10話 遅れてきた八咫烏
千羽智鶴と紙鬼が力比べをしていた頃、鬼の内部では神座栞奈もまた別の戦いを強いられていた。
「あった! これが紙鬼の魂だな」
つい先程声のした気がした方向に見つけた魂。そこを目がけて突き進んでいった。紙鬼の魂は、その巨体に似合わず小さかったが、感じる鬼気の禍々しさは今までの比にならない。
「見つけたはいいけど、どうしたもんかな~。これ、触れた瞬間、わっちも飲み込まれるよな。う~ん」
目標を目の前に腕を組み、思考を巡らす。
「きちんと解析をしたいところだけど、取り敢えずその前に、一旦動きを止めてやらないとな。智鶴がもたなくなっちゃうぞ!」
そう考えたところで、妙案は直ぐに浮かばず、うんうん唸っていたが、なんとか何かを閃いたようだ。
「う~ん、そうだ! 降霊術、雷獣!」
栞奈の両手が黄色い毛皮に包まれた。すると同じく、半身にも手に雷獣の毛皮が現れる。「充電」呪力を手に集中させると、バチバチ音を立てて雷が溜まっていく。十分な量が溜まると、「放電!」そう言い放って魂に雷撃を走らせた。
「ダメそうだな」
まるでブラックホールかのように攻撃を吸い込むだけで、ダメージが通っている感覚がしなかった。
「じゃあ、次はこうだ!」
手を元に戻すと、簡易的に魂の解析を始める。
「やっぱダメだよな~」
もしも智秋の意識が強めに残っていたら、働きかけようと思っていたのに、それも無理そうだった。
「わっちが男の子だったら、陽の気をぶつけてみたり出来るんだけどな~」
陰陽説において、様々なモノが陰陽で区別される中、鬼は陰の気を持っているとされ、女性もまた陰の気を持っているとされている。ちなみに男性は陽の気を持っているとされており、陰の気にぶつけることで、何らかの効果が得られると考えたのだ。
「ん? 待てよ、五行説なら……そっか、節分か」
鬼は金気を持つとされている。陰陽五行説の相克に当てはめると、金を相克するのは、火気。一説には、節分の豆は金気を象徴する豆を“火”で炒ることで、火剋金。つまりは金に勝ちうる力を秘めた呪具へと転じさせ、鬼への対抗策としていると言われている。
また、紙鬼は金気に分類される上に、“紙”の鬼だ。火気に対する耐性は弱いと考えられる。と、ここまでが栞奈の予想だった。
「よし、火をぶつけ……火気の降霊は久々だな。上手くいくかな」
栞奈の術は本来妖の住まう隠り世、あの世、霊界と呼ばれる場所に干渉し、妖の力を降ろす術なのであるが、長期間下ろしていないと、その妖が霊界のどこら辺に居るのかさっぱり分からず、普段よりも時間がかかってしまうのだ。
「って、弱気になってる場合じゃ無いぞ。やらなきゃ!」
すうっと息を吸って、残しておいた半分の力で、霊界に意識を接続する。
(火の妖……火の妖……。誰か……誰か……。居た!)
「火の車、力を貸してくれな」
火の車は人の死を知らせる妖である。恐らくは火葬の火と関係しているのだろうが、詳しいことは分かっていない。そんな火の車の火炎を借りるべく、魂を自身に降ろそうと試みる。火の車はどうやら受け入れてくれた様で、特に抵抗されることも無く、栞奈の両脇に火のついた車輪が現れた。
「いくぞ~ 降霊術、火の輪!」
魂に火の玉が飛ばされ、一瞬燃えさかると、焦げたように、元々持っていた輝きが鈍くなった。
「やったか!?」
魂から禍々しさが減っている。きっと大ダメージにはなっていないだろうが、何かしらのダメージは与えているはずだと結論づけた。
「そろそろ出ないとマズいな……」
長居しすぎると、飲み込まれてしまう恐れがある。そろそろ潮時だった。
残してきた半身との繋がりを強く意識し、戻る戻ると念じると、ちょうど掃除機のコンセントが戻っていくかのように、スルスル本体へ向かって体が引き寄せられていった。
「ん、んん……」
栞奈が目を覚まし、見上げると、丁度紙鬼が動きを止め、智鶴が中空に放り出された瞬間だった。
「ふう、何とか間に合ったぞ」
そう言いながら、安堵の表情で額の汗を拭う。
「でも、詳しい解析までは出来なかった……。ちくしょ~、智秋の魂がどう残っているかくらいは確かめたかったんだけどな~」
腕を組んで、悔しさに顔を顰めている。
「次のチャンスを待つしか無いか~。そんなのあるのか~? いや、今がその好機なのか?」
木の枝に腰掛け独り、攻撃班に加わるか、このまま期を伺うか、彼女は真剣に悩んだ。
「あ、でも先ずは伝令を回さないとだな!」
栞奈は大きく息を吸うと、
「伝令~。紙鬼は暫く動かない! この隙に体勢を整えてくれ~。でも、いつ動き出すかはわからん~。ごめん~」
そう叫んだ。付近で素早く動く誰かの気配を感じたから、きっと伝令は伝わるはずだと思った彼女が、智鶴には自分からちゃんと伝えないと不安だと、風霊を降ろし、空へと飛んでいった。
*
智鶴は、紙の上で仰向けに寝そべったまま、動かなかった。
紙鬼の追撃が来ない事への不安はあれど、体勢を整えるにはこの瞬間しかない。
一旦紙鬼回帰を解くと、紙鬼を視界の端に入れたまま霊力循環を始めた。戦闘に集中するあまり無意識に手元にばかり集めていた霊気が全身を駆け巡り、体の調子を整えていく。それはちょうど温泉に浸かり、血液が巡ることでリラックス効果を発揮するのに近かった。
また、それと同時に呼吸法で自然が発する霊気を体に取り込んでいく。もちろん戦闘は鬼気を扱う彼女だが、人間である限り鬼気の制御には霊力が必要不可欠なのだ。
再生の能力を持たない彼女だが、失われていた体力が回復していく気がした。
そんな時、近くから声が聞こえた。
「お~い、智鶴~。休憩中悪いが、伝令だぞ~」
栞奈だった。
「何? 手短に頼むわ」
「おう、任せとけ。今紙鬼が動かないのは、わっちが魂をショートさせたからなんだ。でも、そんなに効果があった訳じゃないから、次いつ動き出すかは分かんないけど、そう長くは止まっていないと思うから、気を付けてくれな」
手短が苦手な栞奈は、一息で口早に言った。
「分かったわ。ありがとう」
「んじゃ、わっちはまた干渉できる機会を覗いに、場所を探してくるぞ」
「ええ、お互い頑張りましょ」
「おう」
本当に手短に用を済ますと、栞奈は地上へと戻っていった。
「さて、私もそろそろ立ち上がりますか」
栞奈の気配が遠ざかった頃、智鶴が紙の上で跳ね起きる。パキパキと小気味良い音を鳴らしながら肩と首を回すと、紙鬼をキッと睨んだ。
*
獺祭家の領地で勝ち鬨が上がっていた。
塵となっていく妖を囲む、獺祭一門の人影の中に、数名黒服を着た連中が混ざっていた。
獺祭漢吉郎はその者の肩をガシッと掴むと、拳を高らかと掲げたのだった。
*
紙鬼が動き出すまでさほど時間はかからなかった。
時間にして約10分にも満たないくらいのものだったが、その時間に沢山の者達が体勢を整えた。
ある者は、救護所にて処置を受け、ある者はここまでの動きから戦略を練った。
地上に戻ってきた栞奈もまた、行動をとっていた。
「よし、やっぱ、もう一回潜り込むぞ。恐らくあと数分は大丈夫なハズだ!」
大きく深呼吸をして、再び半身を紙鬼の中に潜り込ませる。魂の場所は先程補足したばかりだったから、難なく辿り着けた。
「神座式解析術……」
ボソリとそう呟くと、魂の周りに円環が回り始めた。
「……ううん……そうか……なるほど……これは……」
ぶつぶつと呟く独り言から察するに、さほどいい結果は得られていないようだった。
「これは……智鶴には伝えにくいな……」
5分ほどの解析で分かる範囲のことを調べた栞奈は「時間切れだ」と呟き、しょんぼりとして、またコンセントケーブルの様に、本体へと戻っていったのだった。
*
栞奈の奮闘と同刻。拠点にいる美代子も新たな術を発動させるべく、指示を飛ばしていた。
「手の空いている門下生を5名呼んできて」
伝令班の1人にそう告げると、直ぐさま年期の浅い門下生が5人拠点に現れた。
「あなたたちは1度下山し、私の指定する祠に呪力を流してきてもらうわ」
そう言って、美代子は、各員に所定の場所を指示した。
門下生5人は直ぐさま千羽の地に散っていった。
*
ドクン……ドクン……。
不気味な鼓動が聞こえた気がした。
それも、紙鬼の内部から。
「そろそろかしら」
智鶴を始め千羽門下一同が見守る。
「おい、何か煙が出てないか!?」
智鶴と同じく空中にいた門下生が声を上げた。
「え!?」
驚き、智鶴も紙鬼をよく見ると、その巨躯からなにやら煙のような、水蒸気のようなものが立ち上がっていた。何が起こるのか……。固唾をのみ、その出方を覗うと、紙鬼の体が一回り、二回り小さくなった。正確に言えば、筋骨隆々としていた体がスマートになっていったのだ。背丈も、1メートルほど小さくなったと観測された。
更に異変がある。
回復の気配は一切無かったのに、体が小さくなると共に、腕が再生したのだ。
「回復力が高まってる!?」
鬼の目にギラリと光が宿った。
「ぎゃああああああああああああああああ」
先程よりも高い声音で雄叫びを上げると、軽々と飛び跳ねてみせる。
「何か、調子よくなってない? 栞奈の攻撃が電気マッサージになってたりしないでしょうね?」
たらりと垂れる汗を拭うと、智鶴は紙をかき集める。
「紙操術 折紙 巨人の両腕!」
彼女の左右に巨大な腕が現れ、またその片手には巨大な盾を、片手には巨大な刀を携えている。
「いくわよ~」
右上段からの袈裟懸けを繰り出す智鶴。紙鬼はそれを左腕で受け止めると、右手で殴りかかってくる。智鶴はもう片方に携えた盾で弾き、受け流すと、再び上段から斬りかかった。
一進一退にも見える攻防は、直ぐに止む。そんな単調な攻撃は仕舞いだと言わんばかりに、紙鬼が一歩退くと、拳でラッシュを仕掛けてきた。
「ちょ、嘘でしょ。俊敏すぎない?」
先程の一撃一殺のような拳と違い、威力自体は軽減しているようだが、巨体から打ち出されると言うだけで、威力は人間の何10倍も上。更に、鬼気を纏った鬼の攻撃だ。これは流石の智鶴も、逃げの一手をとるほかない。
鬼の攻撃は何も拳だけでは無い。
智秋の術、紙縛術も扱い、紙の糸を触手のようにして術者を襲う。そちらは門下生の援護により智鶴には届いていなかったが、ラッシュを掛けられるほどの俊敏性だけでも十分厄介である。
ラッシュが止んだかとおもうと、横薙ぎの蹴りが叩き込まれた。智鶴はそれを盾で受け止めようとしたが、敵わず吹き飛ばされてしまった。
「イテテ……。やってくれるじゃない」
受け身を取ることには成功したが、木々に打つかったダメージは少なからず受けてしまった。
直ぐさま戦線復帰しようと足下に紙を集め始めたときである。
――もっと力を引き出さないと、危ないんじゃないか――
「うるさい。まだよ」
――まだ。ということは、検討し始めているんだな――
「いいから黙って、私に付いてきなさい」
――ああ、楽しみにしているぞ――
彼女の魂に巣くう紙鬼が、怪しげに語りかけてくるのを振り切って、空へと舞い上がった。
「なにこれ……」
空から見下ろす光景は、ほんの数分前と大きく様変わりしていた。
木々はなぎ倒され、人の気配もまばらである。恐らく俊敏性に特化した紙鬼が暴れたのだろう。当の紙鬼はまだ山の中腹辺りで雄叫びを上げながら走り回っており、それを追従するように、結界が張られては消され、張られては消されてと、どうやら美代子もそのスピードに追いつけていない様であった。
*
「あ! 智鶴様が吹き飛ばされた!」
拠点で紙鬼の動きを観察していた門下生が大声を上げた。
「至急結界を! 紙鬼を閉じ込めるわよ!」
美代子の指示に、彼女のバックアップをしている門下生達が、直ぐさま呪具を構え、美代子が結界を展開するが……。
「うそ、早すぎて位置指定が追いつかない」
結界を張る際、先ず第一に行うのが、結界を張る場所の指定である。どこに結界を設置するか。それを決めてから、どんな結界にするかを決める流れなのだが、こう動き回られては、捕捉しきれないのだった。
「美代子様、大きな結界に切り替えられては?」
「それだと戦闘班を守り切れない。どうにか動きを止めないと……」
焦る美代子が珍しく、当てられた門下生達が不安を募らせていった。
*
「逃げなさい! とにかく今は、紙鬼から逃げて!」
智鶴という格好の敵を吹き飛ばし、次を探しながら暴れる紙鬼。
藤村馨は、己の班員である戦闘員達に、指示……というよりも願うように声を張った。それを受けた班員がみな三々五々、散り散りになって、逃げ惑う。
「智鶴様、どうかご無事で」
そう願う時間もごく僅か。今は自分の命を優先して、防戦に徹する藤村班一同。
そんな歯がゆい思いを抱いているのは、智喜の班も同じであり、別の場所では、栞奈もまた走り逃げていた。
その中において、1人立ち向かう勇気を持った者がいる。
「万里眼」
その者とは、百目鬼隼人だ。
余りに自然体な姿に、「無茶だ」「逃げろ」などと叫ぶ者は居なかった。静かに彼の一挙手一投足に注目が集まる。
彼は逃げること無く、紙鬼の動きを見切り、確と手袋を填めると、厳かに構えをとった。
「あと、10メートル。5メートル。3、2、1……今!」
自らの目鼻先に踏み降ろされる足に一切臆する事無く、ただいつもの修行の通りに、拳を突き出す。
バンッという衝撃音が、静かに響いた。
走っていた鬼は、足を取られ、盛大にこける。だが、縮んだとはいえ、4メートルの鬼である。倒れ込んだ衝撃に、地面が酷く揺れ、多くの者が尻餅をついた。逃げに徹していたタイミングと言うこともあり、押しつぶされる者がいなかった事だけが幸いである。
百目鬼の英断により、戦況が進んだ。
まず、美代子の結界が鬼を捕らえ、捕縛。そして、散り散りになっていた班員が集結し、攻撃の準備を調え始めた。
空で唖然としていた智鶴も我を取り戻し、紙鬼の居る地点まで戻ってきた。
そして……。
「おいおい、ボロボロじゃねぇか。まだセンスは残ってるか!?」
「お、お主は!」
智喜の前に、1人の男が現れた。
「吹雪会を連れてきたぜ。オヤジィ」
ニッと笑う声の主は、坊主頭にジャラジャラとピアスを開けた、どうにも年が分かりにくい男。彼は真っ白な戦闘装束の上から、背中に金糸で金烏の刺繍が施された、カラスの濡れ羽色の羽織を、袖を通さずに纏っていた。
「智成! お主、ようやく……。いや、その羽織は……じゃない、うむ。よくやった!」
余りの急展開に、智喜をしても頭が追いつかず、言葉が上手く出てこないようだった。
智成の後ろから、黒いゴシックロリータ衣装に、これまた金烏の刺繍が施されたカラスの濡れ羽色のケープを羽織った少女がひょこっと現れる。
「魔呪局直轄戦闘部隊、金烏会一同。骨董屋惣五郎様の命により、吹雪会一同様方の援護に参りました」
真面目な声音で、そう告げたのだった。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございます。
気がつけば桜も藤も終わり、青々と茂った木々が街行く人に潤いを与える季節がやってきてますね。(訳:どんどん暑くなりますね。汗が止まらん)
そんなこんなでまた次回!




