5話 竜子の里帰り
翌日土曜日、晴天。
竜子は美夏萠に乗って、千羽町では無い上空を飛んでいた。
昨日、あの後千羽家へ行き、智喜と智鶴にあらましを話した。なんだか恥ずかしく思い、伸び悩んでいることは伏せ、久々に実家へ帰って、契約術の書物を読みたいとそんな事を言った。
智喜にも智鶴にも反対はされず、むしろ笑顔で行ってこいと言ってもらえた。ただし、日曜日の仕事までには戻ってくることを条件として。
お父さんを驚かせたいから、電話もメッセージも何もしていない。驚き、そして嬉しそうな顔を見られるかと思うだけで、口元がニヤッとしてしまう。
竜子の実家は一旦隣の県へ入り、そこを抜け更に隣県へと入り、暫く進んだ先にある。
千羽町からは大分距離があり、真っ直ぐ飛んでも、合計で4時間は掛かるから、1時間おきに休憩を入れる。最後の休憩を終えて、あと1時間。
かつて住み慣れた土地の霊脈に気がつくと、美夏萠は高度を落としていく。
霊脈とは地球上全ての地下に流れる、霊気の流れの事である。他にも龍脈や地脈などと呼ばれるモノであるが、現代でも実際の所は解明されて居らず、呪術者はそこから霊力を吸い上げていると語る人も居れば、それは水脈や地脈の事であり、ただ流れているだけにすぎないと言う人も居る。しかし、霊脈という存在を否定する術者は居らず、それを使った術も存在する上に、呪術者でなくとも少なからず人に影響を及ぼしており、引っ越した際に何だか土地が肌に合わないと言うのも、この霊脈に慣れないからというのは、案外知識人の間で常識として定着している。
そんなよく知った霊脈を見つけたから、実家が近いと気がついたのだ。雲を抜けると、直ぐに実家の建っている山――弥勒山――が見えた。
「ただいま~~~~~~~~」
まだ誰に聞こえるような高度にはなって居ないのに、竜子は大声で叫んだ。
感じ慣れた気配、嗅ぎ慣れた空気に、全身が郷愁の念に襲われる。此処を発って、まだ3ヶ月強だというのに。
竜子はもはや張りぼてにしか見えない門を開け、実家の玄関前に立つ。昔は左右に広く、道場も、離れもあった。千羽家ほどでは無いにしろ、町で一番大きなお屋敷だったが、今となっては、離れも、道場もさらには母屋も半分が無くなり、他人の土地となって居た。不自然に見えない様改修は行われたが、元を知って居ると、不自然も感じざるを得ない。
「ただいま~」
上空ではあんなに声を張ったのに、今度は父を驚かせたいから、声を潜めてひっそりと家に侵入する。
たたきから式台、廊下と上がり、父の居る部屋を探す。相変わらずボロさは変わらないが、3ヶ月前よりは修繕されている箇所が増えた様な気がした。竜子の給料はその数割を実家へ入れている為、そこから捻出したお金で直したのかなと、そんなことを思った。
全ての部屋を廻ったが、父の姿は無い。どこかへ出かけているのかな。そう思うと、急に寂しくなって、取り敢えず縁側に腰掛けた。
「ひまわりが咲きそうだね」
縁側の先にはひまわりが植えられていた。これは竜子がまだ幼い時に、誕生日だったか何かの記念に父と母が植えてくれたもので、毎年咲くのが待ち遠しい、彼女のお気に入りだった。
「そうですね」
天が肩に留まる。
この家の敷地内には特殊な結界が張られており、その呪的意味は『隠れ蓑』妖を如何に顕現化させようとも、家の外からは見えない仕組みになっている上に、妖を見る力の無い父の目にも妖の姿を映し出す事が出来る。その為、母も今竜子がしている様に、家では妖たちの隠形を解いて一緒の時間を過ごしていた。
少しジメッとした風が流れてくる。
昨日は雨だったのかな。そんな事を考えた。
「……子、おい、竜子!」
知らぬ間に寝てしまった様だ。目を覚ますと、目の前には父・武が居た。
「あ! あ! えっと、ただいま」
にへらと笑って誤魔化そうとしたが、父は簡単に誤魔化されてくれない。
「急に帰ってきてどうしたんだ。仕事は? それよりも、実家に帰って良かったのか!? いや、帰ってくるなら連絡くらいしなさい」
「そんな一気に言わないでよ。グレるよ」
「それは困るな……」
「ふふ。嘘だよ。順番に話すから、居間で話そうよ」
そうして、畳のササクレが目立つ居間に腰を落ち着けると、本を取りに帰ったこと、智喜には許可を貰ったこと、本当はビックリさせたかったことを話した。
「なるほどな。で、いつ戻るんだ?」
「明日のお昼かな。今日は泊まっていくね」
「ホントにお前は……。布団、今から干して、夜に間に合うかな。取り敢えず出すか……」
そう言いながら立つ父を遮って、竜子は「私がやるから良いよ」何て言って、布団のある自室へ消えていった。
「帰ってきた時くらい、甘えて良いのにな」
父の言葉は虚空に消えた。
「お父さ~~~ん。契約術の本ってどこに仕舞ったっけ~」
屋根裏部屋から娘の声が響いてくる。
「窓際に無いか~~? それと、足下に気をつけろ~抜けるぞ~~~」
父は娘の帰郷に、嬉しさが隠せない様で、こんな会話一つにも笑みを零した。
「分かった~」
そう言う竜子は、足下に気をつけながらも、窓際の本棚を人差し指で指しながら、順々に目当ての書物を探していく。
「契約術……契約術……お父さん、ここって言ったのにな~。あんまり関係ないのばっかりだな」
そこには、道場の帳簿が納められているばかりで、呪術に関する本は無かった。だが、その棚の最後まで来ると、彼女の指が止まった。
その記録書も、丁度5年前を最後に新しいモノが更新されていなかった。
「……」
5年前、それは道場を畳み、父がアルバイトを始めた年。ハローワークにも通った様だが、呪術道場経営という経歴は人に話せるものでもなく、その為になかなか職も見つからず、結局アルバイトと今までの貯金を切り崩すことで生活を立ててきた。
「私、よく遠い高校に通ってるよね。感謝しかないや……」
しんみりとした気持ちが襲ってくるが、気を取り直して目当ての探索に戻った。
1時間くらいが過ぎたころ、屋根裏部屋から歓喜の声が上がった。
「あった~! なんでこんな奥の奥に仕舞われてるの。やっと見つかったよ」
窓際の本棚とは全然違い、少し奥まった所にある戸棚から見つかった。まるで視界に入らない様に、隠されていたかの様ですらある。呪術の基礎から、契約術の応用まで。十所家に伝わる秘伝の書である。
「昔は読むのも億劫で、蔑ろにしてきたけど、今となってはこれしか寄る辺がないんだよね」
彼女は一冊手に取りその表紙を撫でた。
今までの人生、取り敢えずお金が稼げればそれで良く、今以上に強くなろうというのは二の次であった。修行する時間も惜しく、仕事に費やしてきた。だけれど今は違う。強くなりたい。誰にも負けないくらい、強く、強く。置いて行かれない様に、強く、強く。
「読むのはまあ、帰ってからでも良いし、取り敢えずは下に運ぼうかな」
厚さはバラバラであるが、ざっと100冊はあり、かなりの重さになってしまった。それを持ってきたボストンバッグに詰め、重さにふらつきながらも立ちあがる。窓の外からは美夏萠が心配そうに見ていた。
階下に降りると、その大荷物にお父さんが心配そうに近づいて来た。
「そんなに持って帰るのかい? 宅配で送ってやてもいいんだぞ?」
「ううん。大丈夫。美夏萠に運んで貰うし。それに、戻ったら直ぐにでも修行を始めたいんだ」
鞄の隙間からその書物が見えた時、一瞬武が顔をしかめたような気がした。気のせいだったかも知れない。
「そうかい。頑張るんだよ」
「うん!……あ、お父さん、今晩は何にする? 手伝うよ」
台所の方へ消えていこうとした父を追って、竜子も居間から消えていった。
従者たちがボストンバッグを見つめていた。
夕食を食べながら、久しぶりに父との歓談を楽しむ。
ここ3ヶ月の事を話した。勿論父からは千羽と喧嘩になったことに対して説教をされたが、その後の話はそれ以上に笑って話した。
「それでね、そののっぺらぼうの唯雄君との一件以来、智鶴ちゃんと仲良くなってね。こんなの貰っちゃったんだ」
竜子は鞄から継ぎ接ぎ模様のクマのぬいぐるみを取り出すと、ニッコリと笑って見せた。
「おお。素敵なぬいぐるみだな」
「そうでしょ。これ、智鶴ちゃんのお手製なんだよ」
「智鶴様も大きくなられたんだな」
「お父さん、智鶴ちゃんを知ってるの?」
「ああ、勿論。まだ智房様がご健在の頃に、一度ご挨拶へ覗ったことがあってね。竜子も物心つく前だったし、覚えてないと思うけど」
「へー。小さい頃に会ってたんだ。私たち」
「と言っても、本当に挨拶だけだったからね。智喜様の後にちょこんと智秋様、智鶴様が座っていてね。ああ、そうだ。その時お前、千羽家の屋敷で転んで泣いちゃって。はは。懐かしいな」
竜子は記憶にもない事だが、なんだか顔がカーと熱くなった。
「もう、変なこと思い出さないでよ」
「いやあ。しかし、何というか。あの頃まだまだ小さかった子供たちが、いまこうして強くなろうとしているんだよね。お父さんも負けていられないなあ。バイトのシフト増やしちゃおうかな」
「もう、私の収入も安定してきたんだし、無理しないでよ」
「いや、本当にありがたいよ。お陰で、家も修繕できる様になってきた」
「ああ、やっぱり直したんだね」
「まだ雨漏りはあるけどな。流石に歴史あるモノをこれ以上壊す訳にいかないからな」
「そうだね。あ、私そろそろお風呂入ろうかな。でも、先に洗い物終わらせてくるね」
時計を見てから、竜子は立ちあがった。
深夜。久しぶりに実家の布団へ飛び込んだ竜子は、安心感に包まれながら、健やかな眠りについた。
だが、まだ起きているモノがあるのか、庭から声が聞こえる。
「竜子はああ言ってたけど、実際はどうなんだい?」
「実際? あの子の言った通りですよ。自分でしっかりと乗り越えて、ちゃんと成長しています」
「君が付いていてくれるからだよ。本当に感謝している」
「そんなに畏まらないで下さい。あの子と居ることを選んだのは私自身ですから」
月光に照らされる縁側には、着物姿の男女が腰掛けている。
「そうかい」
「竜子様はきっと良い術者になりますよ。安心して下さい。そうだ、最近、たまに求来里様の面影を感じるようになって」
「へえ、どんな所に」
女性は青い振り袖を美しく月明かりに輝かせながら、空を見上げ、目を瞑る。優しい記憶を思い出す様であった。
「妖に優しいところ、従者に無理強いしない所は昔からですけど、最近悩むと雲の上へ行きたがるんです。求来里様もそうでした。お懐かしいです」
「永きを生きるモノも、10年前は懐かしいか」
「ええ。求来里様は本当に偉大な方でしたから」
「それで、求来里のことなんだが」
「はい。それについてはまだ調査中と申しますか」
「急くことはないよ。もしも何か分かったらまた話してくれな」
「はい。お任せ下さい」
「ああ、あの子の事よろしく頼んだよ、美夏萠」
今週もありがとう御座いました。
来週もどうぞよろしくお願いいたします。




