13話 黒腕
鼻ヶ(が)岳。それは標高300メートル強の山であり、山脈の様に繋がること無く、ぽつんと佇むように位置している。山岳信仰の対象として、かつてこの地に住んでいた先住民により崇められていたが、いつの日か天狗が住まうようになり、それが噂となる。その後、人々はその山を鼻ヶ岳と呼ぶようになった。その後千羽家が中心となって拝殿他、神社として整備し、今日に至る。
またこの山には、普段結界が張られており、一般人は拝殿のある境内より上に登ることは出来ない。それは、本殿、紙鬼の祠、山頂と、登れば登るほど新たな結界・呪いに阻まれ、先に進めないようになっているから。術の内容は千羽家の秘匿であり、本家の者にさえ明かされていないのだった。
そんな山の山頂に、秘密を抱えた男が立っていた。
「ふう、ようやく頂上じゃわい」
御年70を超える老人であり、腰も曲がり始めている。だが、頂上までさほど時間を掛けることなく登ってきた体力から、只者では無い事が見受けられる。そう、彼は手出し無用の五家が一角、紙操術宗家千羽家当主、千羽智喜である。
「誰じゃ。どうやって付いてきた」
ふと背後に気配を感じた。
ここには美代子も智鶴も知らない、ある特別な方法をしなければ、立ち入ることは出来ない。だから山の結界が滅茶苦茶になっている今でさえ、立ち入れる者は智喜のみのハズだった。もっと言えば、取り決められているルールの下、天狗すらここには立ち入れない。
だがしかし、紙鬼の封印を解いた者がいるのも事実。もしや、その知らぬ敵がここをも解呪し、隙を狙ってきたのでは無いか。喜の心は戦々恐々として、落ち着かない。
じっと見つめた大木の木陰から、何かがひょいと顔を出した。
「お、お主……智鶴のぬいぐるみではないか」
そう、そこに居たのは、見覚えのある前掛けを付けられたぬいぐるみ――智鶴が父・千羽智房からプレゼントされたテディベア(智鶴より賜った名前をイッチーという)だった。
イッチーがフリフリと、指のないデフォルメされた手を振っている。
「何故こんな所に、いや、それよりも何故動いておる? この気配、式や妖の類いではないのう。ううむ……信じがたいが、紙操術の気配がしておる」
智喜はテディベアから漂う気配に、馴染みのある術の気配を感じ取っていた。
「じゃが、誰の術じゃ……? 智秋やワシは違うとして……出来るとすれば、智鶴か、智成か。それでものう。智鶴が好き好んで、気に入りのぬいぐるみを戦場へ連れ出してくる意味も分からんし、智成がこのぬいぐるみを動くようにしておいたとして、その意味も汲み取れん……」
智喜が眉根を寄せて、目の前に怒っている珍事の結論を出そうとしていた。
「…………」
時間はないが、術者だけでも特定しておかねば、もしも敵の策だった場合、後手に回ってしまう。
「……お主、もしや!」
智喜の中で、様々な因果が繋がった。
それと時を同じくして、智喜よりも標高の低いところに居る智鶴が、紙鬼回帰 極を発動した。
「なんじゃ、紙鬼が2体目? 智成の紙鬼回帰ではないようじゃな。これは……まさか、智鶴か!? あやつめ、ワシに嘘をついていたのか」
嘘と真実は表裏一体で、全ての人が皮膚の内側、見えないところに隠し持つ。
孫娘を破門にしなくてはならない未来など、この状況下で見えていない智喜は、智鶴が嘘をついていたことに、これでようやく少しだけお相子になれたなと、そんなことを思っていた。そんな暢気なモノでは無いことは、頭のどこかで分かっているはずなのに。
「ホント、知らぬ間に当主までも化かすとは、頼もしくなりおって。ワシも負けとれんのう」
智喜が口元に笑みを浮かべて、イッチーのいる方へ向き直る。
「のう、智房」
死んだはずの人物の名を呼んだ。
*
千羽町の人気が少ない場所に、忘れ去られた廃倉庫がある。その中に集う黒スーツの集団の隅で、小さくなっている少女がいた。
その少女は、悲劇に満ちた表情を浮かべていたが、涙は零れていなかった。ただ、目の下にべったりと現れているクマが、涙の源泉が涸れてしまっていることを如実に表していた。
「これで、良かったよね……」
小さな声で呟くも、彼女の右隣で壁にもたれ掛かる女性は、何一つ返事をしない。女性は、白い毛布に包まれており、微動だにしないだけでなく、目も瞑ったまま開ける気配もない。
少女がおっかなびっくりと言った様子で、右の指先を女性に向けた。鍵の様に曲げた人差し指の背で優しく頬を撫でる。カサカサとしていて、生きているような感触がしないことを確認すると、悲しげにそっと手を引っ込めた。
「大丈夫、大丈夫。まだお母さんは生きてる。霊気だって微かに感じるし、きっと、大丈夫。物部様が何とかしてくれる」
母に触れた人差し指を包み込むように、左手で右の拳を握った。
深く深呼吸をして、心を落ち着けようと試みる。
辺りをぐるりと見回すと、1人、異様な人物が立っていた。その者は木乃伊のように、全身を包帯でグルグル巻きにされ、至る所に呪符を貼られ、更にはしめ縄で縛り上げられていた。辛うじて、息をするためにか口と鼻はむき出しになっている。その部分にだけ感じる生命が、異様さに拍車をかけていた。
総毛立つ感覚に襲われたが、何故か目を離せないで居ると、
「ひぃっ」
目が合った。いや、目も包帯で巻かれた上から呪符を貼られているのだ。厳密には目と目は合っていない。それでも、そう感じるほど、その者と自分の間に何か繋がりが出来てしまったような感触がした。
少女は慌てて目を逸らした。その者は、ニタニタと笑っていた。
「諸君!」
物部の声が廃倉庫に響く。今日は珍しく姿を現している。少女も初めてその姿を拝んだが、予想よりも若いなと思った。てっきり腰の曲がった、よぼよぼのお爺ちゃんが現れるとばかり思っていたから、それなりに筋骨が発達した中年くらいの人が出てきたときには、狐につままれたような気分だった。ただ、この姿が本物の物部なのかどうかは、ここにいるだれも答えられないことだろう。
廃倉庫が、ゆっくりと静寂に包まれていく。
出陣の時は、刻一刻と迫っていた。
*
「埒があかないわね」
顎から滴る汗を拭った智鶴が、紙鬼を睨んで言葉を吐き捨てた。
紙鬼もまた肩で息をしているが、まだまだ致命傷を喰らった様子も無く、ピンピンしている。そんな折、ちらっと紙鬼へと向かっていく人物の姿が入り込んだ。
「百目鬼?」
直感的にそう思ったが、何だか様子がおかしそうだった。何か新たな呪具でも装着したのか、両腕が黒かった。それに、いつも百目鬼から感じる気配とも違う。これは、妖の気配に近い。
百目鬼は、紙鬼の足下まで駆けてくると、勢いを緩めず、拳を振り上げ、脛を思いっきり殴り飛ばした。
『バキン!』
拳は、紙鬼の脛に罅を入れるどころか、纏っていた鬼気まで吹き飛ばした。
「凄い。やるじゃない」
智鶴が賛辞を送ったが、当の百目鬼はそれどころではなかった。
「うおおおおお! ひっぱ、られる!」
先程の一撃は、彼の意志では無かった。正確に言えば、腕が勝手に敵を定め、拳を突き出したのだ。
数分前、力を抑えきれないと悟った百目鬼は、もうどうしようもなく紙鬼を敵として睨むことしかできなかった。そうしたらどうだろう。拳が勝手に引き絞られる感覚がした。
「いちか、ばちか……」
百目鬼は紙鬼に向かって、飛びだしてみた。引き絞られた腕は彼の想像を超え、鬼の足を鬼気ごと殴り飛ばした。
「想像以上」
もう数ヶ月前になるか。ぬらりひょんの百鬼である木人と戦った折、発現した、黒腕。何の前触れも無く、感情が高ぶった時、切断され無くなっていたハズの腕が急に熱くなったと思ったら、真っ黒のそれが生えてきたのだ。そこからの記憶は曖昧で、目を覚ました時には、いつも通りの肌色をしていた。
智鶴に何があったか聞いても、曖昧なことしか知らず、休みを利用して鱗脚を訪ねても、「先祖の百々目鬼がそういう状態になるらしいと聞いたことがある」くらいのことしか教えて貰えなかった。だから、自分で探った。激昂する状態とはどういうことか、その時妖気はどう流れ、どこに滞留し、どんな効果を発揮するのか。考えては試し、試しては反省した。
そして時貞萬匠に対し、2度簡易的な状態で試した。致命傷を与え、智鶴を救うところまではいかなかったが、確かな手応えを感じた。
そこからは更なる研鑽の日々。簡易的で無く、本格的に術として発動できるように、力を高めた。
そんな修行の日々において、ひとつ分かったことがある。この力は、並大抵のパワーアップではないようだ、ということ。ただ相手の肉体に打撃を与えるだけでなく、その者が持つ術や気にも干渉する。この力があれば、獺祭漢九郎の天狭霧神のように、実態を持たない術にも対抗できる。……ただし、現状まだ扱い切れておらず、今のように、半暴走状態になってしまうのが問題点である。
「うおっ! うわっ」
体が勝手に動いて、殴り続ける。更に事もあろうが、ラッシュをかけ始めた。
「うおおおおおおおお!」
もう、身を任せる他無かった。
智鶴の上半身に向かった攻撃と、百目鬼の下半身に向けた攻撃により、ついに、紙鬼が片膝をついた。
それと同時刻、紙鬼の頭上……いや、鼻ヶ岳の上空に大きな光の輪が現れた。
どうも!暴走紅茶です!
今回もお読みくださり、ありがとうございます!
なんか今日は視界がぼやけて。全然目が見えません。
めっちゃ誤字脱磁してるかも……怖い……
そんな紅茶さんですが……また次回!!




