5話 事件の始まり
まだ日の高い午後3時半過ぎ、清涼高校前のバス停にバスが停まった。
そのバスから、スーツ姿の男が2人降りてくる。1人はまだ若さを保っては居るが、小ジワや白髪が交じり始めた40代半ばといった見た目で、もう1人は新社会人と言われても納得できるフレッシュな出で立ちだった。
「流石田舎ですね。僕らの他に誰も乗ってないなんて」
若い方の男がそう言うと、
「バカ。失礼だろ」
年上の男がそう怒った。
「すみません……。それで、ここから少し行ったところにあるんですよね? その……千羽家? ってお宅が」
「そうだ」
「ところで幸三さん、何で今回の捜査にその民間人を巻き込むんですか?」
「お前、会議の内容何も聞いてなかったのか? これだから最近の若いのは……」
ステレオタイプな愚痴を呟くと、幸三と呼ばれた男は、ポケットから出したラッキーストライクに火を付ける。
幸三は紫煙をくゆらせながら、話を続ける。
「いいか? もう1回しか言わないからちゃんと聞いておくんだぞ? 今から行く千羽家はな、民間人だが、民間人じゃ無い。今までも警察の助っ人をしてもらった経歴がちゃんとあるんだ」
そう、この2人、今川修一と塙幸三は警察だった。それも、県警の捜査官である。
「一体何者なんです? その千羽って」
「言葉で言われても信じられないかも知れないが、千羽家はな、呪術一家なんだよ」
「呪術って、あの、『地獄先生ぬ~べ~』みたいな感じですか? 妖怪退治的な」
「懐かしいな、息子が見てたよ。そうそう、そんな感じだ。大体合ってる」
「そんな。この文明が発達した現代で、非科学的過ぎますよ」
修一は信じられないという様子で、無知な先輩を諭さんばかりに言った。
「そうだよなあ。俺も若い頃。丁度お前と同じくらいの頃か、こうして先輩に連れて来られたときにそんな事言った気がするわ」
でもよ。と、幸三は話を続ける。
「俺がその時に調査していた案件ってのが、この県下にある小さな農村で人が食い荒らされるって事件だったんだ。最初こそ野犬の仕業とか、熊とか言われてたんだがな、その村の人は誰もそんな獣に出くわした事が無かったんだよ」
「まさか……」
「そのまさかだが、そう先を急ぐなよ。まだ時間はある。ゆっくり話させてくれや」
修一が首を縦に振る事だけで、肯定を示し、幸三はバス停に備え付けられた灰皿へ灰を落とした。ジュッと音を立てて、灰は黒く変色する。
「俺はその時もこうして、千羽家を訪れた――
その時の事を幸三は振り返りながら話を始めた。
――あれは20年くらい前かな。正確な年はよく覚えていないが、俺は当時バディを組んでいた先輩に連れられてここに来た。
当時まだまだ駆け出しだった俺は、殺人事件なんてでかいヤマの捜査メンバーに入れてもらって、有頂天になっていた。だから、絶対解決してやると意気込んでいたんだ。なのに、偉いさん方はある程度捜査した途端、対策室を解体した。
俺は訳が分からなくて、先輩とタバコを吸いながら愚痴った。
「何で対策室を畳んだんですか!? まだ何も解決してませんよね? 訳が分からないですよ。俺たちは何の仕事をしているんですか。民間の人を守るんじゃ無いんですか?」
「幸三。そうカッカするな。上が決めた事だし、それにこのヤマは俺たちがどうこう出来る案件じゃねえよ。でも、安心しな。お前にはきちんと最後まで見せてやるから」
俺は先輩のその言葉の意味が、丸で分かっていなかった。
対策室が畳まれた数日後、先輩から出張するから着いてこいと言われた。黙って着いて行く事にした。県警から電車で1時間弱、そこからバスで30分ほど。
ここは今も変わらない風景だねえ。のどかでいいや。
でも、当時はこんな田舎に何の用かと疑問でいっぱいだったな。そして、俺は丁度ここ、この灰皿の所で、こうして先輩から話を聞かされた。
「いいか、幸三。今日はな、あの農村変死体事件を進めるために来た。上はお前にこういう案件を任せるのは早いって、そう言ってきたんだけどな。俺が是非にと、通した」
「……え?」
俺は一瞬意味が分からなかったが、頭が理解に追いつくと、直ぐに礼を言った。
「あ、ありがとうございます! でも、何でここなんですか? 件の村でもないし、一体?」
「まあ、分からねえのも無理はねえな。俺もそうだったし、ここへ連れてこられた奴はみんながみんなそう言う。きっとお前さんはこれから、自分の常識を疑う事が連続で起きるハズだ。でも、目を背けるな。それ(・・)は、実際にあることだ」
「それ?」
「呪術。だよ」
「……呪術? って言うと、夢枕獏の『陰陽師』みたいな?」
「俺はその作品を知らねえが、そんな感じだろうよ」
「ポケベルがあちこちで鳴っている現代で、そんな非科学的な事……」
「まあ、まだ信じなくて良いし、なんなら最後の最後まで信じ切れないかも知れん。だけど、俺たちが捜査するヤマの中には、こうした、常識の通じないものも、たまに紛れ込むんだ。その事を知ってくれれば、それで良い」
そう言うと、先輩はタバコを灰皿に捨てて歩き出した。俺は置いて行かれない様に、まだ残っているタバコを捨てると、後を追った。暫く歩いて、大きなお屋敷に着いた。そこには千羽と書かれた表札がぶら下がっていた。
「もし」
先輩が玄関口で人を呼ぶと、使用人だか、門下生だか、若いお兄さんが現れてな。客間に通してくれたよ。そこに現れたのは、千羽家の当主、千羽智喜様。まだ中年に足を踏み入れた位の年齢だというのに、凄まじい威厳のある人だった。先輩が状況を説明すると、智喜様は快く捜査協力を快諾してくれた。そして、奥から呼ばれた息子さんの智房さんがこの任務に当たる事になった。
智房さんは妙齢のイケメンで、何だか不思議なオーラを纏った人だった。サラリと長い白髪も何だか常人離れした雰囲気を醸し出す一助となっている様に感じた。
「では、三日後の土曜日じゃな。危険が伴う、智房だけで行かせて頂こう」
「ああ、それなんですが、ウチの幸三も一緒じゃ駄目ですか? 邪魔はさせませんので」
「まあ、いいが……命の保証は出来かねる」
「良いですよ。刑事なんて、いつ死ぬかわかったもんじゃないですし。ってなわけで、幸三、三日後に休日出勤と出張な。ちゃんと手当は出すから」
「え~っと。すみません。話について行けなくて」
「まあ、いい。三日後(検閲処理)駅で待ち合わせということで、どうでしょう」
※駅名は場所が特定される恐れがある為、検閲処理。
「ああ、はい。わかりました」
とそんな会話をした後、俺たちは帰った。
三日後、(検閲処理)駅で、俺は待っていた。暫くすると、次の電車で智房さんは現れた。
「お待たせいたしました。では、向かいましょう」
智房さんと2人、バスに乗り込むと、宿泊予定の旅館へ向かう。道すがら、黙っているのも何だか気まずくて、俺は話しかけた。
「あの日はちゃんと自己紹介も出来ずに済みません。県警の捜査官をしております。塙幸三と申します」
「ああ、これはご丁寧に。私の方こそ自己紹介がまだでしたね。呪術大家千羽家所属の呪術師千羽智房です。以後お見知りおきを」
話しているのに、静かな感じがして、人から遠いような不思議な感じがした。
「はい……あ、智房さんはずっと、この職に?」
「はい。産まれたときから、そう宿命づけられていたので」
「他にしたい事とかなかったんですか?」
「他、ですか。そうですね……。強いて言えば小説家とかですかね。本が好きなので」
智房さんは逡巡してからそう言った。バスは先を急ぐ様にガタガタ音を立てて、田舎道を抜けていった。
「本ですか。良いですね」
「本は良いですよ。色々な世界を見せてくれます。虚構も事実も様々に」
「分かりますよ。でも、読むだけで、書こうとは思わないな」
「私もです。でも、もしこうした力が無かったら、私は小説を書いてみたかったですね」
「やっぱり修行とか、大変なんですか?」
「ええ、まあ。私はあまり才能がある方ではなかったので。何とかしないとと」
「それなら、いっそ方向転換して、小説家を目指したら良かったのでは?」
「ああ、確かにそうですね。考えた事もなかった」
智房さんは名案とばかりに、手をパンと叩いてそう言った。
「話は変わりますが、言葉が悪かったらごめんなさい、謝ります。智房さん。俺、まだ呪術とか信じていないんですよ」
それを聞くと、彼はまあと呟き目を大きく開いた。
「幸三さんは正直な方なのですね。でも、大丈夫ですよ。信じろと言われて信じられるものでもありませんから。一般の方には見えない上に、私たち呪術者というのは、秘密主義ですからね。街の人もウチを只の地主と思っていますし」
「へえ。そう言うもんなんですか。てっきり、街の呪い師みたいな位置づけかと」
「そういったお家もありますが、ウチは違います。千羽家は戦闘向きで、お呪いみたいな事は出来なくも無いですけど、専門ではありませんし、なかなかに苦手なのです」
「なるほど。じゃあ、今回の件にはうってつけなわけだ」
「多少は信用して頂けたみたいで、嬉しい限りです。あ、あの宿ですよね」
智房さんが前を指さす。そこに見えた『宿屋山梔子』の文字。俺たちはバスを下車すると、そこへ向かった。
チェックインを済ませ、部屋に入ると、智房さんが小さく言った。
「居ますね」
と。
「居るって、まさか」
「ええ。それなりの奴みたいです。昼間でこれだけ分かりやすいのなら、まだるっこしい捜査は要りません。敵さんが動き出す夜まで温泉でも入って、待ちましょう」
そう言うと、本当に智房さんは浴衣に着替えて、俺をじっと見た。どうやら俺も一緒に行くものだと思い込んでいるらしい。
「しょうがないな」
聞こえない様に小さく呟いて、俺も着替えて着いて行った。
智房さんはそのまま宣言通り風呂へ入り、温泉まんじゅうを買ったり、露天でお団子を食べたり、しっかり観光を楽しんでいたよ。仕事が忙しくて、なかなか観光なんてしないのか、楽しそうだったのが印象的だったな。
そうして満足すると、宿に戻り、沢山買い食いをしていたくせに、豪勢な夕食をペロリと完食し、気がつけば夜が深くなっていた。
「幸三さん。おやすみなさい。私はそろそろ行きます」
俺は不甲斐ない事に寝てしまってな。夢現の狭間で、そんな声を聞いた気がした。その後、深夜3時に飛び起きたときには、隣で寝っ転がっていた智房さんの姿は無かった。一瞬騙されたか、逃げられたかと考えない事もなかったが、今日一日を共にして、何となくそんな事をする人じゃないと思えた。
俺は宿の玄関口まで出ると、彼の靴が無い事を確認した。きっと、戦いに出たんだろう。俺を巻き込むまいとわざと置いていったんだ。耳を澄ましたところで、交戦音の一つも聞こえない。わざわざ先輩が頼んでくれて、俺も息巻いてたってのに、寝てしまっていましたでは、情けないというものだ。それでも今からじゃ、いやそもそも何もする事が出来ない俺は、ただその玄関口に座って、彼の帰りを待った。
朝方まで待つかと思ったが、あっけなく、そうだなあ多分30分も待ってないんじゃ無かったかな。宵闇にポツンと白い影が見えた。白装束を身に纏った智房さんだった。彼は戻ってきた。手足に少し擦り剥いた痕があるが、いたって無傷だった。ただ、彼は尾てい骨の辺りに、トイレットペーパーのようなロール紙を取り付けていた。
「あれ、幸三さん。起きてらしたんですか」
「ええ、さっき。それより、何で起こしてくれなかったんです?」
「少し迷ったのですが、戦場に一般人を連れて行く訳にはいきませんし、それに、気持ちよさそうに寝ている人を起こすのは忍びないじゃないですか」
俺は、一般人と言われて少しカッとなったけど、気持ちよく寝ていたと言われては立つ瀬がなかった。
「すみません。それで、どうなったんです?」
「それより、先ずはお風呂に入って良いですか? 汗が気持ち悪い」
俺にとっては、妖をどうこうしてくるなんて言うのは一大イベントであるが、彼にとっては何て言う事も無い様で、只普通に、サラリーマンが帰宅する様に、先ずは風呂を求めたのだ。
「は、はは、ははは」
肩肘張ってヤマに臨んでいるつもりだったのに、何だか拍子抜けしてきて笑えてきた。
「何を笑っているんです? 詳細は後で話しますから、取り敢えず部屋で待っていて下さい」
そして、風呂上がりに再び浴衣を着た彼は、部屋に入り、席に着くと、説明を始めた。
「今回、暴れていたのは、「山操」という妖です。普段は温厚で、沢蟹なんかを捕まえて生活している、まあ、所謂山男みたいな中級~準上級といった程度の妖です。ですが、この近くの沢や山そのものに開発の手が加わり、蟹が捕れなくなっただけで無く、住み処も追われた彼は怒り狂った。と言うわけです。今回は滅しましたが、それも完全な人のエゴです。人の勝手で住み処を奪い、命まで奪った。妖は滅しても死ぬ訳ではなく、塵と成って地獄へ帰還するだけですが、その再生には100年掛かるのか、1000年掛かるのかはわかり得ません。何なら人の輪廻転生の方が早いかも知れない。今回は本当に可愛そうな事をしました。彼は文明の生贄となったのです」
「……」
「あ、と言っても責任なんて感じないで下さいね。貴方が悪いわけじゃない。それなら、村の人が悪いかと言えばそういう訳でもないんです。明治維新からこっち、世界は明るくなりすぎました。そんな世界に迎合する妖、そんな世界だからこそ生まれる妖も居ますが、彼の様に時代から取り残され、消えていく者が居るのは仕方の無い事なのです。私はそう思う様にしています」
「……これで、もう大丈夫なんですか?」
「はい。他に大きな邪気は感じませんし、ですが、この辺りの作物はもう育たないかも知れませんね。山操は山の神に通ずるという説もありますから。私も妖の研究家ではありませんし、詳しくは分からないですけど。山操の事を思えば、それくらいの罰はうけて然るべきだと、甘んじて受け入れるしかないですね」
「……そうですか。でも、すみません、どうしても俄に信じがたいのです」
「貴方も強情な人ですね。では、特別ですよ」
そう言うと、智房さんはボストンバッグから先ほど腰に付けていたロール紙を出し、それを驚くほど精緻な正方形に千切る。5枚ほど正方形の紙を作り出し、それをテーブルに並べた。
「瞬き禁止ですよ」
悪戯っ子みたいにそんな事を言うと、それら一つ一つを指で突く。すると、突かれた傍から紙が独りでに折りたたまれ、鶴の形になった。
「あ、ああ……」
俺は情けない声を出していた。彼は更に指を鳴らす。すると、鶴は生きているかの様に翼をはためかせ、中空を飛んで見せた。
「これで、少しはこの世に呪術がある事、信じて頂けましたか?」
「あ、ああ。凄い……綺麗だ……」
折り鶴が飛び交う様子なんて、初めて見たよ。凄く幻想的な光景だった。
ここで了いと、智房さんが柏手を一つ鳴らすと、紙は解け、元通りの紙切れに戻り、彼のボストンバッグに帰って行った。
「私の術は、紙操術と言って、こうして紙を操り、妖を倒すのです。どうです? いいでしょ」
彼は術を見せている間、始終宝物を見せびらかす様に笑顔だった。ああ、この人は本物だ。この人の言う事なら信じられると思った。
そのまま俺たちはぐっすりと眠り、翌日また(検閲削除)駅で別れた。別れ際、「あまり呪術の事は言いふらさないで下さいね。一応、掟で黙って居なきゃいけないものですので」と釘をさされたよ。
――とまあ、その時はこんな事があってな。それから変な事件の時は相談に乗って貰ったり、手伝って貰ったりして、今に至るってわけだ」
吸い殻を灰皿に捨てると、歩き出した。
「そんな事があったんですね。知らなかった……」
「そりゃ、こんな事件、公表出来ないからな」
「でも、俺に話しちゃって良かったんですか? 釘を刺されていたのに」
「まあ、お前も今日知る訳だから良いんだよ」
「それと、もっと智房さんの事を話して下さいよ。その人、当時の当主様の息子さんなら、現当主になっているんですかね?」
「いやあ実は、事件後はちょくちょく連絡を取り合ってたんだがお互いに忙しくなったのか、連絡が途絶えててな。何となく風の噂で、娘が出来たとか聞いたが、それも本当か」
「じゃあ、今日は感動の再会という訳ですね」
「そうなると良いなぁ。ああ、そうだ。あと、今から向かう千羽家ってのは、呪術者の中でもトップクラスの名家だ。失礼の無い様にな」
「……はい」
と、話が面白かったので、結構のめり込んではいたが、修一は正直気味が悪くなっていた。できるならば、もう引き返したいほどだった。でも、話を聞いちゃったからには、もう逃げられないんだろうなぁと、気持ちは既に諦めていた。
すっかり葉桜となった桜並木が田んぼの景色に変わり、そして、その目の前には千羽家が見えてきた。
「でけぇ……」
思わず修一がそう漏らした。それを横目に小さく笑うと、幸三は門を開いた。
智房との再会を期待して。
今週もどうもありがとう。
来週もどうぞよろしく。




