6話 兄弟姉妹
コンコンと2度ノックしてから、部屋の扉を開ける。
窓辺に佇む黒髪の少女がこちらに振り向いた。
背後の窓から吹き込む一陣の風が、彼女の髪を弄ぶ。
肩の辺りで切りそろえられたそれが、顔にかかるのをこそばゆそうに手で制止する様は、なんとも清楚な可憐さを表し、見るものを釘付けにする。
「体はもうええんか?」
蝶ヶ(が)澄幻望がやさしく問いかけた。
「兄さん。うん、少し元気になったから帰ってきたよ」
「そうか。良かった」
その少女は名前を蝶ヶ(が)澄叶枝という。蝶ヶ澄家の次女で末っ子。生まれつき体が弱く、何度も入退院を繰り返している。先日も体調不良が続き、検査と療養を兼ねて入院しており、今日ようやく退院してきたのだった。
彼女は生まれながらに霊力欠乏症という病に苛まれていた。
呪術師一族では、希に霊気が薄弱で、一切扱えない子どもが産まれる。生きとし生けるものの生命エネルギーとも言える霊気。森羅万象の全てに宿るそれが微弱に生まれてくるというのは、そもそも命が儚いことを意味する。
このような子どもが生まれてくる原因は、ハッキリとしていない。それは霊医学士の少なさが原因である。そもそも表の人間よりはるかに少ない呪術師の中でも、ほんの一握りの一族しか霊医学を扱っていない。もちろん魔術呪術管理局にはそういった研究機関が存在し、日夜解明を目指し研究に明け暮れているが、現在物部側についている蝶ヶ澄家には、何が解明されたとて恩恵はない。元々は千羽家傘下・吹雪会に所属する牡丹坂製薬の薬と医術に頼ってきたのだが、五家の繋がりもなく、東西に派閥が分かれてしまった今、薬を手に入れる手段がない。
今回の入院だって、表の病院でできる限りの治療を受けてきたに過ぎなかった。
「ごめんな。兄ちゃんが弱いから……」
「ううん。兄さんのせいじゃないよ。たまたま私が弱く産まれただけ」
「いや、俺が強かったら、今頃……」
「それ以上は、ダメだよ。私たちは呪術師の一族なんだから。当主の意向は絶対でしょ?」
叶枝に取られた手に伝わる冷たい感触に、心臓がゾクッと跳ねた。
「せ、せやけど……」
「きっとまた時代が動けば、牡丹坂さんの薬も手に入るようになるよ。それまでの辛抱だから」
「……関西にも、きっと良い腕の霊医学士がおるはずや。兄ちゃん、絶対見つけ出したるからな」
現状裏の世界において、霊医学士の頂点に立つのは牡丹坂家である。なかなかそれに相当する一族は、魔呪局という機関を除いていない。いても、町医者と同等かそれ以下の研究体制しか有しておらず、薬や新技術が流れてこなくなった西日本では衰退の一途を辿っているのが現状である。
「あ、姉さん……」
開けっぱなしにしていた襖の前を、長女の眞名が通りがかった。彼女は横目でチラリと中を一瞥したのみで、まるで誰も居なかったかのように顔色一つ変えず通り過ぎていった。
「あいつ、まだ……」
「いいの、いいんだよ。……私は、戦力外だから」
暗殺を生業とする蝶ヶ澄家ににおいて、“戦えない”というのは“居ない”ことと同義だった。女中のように家事を行うことすらできない叶枝は、眞名と宵月にとって、産まれてきていない知らない人だった。幼い頃は分かりやすく侮蔑の言動を向けていた彼女も、大人になるにしたがって、言葉にすることはなくなった。それでも仲が良くなるわけではない。蔑む心は残したまま、ただ居ない者として扱うようになっただけだった。
「叶枝様、横にならなくてよろしいのですか?」
壮齢の老紳士が部屋に入って来るなり、心配げな声を上げる。
「じいや。まだ大丈夫よ。今日は元気だもん」
叶枝にとっては、幻望だけが家族。
それと、幼い頃から自分に付いてくれている「じいや」。この2人だけが、気の許せる相手だった。
幻望もまた同じで、息が詰まるような血なまぐさい家の中、叶枝の側だけは血のにおいが薄く、息ができる場所だった。眞名には「そんなだから、お前は弱い」とよく言われるが、自分の弱さは自分のせいであり、これが原因なら弱くていいと、彼は心からそう思っている。
「ほな、そろそろいくわ。ゆっくり休むんやで」
「うん。がんばってね」
妹の声を背に受け、襖を抜ける。
「あ、幻望」
「母ちゃん」
そこには、母の千早が立っていた。どうやら今はオフの時間らしく、私服を着て、髪も解いている。
「そ、その……。叶枝はどうでありんした?」
「どうって、自分で確かめりゃええやん」
「それは……」
腕を抱え、モジモジと言葉を探す。今、娘の治療が上手くいっていない一端が自分にあると自覚あってか、どんな顔をして会えば良いか分からないようで、面会を避けているようだった。
「はぁ……元気そうやったで」
「……!」
うつむいていた顔を上げ、晴れやかな表情を見せる。
(そんな顔すんねやったら、会ったればええのに)
母の気持ちも、当主の気持ちも、分からなくない幻望は発言を控え、その場を去った。
*
「きょっうも~がんばるぞ~。修行や~修行~」
古田整骨堂も一応霊医術師の一族として、骨以外も多少は診られるらしく、昨夜ボロボロになった体も夕方頃にはすっかり元気になっていた。
ガチャンと音を立てて、意気揚々と修練場の扉を開けると、先客が居た。
「おお、おまぬけさんじゃないか。昨夜はぼろぼろだったなー。あーはずかし」
「うっさい、暗殺者崩れ~兄様に会って開口一番それか? 頭を垂れろ! 頭を!」
「俺が頭を垂れんのは、母様と眞名姉様だけだ、バーカッ。お前は叶枝とままごとでもしてろ!」
顔を歪めて悪態をついてきたのは、次男の宵月だった。特製の大太刀を模した木刀を振っている最中だったようで、兄をみつけるなり突っかかってきたというわけである。
「減らず口だけはいっちょ前やなぁ。そんなデカ物振り回して、暗殺者語るとか、あ~恥ずかしいのはどっちやろなぁ」
「やんのか?」
「やってやろうやないか」
売り言葉に買い言葉とはこのことで、幻望もまた、特製の匕首の木刀を握ると、正面に対峙する。
「1本でも入れられた方の負けや。シンプルでええやろ」
「構わねぇ。泣いて詫びても知らねぇからなぁ!」
先に飛びだしたのは宵月だった。
「暗殺術 月輪!」
昨夜見せた回転斬りが初手であった。
(ようこない重いもんを軽々と……。でも、それが弱さや)
幻望は飛び上がって回避する。それを好機と、宵月は「半月!」と叫び、斬り上げてきた。切っ先が兄を捕らえる。だが空中で翻ると、器用に避け、着地した。
「瞬脚」
地面に足が付いた瞬間、高速移動で背後を取る。取ったつもりだった。
「暗殺術 空蝉」
目の前の宵月が煙に消え、そこには一房の太刀が突き立てられていた。
「これで終わりだ~ 流星!」
空中から地面に向かって、鋭い突きが繰り出される。
「夢見灯籠 しだれ桜」
突きの先にいた幻望が煙に消え、辺りは暗くなり、1本の立派なしだれ桜が現れた。
「チッ。どこに隠れやがった」
宵月は身代わりにしていたもう1本の木刀を掴むと、周りを見わたし幻望を探す。
その時、春一番を思わせる強風が吹き荒れ、枝が煽られると、花吹雪が舞い散った。それは、風に乗った途端、鋭い鉄片に姿を変え、宵月を襲う。
「クソがッ」
幻術と分かっていても、切り傷の刺すような痛みが全身に走る。
風が吹き止むと、景色がかき消え、元の修練場が表れた。同時に傷口も消え、痛みも引いたのだが、どこか痛みが残っている気がして攻撃を受けた部分がまだ熱を持っている。
「ここまでや」
体勢を取り直そうと、両手に力を入れた時だった。背後から首筋にスッと木刀の刃を当てられた、そこにヒヤリとした感触を覚え、自分の負けを悟った。
「あーーーーークソだ、クソだ、クソだ。クソッたれ」
宵月は兄の腕の中で悪態をつきながら、駄々をこねるように暴れた。
面倒になった幻望が解放してやると、そそくさと出入り口まで向かい、くるっと振り返る。
「次はねぇからな! 覚えとけ!」
思いっきり下まぶたを引っ張り、精一杯のあっかんべーを見せると、乱暴に戸を閉めて出て行った。
「なんやったんや、あのクソガキ……」
幻望は付き合いきれんと首を振って、トレーニング室へと向かった。
どうも!暴走紅茶です!
今回もお読みくださり、ありがとうございます!!
気がつけばもう11月。はやいもので年末に差し掛かってきましたね。皆様にとって2025年はどんな年だったのでしょうか?……気が早いですね。今年の残りも、悔いなく書き続けていきたい……所存……うおおおお。
と、雄叫びを上げたところで、また次回!!




