14話 黒い人影がぽつりぽつりと
千羽智鶴と百目鬼隼人が、紙鬼に片膝をつかせる少し前のこと。
鼻ヶ岳の山頂にて、千羽家当主千羽智喜と、孫娘の智鶴が大切にしているテディベアのイッチーが祠の前で正座をしていた。
「智房、お主は次に紙鬼が現れたとき、ワシがこの術を使うと踏んで、クマのぬいぐるみを残していたのだな」
何も喋らないぬいぐるみを前に、そう話しかけていると、ままごとをしているような、なんとも不思議な気分になった。智房と呼ばれたぬいぐるみことイッチーは、首肯することも無く、智喜を見つめている。
「まあ、よい。それでは始めるぞ」
祠には紙操術で作り上げられた祭壇が設置されており、また智喜の手元には、祝詞が書かれた長い用紙が掴まれている。それの封を解くと、バッと裁き、一文目から読み上げ始めた。
読み進めるほどに、智喜の霊気が鬼気と混ざり合い、戦闘時とは明らかに異とする厳かな気が辺りに充満し始めた。イッチーもまた霊気を放出し、そのサポートを務める。
全てを読み上げるのに、数分の時が流れる。
「……紙鬼、人、魂あるべき形に戻りて、ここに千羽の術師に幸へ給へと、恐み恐みも白す」
千羽の当主にすら、正式な形で語り継がれていなかった御業。智喜がこの10年間、様々なつてを辿り、自身でも調べ上げ、辿り着いた千羽家最高峰の奥儀。『人鬼分離の法』
それは、この祠に祀られたとある神様に願い申すことで、発動することができる術。
智喜の手によって執り行う為に必要とされる『人鬼祭の祝詞』が最後の句まで読み上げられた。
それに呼応し、祠のご神体として設置されていた水晶石にぽうっと光が灯った。その光はどんどん、どんどん光度を増し、目映いばかりになると、空へと打ち上がった。
そして、空に巨大な円環を表した。
その時、紙鬼・智鶴・智成が同時に異変を感じていた。
「お、おい、可笑しいぞ。体が元に戻っちまった。冥沙! 地獄の門は!?」
「開けてますよ! 何があったんですか!?」
「分からん。まったく俺のセンスを持っても、答えが見つかんねぇ」
紙鬼回帰 真が解けてしまい、元の体に戻った智成が、困惑の声を上げていた。
「チッ。しょうがねぇ。このまま戦うか。冥沙! 人間の体に邪気は毒だ。門を閉ざしてくれ!」
「わ、分かりました!」
冥沙が咄嗟に全て閉門した。辺りの邪気が薄くなる。
「紙操術! あれ? 紙操術!」
紙はピクリとも動かなかった。
「あ、あれ? 力が抜けていくわ。体が元に戻り始めてる!? 何で? 紙鬼? 紙鬼? 返事をしなさい! 紙鬼!」
紙鬼回帰 極により、ほぼ完全な紙鬼化をしていた智鶴が、不意に訪れた予期しない事態に、慌てふためいていた。
――……とうとうこの術が使われてしまう時が来たのか――
「どういうこと?」
――取り敢えず、地上に降りろ。もうすぐ術が使えなくなるハズだ――
大人しく従った智鶴が地上に降り立った。幸い、紙鬼は片膝をついたまま一切の活動を止めている。
「降りたわよ。説明して」
――知識はあるだろう。恐らく現当主が、『人鬼分離の法』を実行したようだ――
彼女が、新たに注ぎ込まれた知識の引き出しをこれでもかと開け、回答を探した。
「あ、あれ? 上手く引き出せない」
――そうか、もう元に戻り始めてるんだな――
紙鬼が一呼吸置いて、続きを語る。
――人鬼分離の法は、文字通り、人と紙鬼の魂を分離する法術。いつだったかの当主が、紙鬼化暴走の最終手段として開発し、山頂に設置していた術式の名前だ――
「え? それじゃあ、お姉ちゃんは助かるの?」
――ああ、恐らくな。だが、これでもう、私は私とお別れだ――
「?」
言っている意味が理解しきれなかったのか、渋面をつくり押し黙る智鶴。
――もう、時間が無い。この法術は最終手段。言い換えれば、千羽の時が終わる術――
「……! それって」
――そうだ。この世から全ての紙鬼が消える。紙操術紙の中に眠る紙鬼もな。更に言えば、分離した紙鬼の魂は、完全によりどころを失い、自然崩壊する。……と言われている――
「言われているって?」
――開発した当主でさえ、実行したことがない術だ。その結果が、きちんと理想通りになるとは限らない――
「嘘でしょ。そんなの危険すぎる」
――ああ、だが、私の祖父は実行に移した。それだけ事態が急を要するのか、孫可愛さかは分からんが――
「止めなきゃ! 不確定要素が多すぎるわ!」
――だが、現状、これ以外に姉を助ける手段が無いと分かっても、私は動くのか?――
「それは……」
踵を返そうと、足に入れた力が抜ける。
――ふん。暴れたがり屋の私が、最後だからと言って、焼きが回ったか。私が止めてくれれば、私はまた暴れられるのにな。いや、もうそんな意識さえ薄らぎ始めているのか。思えば長い長い時が巡った。これでようやく終わるのか――
紙鬼の言葉に憂いが混じっているのを、智鶴は聞き逃さなかった。
「あなた、本当は、自分を崩壊させたくて、暴れたかったの?」
――さあ、もう何も分からない。……っと、おしゃべりが過ぎたな。そろそろお別れだ。私の中に存在できて、それなりに楽しかったぞ。達者でな――
「紙鬼!? 紙鬼!!」
智鶴は体から何かが抜けていくような感覚に気がついた。
見えない何かを抑え込むように、胸の前で両手を組んでうずくまった。
『バリン……』
不意に空から皿が割れるような音が響いた。
「次は何よ……」
これ以上何が起こるのよと、彼女が恐る恐る空を見上げたのは、そこにあったはずの円環が、何者かによって割られた瞬間だった。
*
山頂の千羽智喜は、円環が割れたのを目視し、力なく両膝をついた。
「万事休すじゃ。腹を括って挑んだのに、千羽の歴史を終わらす覚悟を決めたのに、ドコのウマの骨が、横やりを入れやがった……」
言葉だけは気丈に振る舞っても、体の力が抜けてしまい、立ち上がることが出来なかった。そのまま大の字になって倒れる。霊力も鬼気も全て尽きかけていた。
イッチーが側に寄ってくる。智喜を慰めるように、肩へ手を置いた。
「のう、智房よ。お主の望んだ未来に、少しは近づけたかのう。運命の歯車はまだ回っておるのか。もう止まったのか。老いぼれのワシには皆目見当もつかぬよ。後は若い者に任せるしか、方法は無いのか……」
智喜はただ大空を見上げる。真っ暗の夜空に、満天の星が嫌に輝いて見えた。親心というのか、祖父心というのか、まだまだ若い衆の為にしてやれるだけは、してやりたいと願っても、その星々は応えてくれそうになかった。
*
「あれ? 紙鬼?」
しゃがみ込んでいた智鶴が、何かに感づき、手を広げた。
――……――
「ねえ、戻ってない?」
――恥ずかしながら、戻ったみたいだ――
「何があったんだろう?」
――術が中途半端に止められて、本来行き場を失うはずの魂が、元に戻ったんだ――
「そうなのね。おかえり」
――そう暢気なものじゃない。私が戻れたと言うことは、目の前の紙鬼は動き出すし、私の姉は還ってこない――
「……! なら、また倒すしかないじゃない!」
智鶴が意気込んで立ち上がったときだった。大地が地響きをあげ、震えた。
ここまでの戦闘に、血が登り切った紙鬼が、憤怒の鬼気を吹き出し立ち上がったのだ。
「うそ、パワーアップしてない?」
「ちょっと、ヤバい、ね」
「百目鬼!」
隣を見ると、いつの間にか百目鬼が立っていた。ただ、両腕をブランと垂れ下がらせている。
「ねえ、その両腕どうしたの?」
「大丈夫。少し、疲れた、だけ」
「そうなの? なんかさっき、黒くなってなかった?」
先程目の端に捕らえた百目鬼は、両腕に何かを装着していたのか、黒々としていた気がしたのだ。
「ああ、うん。また、詳しく、話すけど、新技。でも、制御、しきれ、なかった」
悔しげに話す横顔が痛々しかった。
「そうなの! 凄いじゃない! 紙鬼の足を打ち砕いていたでしょ!」
「そこまで、じゃない、よ」
智鶴の賞賛に、照れながら謙遜した。
「でも、それだけの力があれば、まだ戦えるわね!」
「うん!」
「紙鬼回帰 極!」
智鶴が新たに手にした大技を再び披露する。サイズ違いの紙鬼がそこに現れた。
「万里眼!」
百目鬼も負けていないと、全身の眼を発現させる。
だが、2人の意気込みは、出鼻をくじかれる事となる。
『ガサッ!』
近くの茂みから何かが飛びだした。
それは弾丸のように、一直線に紙鬼へと飛び込むと、キラリと光るものが閃いた。瞬間、ジグザクに光の軌跡が走ると、紙鬼が全身から邪気を鬼気を、全ての力を噴出させ、横たわった。
「うそ……。そんな、紙鬼が一撃……?」
その何かは重力に身を任せて無様に地面へ落ちると、ピョコンと器用に立ち上がった。
「あれ、人?」
百目鬼の疑問も、もっともである。それは、全身を包帯でグルグル巻きにされ、自由を奪われており、唯一自由を与えられた口には日本刀を咥えていたのだ。きちんと正対しなくては、いや、正対したとしても、それを人と見定めることは困難を極める。
「あんな身なりで、紙鬼を圧倒したって言うの?」
「ギシャァ」
日本刀を銜える口から、人声とは思えないような音が漏れた。
「ひぇっ」
智鶴はその者を両の目で捕らえた瞬間、悟ってしまった。自分に向けられた殺意と、それに抗いきれない未来を。自分はこの何者かに、抵抗する術を持っていない事を。
その者は、小さく膝を曲げた。
「いや~~~~~~~~」
「そこまでだ。無形」
何も無かったはずの暗闇から、老若男女の差が分からない声が聞こえてきた。
万里眼を発動していた百目鬼さえ、ビクッと驚き、隣を見上げる。
そこには顔に白い能面を被り、黒スーツに身を包んだ長身でがしっかりとした男が立っていた。男と分かったのは、ただ男物のスーツを着ていたからに過ぎず、それが本当に男なのか、自分よりも年上なのか年下なのか、気を読んでも見つめても確証は得られなかった。
無形と呼ばれた異形の者は、暗闇から現れた者の声に従い、動きを止めた。
「誰!?」
「まあ、まあ、お嬢さん、そう気を荒立てなさるな。見てみろ、君たちが倒せず手を焼いていた鬼は、地に伏したぞ。我々のお陰じゃ無いか」
「我々?」
2人しか居ないだろと、百目鬼が不満の声を上げたが、それはただ気づいていないだけだった。
知らぬ間に、木々の間からぞろぞろと黒スーツの者達が現れる。その中には、かつて木枯らし山で遭遇した者も、雪ヶ原の山で出会った者も、物部五人衆も居ることに気がついた。それに、街に住んでいた人々や安心院先生の姿もあり、理解が追いつかない智鶴は、ただあんぐりと口を開け、状況を静観していた。
だが、黒いスーツの呪術師という一点のみで、一つの仮説を立てた。
「物部!?」
「ようやく気がついたのか。お嬢さんは、本当に周りを見ないんだなぁ」
謎の黒スーツは、慌てる様子も無く、先を続ける。
「申し遅れた。私は、物部萬斎。この者達を統べる、物部の当主だ」
「当主!?」
智鶴が、怒りに任せて鬼気を向けるも、物部は全く動じる様子も見せない。
「そうだ、折角だから、新入りを紹介しよう。さあ、出ておいで」
黒スーツの者達の中から、そろりとロングスカートスーツ姿の人物が進み出た。その者は両手に抱えた白い布が影をつくり、顔がよく見えなかった。
一歩、一歩と進む度、月に照らされて、顔が露わになる。
智鶴の背中を、冷や汗が滝の如く流れていた。顔を見なくとも、その者が誰か分かっていた。分かりたくなかったし、信じたくない事実だったが、うっすらと竜気が混ざった霊気は、ずっと側で感じていた霊気だった。
「……竜子」
「智鶴ちゃん。改めて自己紹介するね。物部家呪術戦闘班所属、十所竜子だよ」
竜子はすこぶる落ち着いた様子で、自分の真の所属を伝えた。
「なんで……。何でよ。そっか、騙されてるんだ。物部!!」
既に紙鬼と同等の鬼気を手に入れていた智鶴は、辺りを吹き飛ばす勢いで、力を放出した。だが。
「違うよ。物部様は私に手を差し伸べてくれた恩人なの。私は、私の意志でスーツを着て、今ここに立っているんだ」
その言葉に、すっと鬼気が収まる。智鶴の心が大きく揺さぶられた。
――お、おい! 落ち着け! 紙鬼回帰が解け――
紙鬼の声が途中で途切れたと同時に、パラパラと角が消え、智鶴の姿が人のそれに戻る。
「じゃあ、ずっと私たちを騙してたの?」
語調までも、いつもの強気なものから、弱々しい少女のものに変わっていた。
「うん。そうだよ。最初、突っかかってきちゃって、このままじゃ仲間になって取り入れないって不安だったけど、一緒に戦ったら、ころっと掌を返してくれて、本当に助かったよ」
竜子がそう言うと同時に、何者かがパチンと指を鳴らした。それに呼応し、暗闇の中から鵺が現れた。鵺は大人しく犬座りすると、暴れる気配を感じさせない。まるで、ペットの様だった。
「物部家呪術技術班の人工上級妖『鵺』だよ。様々な妖を掛け合わせて上級を作り出す技術なの。凄いでしょ」
「え……? じゃあ、唯雄の時も……?」
「勿論。全部仕組んでた」
「じゃあ、まさか、雪ヶ(が)原の時も、私が退行したときも?」
「うん。そう、智鶴ちゃんが倉に入っちゃったのも、何なら、今日こうして紙鬼が復活したのも、全部全部。千羽は私の掌の上だったってわけ。ぬらりひょんの時とかは流石に仕込みじゃないから焦ったけどね」
「なんで、そんな事を……。私、信じてたのに……」
智鶴の頬を熱い涙が滴ったが、彼女はそれに気がついていない。ただただ静かに、頬を流れるだけだった。
「いやあ、悪いとは思ってるんだよ。智鶴ちゃんいつも必死だったし、千羽様のお陰で修行までさせてもらって。文子さんは大きく千羽に関係する人じゃないのに、悪いことしちゃったな~」
「嘘だ! 嘘、嘘だ!」
「嘘じゃないって言ってるじゃん。分かってよ。子供じゃないんだし」
竜子の視線はどこまでも冷たく、そして冷静だった。
「じゃあ、なんで一緒に冷やし中華を食べたとき、あんな無邪気に笑えたの? なんで、私の洋服にアドバイスをしてくれたの? 毎夜仕事の度に見せてくれた笑顔は、全部嘘だったの?」
智鶴の脳内に、今までの思い出が溢れてきた。最初こそはそりの合わない嫌なヤツだとしか思えなかった。それでも、あの日、一緒に笑いながら冷やし中華を食べた日からずっと、日にしてみれば短く、だが密度の濃い付き合いの中で培ってきた全てが嘘だったなんて、それこそ嘘だと言って欲しかった。一緒に空を飛んだときも、一緒に戦ったときも、一緒に居た時間の中に嘘があったとしても、全てではないという確証が欲しかった。
「だから、全部、千羽につけ込む為の芝居だったって言ってるじゃん!! 分かれよ!!」
とうとう竜子の語気強くなった。
依然紙鬼は動かない。百目鬼も口を挟める余地がなく、押し黙ったまま、智鶴の思いが竜子にぶつけられる。
「じゃあ、なんで、なんで……今、涙を堪えるために冷静を装ってるの?」
周りの誰から見ても、冷たい冷静な態度の竜子だったが、智鶴の目にはどうにも涙を流さないように、耐えているようにしか見えなかった。
「そんなことない! 堪えてなんか……いない!」
一瞬、本当に一瞬だったが、智鶴は彼女の目元からキラリと光ったものを見逃さなかった。それと同時に、今の彼女はこうする他無いのだとも、強く思わされてしまい、余計に感情が揺さぶられる。
「ねえ、これ見て。お母さんなの。ようやく千羽から取り戻せた」
竜子が腕に抱えるものの布をずらして見せると、そこには木乃伊のような女性がくるまれているようだった。どう見ても生きていることが信じられないが、どこか霊気を感じるのも確かな事実だった。
「まだ死に切れてない。裏を返せば、息を吹き返す可能性が残ってるの。物部様なら、その“可能性”を“可能”に引き上げてくださる。私の願いは10年前から変わらない。絶対にお母さんを取り戻す。高潔で最強の百鬼女帝を復活させるの」
竜子の目に信念の灯火を見た。そんなことをしても、お母さんは喜ばないよ! とか、百目鬼に視させて手遅れだと調べさせるとか、様々な否定の言葉が浮かんだが、それも全て虚無で紋切り型の言葉にしか思えず、今の竜子に届かない事など、火を見るより明らかだと、確実に直感した。
『パチパチパチパチ』
不意に物部が拍手を送った。
「いやあ、素晴らしい友情劇だ。だけど、もう見飽きてしまったよ。そろそろお暇してもいいかい?」
今を逃せば、竜子とは二度と会えない気がした。それでも尚、引き留められるだけの言葉が見つからない。
「ちょ、ちょっと! 待って! まって!!」
慌てて紡いだ引き留めの言葉も、二の句が継げずあわあわ言うことしか出来ない。
「さよなら、智鶴ちゃん」
竜子から別れの言葉が発せられた瞬間、背後から凄まじい呪力を感じた。何が起こるのかと振り向く。そこには、紙鬼を取り囲む黒スーツの術師が何かの呪いを発動させた所だった。
(竜子に気を取られている間に……。鵺によって他のみんなが散らされたのも、紙鬼から人を遠ざけるためか)
智鶴は既に、抱えられる感情の上限を軽く超えてしまっており、ただ凍り付いたように固まり、その場を冷静に見守ることしか出来なかった。
(もう体が動かないわ。止めなきゃいけないのに……)
よく見ると、辺りに味方と思われる術師が倒れているのが散見された。恐らく異変を察知して駆けつけた者だろう。今誰かが駆けつけてきても、手遅れであった。
ただ呆然と立ち尽くす智鶴の目の前で、緑色に光る六芒星が展開され、紙鬼が少しずつ塵になっていった。それがどんな術かは知らないが、いままで自分たちがどうしても為し得なかった事を、軽々と行っているように見えた。
だが、まだ諦めていない者がいた。
「制御、制御……。黒腕!」
一人の術者に焦点を絞り、百目鬼が飛び出す。
「だめ!」
智鶴が叫んだ。今飛びだしたら、どんな目に遭うかなんて、そんなの子供にも分かる事なのに。飛びだしてしまう相棒に、「行かないで!」と縋るように叫んだ。
それでも百目鬼は止まらない。彼の願いは智鶴を守る事だから。今、智鶴がピンチなのに、飛び出せない自分で居たくなかった。
不思議と体が軽い。ぐんぐん近付く黒スーツの男。
あと少しで手が届くというタイミングで、両脇から火の玉と水の玉が飛んできた。恐らく後方支援班でも居るのだろう。だが、再生能力を持つ百目鬼にこの程度の攻撃は効かない。吹き飛ばされた左脇腹と右胸も、直ぐに再生繊維が伸びて元通りになる。
「うおおおおおお!」
真っ黒の拳が、呪いを掛ける黒スーツに捻じ込まれた。
「グホブコッ」
無様な声を上げて、遠く吹き飛ばされる物部の呪い師。次の標的へ顔を上げた百目鬼の瞳に映ったのは、今まさに最後の一片が塵になった紙鬼の最後の姿だった。
「間に、合な、かった……」
ブランと垂れ下がる両腕からすうっと黒い色が消える。
「撤収!」
物部萬斎が告げると、全員が足下の影に吸い込まれていった。
物部も、紙鬼も、全てが消えた山に、意気消沈した百目鬼が崩れ落ちた。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございました。
結華梨の死と、竜子の裏切りはいつ書かなくてはならないと思いつつ、いざ書いてみたらとても辛く、推敲の手が進まなかったです。これから智鶴の物語はどう進むのでしょうか?
と言ったところで、また次回。




