17話 唯雄の決意
――短い睡眠だった。智鶴が目を覚ますと、隣には先に目を覚ました竜子が片膝を抱えて座っていた
「お疲れ様」
目覚めた智鶴に短く声を掛けた。そんな彼女の顔をじっと見たかと思うと、ふいっと顔を背け、ぼそりと呟いた。
「……悪かったわね」
「何が?」
突然智鶴が柄にもなく謝ったので、竜子の頭の中には疑問符が溢れた。
「私が変な意地張ってないで、ちゃんと警戒していれば、アンタが不意打ちを食らわなくて済んだのに」
「なんだ。そんなことか。いいよ。気にしてないよ。妖が嫌いなのに、私の我が儘に付き合って、仕事外の家族捜しまでやってくれたんだもん。感謝こそすれ、怒るなんて事ないよ」
「あと……。これ、使いなさい。牡丹坂の傷薬。よく効くから」
智鶴はそっぽを向いたまま渡す。
「ありがとう! え? 本当にいいの?」
「いらないなら仕舞うわよ」
「貰う貰う!」
竜子は薬壺を、まるで宝物であるかの様に、月光に照らした。
「そう言えばね、私、隼人君に聞いちゃったんだけど、智鶴ちゃんって、術、独りで覚えたんだってね」
「……あのおしゃべりが」
「私もなんだ」
「え?」
一瞬百目鬼への怒りを顕わにした智鶴だったが、竜子の告白に感情の行き場を失う。
「前にも話したけど、私、お母さんが10年前に居なくなっちゃってて。お父さんは術者じゃないし、門下の人たちもお母さんが居なくなって、みんな道場を後にしちゃったからさ、私に呪術の事を教えてくれる人なんて居なかったんだ」
「そう」
智鶴の心が、ザワッとした。それは微風が草を撫でる様な、微かで優しい感覚だった。
「だからね、私も智鶴ちゃんと同じなの。同じなのに、智鶴ちゃんは大家のお嬢様で、将来を有望視されてて、そういう所に嫉妬してたのは事実。そんな思いを抱えてるから、上手く出来なかったんだ。きっと仲良く出来る方法はあったのに。きっともっと違う出会い方があったハズなのに。あんな出会い方になっちゃった。本当にごめんなさい。って言っても駄目だよね。私、ちゃんと分かってるから。もう無理になんて言わないよ。嫌ってくれて良い。でも、今私は千羽の地で生きていくしかないから、あの場所で仕事をすることだけは許して欲しいな。……って、あ~ゴメンね。独り語りしちゃって。聞きたくも無かったよね」
「いや、いいのよ……」
智鶴に彼女の独白が染み渡る。知らなかったことを知った。大嫌いなハズなのに、絶対に許せないって思っていたのに、何故か鼻の奥がツンとする。
「いいの。いいのよ。『仕事』だから。そう、『仕事』なのよ。『仕事』だからしょうがないわ。しょうがないのよ」
「智鶴ちゃん……」
泣きそうになったことを悟られまいと、いつもよりも大げさに『仕事』というワードを強調する。それはどこか、自分に言い訳をしている様でもあった。
「あっ、そう言えばのっぺらぼうたちは? 無事?」
しんみりしてしまった空気を変えようと、智鶴は明るめにそう言った。
「智鶴ちゃんが妖の心配をする時が来るとはね」
「うるさいわよ」
「はは。大丈夫だよ。ほら」
竜子が上を見上げる。つられて智鶴も上を見ると、堤防の斜面にのっぺらぼうたちは座っていた。智鶴の視線に気がつくと、唯雄がテコテコと、足取り悪そうに降りてくる。そして、降りてくるなり、智鶴の前に立ち深く頭を下げた。
「智鶴さん。怖い人だと思って、失礼な事をして、ごめんなさい。今日は助けてくれてありがとう!」
唯雄の手の甲から、契約紋が消えている事に気がついて居た。もう竜子の従者で無いから、滅する事が出来る事も理解していた。
でも、智鶴はそうしなかった。初めて妖にお礼を言われた。何だか変な感じがしていた。
こんな日が来るなんて、考えた事もなかった。
「いいのよ。達者でね。もうはぐれちゃだめよ」
初めて妖に、そんな優しいことを言った気がした。
「うん!」
「この子、智鶴さんにお礼言うまで帰らないなんて言うものだから、みんなで待ってたのよ。ありがとうね」
お母さんのっぺらぼうが、智鶴の耳元でそう言った。
ありがとう……何度言われても不思議な感じしかしない。妖に礼を言われて、それで高揚感を感じている自分がいることに驚いた。妖と関わって、こんな感情を覚えたのは初めてだった。
きっかけは些細なことだった。それは、マスターと日向にアドバイスを貰ったこと。そして、竜子に寄り添ってみたこと。少し無理をしたら、知らない世界が見えた。
智鶴は少し照れながら、そんな事を思った。
「じゃあ、行くぞ」
お父さんのっぺらぼうがそう言うが、唯雄は俯いて動かない。何かを言いたそうにもじもじしている。一度くっと何かを堪えるようにすると、顔を上げて、はっきりと言った。
「竜子さん。僕、契約を解いて欲しくなかった!」
「え?」「まあ!」竜子とお母さんの声が同時に上がる。
「今日、皆さんが戦っているのを見て、それが格好よくて、でも、僕は何も出来なくて、凄く悔しかった。だから、きっとこれから強くなって竜子さんの力になるから、まだ一緒に居ちゃだめ、ですか? 悔しいままで居たくない」
その言葉を聞き、竜子は優しく笑みを浮かべた。
「短い間だったのに、強くなったんだね。でも、そのお願いは聞けないかな」
「なんで……」
唯雄は悔しい気持ちを顕わにし、すがる様に竜子を見上げる。
「私が、きみを守るって言ったの、覚えてる?」
「はい」
「それはね、君を無事に家族へ届けるためなんだ。でも、正式に私の従者になるなら、もう守ってあげられない。私も、私の従者たちも、みんな明日生きているかどうか分からない中で戦っている。明日生きていられる様に、戦っているの。君をそんな危険なところに連れて行けない」
「……でも!」
竜子は優しく首を振った。
「唯雄君はお母さんのこと好き? お父さんは? 兄弟は?」
「……好き、です」
「じゃあ、尚更連れて行けないな。君が死んでしまったら、ご両親が悲しんじゃう。君は君独りじゃないんだよ。君は死とそして家族を悲しませてしまう結果、それを背負っていけるの?」
「……」
「でもね、強くなりたい気持ちは間違っていない。私に君を否定する気はないの。きっと今日悔しかった気持ちを忘れないで、大切な存在を忘れないで強くなってね。そして家族を守れる、立派な妖になってね」
「竜子さんも同じですよ。貴方が死んでしまったら、悲しいです。死なないで、生きてください」
「うん。ありがとう。でも、私はもうこんなに強い味方がいるから、きっと大丈夫だよ!」
竜子の目覚めと共に復活していた美夏萠が、そんな体力も回復していないだろうに、偉そうに威張って竜気を発する。
「はい! あ、でも、もし、僕が強くなって、家族でもなんでも守れる様になったら、その時はまた会いに来て良いですか?」
「勿論!」
そう言った唯雄はもう、1人で怯えていた時とは変わっていた。1人の妖として、大事なモノを守る1人の妖として、立派な雰囲気を纏っていた。
笑顔でのっぺらぼう一家を見送る。
百目鬼は笑顔でその一部始終を眺めていた。
別れ際、お父さんのっぺらぼうが智鶴にこそっと言った。
「ここに来る少し前、西の方で大きな邪気の塊を見たんや。よっぽど大丈夫だとは思うけどなぁ。安生気ぃつけな。ほな、この度はありがとさん」
この時の智鶴には、何の事だかさっぱり見当も付いていなかった。
数分休憩すると、竜子が立ちあがり、「帰りますか!」と言った。
戦いでボロボロになった惨状については、百目鬼が既に連絡を入れており、このまま帰って大丈夫という事だった。
「そうね。あ~、でも、私、もうヘトヘト。アンタ、美夏萠に乗せなさいよ」
「……」
一瞬、智鶴が言った言葉が幻聴に思われ、無表情のまま、彼女を見つめた。
「行きのこと、怒っているのなら謝「いいよっ! 乗って!」るわ」
だが、直ぐに言葉を理解すると、智鶴の二の句も無視して、美夏萠の背中へ招待した。
その時の笑顔はまるで、大輪のひまわりが咲いたかの様だった。
3人で美夏萠の背に乗り、千羽家を目指す。
道中、竜子が智鶴に悪戯っぽい笑みを浮かべながら、茶化す様に言った。
「あ、そういえば智鶴ちゃん。戦闘中に初めて私の事、竜子って呼んだよね」
「……知らないわよ。ばか」
照れ隠しにそんな暴言を吐いたが、竜子は笑っているばかりだった。
やっと2人の仲が良くなってきたと、百目鬼はのため息は収まった。
今週はエピローグが同時に投稿されているので、謝辞などはそちらで。
では、続いてどうぞ!