8話 暗闇の中に差す光
ただ暗闇が広がるだけの空間。そこが日本なのか、地球なのか、銀河系の中なのか。現世なのか隠世なのかも分からない。
そんな場所に、人間が横たわっている。
その人物は、五感をすべて奪われ、ただ生きる為に呼吸だけ許されていた。恐らくそれを見て、生きた人間だと思う者は少ないだろう。ピクリともしないそれは、まるで呪物を封じているかのような見た目。全てがボロボロの包帯まみれで、グルグルのしめ縄まみれで、ベタベタの呪符まみれだった。
「出ろ。ご当主がお待ちだ」
「……」
新たに現れた人物が声を掛けると、器用にもひょこっと立ち上がり、ぴょんぴょん跳ねながら、後を付いていく。立ち上がる寸前、何か言葉を発したようだが、乾ききったその口では、耳に届く音を紡げはしなかった。
*
千羽智鶴の脳裏に嫌な妄想が広がる。
何故竜子がいないのか。千羽には裏切り者が居る可能性がある。その者はまだ見つかっていない。この場にいるのは公的に仕事へ出かけている者を除き、千羽一門全員。智成はいないが、そもそも彼は門下の人間ではない。となると、現在、一切の行動が確認されていない者は……。
「いや、今は止めとこう。お姉ちゃんがこうなっていること意外に、何かを考えられる自信がないわ。どうせ変なモノでも食べて、お腹を壊してるのよ。きっと、明日にでもひょっこり顔を出して、ごめんって言ってくるに違いないわ」
そうよね、竜子……。最後の想いは口から顔を出さなかった。確かに信じているから、声に出すまでもなかった。
両頬を両手でバチンと叩き、挟む。そのままぐりぐりと顔をこねくり回すと、「よし!!」大きな声で自分を鼓舞すると、目の前で暴れる鬼に集中した。
だから、雲居に隠れた陰なんて、目の端にも留まらなかった。
「お~~い、お~~い」
誰かの声がした。自分を呼んでいると直感し、辺りを見回すと、月明かりに照らされた山岳風景の中、ひらひらと舞う手が見えた。目を凝らしてよく見ると、それはおそらく百目鬼だった。
「で、伝令」
智鶴が近づくや否や直ぐに話を始めた百目鬼は、大声を出して疲れたのか、息が上がっている。
「このまま、上ると、本殿、着いちゃって、神域への、扉、危ない、から……」
彼は身振り手振りを加えて紙鬼を誘導するルートを伝えた。
「分かったわ。ちゃんと誘導出来るか分からないけど、善処するわ」
「あと、途中で、すれ違った、栞奈、から。紙鬼の、魂、解析、するから、こまめに、足止め、して欲しい、そう」
「紙鬼の魂を……。どうするつもりなのかしら? お姉ちゃんを起こすの? 紙鬼に語りかけても、止まるとは思えないけど……」
「分からない、でも、何も、しないより、マシ」
2人がそんな会話をしていたときだった。結界が軋む音が途切れた。
「割られた!?」
とうとう結界が破れられたかと思い、慌てて振り向く。
だが、紙鬼は急に動きを止めただけだった。スイッチが切れたかのように、不気味なほど静かになった。
「ちょっと、これ、どうなってるのよ。何かの前触れ!?」
「智鶴、縁起でも、ない」
他の戦闘員及び、関係者全員が次の出方を見逃すものかと、鬼に注視している。
ここで1つ補足しておかなくてはならないことがある。人、植物、動物、妖も幽霊も、全てには『気』が流れている。それは霊気・妖気と呼称に違いこそあれども、根源は臓器ではない。それは森羅万象に基づく。つまりは、自然そのものが根源であり、呼吸や接触、食事、他にも様々な自然とのコミュニケーションを通して、体内に取り込まれていく。
それは鬼であっても例外ではない。
門下生の誰かが叫んだ。
「き、傷口が!!!」
その叫びに反応して、周りの門下生達は紙鬼が負った傷に注視した。
そして、また別の場所で、誰かが叫ぶ。
「木々が枯れ始めた!!」
声が聞こえていなかった智鶴と百目鬼も、同じようなタイミングでそれに気づき、声を揃えて哀感漂う声を漏らした。
「嘘でしょ……」「嘘だ……」
そう、紙鬼は周りの木々から『気』、所謂生命エネルギーを吸い上げ、自身の体力を回復させ始めたのだ。木々が枯れていったのはその前触れだった。
誰もが知っているハズなのに、身内にその能力を持っている者がいるのに、順調に傷を負わせていた為、油断してすっかり念頭から外してしまっていた。
上級妖は回復能力を持つ。その事実を。
同じく回復能力を持つ百目鬼でさえ、うっかり忘れていたのだから、これは誰を責める事も出来ない。
憎々しげに智鶴が歯がみする。
「油断してたわ……」
ボソッと呟くと、即座に前傾姿勢を取り、紙鬼に向かっていく。結界を抜けると、紙吹雪を発動。「巨人の拳固!」と叫び、巨大な紙の拳で鬼の右頬へフックをかました。だが、それもただ喰らい、ただ回復する。
「チッ!」
大きく舌打ちをすると、巨大な紙刀を形勢、先程同様、頭頂部からかち割らん程の斬撃を繰り出すも、結果は同じだった。
だが、彼女は諦めない。このまま振り出しに戻ってたまるかと、次々に技を繋げていく。彼女は智喜の様な紙の枠を超えた攻撃は出来ない。智秋の様な紙縛術も苦手だ。ましてや智成のような創造性も持ち合わせていないが、それでも彼女には彼女の修行人生があり、その中で培ってきた確かな技がある。16年の集大成とも言える連撃。
10分以上動きを止めなかった彼女が、荒げた息を落ち着かせ、紙鬼の様子を覗うべく一旦距離をとった。
「そんな……」
彼女が繰り出した連撃の軌跡は、何一つ鬼に残っていなかった。
それはおろか、ほぼ完全に傷が消えていたのだ。
「回復スピードに勝てなかった訳ね」
冷静に状況を判断する彼女には、まだ諦めの感情は湧いていない。
「これは……俄然やる気が湧いてくるわね」
奥歯をギリッと噛みしめ、ニヤッと笑った。
どうやら、数年ぶりの姉妹喧嘩には、まだまだ幕が下りないようだ。
*
所変わって、ここは牡丹坂家地下避難所。急に現れた妖から逃れるべく、牡丹坂咲良・桜樺と椿姫母子を始め、門下に連なる店子や研修生・研究員など、全員がそこへ集っていた。
逃げ遅れ、深傷を負ってしまった者もおり、その応急処置に講じていたのも束の間、今はただ皆で身を寄せ合い、事態の収束を待っていた。
「まだ家に被害は出ていないようですね」と椿姫。
「そのようですね。でも、高価なお薬たちが心配ですわ」とこちらは桜樺。
地下室と言えども音は聞こえるから、もしも家が倒壊していたら分かるはず。まだ大きな物音も聞こえないことからすると、どうやら滅茶苦茶にはなっていないようで、商品や機材は無事だろうと思われた。だが、次の瞬間にそれが聞こえてくるのではないかと、研究肌で商売屋の皆は、自分よりもそちらの不安に包まれていた。
「高価なものもそうだけど、もっと手軽で、この後役に立つような薬が私は心配です」
牡丹坂家当主で姉妹の母である、咲良が心配げな声を上げた。
「この後……?」
椿姫が何か知っているのかと、母に尋ねる。
「さっきも少し話しましたけどね。どうにも、10年前と重なる部分が多い気がします。突然の妖、それも上級の妖が、この地に沸くなんてこと、滅多にあるはずもないのに。それがわんさか。私の読みが正しければ……、っと、これは憶測に過ぎませんが、恐らく千羽に巨大な鬼が現れている可能性があります」
「鬼?」
母の神妙な面持ちに、桜樺が不安を声音に乗せて問いかけを続ける。
「ええ、鬼……紙鬼といいます。千羽の力の源になっている鬼です。2人はまだ幼かったので覚えていないかも知れませんが、10年前、当時の当主である智房様が核となり、顕現しました。鬼は猛威を振るいましたが、千羽の全員と、ぬらりひょんの百鬼、当時の吹雪会が力を合わせ、そして最後に、百鬼女帝の……いえ、尊い一人の女性の命と引き換えに、幕が引かれたのです」
「何となく「覚えています。「あの時の「美しい蛟を。「確かに知っています「あの蛟は「今、十所竜子さんが「使役していると」
10年前、牡丹坂を救ったのは、他でも無い十所求来里だった。
「そうです。私たちを助けてくれた、百鬼女帝・十所求来里さんは、竜子さんのご母堂です」
母の悲哀に満ちた表情から、当時の悲惨さを、幕引きの後味を悟った姉妹は、釣られて同じような表情になった。
「あれ? でも、「と言うことは……」
姉妹が揃って何かに気がつく。
「もしも「お母様のお話が「憶測で無かったら。「今回の核は「一体誰なのでしょうか」
互いの目を見つめ合う。揃って同じ事を考えているのは明白だった。
「まさか「智鶴様……「もしくは「智秋様……」
智鶴も智秋も姉妹にとっては只、吹雪会主の孫ではない。幼い頃から知り合う仲なのだ。恐れ多くもそれは幼馴染みだとも言える。千羽に行けば2人がいて、一緒に遊んだこともある。傷ついたと聞けば、直ぐさま駆けつけ処置をしてきた。最近は解れていた仲も撚りが戻って、また4人で笑い会える日が来ると思っていた矢先……。
「お母様「私たち「じっとして「いられません」
「その気持ちは分かります。でも、私たちだけでは、この屋敷を出るだけでも生きて帰れるか……」
「で、「でも!!」
急く思いが姉妹を立ち上がらせた時だった。
不意に外から扉が開かれたのだ。
「よう、待たせたな。おお、やる気に満ちあふれてるねぇ。こりゃセンスの塊だな」
千羽への道が開かれた。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございます。
今日の東京は『春』って感じの陽気に包まれた、うららかな日だったのですが、最早熱暑いの一歩手前。うっすら汗をかき、電車やお店ではクーラーがかかっているという。一気にタイムスリップしたみたいでした。
いつまでこんな陽気が続いてくれるのか。
そんなところで、また次回!




