毛猫に伸ばした手が空で止まり、それより先に伸ばす事をためらってしまう。でも、いっぱいいっぱい考えて、結論を出すと、はっきりと声に出した。
「ご、ごめんね。それでも、僕、やっぱり人間だから」
口から飛び出た結論は、百目鬼の中に、『まだ人でいたい』、そう思う気持ちを溢れさせる。
「そうかいそうかい。隼人は人間として生きるんだな。そんなに妖の匂いさせて、オイラたちが守ってやらなかったら、いつかデカい妖に襲われちゃうからな!」
「艮助、それは言い過ぎだ」
シュンと暗い表情になる隼人を見て、マスターがすかさず諫める。
「……ごめんよ。傷つけるつもりは無かったんだ。オイラはただ……」
「うん。分かってる。僕と艮助は友達だよ。それは変わらない。だからさ、帰ろう? 一緒に」
「隼人……」
隼人は艮助を掴むと、三毛猫の手を取り、外へ向かった。
外に出ると、来た時とは違い、もうそこは茂みの外だった。
「……や……と……やと……」
遠くから人の声がする。辺りは薄暗く、隼人は夕暮れの過ぎた頃だと思った。
「はやと~」
その声は段々と近づいてくる。声に嗚咽が混じっているのも分かるようになってきた。その声はお母さんだった。
三毛猫が手を引いて、母の元へと連れていく。
「こちら、アナタの息子さん? あちらで小さくなって居たので、連れてきましたが」
「隼人~~~~~! 丸一日どこ行ってたのよ!? 心配したんだからね! みんな探してくれたのよ。本当にもう、見つかって、よか、った~~~」
母は泣いた。声を上げて泣いた。こんな母を見たのは初めてだった。
「ありがとうございます。ありがとうございます。後日改めて、お礼を致しますので……あれ?」
母が顔を上げると、そこにはもう誰も居なかった。
「帰ろうか」
そうして、百目鬼隼人の神隠し事件は終わった。家に帰ったら先ず華英が泣きながら抱きついてきた。兄が居なくなった事へ、不安な気持ちを昂ぶらせて居たのだろう、百目鬼の服を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした。
そして、父と祖父に二重で叱られた。お婆ちゃんはホッとしたのか腰を抜かしていた。警察も捜索に出ていた様で、玄関先では両親が深くお辞儀をしていた。
みんなが一安心した。それでも、不幸というものは続くものである。
数日後、祖母が膵臓炎に伏し、病院へ運ばれた。そこから春賀は仕事のある夫・義父に代わり、毎日病院へ通った。パートの合間を縫って通った。
家では家事を、そして病院に行き、パートへ行く。育児をして、看病して、家事をして……そんな目まぐるしい日々の中、百目鬼が例の発作を起こし、病院へ運ばれた。息子の安否が気になるも、夫の仕事が繁忙期に入り、そして義父の畑仕事も毎日欠かせない時期になり、しわ寄せは全て春賀に廻った。
彼女は少しずつ壊れ始めた。
どうも。暴走紅茶です。
最近忙しい日々が続き、このままじゃ原稿が危うい……
等と思いながらの毎日。
急激な寒さにお体を気を付けて、また来週もどうぞよろしく。