3話 針金の恐怖
大阪は西九条。六軒屋川の辺りに、蝶ヶ(が)澄幻望がいた。
手に持ったスマートフォンを耳から離すと、深いため息をつく。
「はぁ。ようやっと手配が済んだわ」
彼は現在、白鬼と呼ばれる要注意人物の暗殺を受け負っている。近畿に入ったことは間違いないと仮定しても、そのどこに潜伏しているはまるで判らない。それを調査させるために、蝶ヶ澄がトップに立つ近畿一円の呪術師集団『暗殺機関』傘下の家に情報提供の願い入れをしていたのだ。それが今し方終わったというわけである。
「一段落ついたってのに、直ぐ仕事とか……。ああ、もう、殺しは嫌いやのに」
そうぼやきつつも、サボったり取り逃がしたりでもしたら、母であり当主の千早に、何をされるか分かったモノではない。子供の頃、修練をサボったことがバレ、逆さ吊りの状態で毒蛇のいる水槽へ入れられたことが脳裏をよぎり、総身が粟立った。
彼はポケットから情報の書かれた紙を取り出す。
今夜のターゲットは、最近大阪の街を騒がせている殺人狂らしい。
「最近こういう頭のおかしいヤツ、ふえたよな~。世も末やで」
殺人狂、その名を鶯谷穣次。歳の頃29歳。彼は、ここ1ヶ月で10人以上殺している。2年前までは会社員だったが、1年前、蒸発するように退職。理由は不明。殺しのターゲットはOL、特に30代前半の女性が一番多いというデータが出ていた。
「30代のOLばっかて、会社時代になんかあったんかいな。若い子襲ってるより、よっぽど気味が悪うて敵わんわ」
幻望は川沿いに道を下っていくと、ある寂れた廃墟の前で立ち止まった。時代に取り残されたようなトタンの外壁は、所々赤茶色に錆びており、人の住んでいる気配を全く感じさせない。
*
「へへ、へへ、今日はどんなお姉さんと遊ぼうかな」
電気も水道も通っていない平屋住宅の中で、鶯谷穣次は嬉しそうに下唇を舐める。彼はバタフライナイフと折りたたみナイフをそれぞれ左右のポケットに入れると、チャリチャリと音を立てるボディバッグを肩に掛けた。
*
幻望が住宅の中に入ったとき、そこはもぬけの殻だった。
「おかしいな……。報告ではこの時間になら居るはずやねんけど……」
懐中電灯で照らして室内を検分していると、左右から気配を感じ、咄嗟に飛び退る。瞬間、幻望が居た場所を刺し貫くように、2本の針金が通り抜けていった。
「おいおい、一般人やなかったんか」
戦闘態勢をとる幻望が、腰の匕首に手を伸ばし、攻撃が迫ってきた方を睨んだ。
そこには、ボサボサの髪に薄汚れたシャツとスラックス姿の男性がいた。いつから着替えていないのだろう。シャツは所々黄ばみ、破け、革靴も既に靴の体を成していない。一見するとサラリーマンに見えなくもないが、手に握っているナイフが異常を告げている。
さらによく見れば、ナイフから幾本かの針金が伸び、生き物のようにうねっていた。
「お前、ダレだ?」
声と共に男がナイフを振り抜くと、様々な導線を描いて針金が伸び、襲いかかってくる。
「あぶなっ! 面と向かった“戦い”は“殺し”より嫌いや! 離脱や、離脱ーーーー!」
横飛びで攻撃をかいくぐった幻望は、そのまま退路を探す。日頃、闇夜に隠れて暗殺することが仕事の彼にとって、対面戦闘は不慣れで、決して得意ではない。
左手に握った匕首で針金を避けつつ、弾きつつ、撤退を始める。同時にスマホを取り出すと、電話を掛けた。
「幻望です。トリツキが出ました。至急結界を!」
常に妖が湧きやすい地域の場合、妖や術を一般人から隠す結界が張ってある。だが、ここはそういう地域ではない。それに、幻望は結界術の類いは初歩中の初歩たる防護術くらいしか扱えないのだ。だからこうして、大阪に居る結界術師に頼む他なかった。
「ああ、早う結界張ってくれ」
結界が張られるまでは、この男を外へ出すわけにはいかない。早く逃げ帰ってしまいたかったが、追ってこられては街の迷惑になってしまう。
「トリツキなんて、ガキの頃にはいなかったやんか! ああ、これも時代ってやつなんか!?」
トリツキとは、妖や霊が人に取り憑き、悪さをする現象のことである。これも鼻ヶ岳騒動以来、ルールが緩くなってから激増している。もしかすると裏で手を引いている者がいるのかもしれないが、幻望にとっては知ったことではない。
「邪魔するなら、ヨウシャしない……」
鶯谷がナイフを上段に構え、空間を切り裂くように振り下ろすと、数本の針金が幻望に肉迫してくる。直ぐさま後退して距離をとり、射程から出るが、真っ直ぐに伸びてきたそれが、目を貫かんと迫る。
「チッ!」
舌打ちをしながら、匕首を構えると、ギリギリのところで弾いた。キィンと高い音が響く。
「見たところ、針金ネズミ辺りが取り付いとんのかな」
針金ネズミとはハリネズミのような容姿の妖である。体躯も近く、性格も近い。現世のハリネズミが敵を威嚇する際、針を逆立てるのと同じように、針金ネズミは、背中の針を伸ばし、得物を捕食する。強くても中級程度の妖であるが、人に取り憑き、霊力と交ざり合ったことで、金属から自在に針金を形成し、操る力を得たのだ。この、人と交わることで力を増すところが、トリツキの厄介なところである。
「俺の事をシっているトハ、キサマ、ナニモノだ。名乗れ!」
「名乗れ言われて、名乗るバカはおらんわ! それに、ここで滅されるお前は、知らんでも問題無いやろ」
先程までは逃げる事のみを考えていた幻望だったが、結界がまだ張られないこと、張られたとして援軍を呼ぶ隙が無さそうなことから、戦うことを決意したようだった。
睨み合い、双方出方を覗う。
「おいおい、もう攻撃は終わりか? 口ほどにもないなぁ」
構えていた匕首の切っ先を妖から外して、煽るように声を発する。
「ナニを言うか! ヒトの分際で!」
「人に取り付かんことには、なんもできんお前に、言われたないなぁ」
鶯谷が怒りに震え始める。
「小癪な、小癪な、コシャクな~~~~~」
鶯谷がボディバッグに手を突っ込むと、更にバタフライナイフを、アーミーナイフを、折りたたみナイフを、サバイバルナイフを、カッターナイフを、カミソリを取り出した。器用に指の間に挟んで握ると、右手を上段に左手を下段に構え、交互に振り回した。
鞭のように撓る、無数の針金が襲い来る。
「そら、あかんわ」
いくら対人が苦手と言っても、五家の跡取り。単調な攻撃なら、見極め、避けることなど造作ない……のだが、壁に反射し、鞭のようにしなり、死角から急に現れる複雑な攻撃は、余りにも隙が無く、防戦すら危うくなる。
狭い小屋のトタンをガンガン殴りつける針金の攻撃に、柱はきしみ、壁には穴が空き、段々家が綻び始めてきた。崩れるのも時間の問題と見える。
(こら、ヤバいなぁ。呪力練る余裕もないよって。でも、この狭い場所は、俺に利がある!)
左右から迫る針金を避け、上から襲いかかるモノを弾いた瞬間。
「暗殺術 夢見灯籠」
口早に唱えられる術名。密やかに部屋を満たしていた彼の呪力が、途端、煙と化す。
「エンマクか!?」
マズい煙かもしれない可能性に、鶯谷は咄嗟に口元を覆ったが、時既に遅し。微量ながら吸い込んでしまった煙は、直ぐさま脳に届き、鶯谷に――いや針金ネズミの脳裡に、映像が流れ始めた。
*
――あ~可愛い~」
女の柔らかく暖かな指先が、俺の頭を撫でている。
こそばゆく、不快感もあったが、不思議と嫌ではなかった。むしろ、その温もりが心地よく、離れがたくもあった。
その後エプロンを着た別の女と二言三言話したかと思ったら、俺は箱に押し込まれた。
暗い、暗い、揺れる、揺れる。ここはどこだ。出してくれ! 頼む!
必死な願いが届いたのか、1時間も経たない内に、光が差し込んできた。
(ここは、どこだ?)
住み慣れた家じゃない。見たこともない場所、見たこともない住処。
数日は怖くて仕方が無かったが、女は俺に食事を与えてくれた。優しい言葉を掛けてくれた。愛を感じ、心が満たされていくと同時に、段々と心を許し始めた。
女の掌に載せられ、頭を撫でられるのはちょっと嫌だったが、いつもの恩もあるから我慢した。女との暮らしにも慣れてきた頃、俺はふと首を傾げる。
(あれ? この女、こんなに顔が青かったか? 腕に斑模様なんてあったか?)
だが、ハリネズミである俺にはこれ以上分からない。何も知らない。人間の事なんて……。
ある日知らない男が家に入ってきた。ドスドスと足音のうるさい男だった。第六感とでも言うのだろうか、なんだか嫌な感じがした。
男が何やら大きな声を上げている。少し遅れて女の悲鳴。髪を掴まれ、廊下を引きずられるように引っ張られてきた。
俺は精一杯の威嚇を示す。逆立てられるだけの針は全て逆立てた。何も意味を成さないとしても、恩を返したかった。いつもいつも撫でてくれて、メシをくれて。そういった日だまりの中に居るような、かけがえのない日々を失わないために。
男の怒声と、女の悲痛な悲鳴が何度も繰り返される。
暫くした後、女は動かなくなった。
男は青ざめ、逃げるようにその場を去って行った。
俺はただ眺めることしかできなかった。
(この記憶は何だったか。そうだ、まだ現世に生きていた頃の景色だ。タイムスリップした? 何かの術か? だが、紛うことなく俺の記憶にある。俺の事実。けど、どうして、急に?)
針金ネズミは確かに過去の出来事を、当事者として反芻していた。
「灯籠に火を、焼べましょう」
ふと、そんな声が微かに聞こえた気がした。
どうも~~暴走紅茶です。
今週もお読みくださりありがとうございます。
涼しくなるのか、暑いままなのか、ハッキリして欲しいものですね。体がおかしくなってしまう……。
皆様、何卒、体にはお気を付けて。
また次回!!




