2話 俯瞰して
「これからどうなっていくのかしらね……」
千羽智鶴は珍しくも広間で、足の短い長机を挟み、中之条結華梨と百目鬼隼人と茶を啜っていた。いつもなら本家側の居間か自室で過ごしている彼女だが、道場終わりにたまたまタイミングが被った2人と話す流れになり、そのまま広間に移動したのだ。物珍しさを感じた他の門下生たちが遠巻きに見遣り、どんな会話をしているのか気になっている素振りを見せていた。
「みんな、疑心暗鬼まっただ中って感じですよね」
「わかる。ちょっと、居心地、わるい」
「本家も門下生も関係ないって感じよね」
3人が同時にため息をついた。その様子に、門下生が心配そうな視線を向ける。
智鶴の視線が、結華梨を捉えた。
「ち、智鶴様、まさか私を疑って……? 違いますよ! 私が、千羽に……いえ智鶴様に背くような事をする訳ないじゃないですか!」
結華梨の否定には、怒りが混ざっていた。智鶴はそんな彼女の様子を見ると、慌てて訂正に入る。
「違う違う。結華梨もただこのタイミングに門下生だったってだけで、苦労掛けられて、大変だなって思ってたのよ! 断じて疑ってなんかいないわ。それに私は外部犯だって信じてるから」
智鶴が心配してくれた事実に、ジーンときた結華梨は、うっすら涙を浮かべて喜んでいた。
「俺も、内部は、無いって、思ってる」
「わ、私もです……」
そう賛同した結華梨だが、先程までの愉悦はどこへやら。自信の無い声を吐き出した。
「何か思うことでもあるの?」
「いえ、そういうわけでは……」
結華梨は智鶴の前だというのに、頬杖をついて、どこかふて腐りながら語った。
「もしも、信じて、内部犯だったとき、どうすればいいのか分からないんです。きっとみんなもそう。私だって心から、門下の誰でもない、外部の犯行だって思ってますけど……。智喜様に背くことになりますが、もしも、もしもって考えすぎて、疑心暗鬼になりつつあるのは否定できないんです……」
彼女の言うことも尤もで、恐らく多くの門下生がそう思っているのは明白だった。当主・智喜のかけた集合から1週間くらいの間、破門願が出ていないのは、今辞めるのはより疑われるのではないかとの心理も働いていると見て、相違ない。
「そうね……私はここが家だから、もしも裏切られてもここから出て行く訳にいかないし、いい意味にも悪い意味にも、なるようにしかならないけど、あなたは違うものね。もしも内部犯で、みんなが千羽に愛想を尽かして出て行っちゃった時、ここで強くなって実家を継がなくちゃいけないあなたは、路頭に迷ってしまう。疑われでもしたら、それこそ家に迷惑がかかってしまう。きっと他のみんなも、同じなのよね」
これは難しいわ。と締めて、智鶴は口を閉ざした。
「疑う、のは、簡単。信じる、のは、難しい。か……」
百目鬼もそう呟いて閉口した。
重い沈黙が流れる。
その空気は、室内に伝播して、話に混ざっていない門下生達の中にも、不安げな顔を向けている者が居た。
「詳しくは言えないけどね」
そんな沈黙は、智鶴によって破られた。
「私、最近ね、信じていたことが嘘だったって、ことがあったのよ」
部屋に居る門下生達が聞き耳を立てていることがハッキリと分かったものの、彼女は先を続ける。
「ずっと信じてたことだったから、本当に落胆した。目の前が真っ暗になって、この先どうしたらいいか分からなくなった。完全に迷子ね。でも、その暗闇から抜け出すなんて、簡単なことだったわ」
「簡単なこと?」
お茶に視線を落とす憂いを帯びた横顔に、結華梨が問いかける。
「ええ。難しく考えすぎてたのよ。答えは目の前にあった」
智鶴の視線が百目鬼をチラリと捉えた。
「自分の意志も大切よ。でも、それだけじゃなくて、自分が大切に思っている人たちが、どうなったら嬉しいか考えたのよ。そうしたら視界がすっきりして、暗闇だと思っていた所に光が差し込んでね。こうして今もここに居られているの。って、なんか恥ずかしいわね」
照れくさくなって、最後は笑い声を混ぜた。だが、智鶴の言葉が締めくくられても、オーディエンスから満足げな気配はしてこない。
「でも、それって、結局、流れに身を任せるってことになりませんか?」
「ちょっと違うわ。他力本願になれって話じゃないの。本質を見極めて、自分だけじゃなくて、周りのことも考えるって事ね」
「本質……。難しいですね」
結華梨は不甲斐ないと、自嘲気味に口元を綻ばせる。
「難しいわ。時には自分を曲げなきゃいけないなんて、思うかも知れない。でも、自分の軸は大切。それでもって、他人の利益も考えて。最善の折衷案に、もしかしたら最高の答えがあるのかもしれないって話よ。要は俯瞰して考える? って言うのかしら」
「俯瞰して、本質を捉える。か……。私、確かに自分ばっかりだったかも知れません。千羽にとっての利益とか、門下生みんなの利益とか、ちゃんと考えてなかったかも。考えているつもりでも、行き着く先は結局、自分の事に行き当たってばかりだった気がします」
「でも、難しい、よ。みんな、自分で、精一杯、だもん」
百目鬼の言葉に、智鶴はからかっているような声で応える。
「なに言ってるの。百目鬼は、ほら、万里眼でも使えば簡単じゃないの」
「見るのと、考えるの、別!」
茶化されたと分かった百目鬼が、不満を言葉に乗せていた。
「分かってるから、そう怒らないの!」
「茶化す、智鶴が、悪い!」
「ごめん、ごめんって」
なんて言って、2人が笑い出したから、結華梨も釣られて笑い出して、それが伝播して、オーディエンス達は満足したのか、自分たちの話に戻っていったのだった。
千羽に闇が迫る中、智鶴の頼もしい考え方がいい呼び水となり、門下生の間に浸透していけば幸いなのだが。
*
とある暗闇の中に人間が一人居た。
だが、その者には人権が与えられていないようだった。
身動きが取れないように頭の先から足の先まで包帯でがんじがらめにされており、両手両足は封印具であるしめ縄で拘束され、全身に様々な運動能力を封じる護符が張られている。
ただ生命を維持するために、鼻の穴と口だけには自由が与えられていたが、話す相手もおらず、その穴は単調に酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出していた。
「時間だ」
もう一人暗闇に人物が現れた。人物は手にしていた盆を、がんじがらめにされている者の前に差し出した。そこには犬用の器が2つ乗せられ、片方には猫まんまのようなものが盛られており、もう片方には水が注がれている。
耳を封じられているがんじがらめの者は、鼻孔をヒクつかせると、状況を理解し、体をへし折ると、それにむしゃぶりつく。
もう一方の人物は、酷く見にくいモノを見る目つきで、その光景を一瞥するとその場を去った。
暗闇にはペチャペチャと、生を長らえるだけの音が、不気味に広がっていった。
あけましておめでとうございます。暴走紅茶です。
今回もお読みくださりありがとうございます。
新年早々様々な事件が起こっておりますが、皆様の心身が健やかであることを、心よりお祈り申し上げます。
それでは、次回もよろしくお願いいたします。




