9話 紙鬼調査
人々が出払い、静まった千羽家屋敷は智鶴の私室。彼女がぬい狂いと呼ばれるのも納得する、おびただしいほどのぬいぐるみ。最近秘密裏に隠していた場所が1カ所暴かれ、部屋に持ち込んだものだから、更に窮屈となったその部屋には、ぬいぐみたちが幾つかの小山を築いている。
誰もいないはずのその部屋で、ぬいぐるみの山がモゴモゴと蠢いていた。
ぽろりぽろりと小さなぬいぐるみがこぼれ落ちる。
その中から現れたのは、一際大きいテディベア。キョロキョロと辺りを見回すと、誰もいないことを確かめ、襖に手を掛けた。
*
ミシッ……ミシッ……。
千羽智鶴はその嫌な音を1番近くで耳にした。
目の前に立ちはだかる5メートル越えの巨大鬼、紙鬼。現在は活動を止め、自身の回復に努めていたハズが、先程からどうにも雑音が聞こえてくる。
次の瞬間
「ぐおおおおぉぉぉおおおおぉぉぉおおぉぉぉぉおおぉぉおおぉおぉぉおおおおおおおお」
今までに無いほどの咆哮が山全体を轟き、震わせた。それは自身への激励か、それとも敵に対する挑発か。何にせよ、それの所為で、結界は破壊され、防護術に守られているはずの門下生が、半分近く昏倒させられた。
智鶴の位置からは全く見えないが、確実に拠点の美代子が悔しさに歯ぎしりしている光景が目に浮かんだ。
「そんな雄叫び、何てことない! まだ蚊の羽音のが効果あるわ!」
頼もしい挑発の一声を上げて、智鶴が躍りかかる。
先程は攻撃を受け続けていた紙鬼だったが、回復を経て完全に目覚めたのか、より好戦的になっており、智鶴へ向かい拳を叩き下ろした。
もちろん智鶴は防御した。自動防御で動いた紙が、鬼の拳を下から支えるように受け止めたのだ。だが、身動きが取れない。移動に意識を移せば、途端に防御が崩れることは明白だった。これは完全なる力比べ。そうなってしまうと、巨体で鬼気の純度もより高い紙鬼の方が、何枚も上手である。
「うぐっ」
強く噛みしめていた奥歯が欠けた。それでも尚、いなすことも跳ね返すことも出来ずにいた。そこへ、紙縛術の糸が襲来する。盾となっていた紙に巻き付くと、ひっぺ返そうとして下へ下へと引っ張ってくるのだった。
「智鶴様!」
ここからどうしようかと悩んでいた所へ、声が聞こえた。それとともに、風の刃が紙の糸を断ち切る。糸は切られたことに反応して、燃えさかった。酷いことに、盾としていた紙にも燃え移り、もうどうすることも出来ない。
防御を諦めた智鶴は、折紙で巨大な槍を生成、鬼の拳に突き刺すとしがみついた。更には、足場を崩し、振り下ろされる勢いに、私服を固くして耐える。。
「うわ~~~~~~~~~~」
日本中、いや、世界中のどの遊園地よりも、大迫力で命がけなフリーフォールに絶叫が止まらない。
目の前から消えた智鶴を探し、辺りを見回す紙鬼。ふと手の側面に違和感を覚えると、それを顔の前へともって来る。しかし、そこには鬼にとって爪楊枝程の槍が刺さっているのみ。忌ま忌ましげに抜き取り何処かへ放り投げると、どしどし足音を立てて、山を下ろうとし始めた。
「紙弓!!」
突如、紙鬼の背後で声がした。振り向こうと体を捻った瞬間、鬼の目には弓に矢をつがえる少女の姿が飛び込んできた。鏃には鬼気が込められており、その禍々しい密度に、空間が歪んで見えた。これを受けてはならない。鬼は直感し、振り向くスピードを活かして、なぎ払おうとした。だが、少女の方が早かった。
放たれた矢は鬼の肩に命中、その威力は肩を抉り取り、凪払いを不可能にした。
皮一枚で繋がった左腕が、だらんと垂れ下がる。
数秒前のことである。鬼が振り下ろした拳が、勢いを残して太ももの辺りを通過する寸前、彼女は槍から手を離した。そのまま慣性の勢いで紙鬼の背後に飛び上がり、足場を形成、紙操術の応用 折紙で弓矢を作ると、鬼が自分を探して注意が逸れているのをいいことに、力を振り絞って鏃に溜め込んでいたのだ。
「ぐぅおおお」
痛みを感じた鬼は、うめき声を漏らす。
「よ、よし!」
ここまでで1番の深傷を負わせた彼女は、満足げにガッツポーズを取った。しかし、力が入りきってなく、それは弱々しいガッツポーズだった。
(このまま、また回復を始めてくれたら、その間に私も……)
智鶴の願いは儚くとも泡沫に消える。
鬼は左腕をブランと垂れ下がらせたまま、智鶴の紙刀の如く、自分も巨大な紙の棍棒を作り上げると、右手で握り、素早く振りかぶった。
「あ、これはダメだわ……」
防御しようにも、押し切られる。逃げようにも今はスピードを出せない。直撃は免れても、風圧で飛ばされる。確実な逃げ道が見つからない。
しかし、もしこれが振り下ろされたら、下にいる門下生達に被害が出る。
「やるしかないか~~~~~~~」
火事場の馬鹿力が出てくれと願い、両手を体の前に構えると、一声。
「紙壁!!」
自動防御とは比べものにならない程頑丈で、頼りがいのある紙の壁が彼女の前に形成される。
それを遠目に見ていた美代子が、咄嗟にその紙壁へ呪いを掛けた。
初めはゆっくりと、そして徐々にスピードを上げ、棍棒が振り下ろされてくる。
鬼はその壁ごと彼女をたたき落とすつもりのようだ。
「ガキィィィイイイン」
鬼気と鬼気がぶつかり合い、紙と紙がぶつかり合い、術と術がぶつかり合い、衝撃音が鳴り響いていく。
被害の的になると自覚した門下生達が、逃げていくのを眼下に見た。それでも、受け止める選択をしたからには、中途半端に受け流せば風圧でダメージを受けるのは自明の理。なんとしてもこの押し合いには負けられない。
「うぐぐぐ……」
「ぐお……ぐおおおおおお!」
紙鬼が雄叫びとともに、力を入れ、更に紙縛術で下からも邪魔しようとしてくる。
「智鶴様を援護しろ~~~~~~~~~」
それは結華梨の声だった。
「紙の糸を近づけさせるな!!」
叫びながら、風の刃を打ちまくる。
先程は繋がれている状態で切ったから、防御にも被害が出たが、未然に切ればそうはならない。
ただ逃げていただけの戦闘員達、ただ傍観に努めていた戦闘員達が、己の役目を自覚し、行動を始める。今鬼と力比べをしている少女の周りに、火の粉が舞い踊った。
*
これは智鶴が鬼の拳を受け止めた瞬間から少し前の事である。
皆から少し離れた所に、神座栞奈はいた。
「動き出す前に、始めなきゃ! いいか~動くなよ~」
栞奈は場所を探していた。紙鬼から近すぎず遠すぎず、その魂を観察できる場所を。
「うう……丁度良さそうなところに限って、木が生えてる。あ、でも、ここなら!」
栞奈は風霊を下ろすと、大ジャンプして太めの枝に飛び乗った。
「座禅は組めないけど、ここなら見えるぞ!」
足をぷらんとさせて、彼女は紙鬼を見つめた。
「ツナガリヒラケ 降霊術 深層侵握!」
栞奈の意識の半分が、体からするりと抜けだし、幽体となる。彼女自身に残したもう半分の意識との繋がりは残したまま、紙鬼を目指し、そろりと地面のすれすれを飛んで行った。
(繋がれ、繋がれ、気づかれるな……)
そっと、そっと、木々の間、木漏れ日の影を利用して近付く。恐らく巨大な図体が邪魔して、足下など見えていないだろうが、それでも繋がる前に気づかれ、攻撃されてはひとたまりも無い。
(あと少し……あと少し……)
今だ! と、紙鬼の中へ半意識の幽体が飛び込んだ。術が始まる。
と、その時だ。栞奈の耳に、ミシッミシッという嫌な雑音が聞こえてきた。
「おいおい、嘘だろ。ちょっと待ってくれよ!」
栞奈に気がついたのかは定かでないが、ずっと止まっていた紙鬼が動き出してしまった。
「智鶴、頼む~。足止めしてくれ~」
彼女がそう願うと、紙鬼の動きがピタリと止まった。
「お、おお~~! 智鶴が拳を受け止めてるのか! すげぇな~。わっちも負けてられないぞ!」
この隙に術を再開する。
「おえっ。気持ちの悪い空間だな~。智秋はここに居るのか!?」
栞奈が紙鬼の内部を探っていく。だが鬼に湛えられるのは、濃密な鬼気。生身よりも生身である意識――魂の半分を調査に潜らせているのだ。彼女が無事なわけはない。
「長居はできないな。短期決戦で行くぞ」
そう呟く表情は青く、苦しく、今にも胃の中身をぶちまけそうだった。
栞奈は紙鬼の魂を読み取り、核となっている智秋を引きずり出す方法を探るつもりだった。人間優位の紙操術において、紙鬼の魂が大きくなった事が、今回体の主導権を乗っ取られた原因だと仮定。それなら智秋の魂を大きくして、人間優位の状態にしてやればいいと思った。だが、どうやって? 小さな人の魂を、巨大な鬼の魂を超える質量にまで引き延ばしたら、一体どうなるか分からない。では智秋の部分を引き抜くことで、紙鬼を弱体化、魂だけでも智秋を保護しよう。そう考えたとき、先ずすることは……。
と考え、第一フェーズ、紙鬼の魂構造の調査を始めた訳である。一度智鶴の魂に触れたことのある彼女は、予測を立て、調査を進めていく。
「智鶴の時に見た感じだと、恐らく紙鬼の魂の中に智秋がまざってるって感じで、優劣反転を起こしてるハズなんだよな……」
百目鬼のように妖の内部を透かして見ることの出来ない栞奈は、意識世界の中で、魂がありそうな場所を次々に探っていく。
「ここでもない、あっちは多分違う……こっちか!?」
目を瞑る彼女の頬を汗が伝う。
「ここか~~~!」
魂がある場所の、端っこの端っこを見つけた。ここをとっかかりに、先へと進んでいけば、調査が出来る。
「よ、よし、いくぞ!」
最上位に君臨する妖の魂になど、触れたことのない彼女にとって、どうなるか分からない不安感が心臓の鐘を、何度も、何度も、早く叩いた。
侵入させた半身で、ちょんと触れてみる。
「うわっ! あぶね!」
指の先が触れたか触れないかのところで、引きずり込まれそうになった。相手に主導権を握られては、本当に為す術がなくなってしまう。
「これは、一体どうしようか……。これだけの干渉で引きずり込まれそうになるとはな……」
そのとき、頭上で鬼気の塊が炸裂した。
「うおっ! 今度はなんだ!?」
それは智鶴だった。何かしらの技を放ったようで、紙鬼が左手をブランと垂れ下がらせている。「流石」そう言おうとした瞬間、気がついた。智鶴の力が抜けてしまっていることに。彼女がそこまで覚悟を決めている事に。
「あ~。もしも飲み込まれたら、ごめん!」
(ここで腹をくくらなかったら、神座最後の生き残りの名が廃る!)
栞奈はどうなろうとも、知ったことか! とばかりに真っ暗な紙鬼の内部へと、半身を飛び込ませた。
暗い暗い。
ここがどこか分からない。
(どっちが上でどっちが下なんだ。いやそもそもわっち、何してたっけ……)
栞奈の力が抜けてくる。そのとき、ふと頭の中に声が響いた。
――……んな、栞奈!――
「ん? 智秋か? なんだ? 朝か?」
――もう、何寝ぼけてるの! 起きないと!――
「………………はっ!」
昏倒しかけていた自意識が目を覚ました。
「そうだ、智鶴がピンチだから、慌てて紙鬼の中に飛び込ませて……。え~と、あ! よかった~半身との繋がりは切れてないみたいだな」
全てを思い出した栞奈は、すっと目を閉じ、魂の気配を探る。
(さっき、智秋の声が聞こえた気がしたんだけど……。気のせいかな。もう完全に取り込まれてるハズだもんな。うん。てか、ここ鬼気が濃すぎて何にも見えないな……。生身だったらもっと大変な事になってたぞ。智秋も相当苦しんだんだろうな……)
栞奈が感傷に浸りかけた自分を追い払うべく、ぶんぶん首を振って術に集中する。
(うげぇ。気持ち悪い。鬼の中なんて来るもんじゃないな……。う~ん。魂、ドコにあるんだ……?)
目と鼻の先にあるはずなのに、探せども探せども何も見つからない。事前に百目鬼から内部の話は聞いていたが、霊的弱所だけでなく、魂すら見つからないとなると、とうとうこの鬼がナニモノなのか分からなくなってくる。
(もしかして、ホントに神様なのか?)
焦り始める気持ちを押し殺して、目を固く瞑り、気配を辿る。
――こっちよ――
脳裏に声が響いた……気がした。
「智秋?」
そんなハズないとさっき思い当たったのに、まだそんな事を考えてしまうあたり、場の空気に色々可笑しくなってきているのかと、苦笑した。
でも。
「ほんとだ、そっちだったんだな」
声の方向に、魂が見えた。
*
「うぎぎぃ……」
智鶴を押しつぶそうとする紙鬼と、紙壁を張って、それに耐える智鶴。
「重い……」
『ビリッ』紙壁に罅が入り始めた。
「けっこうヤバいかも知れないわね、けどッ」
ここで諦めてなるモノかと、紙漉で罅を塞いだ。
一進一退。溢れる鬼気が辺りに靄をかける。
「凄いな……」
地上から見上げていた門下生がつい声を漏らす。
小さな背格好で、初対面の時には弱々しくも見えた少女が、このレベルの妖と力比べで対等に張り合っている姿に、素直な尊敬を覚えたのだ。
だが、当の智鶴は、ギリギリだった。
(少しでも気を抜いたら、吹き飛ばされる……)
と、その時だった。
「え、わ、わーーーーーーーーー」
智鶴の体がふわりと浮いた。
紙鬼の力が抜けたのだ。
拮抗していただけあって、急に抵抗が無くなった反動で中空に放り出され、足場を失い、墜落していった。直ぐさま紙をかき集めて激突を防いだが、追撃が来るのではと、仰向けのまま慌てて目の前に紙壁を展開した。だが、
「あ、あれ?」
何も起こらなかった。
冷静になって紙壁を移動させ、その後ろから紙鬼を見やる。すると、その鬼は動きを止め、茫然自失に立ち尽くしていた。
「な、何が起こってるの……?」
*
そんな智鶴の程近く、木の枝に腰を下ろしていた栞奈が、
「ふう、何とか間に合ったぞ」
そう言いながら額の汗を拭った。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございます。
最近どんどん暖かく、過ごしやすい季節になってきましたね。公園とか、桜が咲き乱れて、春爛漫! といった感じがします。同時に、鼻がムズムズしてきていますが、皆さんは大丈夫ですか? 紅茶さんは耳鼻科へ通い始めました。
ティッシュが手放せないので、
ここらで、また次回!!




