17話 押される背中
少女は暗い部屋で、喋らない母親に向かって、膝を抱えていた。
「お母さん……お母さん……」
流しきった涙が、再び頬を伝うことはなかった。
*
喪服姿の人々が、ひっきりなしに千羽家を訪れている。
巷に『鼻ヶ(が)岳騒動』と知れ渡ったあの夜から2日が経っていた。本日は戦死者達の葬儀が執り行われている。朝早くから様々な家の様々な儀式が執り行われては、亡骸を引き取って、去って行く。そんな光景が何度も何度も繰り返されていた。
大門と玄関の間に設置された受付に立ち、ずっと芳名帳への記載を案内し続けていた智鶴は疲労の色が見え始め、肩を揉んでは回していた。
「智鶴。そろそろお昼食べてきなさい。一旦この子が受付に入るわ」
訪れる人へのお茶出し、お弁当の手配など様々な業務を回していた母・美代子が、門下生を引き連れて、受付に現れた。
「分かったわ。じゃあ、お言葉に甘えようかしら」
簡単な引き継ぎを済ませると、紋付きの羽織を脱ぎながら玄関をくぐった。既にお弁当とお茶が用意されていると聞いている居間に向かおうとしたとき、「あの……」と、一人の女性に引き留められた。
「すみません。もしかして、千羽智鶴様ですか?」
「ええ、そうですけど……」
相手の女性に見覚えはなかった。口調からしても、初対面だろう。
「私、中之条結華梨の母で、中之条百合亜と申します」
「ああ、これは。この度は誠にご愁傷様でした。心よりお悔やみ申し上げます」
本日何回目ともなる台詞だったが、結華梨を思うと気持ちが入った。それが伝わったのだろう。百合亜も少し涙ぐんだ。
「智鶴様の事は、結華梨から何度も聞いておりまして。ずっと良くして貰ったと」
「いえいえ。私の方も、結華梨さんにはお世話になっておりました。誠にありがとうございます」
「そう言っていただけると、あの子も浮かばれます。差し支えありませんでしたら、是非あの子の最後を聞きたく」
「ええ、是非」
智鶴は立ち話も何ですから。と、客間に通すと、座布団を勧めた。
「お茶も出せずにすみません。台所の方が立て込んでいるみたいで」
「いえいえ。お構いなく」
「……結華梨さんは」
智鶴にとって、こうして誰かの最期を話すのは、初めてのことだった。勿論業務的に報告として話す事はあったが、それとこれとでは、言葉の重みが違った。
ゆっくりと最適な言葉を選び、きちんと思いが伝わるように、結華梨が勇敢に戦ったこと、自分を助けて亡くなったことを話して聞かせた。
「本当に、申し訳ございません。本家の者でありながら、お預かりしている門下生の結華梨さんに、助けられてしまって……」
涙を流してしまうと、嘘くさくなる気がして、それはぐっと堪えたから、中途半端な鼻声になってしまった。
「いいえ。お話を聞かせていただき、本当にありがとうございます。心から敬愛する智鶴様を助けてと言うことでしたら、あの子も浮かばれるでしょう」
百合亜は涙をハンカチで拭きながら、頭を下げた。
中之条家はこれで、本当に跡取りがいなくなったと聞いている。見える者がいなくなった今後は、恐らく魔呪局の保護下に置かれつつ、呪術界から少しずつ縁遠くなり、いずれはその名を抹消されるのだろう。だがそれは、普通の家に戻ると言うことではない。何代先か、本家ではなくとも分家筋に、見える者が現れる時が来る。その時まで確と、結華梨という勇敢な呪術師がいたことを、語り継いでくれたらと、智鶴は願って仕方ないのだった。
百合亜が夫に支えられながら客間を出て行った後、智鶴は居間に入り、一人でお弁当を突きながら、つい先程の出来事を思い出していた。
「百合亜さん、泣いてたな……」
10年前がどうだったかは覚えていないが、今日、受付に立っている間だけでも、激昂する人を何人も見た。折角の跡取りが。大事な息子だったのに。そう言って怒鳴ってくる者達が、皆、どうしようも出来ない気持ちを発露させていることは、分かっていた。だが、それでもどこかで『弱いから悪い』とか、『じゃあ、自分の家で鍛えさせれば』とか思ってしまう自分がいた。人から向けられる怒りを前に、責任転嫁をして心を守る本能の自衛作用だったが、それがどうしても嫌だった。
皆、命をかけて挑んでいたのに、それを無碍にしている様な気分が最悪だった。
怒りが向けられる度、心の底の方にどす黒いものが溜まっていく感覚がした。
しかし、百合亜は違った。
自分の為に亡くなったと知ったら、きっと怒りを向けられると思っていたのに、彼女は涙を流しながら感謝を伝えてきたのだ。
勿論、今日は感謝の言葉も何度も聞いたが、結華梨の母に言われた言葉のお陰で、沢山のものを失ったあの夜に、全く報われる事なんて何一つなかったあの夜に、必死で戦ったことが、ほんの少しだけ報われた気がした。
*
全ての葬儀が終わった後、千羽に残された棺桶を前に、千羽一門が揃っていた。10年前と同じように、門下を抜けた者も大勢居たから、大広間が広く感じられた。
智喜によって執り行われた千羽家流の葬儀、紙舞葬送の紙吹雪が舞い上がっていくのを、ただただいつまでも見上げ続けた。
*
それから1週間が経った。
その間も、魔呪局の局員が聞き取りに来たり、街や鼻ヶ岳の結界を張り直したり、様々な事があった。
智鶴は学校に行かず、ただ毎日部屋で過ごしていた。人手不足もあり、仕事にかり出されはしていたが、紙鬼が居なくなってからというもの、ずいぶんと妖も減っていた。紙鬼がいたことによる、邪気の停滞が緩和されつつある様だった。
昨日は智喜に奥の間へ呼び出され、ついに宣告を受けた。
「千羽智鶴を、千羽家呪術師から除名、新たに千羽預かりの呪術師として登用する」と。
この処分には大変驚いた。どうあがいても、禁呪を扱う者として、破門を喰らい、最悪家から追い出されると思っていたから。
だが、智喜は智鶴を既に只の可愛い孫でなく、戦力として見ていたのだ。
今すぐ何をするとも決めていない彼女だったから、取り敢えずその決定に従ったが、それで良かったのかと思う部分もあった。
「ふ~~~~んん」
智鶴が大きく伸びをして立ち上がった。
「流石に、体が鈍ってきたわ。ちょっと散歩に出かけましょうか」
そう独りごちると、彼女は鼻ヶ岳の修行場へと向かった。別に修行をしたかった訳ではない。何となく行きたくなったのだ。
修行場に着くと、先客が居た。
「おお、智鶴じゃないか」
「八角斎さん。何してるのよ」
「いや、ちょっとな。街でも見ようかと」
本当は、先の戦いにて、智鶴が傷ついているのではと心配して、ちょこちょこ修行場に顔を出していたのだった。
「はぁん。分かったわ。また、そうやって若い人間の女を視姦したんでしょ。サイテー」
「ち、違うわ!」
「わ、私を変な目で見ないでよ」
智鶴が咄嗟に両腕で体を隠した。
「見んわ! いや、そうだな……」
「あっさり認めたわね。じゃあ、大天狗様の元へ、懺悔をしに行きましょうか。私、紋付きに着替えてくるわ」
「待て待て待て待て待て待て!」
踵を返した智鶴の肩を掴んで引き留める。
「何よ。汚らわしい手で触らないで。滅するわよ」
「今のお前さんに言われたら、ちゃんと恐怖を覚えるな」
智鶴の冷たい視線に、ハッキリとした身の危険を感じた八角斎だった。
「俺がどんな天狗か知ってるだろうに……それよりもだ。先日は天狗一同申し訳なかった」
「何が?」
いつもの冗談パートは終わりねと、智鶴は悟った。八角斎の真剣な目つきに引き込まれる。彼の謝罪が本気であるのが分かった。
「紙鬼との戦い、参加出来ず申し訳なかった。10年前にも同じように後悔したから、次があればと思っていたのだが……」
「気にしないでちょうだい。事情は聞いているわ」
祖父・智喜の話から、天狗達が神域に閉じ込められ、出てこられなかったことは既に承知の上だった。
「そうか……。で、お前さんは大丈夫なのか、その、いろいろ……」
「あ~。大丈夫……ではないわね」
場の空気を何とか取り持とうと、智鶴が表情を崩しすぎないように気を付けて、頬を掻いた。
「そうだよな……。一部始終は見てたんだが……。見ることしか出来ず」
「いいのよ。沢山失ったし、千羽本家の呪術師でもなくなったけど、今は大分落ち着いてきたわ。その内、学校にも行くと思う」
「やっぱり、あれは禁呪だったのか」
「ええ、かっこよかったでしょ」
智鶴が腰に手を当てて、胸を張った。
「ああ、凄く」
「ありがと」
面はゆそうに笑う智鶴に、八角斎がニカッと笑顔を向けた。
「で、お前さんはこれからどうするんだ?」
「どうって?」
「いや、禁を破るような、破天荒なお前さんのことだ。家を飛び出して、姉を連れ戻すとか言いかねんと思ってだな」
天狗は、腕を組んで智鶴の先を案じた。
「ああ、そういうこと。それもね、考えはしたのよ。でも、私はまだまだ子供だわ。私に出来ること何て、たかが知れてるのよ」
急に智鶴の目から光が消えたような気がした。
「誰かにそう言われたのか?」
「いいえ? でも、合理的に考えてそうするしかないなって。きっと、大人達が何とかしてくれるわよ」
「それは本心か?」
「本心よ、本心。本心……なわけないじゃない」
智鶴が辛そうに、寂しそうに、声を絞り出した。
「じゃあ、立ち向かわないとな」
八角斎がそう言って背中をバーンと叩いたものだから、智鶴は悲鳴と共に、咳き込んだ。
「げほ、げほ。何するのよ、それに、立ち向かう? もう私は心を決めたの。私はここで生きていくしかないの」
「本心じゃないのにか?」
「そうよ。人はそうやって色々諦めながら大人になるの」
「急に子供が大人ぶっても、大人にはなれんぞ。ほら、子供だというなら、子どもらしく、わがままを言ってこい」
「これ以上千羽から呪術者がいなくなったら、家が保てないのよ!」
「そうなのかもしれんが、どう転んでも、お前さんはもう正式な千羽の跡取り候補じゃないのだろう?」
「でも、私が居なきゃ……」
意気込んで噛みついてきた彼女が、呆気なく下を向く。
「一人じゃ、なにも出来ないの。物部は強いのよ」
あの夜、物部の術師が一撃で紙鬼を倒した光景を思い出す。自分がそれを相手取っても、勝てる気がしなかった。それに、あんなのがゴロゴロいる集団だと思うと、急に足がすくんでしまうのだ。
「そうだな。強かったな。だから、お前さんは諦めるのか?」
「……!」
「今までのお前さんなら、もっと自分が強くなればいいって、そう言うと思ってたんだがな。それに、今のお前さんは、本当に一人なのか?」
八角斎の言葉に、もうすっかり堪えられる様になっていた感情の堰が、簡単に切れてしまった。大粒の涙が、溢れ出す。
「ええ、そうね……そうよ。そうだわ。私は一人じゃない。たとえ、一人で旅立つ事になっても、いざとなれば、仲間が居るわね」
涙が顎に溜まる前に、掌で、甲で全部を拭って拭ってしながら、言葉を続ける。
「それに、弱いままを認めるなんて、私らしくないわ」
「ああ、その意気だ」
涙を拭きながら、ニカッと笑って見せたその表情に、もう曇りはなかった。
*
翌朝・早朝。智鶴の部屋の机には、一通の封筒が置かれていた。そこには達筆な筆文字で『破門届』と書かれている。もうその部屋に、主は居なかった。
「よし、行きますか。どこから行くかは、まだ決めてないけどね」
ジャージ姿でリュックを背負い、靴を履き、膝をパンと叩くと、立ち上がる。最期に屋敷へ礼をすべく、体の向きを変えると、そこには智喜が立っていた。
「お前さんはそうすると思っておったわ。どうせ、止めても止まらんことは分かっとったでのう、放置しておったが。千羽付けを承諾したときには、余りの素直さに、顔を顰めるのをずっと堪えとったんじゃぞ」
「ごめんなさいね。まだ気持ちが決まり切ってなくて」
「ワシは本当に孫には甘くなってしまうのう。では、このような場にて失礼する。紙操術宗家千羽家付け呪術師、千羽智鶴に門外業務を命ずる」
「え、それって……」
「破門届は見なかったことにしておく。だから、きっと無事で戻るんじゃぞ」
「ええ、任せておきなさい。お姉ちゃんも、竜子も、全員連れて戻るわ!」
「おう、じゃあ、いってらっしゃい」
智喜の見送りに応えようとしたときだった。ドタバタと美代子が駆けてきた。
「智鶴、智鶴。これ、お弁当。みんなの分もあるから、ちゃんと食べてね。容器は捨てちゃって良いから。それにしても、この間までこんな小さな子供だと思ってたのに……」
「まあ、確かについ最近退行してたわね」
「そういうことじゃないのよ。もう、アナタって子は」
美代子が智鶴を抱き寄せた。
「お姉ちゃんを取り戻したら、心配させてって、沢山文句言ってやりなさい。そして、二人でまた戻ってくるのよ。絶対、絶対に無事でね。何かあったら、ちゃんと連絡するのよ? ご飯はちゃんと食べてね。それから……」
「おかあさん、分かったわよ。分かったから、くるしい……」
「もう少しだけ、もう少しだけね」
美代子の抱擁からはおよそ1分で解放されたが、その温もりはずっと体に残っているような感覚がした。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「ええ、いってきます」
智鶴がガラッと玄関を開けた。
その先には、百目鬼と栞奈と……日向が立っていた。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございます。
最近の紅茶さんは、コロナに罹り、治ったと思ったら細菌性胃腸炎に罹り、踏んだり蹴ったりな7月終わり&8月スタートでした。トホホ……。
きっと元気になれますよう。
では、また次回!!




