9話 路地裏に少女が2人
――これは蝶ヶ(が)澄幻望が鶯谷と戦っていたときの事である。
「へー。流石は元五家ね。よくやるわ」
「うん。呪力の、流れも、滞りない。相当、鍛えてる」
「おいおい、お前ら、あんま乗り出すなよ。バレるぞ」
完全な隠形をかけているのか、一切気配を感じさせない3人の人影が少し離れたビルの上に居た。
「敵はトリツキね。厄介だわ。こっちにまで被害がこないといいけど」
1人が腕を組みながらそう言った。
「お、おおおお! すげーなー、一瞬で間合いを詰めたぞ」
「あれ、どうやって、るのかな? 鱗脚さん、みたい」
残りの2人は夢中になって戦闘に食い入っている。
「うわっ」
迫り来る針金を、無意識に紙で防いだ。
「さっさと倒しちまえよな~」
「なんだ、かんだ、隙のない、敵」
「そうね、でも……加勢が来たわね。ふうん……。もう決着は付いたわ。行きましょう」
その影たちは闇に紛れ、去って行った。
*
路地裏で蝶ヶ澄幻望が捕まっていた。
(クソッ。なんやこれ、紙なのに千切れへん)
藻掻けば藻掻くほどに、キツく縛り上げられていく様な気がしてくる。
「初めまして。蝶ヶ澄幻望。大人しく縛られてくれて、嬉しいわ」
闇の中から声がした。運動靴でアスファルトを蹴る音が少しづつ近づいてくる。
(昨日といい、今日といい、とんだ厄日や……いや、厄ウィークやな)
暫くすると、季節感のない白いモッズコートを来た少女が、闇の中から進み出てきた。その人物は、面識はほとんどないものの彼の知っている人で、つい先日近畿に入り込んだと言われていて、近畿中に捜査網が張り巡らされているハズの人物で――
「白鬼!!」
幻望は縛られた怒りと、敵意を込めて相手の名を怒鳴った。
「あら、その名で広まっているのね。なんだか恥ずかしいわ。私の名前は智鶴って言うの。よろしく」
「お前の名前くらい知っとるわ! 元五家議会第伍席、千羽家。その次女やろ! 何をしにきた、俺に手ぇ出すんなら、それは戦争の引き金を引くことになるんやぞ!」
「まあまあ、落ち着きなさい。私は破門された身……何をしようと戦争にはならないわ。あとね、私たち、今は折鶴って名乗ってるの、素敵でしょう? まあ、そんな前置きはどうでもいいわね。私の名前と元の身分を知ってくれているのなら話が早いわ。取引しましょう?」
「取引……?」
腕を組み、見下されるその顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「今更何を。お前らが勝手したせいで……」
「私たち? 悪いのは物部でしょう? 本質をねじ曲げないでほしいわ。というか、今アイツらと手を組んでるあんたら蝶ヶ澄のが、よっぽど“悪い”んじゃ?」
智鶴は睨めつけるように、幻望の双眸をじっと見つめる。
「そ、それは」
「口答えしないで? 今の立場を理解しなさい?」
智鶴の凄みに、幻望は視線を逸らせずに居た。否、逸らしてはいけないと、本能が告げていた。
(くそ……。この糸、切れる自信が無い……。でも、逃げんと……)
夢見灯籠 崩は術に取り込まれた際に効果を発揮する術だから、物理的な拘束には効かない。それに匕首を振れないことには、有効な術を発動することができない。なんとか匕首が抜けたとしても、今この糸を断ち切れるとは思えなかった。そういった事実の積み重ねが、急く気持ちに拍車をかける。だが。
(ああ、こりゃ、無理やわ)
急く気持ちが募り、イライラがピークに達した幻望は、ぷつりと何かの糸が切れた。
「……はぁ。まあ、ええで? 話だけでも聞こか」
諦めの言動は、心に余裕を持たせるのだった。
*
「あれ? 幻ちゃん? あんな所に座って、何をしているの?」
幻望が捕まっている路地の入り口で、黒い着物姿の少女がふと足を止めた。少女は状況が理解できないまま、そそくさと隠れると、顔だけ路地に突き出して様子を覗う。
「話しかけようかな~ふふ。急に声かけたら、びっくりしちゃうかな」
などと、浮かれた独り言を呟きながら、暗い路地を見つめる。
「よく見えないなぁ。う~ん。……って、うそ、あれってもしかして白鬼!?」
路地が薄暗くてあまりよく見えなかったが、幻望の正面に白髪の少女を見つけた。派手髪が流行る昨今、珍しいとは言いきれなかったが、その少女は霊気までをも含め、あまりにも白すぎた。
どうやら幻望は悪しき白鬼に捕まり、尋問を受けているようである。どこでだったか忘れたが、“白鬼は悪鬼羅刹である”と聞いたことを思いだす。噂が本当なら、早くしないと殺されてしまうかもしれない。
少女は意を決して駆けだした。
*
「お前、それ、ほんまか?」
「ええ、わざわざ敵地に来てまで嘘を吐くメリットって、あるかしら?」
「……」
智鶴による取引が続いていた。目の眩むようなメリットを提示された幻望は、身辺のあれこれを天秤に掛けて、回答を迷う。出すべき答えが見つからないまま喉の奥で言葉が詰まり、どうしようもなくて押し黙らざるを得ない。
「白鬼! 幻ちゃんから、離れなさい!」
静寂を破るように、声が木霊する。
突如として現れた少女が、智鶴に人差し指を向けて、意気揚々と、でもどこか戦々恐々とした声を上げた。
智鶴が驚き、顔を上げると――そこには、黒い着物を着た自分が立っていた。
「え?」
「お前!」
智鶴と幻望の声が重なる。
異常事態を察知し、智鶴サイドの闇の中から、一組の男女が加勢に現れた。
「智鶴、何が……って、智鶴が、2人?」
「2人は、2人だけど、どう見ても偽物はあっちだよな。智鶴、紋付き以外で黒い服を着てるとこ見たことないし」
「う、うん」
現れた2人組は、もう一人の智鶴に驚きはしたが、らしくない服装という余りにおざなりな擬態に、違う意味で動揺が隠し切れていないようだった。
「お、お前ら、何もんだ! 妾の変化に驚きもしないどころか、甘く見やがって!」
「何もん? って、俺は、折鶴、傘下、百目鬼隼人だ」
「同じく、神座栞奈だ!」
「お、折鶴ってことは……やっぱり、本物の白鬼だったのか!」
少女の足がカクカクと震え始めた。
「あら? 自信もないのに飛びだしてきて、決めつけたのかしら? 元五家といえども、躾がなってないのね」
「うるさい! 家の事を悪く言うな!」
偽智鶴は地団駄を踏んで抗議した。
「お? 智鶴、アイツ知ってんのか? おい、お前! わっちらに名乗らせたんだ、お前も名乗るのが、筋ってもんだろ」
「うう~知ってるくせに~。
黒い少女は、悔しさを全身で表現しながら、自己紹介の言葉を吐き出した。
「妾は、玉梓家が長女、玉梓黒姫だ!」
元五家議会の跡取り候補たり得る存在が3人も揃った現場に、不用意に手出しできないと踏んだ百目鬼と栞奈の動きが固まる。
「それより、幻ちゃん! なにしてんの? いつもみたいに、匕首でどうにかしちゃってよ! なんで大人しく捕まってるの~」
幻望を縛る糸を解こうと、必死になってそれを引っ張る黒姫。
「五家って言うから、一瞬びびっちまったけど、なんか、可愛いお嬢さんだな」
「うん。癒やし、だね」
「くそが~~~。もう怒った! 狸幻術! 木の葉の宴!」
どこからともなく木の葉が現れる。さすがは元五家の跡取り。物理法則を無視する術を扱えるほどの才覚があるようだったが……。風に躍らされ縦横無尽に飛び回った余りにも鋭利なそれは、辺りの壁に傷を付けるも智鶴たちには間一髪すら触れなかった。
「どこ狙ってんのよ。こういう呪術の痕跡を最小限に抑えるのも、呪術師の勤めでしょ!」
「嫌い! お前ら、全員、大っ嫌い!!」
術が上手くいかなかったことを智鶴に諫められ、お嬢様のお怒りは頂点に達したようだった。
「……」
幻望は一言も声を発さず、機を覗う。ただ静かに静かに、冷静な目で状況を見つめる。
「狸幻術 狸寝入り!」
黒姫のかざした手の前で。二枚の葉っぱがくるくると回る。
「それが、な……に……」
智鶴は急激な睡魔に襲われ、その術の効果を悟った。
(今や!)
幻望は智鶴の紙糸に込められた気が弱くなるのを感じとるや否や、腰の匕首を抜き取り、それを切り裂いた。
「やれやれ。黒姫のへっぽこ幻術も、たまには役立つんやな」
「幻ちゃん! 良かった……って、へっぽこって何!?」
黒姫は怒りつつも、幻望の腕に自分の腕を絡め、すり寄っていった。
「ああ、そんな悪口言うところも好き」
完全に自分の世界に入り込んでいる。
「完全に油断したわ。あ~あ。これって、交渉決裂かしら?」
眠気を感じただけで、眠ることはなかった智鶴は、幻望が攻勢に出てもいいように呪力を練りつつも、会話を続けた。
「いや、俺にも考える時間が欲しいだけや」
「でも、ここで逃がすわけにも行かないのよね。こうしてアナタと話すタイミングを伺うのに、何日も要してしまったの。ね? 分かるかしら?」
智鶴からゆらりと鬼気が立ち上る。それを感じとった幻望は、殺気を纏った。
「黒姫、悪いこと言わんから、ちょっと離れててな」
ゾッとするような殺気を感じ、黒姫が大人しく一歩引き下がる。
幻望と智鶴が対峙し、百目鬼と栞奈もいつ助太刀が必要になるか分からないと、臨戦態勢に入る。
「夢見灯籠!」「紙鬼回帰!」
2人の声が再び重なった。
*
その頃、蝶ヶ澄家は大騒ぎになっていた。
客間には蝶ヶ(が)澄眞名をはじめとして、弟の宵月、その他奉公人達がひしめき合っている。
「大阪市内に強烈な鬼気だと!? 全く、こんなときに幻望は何をしているんだ!」
「ま~ったく、使えない駒で困っちゃうよね~」
姉は怒りの声を露わにし、弟・宵月は嘆息を吐いていた。
そこに、当主の千早が現れる。
「これは、緊急事態の可能性もありんす。2人だけでも、先に行ってくんなし」
当主が幻望の帰りを待たず動くよう、2人に命じた。
ここまでにも幾度か紹介してきたが、蝶ヶ澄家は門下を持たない一族。有事の際には、人手が足りない――かと思われたが、家事全般を行っているだけのハズだったお菊たち奉公人が拳銃や刀などを手に、戦闘準備を進めていた。
流石は五家の一角を担っていた家だけはある。その家に居る者はもれなく、力を有する者だったのだ。
「残りのみんなは緊急時の援護として、各自状況を判断して行動してくんなし」
「はい!」
奉公人達も、眞名と宵月の後を追って、家から出て行った。
「ご近所様にはバレないように、お願いしんすよ~」
前しか見えていない家の者たちに、千早の声は届いていなかった。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございます。
今日は休日出勤しているハズなので、このあとがきを書いている紅茶さんは月曜日の紅茶さんです。みなさんどんな1週間だったんでしょうか? と週初めの紅茶さんからの問いかけです。
みんなが答え始めたところで、すかさず、また次回!!




