2話 手の内
すっかりと緑を取り戻し、夏の到来を待ちかねる様に、枝葉を伸ばした木々が茂る山を、真っ赤に染めながら太陽が落ちた後、智鶴たち呪術者と妖の時間が始まる。
深夜0時。妖の邪気は感じないものの、パトロールをしに行かなくてはならない為、家を出る準備をする。智鶴は久しぶりにジャージの上から紙で出来た和服――紙服――を着てロール紙を背負い、巾着を腰に縛り付ける。百目鬼は腕の包帯を解き、ノンスリーブで暗い紫色の戦闘服に着替えて、2人は家を出る。
暫く歩くと、空に一匹の青い蛟が現れた。
咄嗟に智鶴が巾着から紙を抜き、戦闘態勢に入る。それを横目に、百目鬼はやれやれと首を振った。
蛟から青い人影が飛び降り、「やあ」と右手を掲げた。
「出たな! 妖! 滅してやる!」
「やっと謹慎を開けてきたと思ったら、そんな事しか言えないの? もっと、言う事あるよね!?」
「無いもん」
構えを解くも、竜子をにらみつける智鶴。
「もんって、この、現代風市松人形が……」
「現代風市松人形ってなによ~~」
「その変なおかっぱとも何とも形状しがたい微妙な髪型のことだよ!」
「~~~!! なら、アンタのその長い髪はどうなのよ! 不潔じゃない!」
「古来より、女の長い髪は霊力の象徴だよ。この業界じゃ短い方が珍しいくらい」
ポニーテールを、右手の甲で誇らしげに靡かせならがら、そう言う。
「ぐぬぬ。ああ言えばこう言う~~」
バチバチと飛び散る火花を振り払い、百目鬼は「はぁ……」とため息をついた。
「2人とも、そこまで」
2人は声のした方へ、首だけぐるんと向けた。
「なんで止めるの? 滅さなきゃ……はぁはぁ」
智鶴の体から、邪気ではないかと思われる様なオーラが漂っている気がした。
「コイツ、なんなの? もう、怖いんだけど!」
「智鶴、智喜様の決めた事。竜子も、言い言葉に買い言葉、良くない」
「でも……」
「だって……」
百目鬼はもう一度ため息をついた。
「今日は、これからの、ため、手の内、明かそう」
鼻ヶ岳の入り口、参道の石段にて、何とか熱を冷まさせた2人を座らせ、百目鬼は話を始めた。
「私の手の内をこの女に教えろっての? 嘘でしょ」
「も~。いつまでも子供みたいな事言わないの」
竜子が腰に手を当てて諫める様に言う。
「誰のせいだと思っているのよ。誰の!?」
返り討ちに遭い、竜子が申し訳なさそうに俯く。
「智鶴。落ち着いて」
なかなか智鶴の鼻息が収まらないが、百目鬼は話の先を続ける。
「これから、俺ら、3人で、戦う事になる。そうなると、手の内、知らないと、共闘、しづらい」
「確かにそうね~。じゃあ、私から見せていこうか?」
「お願い」
流石は年上と言うべきか、自分がまいた種という自覚あっての事か、竜子は百目鬼の考えを汲んで、智鶴を眼中から外した。
「私は、契約術を使うんだ。って、そこまでは知ってるよね?」
「うん」
「契約術ってのはね、妖と自分の間に、主従の関係を結ばせて使役する術なの」
「それって、式神使いとは違うの?」
百目鬼の言葉を反芻し、何とか冷静を取り戻したものの、まだ腸の底を煮詰めている智鶴だったが、自分を置いて話が進むのが面白くないという気持ちが勝ったのか、話に参加してくる
「式神使いとは違うかな。式神は依り代に実体を移して、霊体となった式神を操るんだけど、契約術ってのは、そもそも実体のままなの。だからもしも倒されちゃったらそこまで。もうその子は地獄へ還っちゃう」
因みに霊と妖の差は、実体を持つか否かだ。霊が妖となると実体を持つ様になるという訳である。しかし、実体を持ったとて、限りなく霊に近い存在であるから、普段は霊視が出来る者で無いと見えない。
「命懸けなのね。因みに今、美夏萠意外に契約している妖はいるの?」
「いるよ~」
そう言って竜子が手を叩くと、彼女の周りに妖が姿を現す。それを目にした智鶴は、体が疼いてしょうがなかったが、何とか堪えていた。
「先ず、お馴染みの美夏萠でしょ?」
美夏萠が空で体をくねらせた。よろしくとでも言っているのだろうか。
「で、こっちがマドちゃん。マドウメって言う幻術を見せられる妖なの」
竜子の頭の側でふよふよ浮かぶ目玉付き球体を指さす。
「ああ、苦労、させられた」
百目鬼は戦闘を思い出したのか、苦い笑いを浮かべる。
「あと、伝令用の天・空・ムーニー」
と、紹介されたのは、鷲と鷹とカヤネズミの妖だった。
「「「よろしく」」」
天・空・ムーニーが声をそろえてそう言う。
「驚いた。話せるほど上級の妖なの?」
「上級というか、伝令用だからね。話せる様に術を施して、教育してあるの」
「そんな事出来るのね」
智鶴の天秤はムカつきよりも興味と好奇心に傾いたのか、百目鬼よりも前のめりになって話を広げた。
「うん。でも、私はあんまり妖を傷つけたくないからさ、伝令用でも無い限り、人の都合で契約印以外の術は施さないようにしてるの。なるべくありのままでいてほしいからね。で、最後はくさりん!」
竜子の手には農業用の鎌に鎖が付いた、所謂鎖鎌が握られていた。
「道具?」
百目鬼の疑問も当然で、妖らしくないというか、只の古道具にしか見えなかった。
「いや、付喪神なんだけどね~。コラ~くさりん! 起きなさい!」
付喪神とは、100年以上経った器物に魂が宿り、妖化した存在である。
その付喪神であるくさりんを、ペしペし叩く。すると、刃の付け根辺りにくりっとした目が開いた。そして、辺りをキョロッと見回すと、智鶴たちに気がつき、咄嗟に竜子へ絡みつく。
「いや~この子、対妖ならしっかりしてるんだけどね~。人見知りが激しくて……。特に女性なんて私以外直視出来ないんだ。ははは」
智鶴は何だか親近感が湧いた。
「だから、こんなに戦闘向きなのにこの間は使ってこなかったのね」
「そういうこと。あと、因みにだけど、普段はみんな隠形しているだけで、常に私の周りには居るんだよ。ただ、その隠形が強力すぎて、姿を消している時は隼人君にも気がつかれないほどだけど」
「……隼人くん?」
先ほどまでは機嫌の良かった智鶴が訝しげに小さく呟いたが、2人には聞こえていない様だった。
「他には? 符術とか」
実際に符術を食らった百目鬼が、智鶴にも共有しようと、話を振る。
「ああ、もう残り少ないけど、妖封じとか、木火土金水それぞれの呪符は持ってるかな」
「木火土金水、なら、中国の、陰陽思想、譲り? 大本が、陰陽師、とか?」
木火土金水というのは、中国の陰陽五行説における、万物の元素である。
「その辺はよく知らないんだけどね~。これは基本だからって、お母さんに叩き込まれてて。と言っても、呪力流して投げるくらいしか出来ないけど」
戦闘服が狩衣を模しているところから、源流が陰陽術にあっても不思議では無い。
「そうなんだ。自分で、書いてる? それとも、買ってる?」
札を買うか、自分で書くかというのは、呪術者の定番トークである。
「自分で構築は出来ないな……。猫柳様に仲介を頼んで、買ってたよ」
「猫柳だと、ひょっとしたら千羽製かもしれないわね」
「ああ、ごめんね。販売元までは分からないの」
申し訳なさそうに竜子が頭を掻く。
「そうだよね。手の内、まだある?」
「もうないかな」
手品師のように掌を広げて見せながらそう答えた。
「じゃあ、次は、俺で」
百目鬼が順番を引き継ぐ。
「俺は、百々(ど)目鬼の、先祖返り。見ての通り、腕に眼がある」
「おお。間近で見ると、結構凄いね。睫とかはないんだ」
「うん。まぶたはあるけど」
「百目鬼の千里眼は凄いのよ~。敵の位置なんて直ぐに捕捉しちゃうんだから」
智鶴が胸を張ってそう主張した。
「なんで、智鶴が、得意げ、なの」
「いいじゃない。別に」
「そう、今智鶴が、言った、通り。俺の、能力、千里眼。普段は、呪いの包帯で、抑えてる」
「千里眼以外には使えないの?」
因みに千里眼はただ遠くを見るだけの技でなく、この技を使える者は透視に、気配読み、急所捕捉等が出来る。ただ、百目鬼はまだ発展途上であり、気配読みと急所捕捉しかできない。
「これ、以外、だと、符術と体術」
「そう言えば使ってたね」
「でも、符術は、智喜様のしか使えない」
「何で?」
「俺、殆ど、妖力で、霊力由来の、呪符、使うのは、苦手」
「なるほどね~。濃いんだ」
「そう」
濃いと言ったのは、妖の血の量である。ただ先祖返りと言っても、その身に力を宿している者と、取り憑かれているような状態の者が居る。百目鬼は前者であり、その中でも特に妖の血が濃い部類である。
「千里眼、体術、符術でOK?」
「うん。じゃあ、最後、智鶴」
自分の番が回って来た智鶴は、顎に人差し指を当てて、どう話そうか逡巡した後、「本当は話したくないのよ?」と前置きして、説明を始めた。
「私は知っての通り、紙操術師よ。紙なら何でも操れるし、最近気がついたけど、紙にくるんだりしていれば、一緒に操れるみたい。でも、紙以外は操れない」
「操るって、具体的には?」
「浮かす、切る、刺す……。と、紙の性質を私の力で強化する感じね。紙で手を切った事あるでしょ?」
「ああ、なるほど」
「でも、だからこそ水には弱いし、燃やされたら灰になるわ」
智鶴が巾着から一枚の紙を抜き取り、宙で離すと、それがそこに固定される。続けざまにそれをチョンとつつくと、ぱたぱたと折りたたまれて鶴の形を成し、生きているかの様に羽ばたいて見せた。
「おお~。器用なものだね」
「浮かせられるのも、今はまだ20枚までの制限があるけれどね」
「20枚?」
「そう、おじいちゃんからそれ以上は霊力の消耗が激しいから止めろって」
「でも、かなり霊力値高いよね? 大きな紙も操ってたし」
「……? そうなの?」
「智鶴は、かなりの、方」
「試しに限界までやってみたら?」
「でも、おじいちゃんに止められてるし、やめとくわ」
「……そう」
竜子は首を傾げた。祖父に止められているだけで、自分の力量を知ろうとしない智鶴が不思議だったのだ。
「あと、最近だと、大きな紙で飛ぶ練習とか、紙を足場にして高く飛び上がる練習とかもしてるわ。もう少しで実戦でも仕えそう」
「使えそうって、使ってたじゃない」
「あれは思いつきでやっただけよ。あの時は紙に立ってるのがやっとだったから」
「そうだったの?」
「ええ。実はね」
「てっきりいつもしている事かと」
「基本、智鶴は地上。あと、智鶴、極端に、気を読むの、苦手」
「それで、二人一組なんだ」
「そうなの。百目鬼とは10年近く一緒にいるわ」
「へ~。幼馴染みなんだね。あと、気になってたんだけど、その服どうなってるの?」
「これ? これは紙服っていって、私が作ったの。主に防御用だけど、袖を鋭利にして隠し刀みたいに使ったり、紙を使い切った時には千切って投げたり、色々ね」
「それを羽衣みたいにして飛べないの?」
竜子の脳内で、智鶴が天女の如く宙を舞っていた。
「それは……多分脱げて落ちるのが目に見えているわ」
落ちる自分を想像したのか、少し顔を青くして、自分を抱きかかえる様なポーズで腕を擦る。
「難しいんだね」
「他に聞きたい事はあるかしら?」
「その紙だけど、何なの? コピー用紙? 和紙?」
「ああ、言い忘れていたわ。この紙は千羽家オリジナルで、主に呪符を作る時に使われる、霊力伝導の良い紙をベースに、微調整をして作られているの。質感としては和紙寄りのコピー用紙って感じ」
「流石は大家ね。お金のかけ方が違うわ」
「必要なものに、必要な対価を払うのは当然よ」
「そうだね。っと、こんなもんかな? 隼人君。これで良い?」
「そうだね。こんなもん」
「じゃあ、強い邪気も感じないし、パトロールして帰りますか~」
座りっぱなしで疲れたのか、竜子が伸びをしながらそう提案する。
「何でアンタが仕切ってるのよ!」
折角良い雰囲気になってきたと思っていた矢先、また火花が散る気配を感じて、百目鬼が特大のため息をつく。
「仕切ったつもりはないよ。もう、何でもつかっかってこないで。疲れちゃう」
「ぐぬぬ……」
自分の売り言葉を買ってこない竜子に、どう出たものかと智鶴は唸りながら睨みつけていた。
帰り道、竜子と別れてから、智鶴は百目鬼に問いかける。
「私が居ない間、どうだった?」
「いつも通り、だよ?」
「あの女に何かされてない?」
「大丈夫。竜子、割とセンス、良い。戦力になる、ね」
「何であの女の肩を持つの?」
智鶴は怒りとも取れる表情で語気を荒らげる。
「肩をもつ、というより、事実」
「屁理屈よ。は、隼人君なんて呼ばれちゃって。嫌らしい」
とどのつまり智鶴は、自分がいない間に仲良さそうな雰囲気になっている2人が、面白くなかったのだ。
「嫌らしい、って。呼び方、なんて、どうでも、いいだろ」
「良くないわよ。良くない……」
智鶴の語尾がフェードアウトしていく。そしてついに家に帰るまで、一言も発さなかった。
百目鬼にもこのスリーマンセルをどうして良いのか分かりかねていた。
こんばんは。読んで下さりありがとうございます。
それではまた来週。