1話 なくし物
「……ない」
千羽家本家屋敷の奥の間で、千羽智喜が小さく呟いた。
「無くなっとる」
違い棚の下袋を開け、呆然となる。
今日は智鶴と栞奈が、大天狗様へ謁見に行く日。鼻ヶ(が)岳の呪い避けに持たせる呪具を、取り出そうとしていた。なのに、無い。
言葉とは裏腹に智喜の手には、確と呪具が握られていた。
(あれは、ダミーに置いておいた偽物じゃが、一体いつ、誰が?)
ダミーの呪具とは別に、隠しておいた本物は今こうして手の中にあるが、ふと気になりダミーの様子を見ると、呪いを掛けて封印しておいた箱ごと無くなっていた。
「おじいちゃん? 入るわよ?」
廊下側の障子から孫の声がした。咄嗟に地袋を閉めると、声の方へ向き直る。
「お、おう。入れ……」
「どうしたの!? 顔が真っ青よ」
智鶴は入るや否や、祖父の顔色の悪さに心配の声を上げた。
「いや、何でも無い」
「何でも無くない顔色だけど。体調でも悪いの? 最近ずっと忙しそうだものね。でも、体を壊しては元も子もないわ。休めるなら休んでよ?」
「ありがとうのう。孫の優しさだけで、十分体調も良くなるわい。ほれ、呪具じゃ。絶対になくすなよ? それと、大天狗様に粗相の無いようにな」
孫の心遣いに少し気持ちが軽くなり、若干顔色を戻した智喜は、小さな根付けの呪具を手渡した。智鶴はそっと受け取ると、大事そうに紋付きの袂へと落とす。
「分かってるわ。ありがとう。じゃあ、行ってくる」
「おう」
足音が遠のいてから、智喜は座布団へ座ると、思案を始めようとしたが、また来訪者が来た。
「お爺さま、入っても良いかしら?」
「智秋か? 何かあったか? まあ、入れ」
スススと障子が開き、大きい方の孫が姿を現した。その姿が紋付き袴だったので、なにやら尋常でない雰囲気を感じた。
智秋は躊躇いもなく空いている座布団に正座をすると、三つ指をついて、辞儀をする。
「お爺さま、この度私、千羽智秋は再び呪術の道を歩みたく――
と、いままで遠ざかっていた呪術の道を再び歩きたい旨を、前置きから中身まで全て話して聞かされた。しかし、今の智喜にはそれどころではなく、いや孫の決意はそれどころなのだが、それ以上に心を落ち着かせない事案が発生しており、半分も聞けてなかった。
「――と言う訳なのですが、お許しいただけますでしょうか?」
「……」
智喜の思案顔は皺が深くなり、それはそれは怖い顔つきだった。
(私、もしかして説教されるのかしら? 怖い、怖いわ……。お爺さま、何とか言って~)
という智秋の心知らず、智喜はすっとぼけた声を上げる。
「で、何じゃったか?」
「えええ。お爺さま!? 一世一代の、昨日なんて寝ずに考えた口上を、聞いていなかったのですか!?」
智秋は袂で口元を隠し、驚嘆の声を上げた。
「悪い、悪い。冗談じゃ。呪術を再び始める心意気、確と受け止めた。そうじゃ、この後智鶴と栞奈が大天狗様へご挨拶に伺うから、お主も同席し、挨拶してきなさい。それをけじめとしよう」
「ありがたきお言葉」
ようやく本筋の欲しかった言葉を聞いて、智秋は満足げにひれ伏した。
この後智鶴と一悶着しながらも、彼女らは立派に大天狗への謁見を済ますのだが、その裏では智喜の苦悩が続いていた。
「入ります」
直ぐさま呼びつけた白澤院告が、車を飛ばして駆けつけてきた。
「一大事とは何事でしょうか」
普段着のままで来た告は、袴の裾を丁寧に伸ばして正座した。
「うむ。囮に置いておいた呪具が、のうなった」
「のうなった……。って、え!? そ、それは……」
「この屋敷に出入りできる者、ひいてはこの部屋に入れる者は、結界の効果で限られとる。それを加味して考えると……もう内部犯としか考えられん」
仲間内に裏切り者が出たことが信じたくない智喜は、辛そうに言葉を吐き出す。
「考えたくはないし、誰も疑いとうないが、此度の事、もう看過することは出来ぬと考えておる。そこで、お主の意見も聞きとうて呼びつけさせてもらった」
「なるほど……」
告は腕を組んで考え込む。1分ほど固まった後、重たい口を開いた。
「この状況、既に犯人捜しをしなくてはならないかと」
「……やはり、お主もその結論か」
「はい。それに、本来なら吹雪会にて議論の場に出してから行動すべきと思いますが、一刻を争う事態です。悠長に構えている暇はありませんから、今晩にでも全体へ通告すべきかと。吹雪会の面々には、同時進行であらましを伝えましょう」
告の意見を聞いて、智喜は顔を伏せた。
「じゃが、不安もある。この通告にて一門に疑心暗鬼や仲違いが生じた場合、どう回復すればいいのか。いや、それで済めばいいが、破門願が殺到する可能性もある。10年前一度失った信頼。ようやくここまで修復できたのじゃ。物部が迫っとる中、また10年掛けて信頼を取り戻すような時間は無い」
10年前、鼻ヶ岳にて智房が紙鬼化した一件で、約半数の門下生が破門願を出し、一門を後にした。それから何とか信頼を取り戻し、現在の千羽一門があるのだ。それを易々(やす)壊す訳にはいかないと考えるのもまた、当主たる智喜の悩みである。
「だとしても、神域を穢すようなマネを考える者が、この屋敷に出入りしている事の方が、千羽にとってよほど重大です。直ぐにでも行動に移すべきです」
告は血縁であるとはいえ、それは何代も前のこと。現状千羽家と白澤院家は上下関係はありつつも、他家である。だからこそ、告は正しい意見を主張できるし、智喜は簡単に意見を飲み込めない。
「告よ。意見ありがたく頂戴する。ワシに少し考える時間をくれ」
「分かりました。ですが、千羽にとって何が一大事か、智喜様にも分かっているはずです」
彼はそう言い残し、客間へ移っていった。
独り取り残された智喜が、彫刻細工のように皺を濃く、深くして、現状を最善を最悪を考える。
決意を固めるのに、長い時間はかからなかった。
*
3日後の夕飯前の時間。智鶴たちが学校から帰宅し、道場の者達も修行を切り上げるタイミングで、智喜は全員を広間に集めた。
決意は固まっても、吹雪会各家への通達、魔呪局への被害届提出、その他諸々の調査など、門下生に話す前に固めておかなくてはならないことは山積みで、どれだけ急いでも、今日まで集合をかけられなかったのだ。この3日間、智喜が歯がゆい想いをしたことなど、語るに及ばない。
今度は何だとばかりにザワつく広間も、智喜が現れた瞬間、水を打ったように静まり帰る。
「みな、集まってくれて感謝する」
鬼気が乗っているのかと思うほど、言葉が重たく感じられた。
「しかと聞いて貰いたい。ワシの部屋、奥の間に封印してあった呪具が一つ行方不明になった」
広間に動揺が広がる。誰が犯人か早速疑心暗鬼に陥って、周りをキョロキョロ見回す者や、頭を抱え自分は違うと主張する者、何食わぬ顔で平生を装う者。皆、多種多様な反応を示した。
「静粛に。何もお主らを疑っとるわけではない。確かに内部犯も考えられるが、先日、時貞萬匠の死体が忽然と消えた一件から、外部の犯行も考えられる。そこで、何か不審な者を見かけた者や何か心当たりのある者がいたら教えて欲しい。些細なことでも構わぬ。ワシは基本奥の間におるでの、気軽に声を掛けてくれ」
智喜はゆっくり慎重に言葉を選ぶ。今自分の発言如何によって、この先の千羽の運命が変わってしまうとでも言いたいように。
「それと、こんな事態に身勝手な願いじゃが」
一呼吸間を置いた。
「決して疑心暗鬼に陥らんでもらいたい。信頼出来る者を無闇に疑わんで欲しい。これから対峙する可能性のある物部は、1人で戦ってどうにかなる相手ではない。仲間同士、一門を挙げての協力が不可欠となる。このとおりじゃ。よろしくお願い申し上げる」
言い切ると、智喜は門下生に対しては相応しくないほど、深く、深く頭を垂れた。
余りに真摯な願いに、広間に息を吞む音が響く。
「発言をお許しください」
沈黙を破り、門下生の1人が手を挙げた。
「構わぬ」
「ありがとうございます。事の重大さも、智喜様の気持ちも十分に伝わりました。ですが、そもそも、どんな封印に使用されていた、どんな呪具が無くなったかの説明がされていない様に思います」
「更なる混乱を避けるために、詳しくは言えぬが、鼻ヶ岳に関する呪具じゃ。何重かに分けて確と封印しておいたもので、そう易々と取り出せる物ではないのじゃが、きっちり再封印までされておった。恐らくは相当の術者か、その者に指導された者の犯行と考えられる」
「では、その犯人は物部か、物部に通じる者であると?」
「断言は出来ぬ。時代が移ろう中で、公になっとらん呪術を開発しておる者もあると聞くでのう」
門下生は「なるほど……」と答えたのみで、発言を終わらせた。
他にも何か言いたげな門下生がちらほら居たようだが、上手く言葉に出来そうになかったのか、それ以上の挙手はなかった。
「他に質問が無いようなら、解散とする。先程も言うたがな、簡単な質問でも、少しの気がかりでも何でもいい。何か思うたことがあったら、気軽に奥の間を訪ねてくれ。以上」
智喜が大広間を後にすると、バラバラ門下生達が立ち上がり、各々散っていった。
翌日も、翌々日も智喜が危惧したような事態には陥らなかった。それでも、確実に不審の芽が育ち始めているような、そんな居心地の悪さが屋敷内に漂い始めていた。
これは智喜が全体に通達した、数日後の事である。
智喜の部屋――奥の間を訪ねてくる門下生が居た。
その者は言った。「智喜様、恐れながら、怪しいの者に心当たりがあります」と。
また別の者が訪ねてきて言うには「怪しい動きをしている者は見ておりませんが、不穏な気配を感じた事があります」と。
更に他の者は「私には夢遊病の気があるような気がします。もしものことがありますから、破門にしてください」と。これは勿論引き留め、その後なんとか無実を証明させた。
他にも思い詰めた顔持ちで、何人もの門下生が智喜を訪ねた。
皆不安だったのだ。自分ではないと、アピールしたい一心なのが伝わってきた。暗に門下生にはそんな者は居ないと、主張しに来る者も居た。
疑心暗鬼になるなと言う方が難しいのだ。
智喜も多くの食い違う証言・主張に更なる混乱を覚えていた。全て下らぬ戯言だと切り捨てられれば良かったのだが、もしも、万が一、核心に迫っている証言があったとしたら。そう思うと誰の一言も無碍には出来なかった。
魔呪局から念写師(過去の風景を紙に写す能力者)を呼び、力を揮って貰ったが、過去数週間を遡っても、怪しい人物が写り込む事は無かった。勿論また月謳に占っても貰ったが、何も手がかりらしいものは見つからなかった。
「物部め……。手の込んだことをしおる。一体何が目的なんじゃ。何故千羽に執着する。鼻ヶ岳の神域に力を持った天狗はおるが、それを穢してどうなる? 紙鬼に手を出そうというのか? それにしても何故……」
思考が巡る度、頭を抱え、出ない答えにヤキモキする日々が続いた。
どうも! 暴走紅茶です!
2話続けてお読み頂いたあなたも、分けてお読み頂いたあなたも、誠にありがとうございます。
『紙吹雪の舞う夜に』も折り返しの章にきました。今章が第一部の最終章です。
一体どんな展開が待ち構えているのか。乞うご期待!
ではまた次回! 良いお年を!




