4話 ゆらぐ想い
優しい、優しい気持ちに包まれていた。
目に浮かぶ智鶴が笑っている。
笑顔でなく、もっと。破顔。
堪えるまでもなく、笑い声を上げている。
自分も笑っているのが分かった。
幸せだった。
ずっとこうなる日を待ち望んでいたから、
もしかしたら夢ではないかと思った。
夢だったら、醒めなくて良いのに。
切に祈った。
*
息を切らした千羽智鶴が、屋敷に飛び込む。文字通り飛び込んだから、勢い余って前転しかけた。
「おじいちゃん! お姉ちゃんが!」
絶叫した。
「何があった」
玄関脇の襖が開くと、そこから祖父であり、千羽家当主の千羽智喜が姿を現した。何やら広間には人が集っていて、ガヤガヤと騒がしい声がしていたが、智鶴には一切聞こえて居なかった。
「ひ、光の玉が、おねえちゃんで、それで、いま、お姉ちゃんが、お姉ちゃんが!」
「落ち着け、ひと先ずは靴を脱いでから、深呼吸しなさい」
ひどく落ち着いた声で、諭されると、素直に従った。
「はぁ……はぁ……」
乱れた呼吸を落ち着けると、ようやく思考が巡り始めたが、そんな暇は無いと全身が急いている。
「端的に話すわ。お姉ちゃんが紙鬼化した」
「なんと、そうじゃったか……。誰の仕業か……いや、それは取り敢えず措いておくとしよう。鼻ヶ岳に異常な鬼気を感じて、既に人を集めた。もう準備は整っとる」
智喜は背後の襖を開けると、中に向かって、
「皆の者! 誠にすまぬが、10年前の再来じゃ。心してかかってくれ!」
既に出撃の通達は済んでいたのだろう。堰を切られた術者が、次々に屋敷から飛び出していった。
「どうせ止めても、お主は行くのじゃろう。分かっておる。止める事はせぬが、くれぐれも死ぬでないぞ。……どうした?」
きっと言葉を聞き終わらぬ間に飛び出していくと思っていた孫が、座り込み、項垂れたまま動かないから、肩透かしを食らった智喜は、心配げな声をかけた。
智鶴は膝を抱えて、顔を膝頭の間に埋める。
「私、守れなかった。私、止められなかった。お姉ちゃんを説得して、まっすぐ帰ってきたら、きっと変わっていたかも知れないのに、お姉ちゃん……」
智鶴の頬に涙が滴る。それは顎の辺りで一つになると、床にぽたりと落ちた。
「智鶴! いつまでも泣いてないで、シャキッとしなさい!」
不意に背中を叩かれ、キツい言葉を掛けられて、ハッと顔を上げると、そこにはいつの間にか戦闘服に着替えた母・美代子が立っていた。
「いい? 智秋がこうなってしまったのは、本当に残念よ? でも、今あの子を止めてあげられるのは、私たちしかいないの。放っておいたら、町の人たちが危ない。お姉ちゃんが、町を滅茶苦茶にして、思い出も何もかもが更地になって、アナタはどう思うの? 今くよくよしていられる余裕があるなら、未来に向きなさい! 後悔は後でしたらいいの。……大好きなんでしょ、アナタがケジメをつけてあげなさい」
「で、でも……やっと仲良くなれたのに……うう……お姉ちゃん……」
「でもとか、だってとか、今考えたってしょうがないでしょ!」
「ズズズッ」
鼻水がすすり上げられた。
「今何をすべきか考えなさい!」
母のことを非道だとか、薄情だとか詰る言葉は容易に生まれてくるが、自分と同じように悲しく、辛く、沢山の後悔を抱えていることは分かっていたから、何も口にしない。ただ母の気丈さが頼もしかった。それと同時に、自分の情けなさが浮き彫りになるようで、恥ずかしさのような感情が湧いた気がした。
――今すべきこと。
泣きじゃくる女子高生の顔だったのが、様々な感情を堪えるように、口元がキッと結ばれ、呪術師としてのそれになった。
「……うん。私、着替えてくる!」
自室へと駆けていく足音は、それでもまだ不安げだった。
*
時は少し遡り、下校時刻間近。夕日が差し込む教室で、木下日向と、安心院先生が向かい合っていた。
「来てくれると、思っていましたよ」
日向にはまだ口を開いて良いものか、迷いがあった。一度話を始めてしまったら、もう後には戻れないと分かっていた。
「…………!」
それでも、知りたかった。
「先生、教えてください。ちーちゃんが……千羽家が一体何者なのか」
「ええ」
先生はこれ以上無いくらい笑顔だった。
*
智鶴が鼻ヶ(が)岳に着いた頃には、もう既に作戦が始まっていたらしく、多種多様な戦闘音が響いていた。10年前を知るものも、知らず話だけ聞いていた者も、みなが鬼を何とかしようと必死に攻撃を繰り出している。
まだ紙鬼は活動期に入っていないのか、月夜に照らされ、棒立ちで境内に立っていた。それでも不気味な鬼気は多少なりとも漂い始めており、平気であるはずの彼女も、ぶるっと背筋に悪寒が走った。
石段の踊り場の横、少し開けたスペースに簡易的な拠点が設けられ、非戦闘員・偵察部隊の面々が待機していた。その中に、美代子と百目鬼隼人の姿を見つけた。
「やっと、来た」
「決心が付いたのね」
智鶴を見つけると、二人が近寄ってくる。
「ええ。私がお姉ちゃんを止めるわ」
頭では分かっていて、言葉も伴っているのに、まだ心が、心だけが追いついて居なかった。
2人から目を逸らすと、紙鬼の待つ境内に向けて、次の石段に足を掛けた。
*
木下日向は、月光に照らされる帰り道を駆けていた。
「私、何も知らなかった。知ろうともしていなかった」
安心院先生に聞かされた話は、信じられないくらいにオカルティックでファンタジーだった。事実は小説よりも奇なり。まるで下手くそな小説のようで、何も入って来なかった。
それでも、智鶴と過ごした時の中で感じていた疑問が、嫌にも解決されていくのが分かった。
眠そうだったのも、怪我が多くて学校を休みがちだったのも、妖と日々戦っていたと考えれば……。百目鬼が引っ越してきたのも、千羽家に住み込んでいるのも、智鶴と仲が良くなったのも、全て呪術を理由にしたら……。
全てを受け入れられない彼女に、先生が一冊の書物を差し出してくれた。
それは『千羽家之歴史』と書かれた書物で、いま彼女の胸元に抱えられている。
吹雪会所属大家の屋敷にしか蔵書されていないはずのそれを、何故先生が持っていたのかなど、何も知らない彼女には一切の疑問を挟む余地もなく、ただ渡されたモノを受け取ったに過ぎなかった。
駆けていた足を止めた。
呪術者でなく、妖を見る才もない彼女には、何も見えないし、何も感じる事は出来ないが、山の方から酷く不安を覚えたのだ。
山へ足を向け、独りごちる。
「ちーちゃんは、今何をしているの……」
もしかしたら、今も山で戦っているのかも知れない。
もしかしたら、また傷だらけになっているのかも知れない。
それでも、自分には何もしてあげられることがない。
歯がゆくて、側に居てあげたくて、だから身もだえして、どうにかなりそうだった。安心院先生は、「彼女の側に居てやれるのは、あなただけです」と言っていたけどけど、自分は笑顔で彼女の帰還を待つことしか出来ないことは、ハッキリ分かっていた。だから、一度向けた足を戻して再び駆け出した。
日向には、明るい光が漏れ出す、普通の家しかないのだから。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございます。
早い者で1月終わったそうです。
皆さんはこれから鬼退治ですかね?
紙鬼に豆は効くのでしょうか?
そんなこんなで、また次回!




