6話 決心
全ての自意識は鬼に溶け。
全ての記憶は魂に還った。
*
「動き出したぞ~~~~~」
境内から大声が降り注ぐ。
地面に胡座をかく百目鬼の臀部に、断続的な微細動が届いた。紙鬼が動き出したのだ。
ここで初めて、彼に焦る気持ちが湧いた。でも、あと少し、もうあと少しで届きそうであり、そのもどかしさに苦悶の表情を浮かべる。
(見えた! けど、これは、どういう、事なのか)
不運にも10年前の千羽門下には、百目鬼のように霊的弱所を探れる術者が在籍していなかった。だから、その当時の解析記録が無く、なぜか倉にも紙鬼に関する詳細が書かれた書物が存在していなかったため、彼が事前に紙鬼の『中身』について知る術は無かった。また、紙鬼レベルの妖と対峙するなど、人生の中でもそうそう経験するものではないから、想像することすら出来ていなかった。
まさか、まさか、
「霊的弱所、が……無い? いや、違う? これは、一体……。何で、神気が、混じり、合って、いるん、だ」
かつて、神を『視た』と言われている草壁朝道が残した書物には、こう書かれている。
『鬼も竜も含めた全ての妖には霊的弱所(妖気の痼り)があり、そこを的確に突くことこそ、人が人知を超えた妖と渡り合うために必要とされる技術である。だが、この霊的弱所が存在しない場合がある。
それは、相手が生きる者(人も畜生も含め)である場合だ。生きとし生けるものは心の臓や脳髄など、霊的弱所に勝る弱点を有し、また体を流れる気も霊力に由来するために、妖気の痼りが出来上がることは無いと言われている。(混じり者である場合は未知)
更にもうひとつ、霊的弱所を保持しない存在がある。それが神だ。人や妖、物体であっても、ありとあらゆる者には神となり得る素質がある。実際、山そのものを神とする信仰や、かつて人だった者を神とあがめる信仰もある。そういった者達は修行や境遇から、自分の弱い部分を見つめ、乗り越え、一つ高次元の存在へと昇華し、神と成るのだ。
恐らくはその弱い部分を乗り越えるという行為に寄与すると思われるが、神は一切の弱点が無い。完璧で完全な存在である。実際私が荒行の最中、朦朧とする意識の中でハッキリと見た神はとても澄んでおり、妖が弱所を隠すような小細工が視られないのに、弱所はどこにも存在しておらず、体内も、人のように臓器で満たされているわけでもなかったので、本当に弱点はないものと考えられる。』(草壁朝道:著『妖研究 現代語訳版 第二章 神』より一部抜粋)
勿論百目鬼にはこの知識があった。だからこそ、混乱しているのだ。
「何で、何で、何で。分からない。紙鬼は、神、なのか? そんな、話、今まで……というか、紙鬼って、何だ? いつから、ここに? どこから、ここに?」
濁る思考の中、突如として自分の無知に気がついた。いつも隣に居た少女達が宿している力の源。それは純粋な鬼であるとして疑った事など無かった。彼女らが発する鬼気は純粋に鬼気であり、今まで神気を発したことなどなかったはずである。更には今この山に突っ立っている鬼もまた、神気など発していない。
「なら、何で、弱点が、無いんだ! それに、何故、中に、神気が、混じってる!?」
当主である智喜に報告しようにも、なんと言っていいのか分からなかった。千羽には、言い換えれば呪術大家には、得てして沢山の秘密があり、それは掟で当主に箝口令が敷かれていることは、既に承知していたから、何を聞いても話してくれることは無いだろうと思われた。
考えたくないが、余計なことを知った彼になにかの措置が執られないとも限らない。
だから、彼が話せる相手はただ一人しか居なかった。
拠点にて、紙鬼の観察。それが現在、任じられている立場であったが、これ以上視ていて何が分かる訳でも無い。
彼は駆け出した。
*
次々と湧き出る妖を前に、獺祭漢九郎は、弟の漢吉郎と背中合わせで息を上げていた。
「こ、これじゃ、キリがねぇよ」
かれこれ1時間くらい経ったろうか。それなりに妖の湧く地域に居を構える獺祭家でも、ここまでの事態はそうそう無いことだった。
「兄ちゃん。何だか10年前を思い出さねぇか?」
「漢吉郎もそう思ったか? もしかして、また千羽の方でヤバいことになってんじゃねぇだろうなぁ」
10年前のあの日も、今日のように妖が湧き続ける夜だっ。まだ学生だった時分、思うように力が発揮できなかった。役に立てなかった。そんな過去を苦々しく思い出す。
「門下生達も大分息が上がってきてる。千羽に何かあったとして、戦力を分断する訳にもでいかねぇし、吹雪会の非戦闘員を助けに行く事すらできねぇ」
百鬼夜行とも思えるような目の前の光景に、獺祭兄弟は歯がみすることしか出来ない。
「おいおい、嘘だろ……」
獺祭一門ですでに500体以上の妖を屠ったと思ったところに、更に湧き出るは、上級妖3体。
漢吉郎はぐっと奥歯を噛みしめると、
「俺が一体倒すから、兄ちゃんはあっちを頼む! 気象術 奥儀 天狭霧神!」
神気を発し、細胞の一つに至るまで霧化した彼が、ティラノサウルスを思わせる怪獣のような妖に突っ込んでいった。
「漢吉郎! 俺も負けちゃいらんねぇ……。でも、残り2体……どうすれば」
(上級妖は3体。漢吉郎が一体を倒すとして、俺はどうする? あっちの巨大ミミズか、そっちの堕天使みたいなやつか……。2体は流石にキツい。門下生には荷が重い……)
「チッ。最近、古株が大勢巣立っちまったからな。取り敢えず、ミミズは後回しか!」
漢九郎が分かりやすく上位の気を放つ、堕天使型の人型妖に狙いを定めたときだった。
「お、お前らは……!」
*
紙鬼が動き出した。これ以上に悪いニュースがあるだろうか。
「うおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
紙鬼の雄叫びだ。暴力的な鬼気が発散される。10年前、鼻ヶ(が)岳で戦う多くの門下生を昏倒させた悪夢の咆哮。だが、今回は違った。美代子が前もって張った鬼を取り囲む結界が、鬼気を吸収し、拡散を防いだのだ。これで、ほぼ全員が無傷で戦場に残る事が出来たが、それでも数名の新人が意識を奪われ、その場に倒れた。
直ぐさま近くに居た無事な門下生が拠点に連れ帰り、処置を受けさせる。
そんな光景を、千羽智鶴はただ呆然と眺めていた。
まるで他人事だった。目の前で繰り広げられる悲惨な状況が、頭に入ってこない。
不意に肩を叩かれた。
「智鶴、……智鶴!!」
「あっ! えっと、百目鬼!? 拠点待機のハズじゃ」
肩を叩いたのは相棒の百目鬼隼人だった。
「あ、その、そう、なんだ、けど」
「何かあったの?」
「そう、伝えなきゃ、いけない、事が、あるんだ、けど、智喜様、に言う、前に、智鶴に、話したくて」
そう言う彼の姿を見つめる智鶴は、心ここにあらずと言った様子である。その事に何故か百目鬼は苛立ちよりも、安堵感を覚えていた。
「その、前に、智鶴、まだ戦えて、なかった、んだね」
「……」
うつむく智鶴。
「良かったよ。安心、した」
「安心?」
意外な言葉のチョイスに、智鶴は不審な声を上げた。
「うん。だって、あれ、智秋、だもんね。なのに、智鶴が、構わず、術を、使いまくって、たら、ちょっと、引いてた、かも」
「……そう」
百目鬼の言葉にも素っ気ない態度の智鶴は、内心では戦わないといけないことを理解している裏返しである。
「うん。でも、見て。智喜様、戦ってる。目に入れても、痛くないって、言って、本当に、入れようとして、みんなに止められた。とか言われてて、本当に、愛する、孫に、今、こうして、攻撃、してる」
智鶴が考えないようにしていた事を、百目鬼に突きつけられた。
「それは、お爺ちゃんが当主で。戦わなくちゃならないからでしょ。私は、だって、まだ平の戦闘員だもん」
紙鬼が暴れている。幾度も結界を殴りつけ、今にも割れそうに撓んでいる。それが維持されているのは、紛れもなく母・美代子も何処かで戦っている証拠である。
「そうだね。それでも、ね。行動は、無理して、変えられても、心は、どうなんだろう」
「私を卑怯だって言いたいの!?」
百目鬼がそんなことを言っていないのは、重々承知の上だった。でも、誰かに噛みつかないと、イラ立つ心が治まらなかった。
「違う」
「心を鬼にして実の姉を殺せって言うの!?」
「違う」
「じゃあ、なんなのよ!」
「智喜様が、ああしてるの、何か、策が、あるのかも」
「……!」
その考えは無かった。戦いに参加することが、イコールで姉殺しに繋がるとしか考えていなかった。その時、智鶴の脳裏に以前智喜から聞いた言葉が蘇る。
――ワシの力不足で智房も求来里も……多くの者を失った――
10年前の真実を聞いたときの言葉である。
(これ、ずっと倒しきれなかったって意味だと思ってたけど、もしかして、何か方法があるの!?)
「私、お爺ちゃんに、話を聞いてくる! あ、でも、今は戦闘中か……。一旦紙鬼を止めないとよね……。うん。その為になら力を振るえるかもしれない……!!」
「やっと、表情に力、入ったね。でも、待って。俺も、話があって、ここに、来たから」
「あ、そうだったわね。何?」
「あ、えっと……」
百目鬼が目を泳がす。
「私、お爺ちゃんのところに行かなくちゃだから、早く話して」
「その、やる気、出して、くれたところ、悪いんだけど」
ズドン、ズドンと、紙鬼の踏む地団駄が、響きをもって、地震とも言える地響きで山を揺らした。
「……?」
「あの、鬼。弱点が、無い」
「え、それって……」
百目鬼の告白に、智鶴が振り出しに戻ったかのような、悲しい表情を作った。
――という、わけで」
百目鬼の解析を聞いて、智鶴が顎の肉を人差し指の腹と親指で挟み、思案顔を作っていた。
「大体分かったわ。逆に言えば、思いっきりやっても、そうそうは壊れない訳ね。なんだか、足を止めてて損した気分よ。何が判明してもやることは決まっているわ。私は一旦紙鬼を行動不能に追い詰める。そこでお爺ちゃんから策を聞き出す。んで、お姉ちゃんを助け出して、一件落着って訳ね」
「そう、上手く、行くかなぁ」
「なによ。アンタが焚き付けておきながら」
右拳と左掌を叩きつけ、久しぶりに笑顔を作った。表情筋が強ばっていたようで、顔に違和感を覚えた。しかし、それがどこか心地よかった。
「そう、だった。うん。でも、もう、戦えるね」
「ええ。じゃあ、行ってくるわ!」
「うん!」
百目鬼は彼女の背中を見送った。
迷路を抜けたその背中は、晴れ晴れしく鬼気を纏っていた。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございます。
ここだけの話、千羽家のおひな様は紙で作られているそうですよ。
孫バカの智喜が作ったとかなんとか……。
皆さんも、ひな祭りをお楽しみくださいね。
ではまた次回!!




