6話 はーい
藤村に呪具を取り付けられて4日が経った。
道場には完全に疲弊しきった智鶴と結華梨が転がっていた。
「はあ、はあ、ゆ、結華梨……あんた何回目?」
「も、もう……数えていません……。ち、智鶴様は……?」
「お、覚えて……ないわ」
智鶴も結華梨も、事あるごとに霊力循環を揺らがせ、呪具が外れていた。
それは、お風呂で落ち着いた時、トイレでホッとした時、学校に遅刻しそうになった時、妖と対峙している時、それに朝起きると外れていた何てこともあった。感情のブレや、集中力がフッと消えると、途端に霊力が揺らいで外れてしまうのだ。
外れた時、藤村に自己申告して填め直して貰うのだが、その際に説教と、キツい筋トレか、キツい柔軟か、遠距離走(規定時間内に戻ってこないと、もう一回)か……とにかくキツい罰が行使された。
勿論智鶴よりも結華梨の方が圧倒的にその回数は多かったが、智鶴も独学で付いてしまった癖は簡単に矯正できず、何度も罰を受けていた。
こうして呪具ありの生活をしているだけでは無い。道場での稽古も勿論ある。
智鶴はルーティンにしている山への走り込みを済ませた後、道場へ行くようにしていた。「はい、お二人とも。いつまでも寝転がっていてはいけませんよ。稽古を始めます、シャキッとして下さい」
最初こそ智鶴に対して恐れ多い念を頂いていた藤村も、4日目となり、大分慣れたのか、遠慮が減ってきていた。
「は、はい……」
二人は情けない声を上げ、正座をしてから藤村に向き直る。
「今日からは呪力循環に入っていきます。中之条さんは霊力循環もまだ中途半端なので、今日はさわり程度にしますが、智鶴様はキチンと行って下さいね」
「じゃあ、呪具が外れるの!?」
「いやいや智鶴様、きっと別の呪具が付くだけですよ」
結華梨が智鶴の耳元でささやく。その言葉に智鶴はゾクリとして、怯える目で藤村に向き直る。
「お二人とも、妖を見る様な目で私を見ないで下さい。呪力循環にも確かに補助具として呪具を使う事もありますが、霊力とは違い、呪力を練り続けたら、霊力切れで倒れてしまいかねませんからね。呪力循環はむしろ道場でのみ行う様にして下さい」
「呪力循環には罰は無いのね」
「……と言いますか、むしろ呪力循環が罰というか……」
「え!?」
「いえ、何でも無いです。それでは始めましょう。今は腕輪が外れても大丈夫です」
ホッとした顔をすると、二人は正座を崩して、座禅を組む。
「先ずは精神統一、霊力循環を行って下さい」
2人は半目を開いて、集中していく。
「お2人とも大分良くなってきていますね。修行の成果がもう出始めていますよ。では、そのまま呪力を練って下さい。その際に、全身くまなく過不足無く行って下さい。霊力循環で落ち着かせた霊力をそのまま呪力に変えるイメージです」
2人の霊力に色が付き始める。霊力は皆等しく透明な靄の様であるが、呪力に練り直すと、その人その人で違った色になる。智鶴は雪の様にどこまでも吸い込まれそうな白、結華梨は秋空の様に透き通った空色をしていた。
「はい、良い感じです。それをキープして下さい先ずは5分です」
楽器を弾く人が基本の音階を1オクターブ順番に弾ける様に、呪力を練るなんて事は呪術者として出来て当たり前の事だが、改めて出力をキープするとなると、話は別だ。智鶴も結華梨も、額に玉の様な汗を浮かべている。
「あと1分ですので、少し出力を上げて下さい。一気に上げる訳では無いですよ。少しです」
ジワッと2人の纏う呪力の膜が広がる。
「お前はそんなもんじゃないだろ……」
誰かが智鶴の耳元で囁いた。
はっとして目を開き、辺りを見回すが、背後には誰も居ない。
「智鶴様、どうかされましたか?」
「いえ、何でも無いわ」
「そうですか、ちゃんと集中なさって下さいね」
その瞬間、タイマーが鳴った。
「丁度時間ですね。そこまで」
フッとオーラの色が変わり、そのまま2人は倒れ込んだ。
「久しぶりにやったけど、キツいわね……。これ」
「ひっひっひっひっひっひっひ」
結華梨が倒れながら、過呼吸を起こしていた。
すかさず藤村が口に紙袋をあてがう。呼吸が落ち着くと、ほっとした顔で深呼吸をした。
「呪術を使うときだけでなく、何をする時でもですが、呼吸を蔑ろにしてはいけませんよ。しっかりと肺に酸素を送るように心がけるだけでも、術の精度が変わってきます」
「はい……以後気をつけます……」
落ち着いたのか、起き上がり、智鶴の隣へ座り直す。
「はい! 藤村さん、質問があるわ」
「なんでしょうか、智鶴様?」
「以前、『呪力循環 発』ってのを見たんだけど、あれは何かしら。勿論呪力循環自体は昔から知って居たけど、あれはまた異質な感じがしたわ」
「ああ。また珍しい術をご存じですね」
「その使い手は基礎って言ってたけど、珍しいのね」
「確かにそれを基礎に置く人も居ますが、最近では余り見ませんね。発の対となる術、止を知らないと、最悪死んでしまいますから、今では使う人も減った術です」
「それで、どんな術なの?」
「先ず、発ですが。これは呪力循環のリミッターを外す術です。私たち呪術者は感覚で自分の限界を悟っており、無意識でそれ以上の出力をしないように調節しています。勿論それは、修行で底上げされていきますが、発はその調節を取っ払い、霊力が切れるまで呪力を出力する術です。対して止は呪力循環を霊力循環ごと止める術です。これも長時間使うと霊力切れと同じ状態になる訳ですから、どちらも自分の限界値をしっかり知って居ないと使えない術です」
「そんなに危険なのね……」
「かつての呪術者はそれを必殺の技を繰り出すために使ったり、満身創痍の瀕死の状態に陥った時、発を使い命を掛けて戦ったり……。まあ、呪術の暗い部分に居る術でもあります」
「それを基礎に置くってどういうことなの?」
「先ほども言いましたが、これは限界値まで呪力を放出出来る術ですから、自身の限界を知る為、また止める・出すというのは想像以上に絶妙な呪力コントロールを必要としますから、そういった修行のため、それに勿論、突発的に呪力量を上げる必要がある術の術者は基礎として習う事があります」
「なるほど……」
「まあ何にせよ、お2人が使うことはまずありませんから、頭の隅でそんなのもあるんだな程度に覚えておけば大丈夫です。それと、何度も言いますが、この術は大変危険ですので、絶対に使わない様にして下さい。もし、どうしてもと言うなら、私と智喜様に許可を取ってからにしてくださいね」
「はーい」
藤村に確りと釘を刺され、2人はきちんと返事をした。
時を同じくして、竜子もまた「はーい」と返事をしていた。
弥勒山中腹にある彼女の実家には、書物が沢山詰め込まれた重たい鞄を括りつけられ、不機嫌な美夏萠が浮かんでいた。
そしてその下では、竜子と彼女の父・武の姿が別れを惜しんでいる。
「体に気を付けるんだよ?」
「はーい」
「それと、あんまり無茶をしない様に。それじゃあ、みんな仲良くしなさいね。あと、それから……」
「もう、お父さんたら心配性なんだから。私なら大丈夫だよ。次はもう少しゆっくり帰ってくるね」
「千羽様方の迷惑にならない程度にな」
「分かってるって。それじゃあね」
「ああ、またな」
竜子はひらりと美夏萠に跨がると、夏の深い空へと飛び立っていった。
「求来里、あの子はちゃんと成長しているよ」
武はどこともつかない虚空を見上げて、そう呟いた。
帰り道も雲の上を飛んだ。行きよりも心なしか夏が進んだ気がした。本当は何も変わっていないのだけれど、そんな気がした。
ずっと空を見上げて飛んだ。
1時間おきに休憩しながら、飛び続けた。2回くらい休んだ後、3回目のフライト。
変わることの無い空の景色を眺めて、ゆったりと飛ぶ。
飽きることもなく、どこまでもどこまでも青い空を眺めて。
だから、背後に暗雲が立ちこめている何てことには気がつかなかった。
ましてや、雷が自分に向かってくるなんて事は。
どうも暴走紅茶です。
今回はちょっと難しいお話でしたね。
いつか本職が落ち着いたら、ちゃんとキャラや呪術のまとめも投稿したいと思っております。お楽しみに。
では、今週はこの辺で。
来週もどうぞよろしくお願いいたします!




