3話 宵闇の事
夕食を終えた22時、当主が使う奥の間にて、現当主・智喜が静かに、しかし重たく聞こえる声でこう言った。
「今宵もやってきたか」
暗い闇夜に包まれた街の風景は、どこか怪しげであり、昼間とその表情を異にしていた。
その漆黒の暗闇を、和紙で出来た着物に身を包んだ智鶴が走っている。
22時を廻って少ししたとき、町中に妖の気配が現れた。鼻ヶ岳とは反対の、高校の方だった。
智鶴は夜に備えて昼寝をしていたのだが、跳ね起き、直ぐに戦闘服である紙製の着物をジャージの上から着ると、愛用の巾着袋を掴み家を飛び出した。
気配は高校の方向、この距離なら10分もあれば着ける!
頭の中でそう計算すると、走るスピードを速める。
約10分、気配を追って走ってくると、高校から少し行ったところにある沼に出た。
「ここ……?」
辺りを見回す。確かに気配はするが、正確な位置がつかめない。元々妖気を辿るのが得意ではない上に、何だか気配が希薄であり、大雑把な方向しか分からなかった。
「どこから……」
念のため、巾着袋の口を緩める。
この巾着袋は智鶴お手製のものであり、中には大小様々な紙が入っている。
「沼が怪しいわね……」
沼の中を探ってやりたいが、紙には『濡れたら破れやすくなる』という性質がある。紙操術の基本は紙の性質に忠実である為、沼の中に紙を入れて探る事は出来ない。勿論、撥水する加工などをしてあれば別だが、今日はわざわざ用意してきていなかった。
「それなら、こうしましょうか」
『紙は水に浮く』この性質を使って、水面に自身の力を乗せた紙切れを20枚浮かべていく。こうする事で、水の動きを読み取り、敵の位置を捕捉しようというのだ。
補足だが、20枚とは、彼女が現状操れる最高枚数である。
水中には何百という生き物がうごめいている。メダカにタガメ、鯉、鮒……。そういった『生き物』の気配を順に断っていく。すると、必然、生ならざる者。つまりは妖の気配のみを読む事が出来るようになる。
と、その瞬間だった、沼の中央で何かが跳ねた。
「ニンゲンのムスメだ~~~~~~~~~!!!」
2メートルはあるかという半人半魚の妖が邪気をまき散らして飛びかかってきた。だが、沼の気配を読んでいた彼女は即座に気づき、咄嗟に飛び退る。
智鶴が居た所には大きな槍が刺さっていた。
2メートルはあるかという半魚人は華麗に着地を決めると、智鶴に対峙するように位置を取り、得物を地面から抜き取ると、智鶴に矛先を定め、構える。
そのフォルムは鯉の体に人の手足が生えている様な見た目であり、十分グロテスクである。また、手には槍を持っており、どこか足軽を思わせる風格もある。
「ぬらりひょんサマに人のコをササゲ、オレも百鬼のナカマいりだああああ」
「ぬらりひょんだと!?」
智鶴の顔に動揺が現れる。
「そうさ。アノお方の百鬼にクワわれば、オレも妖界で イチモク置かれチャウーー!」
「ほう? その話、ゆっくり聞かせて貰おうか」
父の仇である憎きぬらりひょん。その名前を聞くだけで虫唾が走るわ。
睨み合いながら間合いを計っていく。
「オマエ、オレニ、ころされるノニ、ソンなの、ムリ無理」
どこまでも人を苛つかせる妖であるが、ここまで流暢に人の言葉を解するとは、雑魚と侮れない……。彼女は間合いを確かめながら、そう思考を回す。
「捉えた」
小さく呟いた。
と、同時に半魚人も一気に間合いを詰めてくる。
しかし、智鶴の方が一枚上手であった。先ず、5枚の紙切れを槍の先端に当て、自身から軌道を逸らす。
「ナッ」と、半魚人は驚いた様に声を上げる。
そのまま妖を追い越すように槍を避けながら前方へ移動。
移動しながら両腕をまるで見えない何かをひっかくように、抱きしめるように、力強く振る。
するとどうだろう、半魚人がその場所へ行く事が分かっていたように、紙切れが智鶴の挙動に合わせて飛びかかっていく。
『紙は時に人の皮膚をも切り裂く』という性質に、彼女の力を乗せた技。
「紙吹雪! 餓狼の鉤爪!」
15枚の紙が、小刀のように切れ味を増し、斜め方向に敵を切り裂く。
それはさながら飢えた狼の狩りの様に、獲物へ深手を負わせる。
「クソ! オマエ! 紙操術師か……」
かなりの深手を負わせたが、まだ消滅するまでのダメージは負わせられていない。
「ま、マテ! トリヒキ! を、しよ……」
妖がそう提案するが、彼女は聞く耳を持たず、敵の攻撃を避けながら、オーケストラに指揮をするかの如く両の腕を振る。その動きに合わせて19枚の紙吹雪が舞う。攻撃を封じ、防御を妨害し、動きを鈍らせる。
半魚人は喋る暇も与えられない猛攻に藻掻いていた。
だが、決定的なダメージは与えられていない。妖は反撃をする瞬間を今か今かと伺う。だんだんと攻撃のパターンにも慣れ、その隙が見えつつあったのだ。
タイみング……ハ! ココダ!
半魚人が隙を突いて反撃に出る。手応えがあった。そして、紙吹雪も止む。
「ヤッタか!?」
半魚人が顔を上げると、そこには槍に貫かれた四角い紙があるのみだった。
「ど、どコだ!?」
辺りを見回すも、紙操術師の姿はない。
「貫け! 紙吹雪! 針地獄!」
「後シロか!」
声に驚き、振り返った時、既に遅し。
先ほどまで猛攻を繰り返してきた19枚の紙切れがもう眼前に迫っていた。
四方八方から貫かれる妖、だがまだ息はあった。
「ま、マテ! は、ハナせば……」
智鶴はボールを投げるように手を振り下ろすと、彼女の前で控えていた一際大きな紙の小刀が鋭く妖を貫いた。
計20枚の鋭利な紙に貫かれ、半魚人は塵に消えていった。
妖は滅されても死ぬわけではない。この世で姿を保てなくなると、地獄へと送還される。その地でまた再生するのだが、それは100年後か1000年後か。人には分からないことだ。
「は~。やっと倒せた……」
深くため息をつき、緊張を解く。実は一人で戦場に出てまだ日の浅い智鶴なのだ。
16才から独り立ちが許される千羽家だが、高校生になるとその年齢制限が引き上げられる。8月24日生まれの彼女が戦場へ一人繰り出しているのはそんなわけだった。初陣が中学卒業の3月20日だったから、まだ一ヶ月も経っていない訳である。
一息ついて我に返った智鶴が独りごちる。
「しまったわ、滅してしまった。ぬらりひょんの事聞かなくてはいけなかったのに!」
あっけらかんと口元に手を翳してそう言う智鶴は、妖を貫き、滅した後とは思えないあどけなさを醸し出している。
「でも、ぬらりひょん……その単語は久しぶりに聞いたわね。この地にやってくるのかしら。それなら、私はもっと、もっと力をつけて、お父さんよりも、誰よりも強い術者にならなくては……」
彼女の父は10年前、鼻ヶ岳にてぬらりひょんと彼の百鬼によって殺された。
「私は、絶対に、ぬらりひょんを滅する!」
彼女はそう口にすると、強く拳を握りしめた。
「ッ!!」
瞬間、新たな妖の気配を感じ、咄嗟に振り向く。が、しかしそこにはただ夜風に揺られる木々があるのみで、妖の姿はおろか、気配すらなかった。
「気の、せいか……?」
幽霊の正体見たり枯れ尾花とは言うが、一体誰が幽霊の正体が枯れ尾花だと言ったのだろうか。枯れ尾花の正体が化けた幽霊であるかも知れないのに……。
同刻、ここは清涼市のどこか。
神社の石段に座った少女が、一人笑っている。
「ふうん。結構やるんだ」
そして、彼女の肩には何やら変わった模様のある一匹の鳩が……いや、鳩にしては額に角が生えている。きっと妖だろう。その鳥が留まっていた。
彼女はその妖にありがとう、またどこかで出会ったときはよろしくね。と告げると、闇夜に放った。
妖にはもう目立った模様など付いていなかった。
はい! どうも、暴走紅茶です。
我らが智鶴ちゃん、初の戦闘シーンですね!
お色気成分は少ない分、格好よく書けたらなあと思う次第です。
それに、何やら怪しい影もちらつき始めました!
来週も絶対に読んでね!