5話 情けない勝利
(もう一度切り裂くために、隙をつくらねば!)
蝶ヶ(こ)澄幻望は、自前の脚力で鶯谷穣次の素早い攻撃を避け続けていた。瞬脚を使って再度飛び込んでも良かったのだが、1度見せた技術が2度通用するか自信がなかった。幾度も幾度も避けては弾き、避けては弾き、つばぜり合いも何度か起こった。
「あーもう! これやから対面戦闘は~」
そんな攻防の末、最後の攻撃と構えた時だった。
「おい、幻望。何をしている?」
ここに居るはずのない、凜とした声が降ってきた。
「ね、姉ちゃん!?」
驚き仰ぐ視線の先、信号の上には、幻望の姉・蝶ヶ(が)澄眞名が立っていた。
「あ、兄ちゃん。やっぱ対面戦闘してる。マジうける~。ザコじゃ~ん」
そのすぐ隣、青い道路案内標識の上で器用にしゃがんでいるのは、4つ下の弟、蝶ヶ(が)澄宵月だ。
「宵月まで、なんでや!?」
「母さんが、牛乳買いに行くついでに、帰りが遅いお前の様子を見てこいと」
この家族、全員話し方が違う。関西弁に染まっているのは、幻望だけであった。ただ、お使いのついでに暗殺の様子見とは。何とも規格外な一家である。
「かあちゃん。牛乳待っとるんか。ほんなら、さっさと帰らんとなぁ」
「手助けはいるか?」
「ぬかせ。この程度の雑魚相手に、俺が遅れをとるわけないやろ」
家族の前では弱音を吐かない。もしも、弱音を聞かれたときに、どうやって根性をたたき直されるか、判ったのものではないからだ。
「強がれるだけ、まだ元気じゃんー」
「うっさいわ、ボケッ」
「誰が、ボケだ!? 誰が!?」
いつも通り声を荒げる弟は無視して、幻望は得物を握り直す。
(そもそも、俺は対面戦闘向きの術なんて、知らん。そういうときは、工夫ちゅうもんをせなかんなぁ)
「暗殺術 夢見灯籠 宵の口」
幻望の周りを煙が漂い始める。
「ふん。ソンな技、もう効かん」
妖は、強気で幻望の出方を覗う。あれを吸わなければ良いだけ。切られなくてはいいだけ。簡単なことだ。とそう確かに思っていたのだが。
余裕綽々(しゃく)と、針金ネズミが攻撃の予備動作に入る。だが……
幻望はその煙を、自身で吸い上げた。
「ええ!?」
この行為には、流石の針金ネズミも驚きの声を上げた。上げてしまった。それが隙になった。
『パンッ パンッ』
眞名の手元から、渇いた銃声が響いた。その音と同時に、宵月が飛び出す。
「暗殺術 月輪」
1メートル以上はあるかという太刀を2房両手に持ち、ぐるりと回転した。暗殺術とは思えない程の派手な攻撃に、全ての針金が切り裂かれる。
「余計や、全く……」
呟いた瞬間、幻望の姿が消える。
同時に、鶯谷の首が空高く飛び上がった。
妖は、攻撃を認知する刹那すら、悲鳴を上げる瞬間すら、許されなかった。
瞬脚を超えた高速移動。それは夢見灯籠 宵の口の成せる業。
夢見灯籠を喰らった者の大多数は、それが幻覚を見せる技だと思うだろう。その認識自体に間違いはない。ただ、これは解釈の違いだった。
幻覚を見るとはどういう状況か。それは、脳に異常をきたしているということ。脳が体に反するということ。では、それを自分で吸い上げ、自己暗示を掛ければ? 脳が“できる”と誤解して、体が能力以上の力を発揮するのではないだろうか? 幻望が今まさに行ったのが、それである。
そう。ただでさえ早い彼の瞬脚を、刹那の早さまで引き上げたのだった。
「あ、もう無理や」
リミッターを超えた移動は負荷が酷く、両足の筋繊維は引きちぎれ、首を跳ね上げた右手の骨にはひびが入り、使い物にならなくなっていた。
「無茶をする。宵月、撤収だ。掃除屋に電話を」
「はいはい。分かってますよ~っと」
宵月が、スマートフォンを耳にあてがった。
*
「ん、んん……」
幻望が目を覚ますと、そこは自宅だった。カーテンの隙間から差し込む明かりに、昼過ぎだという事を知る。
「イテッ……て……」
全身に巻かれた包帯が、昨夜の苦戦を物語っていた。
「俺も、まだまだやなぁ。あんな程度のトリツキに、苦戦するやなんて」
(暗殺だけやと足りん。もっと、対面戦闘の技術を上げんと。この先戦争になったら、足手まといになってまう。いや、もっと間近、元五家第伍席の白鬼と戦闘になったとき、俺は勝てるんか――?)
自分の脆弱性に嫌気が差してくる。姉は既に業界で名が知れ渡っており、指名の仕事も増えてきている。弟は暗殺技術を磨く気があるのかさっぱり分からないが、強くなってきていることは事実。上を追いかけ、下に恐怖する。
「真ん中ってのは、どうしてこう、しんどいんやろなぁ」
弱音が口から零れた。
と同時に、襖が叩かれる。
しまったと思った。もし、今のが聞かれていたら、躾けという名のほぼ死に近い苦痛が――
「ぼっちゃん、目が覚めたんですね」
「なんやぁ。お菊かぁ」
「なんやぁ。とは何ですか?」
襖を開けて入ってきた女中のお菊は、憤慨したというよりは、ただ単純に意味が分からないといった表情を浮かべながら、脇机の湯飲みに麦茶を注いだ。
「いや、べつに……」
「昨夜は災難でしたね」
「ほんまや。災難てゆうか、最悪ってゆうか」
昨夜の事を思い出しながら、幻望が手を握ったり開いたりしている。
「今朝方、古田整骨堂さんがいらっしゃって、骨は取り敢えず元通りと伝えてくれと」
「ほんま、あのおっさんは凄いなぁ。粉砕骨折以外は簡単にくっつけてまうもんな」
古田整骨堂は、蝶ヶ澄家お抱えの整骨院である。当主に口伝で伝わる医術は、あらゆる骨を自在に操る事ができ、幻望の発言通り粉砕骨折以外の骨の異常なら、簡単に治癒することができる。もちろん、裏の患者にのみ、限定の施術なのだが。
「さすが医院長先生ですね」
手首の骨の罅が完治したと聞いたのに、まだ手を眺めるのを止めない幻望を、お菊が不思議そうに見つめている。
「どうされました? 違和感などあれば、もう一度医院長先生を呼びますが」
「あ、いいんや。大丈夫。昨日の夜の事をちょっとな」
そんな発言を聞いたお菊は、「そういえば、ぼっちゃん」と小さく、悪戯っぽくニヤッと笑う。
「眞名お嬢様が、軟弱なヤツ。みたいなこと仰ってましたよ」
冗談交じりにそんなことを言った。
「んなこと、わかっとるって……」
「……あら、坊ちゃんが分かりやすく弱気なのも珍しいですね」
いつもなら「うっさい、あほ抜かせ」とか言いそうな所なのに。と、お菊は驚いた表情を見せてから、物足りなそうに眉尻を下げた。
「俺が、弱いのは、事実やから……」
急に恥ずかしくなったのか、後半の言葉を尻すぼみさせながら、寝返りを打ち、お菊に背を向ける。負傷していたところがベッドに触り、痛みを感じたが、声は漏らさなかった。
「ああ、そう言えば、これは独り言ですが、今日は叶枝お嬢様、お元気そうでしたよ」
無言のまま、幻望は再び寝返りをうつと、お菊の顔を見つめた。
「ふふ。では、失礼します」
嬉しさをこらえた幻望の表情につい笑みを零すと、お菊は小さく辞儀をして部屋を出て行った。
襖が閉まったのを確認すると、幻望はもぞもぞと起き上がる。そう言えば昨夜風呂に入っていなかったと、着替えを持って立ち上がった。
*
蝶ヶ澄家当主、蝶ヶ(が)澄千早が虚空を見つめている。
ここは蝶ヶ澄家の地下にある当主の間。千早か、千早に招き入れられた者以外、近づくことすら禁じられている。肘置きに体重を預け、足を投げ出し、艶やかな様でそこにいる彼女は、煙管を口から離すと、静かに紫煙を吹き出す。
「勝手に入ってくるなんて、無作法にもほどがありんす」
他に誰もいない部屋で、誰もいない場所に話しかける。
「これはこれは、すみません」
いつの間にか千早の目の前には、30代くらいの男性が1人立っていた。
「物部様は今姿を現せませんので、私が代わりに参上いたしました」
「うぬが誰かという話ではありんせん。人を訪ねる前にアポイントをとるのは、常識でありす」
「とんだ失礼を。申し訳ございません」
再び千早が紫煙を燻らす。
黙ったまま値踏みするような千早の視線に、居心地の悪さを感じていた男は、急にカクンと膝が折れると、四つん這いになっていた。何が起こったのか脳が理解しようとしない。次第に思考がトロンと溶け始め、酩酊しているかのような感覚に陥った。
「ち、千早様……。この躾けもなっていない私を、どうか、どうか……」
先程までの紳士的な態度が消え去り、意思とは反対に懇願を始める男。
「よいよい。可愛い男でありんす」
千早に喉元を撫でられると、情けないほどに感極まった声が喉から漏れ、堪らない思いが嬌声となって、喉元から零れる。
「それで、わっちに何でありんすか?」
「げ、げげ、現状報告を……んんっ、あっ。聞いて、聞いてこいと……」
「そんな必要ありんすか?」
「い、いいい、いえ……」
「物わかりの良い子は好きでありす」
千早が耳元で囁き、額を人差し指で弾くと、男の体がビクンと跳ね上がり、地に伏した。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださり、ありがとうございます。
なんだかんだ長々と居座っている小説家になろうも、UIが変わったり、流行が変わったり色々ありましたが、今度は収益化が始まるそうです。
今のところ迷ってますが、1回はどんなもんか使ってみたくはありますね。
迷う……
迷いながら、また次回!




