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紙吹雪の舞う夜に  作者: 暴走紅茶
第七章 隠したダイスキ

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9話 子供心は秋の空

()()! 紙鬼! ごめんなさい! 落ち着いて! ね、ちゃんと答えを出すから!」

 怒りが満ちた紙の鬼は、(せん)()()(づる)の心的空間であるその場所を震わせるほどの()()を発していた。何とかなだめようとする智鶴だったが、全く聞く耳を持って貰えない。

「ハヤク、ハヤクシロ……」

「私は、私は――


 *


 一歩踏み入っただけで目眩と吐き気に襲われた。

 何故ここまでのものが、外へ溢れてこなかったのかが理解できない。鬼気ほどの高位な気なら、普通、屋敷の中に居てもその発生が分かるはずだし、もっと人が集まってきても良さそうなものなのに。

 倉の中に居る(なか)()(じょう)()()()は意識を保つだけで手一杯。そんなことを考える余裕も無かった。

「智鶴様……」

 入り口から数歩の階段に差し掛かったところで、耐えきれず一度嘔吐した。ビシャビシャと嫌な音が反響し、酸っぱい胃酸の匂いが立ち上ってくる。足下がふらつき、階段に向かって倒れてしまった。口元を拭い、虚ろな目で気丈に階上を睨むと、階段に手をつき両手両足をフルに使って、急な階段をよじ登っていく。

「オェッ。ウェッ」

 一段上がる度に、何度も()()いて、吐き気が止まらない。脳内も濃密な靄がかかったようで、思考が一切纏まらない。ただこの階段を上るのだと言うことしか頭になかった。

(わらし……なん、しとるん、だっけ……)

 だんだん、何のために無理をしているのか、上には何があるのかすら、分からなくなってくる。それでも、行かなきゃいけない気がして、階段を一段、また一段と登っていく。

 左手だけが最上段を超えた。掌で二階の床を押して、体をズルズルと持ち上げる。

 まるでショーをするアシカが、舞台によじ登るようにして、ずるんと文字通り転がり込んだ。

 そこにはぐったりと倒れる幼き智鶴が居た。

「智鶴様!」

 目標を見つけると、体の血がブワッと沸き立った。火事場の馬鹿力というものの威力は凄まじく、先程まで這いつくばっていた事が嘘のように、跳ね起きると、目の前の窓を開け放つ。

「プハッ!」

 新鮮な空気が肺に入ってきた。それと同時に、脳みそに血液が巡り、思考が帰ってくる。

「風纏術 吹き抜けて……」

 絞り出すように、嘆願する様に風に訴えかけると、窓から強烈な猛風が倉の中へ流れ込んだ。それは様々なものを巻き込んで、鬼気を外へと発散させていく。

 倉に貼られていた呪符も引き剥がされ、人知れず大空へと飛んでいった。

 倉が新鮮な空気と霊気で満たされるが、原因たる智鶴をどうにかしなくては、元の木阿弥である。彼女は荒い呼吸を整えながらも、ぐったりした幼子を抱えると、来た道を戻り、倉から出た。

 外には既に野次馬が集まっていた。

「お! 出てきたぞ!」

 門下生の誰かがそんな声を上げた気がしたが、智鶴から立ち上る鬼気に、頭がハッキリと澄み渡ってくれない。

「何の騒ぎじゃ!」

 ()()()を連れた(とも)()が、倉に面した縁側に現れた。

「智鶴!」

 悲鳴とも取れる声を上げて、2人が弾丸のように駆け寄ってくる。

「スミマセン、すみません……」

 (うわ)(ごと)のように、同じ事しか繰り返せなかった。


 結華梨が後から聞いた話だが、智鶴を美代子に渡した直後、己は気を失ったという。智鶴は直ぐに美代子の自室にて、適切な処置を受け、大事にはならずに済んだ。また、野次馬の中にも鬼気に当てられ不調を訴える者が居たそうだが、命や呪術師生命に関わるほどの重患者は出なかったらしい。

「うぅん……」

 目を覚ますと、そこは女子部屋の一角、結華梨の自室とも呼べるスペースだった。一体どれくらいの間寝ていたのか分からないが、窓の外から日差しが漏れている様子も無いから、すっかり日も暮れてしまったのだろう。

 大きな部屋を衝立で仕切っただけの、プライベートなんて一切無い門下生の大部屋。よく知っている空気にホッと心が落ち着いたのも束の間、直ぐに事件がフラッシュバックし、鼓動が早くなる。

「良かった~。目覚めてくれて」

 誰もいないと思っていたから、声にビクッとする。発話者は先輩だった。

「大丈夫? どこか不調は無い?」

「大丈夫……だと思います」

「まだ頭の中とかハッキリしない?」

「いえ、大分落ち着いてきてます」

 呼吸を整えるように、言葉を吐き出すが、鼓動は収まらない。

「あ、あの! 智鶴様は……!?」

「他人の事が心配できるなら、もう大丈夫ね。起きたら奥の間へ来るように言いつかってるの。ささ、智喜様の命よ。早く起き上がって」

 先輩の優しい声に、いくらか心が落ち着いたが、奥間への呼び出しと聞いて、また不安に駆られるのだった。


「中之条結華梨です」

 いままで奥の間に入ることなど無かったし、もっといえば、門下を離れる最後の挨拶に伺うまで無いと思っていたのに。こんな短期間に二度も来ようとは……。人生何があるか分からないものである。

「入れ」

 奥の間の奥には以前と同じく智喜が座っており、こちらにも前回同様、空いた座布団が1枚敷かれていた。

 智喜が無言で頷いたのを見て、座布団に正座するや否や。

「大変申し訳ございませんでした!」

 結華梨は土下座した。

 その素早い行動に、智喜が目を剥いて驚きの表情を表した。

「表を上げなさい。お主を呼んだのは叱責を喰らわす為でない」

「いえ、私が目を離してしまったから、このような、智鶴様に、私が……」

 どう謝ったものか、台詞を熟考してこなかったせいで、後半がしどろもどろになってしまう。智喜はそんな様子に苦笑いを浮かべつつ、優しい表情で語りかけた。

「過ぎた事じゃ。智鶴にも他の門下にも、そしてお主にも、大事なくて良かったわい。それに、お前さんが見ていてくれなかったら、智鶴の発見はもっと遅く、もっと危機的な状況に陥っていたとも考えられる。むしろ感謝しとるぞ」

「もったいなきお言葉――」

 再び額を擦りむけんばかり擦りつける門下生に、当主はやれやれといった様子だった。

「本題に入っても良いか」

「はい」

 結華梨はゆっくり居住まいを正すと、智喜の目を見た。

「今一度状況を説明してくれ」

「はい」

 結華梨は昼過ぎ、お昼寝をしていたハズの智鶴が屋敷にも道場にも、庭にも居なかった所から、智鶴を発見するに至るまでの流れを、智喜に話して聞かせた。途中途中疑問を挟まれたが、なんということも無い確認事項だった。

「なるほどのう。智鶴の状態からして、かなりの鬼気が充満しとったと考えられる。よく無事で居られたのう」

 見つめる目が、自分を疑っているように思えた。

「火事場の馬鹿力と、風の術で鬼気を吹き飛ばしたことで、私のような若輩者でも、行動できたと考えます」

 余計な言葉を取っ払い、ただ真実だけを告げた。

「風の術か。どうりで、倉の中がしっちゃかめっちゃかしとった訳じゃな」

「申し訳ございません」

「よいよい。もう片付けも殆ど終わっとる。して、ここからは更に主観で良いが、疑問に思ったことや、気がついたことはあるかのう?」

「疑問ですか……?」

 結華梨は顎に手を当てて、真剣な面持ちで、事件当時の様子を振り返る。

「……あっ。そう言えば、何故門は閂までして閉め切っているのに、倉の鍵は開いていたのでしょう? それに、入り口や窓が閉じていたからといって、あれだけ濃密な鬼気が外に漏れていないというのも、おかしく思います。そもそもを言えば、なぜ智鶴様が鬼気を垂れ流して倒れていたのかも、分かりかねますね」

 彼女の発言に、智喜が頷いた。

「ふむ……やはりそこじゃよな……。お前さんにはこれからも智鶴の面倒を見て貰いたいと思っておるから、状況を伝えておく。現場に紙切れが散らばっとったことから、智鶴はどうやら()(そう)(じゅつ)を使ったようじゃ。これは公になっとる事じゃし、お主も千羽一門におるのなら分かるハズじゃが、紙操術師には鬼の力が流れておる。どうやら智鶴は何らかの紙操術をトリガーに、鬼気の暴走状態に陥ったようじゃな」

 ()()()しなくてなによりと言うのは、公になっていない()(とく)であるから、智喜は黙っておくことにした。話が続けられる。

「じゃが、鬼気が漏れとらんかった事と、倉が開いとったことは、まだ裏が取れとらん。何者かが空けておいて、智鶴が誘い込まれるのを待っとったか、誰かの閉め忘れか……」

 と、ここまで語って、智喜はしまったと顔を顰めた。

「誘い込まれるって、まるで裏切り者が居るみたいな言い方ですね」

「……そうは言っとらん。可能性の一つじゃ。そこで、お前さんにまた問うが、何か鬼気を漏らさない工夫や、怪しい人物は見なんだか?」

「……すみません。心当たりは無いです」

 否定も智喜の表情から信用は出来なかったが、だから回答を濁したのでは無く、本当に心当たりが無いのだった。正直、あの時は智鶴が居なくなった不安から、あまり周りを見られていなかった。仕方の無いことだった。

「そうか……。分かった。もう下がって良いぞ」

「お役に立てず、申し訳ございません」

 ペコリと頭を下げると、立ち上がり、部屋を後にした。


 *


 赤黒い夕焼けが、屋敷に差し込んでいる。

 半ばぬいぐるみに占拠された部屋で、千羽智鶴は目を覚ました。

「……」

 酷い吐き気と、目眩がした。そして、強い恐怖を覚えた。

(倉……そう、倉に忍び込んで……記憶が無い)

 倉の次の記憶がここだから、多分居眠りでもしている所を見つかって、怒った誰かが部屋に閉じ込めたのだろうと、そんな考えに至ったが、それではこの言うに言われぬ恐怖に理由が付けられない。

 そこで何があったのかは思い出せないが、体だけは何かを知っているようで、肌が粟立ち、胸が苦しくなる。

「なにがあったんだろう」

 呟けども、部屋には一人だった。

「おねーちゃん、おかーさん」

 呼んでも来ない。近くには居ないようだ。

 もそりとベッドから這い出ると、襖に手を掛けた。

「……開かない」

 鍵が掛けられるような構造で無い事は、7歳の頭でも分かった。なのに開かないと言うことは、外から何かされているのだろう。

 逃げられられない、そう思うと、余計に恐怖が募る。

「どうしよう」

 怖くて怖くて、あたりを見回す。何処かに逃げたかった。安心する温かいモノに触れたかった。ふと、窓の下に座っている大きな大きなテディベアが目に入った。それは記憶していたよりもずっと薄汚れていて、知らない香りがしたが、抱きつけば感じる安心感はまだそこにあった。

「イッチー」

 トテトテと歩き寄る。不安な自分を呼び寄せている様な気がした。

 ぎゅむっと抱いて、ふと頭上を仰ぎ見ると、窓のクレセント錠が開いていた。もう、イッチーのお陰で不安感も和らいでいたが、外の空気を吸いたくなり、様々なぬいぐるみを山積みにして、窓枠によじ登った。

 カラカラカラカラと耳心地の良い音を立てて、窓が開いた。真っ赤な夕日が半分くらい沈んでいた。吹き抜ける風に、髪がそよいで、くすぐったく体を小さく(よじ)らせる。

「んしょ、んっしょ」

 ストンと庭に降り立つ。そこは玄関からも、居間からも、道場からも死角であり、人の気配はしない。

 と、その時、壁1枚隔てた自室から声が聞こえた。

「智鶴が居ない!」

 母の声だった。

 バレたら沢山怒られてしまうと直感した智鶴は、咄嗟に正面の生け垣に飛び込んだ。

「え、この後はどこに逃げたらいいの!?」

 右へ行けば台所に出るが、人に見つかってしまう。左は居間だから、そっちもダメ。正面は高い塀が聳え、どう考えても登れそうにない。居間の方から門を駆け抜ける作戦も考えたが、そもそも門は閉められて居るはずだ。

「倉は……」

 倉は以ての外である。つい先程侵入したことがバレている。見つかったら現状以上に怒られるだろうし、しっかりと鍵が掛けられたとみて間違い無いだろう。

 ここはもう正直に自首しようと、こっそり居間の方へ顔を突き出し、様子を覗う。人がバタバタ駆け巡っていた。恐らく自分を探しているのだろう。見つかるのも時間の問題である。1日に2回も面倒を起こしたとなると、どんな制裁を加えられるか分かったものでない。

「怒られたくないよ~」

 かと言って、部屋に戻るにも外からでは窓に登る算段が立たない。そう考えあぐねていると、突然視界の隅に外の景色が映り込んだ。パッと不意にそちらへ顔を向けると、何と門の潜り戸が開けられていた。しかも、今なら縁側にも庭にも人影が無い。

「え、出るのは流石にダメだよね……」

 独りごちたが、背後から人の声が聞こえてくる。こうなっては逃げるか、見つかるかの二択である。

 怒られるのが嫌いな智鶴は、当然後者を選んだ。


 *


「百目鬼! 聞いた? 智鶴が行方不明って」

「うん。聞いた」

 屋敷内を大人達がバタバタ駆け回る中、智秋が血相を変えて百目鬼に向かってくる。が、百目鬼は淡泊に返事をした。

「ヤケにアッサリしてるわね……」

「まあ、今の、所、無事、みたい、だし」

「何その言い方。まるで見つけたみたいじゃないの」

「まるで、も、何も、もう、ずっと、監視、してる」

「何で、直ぐ迎えに行かないのよ!!!」

 あたかも百目鬼が事の主犯かのような態度で、詰め寄る智秋。

「うん。行こう、と、思った、けど……。実は、俺、智秋、探して、た」

「どういうこと?」

「俺よりも、智秋、行った方が、いい。きっと、智鶴、待ってる。そう、思った」

「……」

 智秋の顔がくしゃっと、泣きそうに歪んだ。百目鬼が居場所を伝えるや否や、彼の表情を再び見ること無く、彼女はすっかり日の落ちた千羽町に駆け出していった。


 *


「暗いよ……怖いよ……」

 日が落ちきらない鼻ヶ岳は群青色の空がどっぷりと近付き、恐怖が圧迫していくるような気味の悪さがあった。

 智鶴が泣いている。

 自室で起きたときに感じていた恐怖とは、また違った恐ろしさを感じていた。屋敷を飛び出すんじゃ無かった。怒られても、見つかった方がマシだった。そう思えども、もう遅い。押し寄せた暗闇に浸かってしまったら、もう身動きもとれない。

「おねーちゃん」

 智鶴がぼそっと、信頼を寄せる大好きな人を呼んだ。

 いつも姉は自分の側に居てくれる。悲しいときも、嬉しいときも。側で慰めてくれる、褒めてくれる。今までもそうだったし、これからもそうだと信じて疑わない……のに、何故か心の何処か奥底では、姉が段々遠い存在になってしまうという『声』が聞こえた。未来を予知する様な力は持ち合わせていないから、きっと気のせいだろうと振り切ろうにも、その声は信憑性を持っている気がした。

 もしもお姉ちゃんが自分から離れて行ってしまったら、自分はどれだけ悲しくて寂しい想いをするのだろうか。考えただけも、涙が倍増してしまう。ずっと先の未来では違う道を歩むとしても、それでも姉妹の絆は絶えることが無いと、そう信じたくてしょうがないのに、どうしても信じ切れない。

「お姉ちゃんと話したい」

 頭の何処かで、その思いが破裂した。

 それを皮切りに、想いが洪水濁流となり襲ってきた。寂しかった、話したかった、抱きしめて欲しかった。今、6歳の智鶴にはぴんとこない、記憶に無いはずの記憶が想いとなって、溢れてむせ返る。

 自分の感情では無いはずなのに、涙が溢れて止まってくれない。

 初めは暗闇が怖くて泣いていたのに、今は姉が側に居ないことが、悲しくて涙が止まらない。

「おねーちゃん、おねーーーちゃーーーん」

 大声で泣きわめく。


「みーつけた」

 

「!! おねーちゃん!」

 涙も鼻水も垂れ流したまま、目の前に現れた姉に抱きついた。

 姉が怪しく笑った気がした。

「……おねーちゃん?」

「何?」

「私の名前、呼んで?」

 智鶴は、もし智秋なら、まず最初に自分の名前を呼んでくれると思った。いつもの優しい、安心する声で。そして、抱きしめ返してくれると思った。なのに、目の前のこのヒトからは優しさも安心も感じない気がした。

「……」

 言い淀んだ隙に、ガシッと両の腕で抱きしめられた。

 そこに安心は無かった。

 姉だったそれは胸から股の間までが縦に割れて、左右8本の足が現れた。それで彼女を更に強固に抱きしめただけで無く、腹を下に人の腕と足でカサカサ移動を始めた。

「きゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~。助けて~~~~~~~~~~~~」

 悲鳴と同時に顔までぱっくりと割れ、無数の複眼と、毛むくじゃらな口がむき出しになる。

 姉だと思った正体は、『招き蜘蛛』という妖だったのだ。

 招き蜘蛛はその名の通り、人を招き寄せては捕まえ食べてしまう(あやかし)であり、人に擬態する事が上手く、一説には思考から最愛と思う者に変化するとも言われている。今回は恐らく智鶴の思考から智秋の姿を読み取り、化けたのだろう。

 もちろん6歳の智鶴にそんな知識など無く、ただただパニックであり、恐れおののいていた。

 妖はカサカサと走り、森の中へ這い入ろうとする。

 今は術を使ってはいけない。直感でそう思ったから、ただ藻掻く。幼い智鶴に為す術は、それ以上無かった。

 だが、妖が急に足取りを止めた。まるで何かに捕まえられたかの様に、カクンと不自然に進まなくなった。


「智鶴を離しなさい!!」


 体が固定されて姿は見えないが、誰が来てくれたのか、声だけで分かった。まだ何も解決していないのに、とてつもない安堵が押し寄せてくる。「おねえちゃん……」その言葉を最後に、緊張の糸が切れたのか、カクンと気を失った。


 紙縛術にて、智鶴に害を成そうとしている妖の足を絡め取ることに成功した。

 それでも、妹を傷つけずに滅すると考えると、次の手が浮かばない。

「ギギギギギギ。何者」

 不気味な声と共に、カサカサと智秋に正対する蜘蛛。

「妹を返せ!」

 力は拮抗していた。どれだけ引っ張っても、びくとも動かないが逃げられもしない。しかし、妖もただ力比べするだけではない。智秋の足下目がけて、びゅるっと糸を吹いた。咄嗟に後方へ飛ぼうとしたが、お互いを繋ぐ糸が邪魔して、思うように動けない。

(切るしかないか。いや、智鶴が連れて行かれてしまうわ)

 もっと強力な力が出したいところだったが、まだ智秋は()()(かい)()を教わっていない。この威力が、現在の最大だった。

 智秋は妖を中心として、弧を描くように移動した。だが、動いて体軸がブレた隙につけ込まれ、グイッと引っ張られてしまう。

 体が宙に浮く。

 直ぐさま新しい糸で背後の木に糸を結び、抵抗したが、足場が無い空中では、踏ん張りも利かず、引っ張られる張力に体が引き裂かれそうになる。

「ぐぁっ」

 両腕に力を込めて力比べに応じるが、限界が近づいていた。

(これじゃ、発火はおろか、為す術無いわね……)

 だから、諦めることにした。

 背後の糸を切ったのだ。

 自由になった彼女の体は、パチンコの要領で、招き蜘蛛に向かって勢いよく飛んでいく。自由になった妖は、これ見よがしに森の中へ逃げた。糸が木々に阻まれ、空中の軌道が何度もブレる。

 その度に別の糸で微調整を銜える。

 酔いそうになりながら、智秋も森の中へと突っ込んでいった。

 そして、森の中へ入った瞬間、左手の五指に紐を巻き付け、木々を中継させながら、妖目がけ、糸を飛ばした。

 先ず一本、1番後方の足を捕まえると渾身の力で引っ張りあげ、横転させた。最悪妹にかすり傷が付いてしまうかも知れないと恐れたが、案外上手くいき、無傷で済んだようだ。

 そのまま慣性の力で仰向けに転がされた招き蜘蛛は、起き上がろうとアクションを起こすも、そんな隙を放っておく術師は居ない。

 既に森の中を糸で満たしていた彼女は、10本の指を細かく動かし、糸を操る。

 それは妹にではなく、彼女を掴んでいる8本の足それぞれに到達し、糸が巻き付くと、

「紙縛術 開帳!」

そう叫び、糸を引き絞った。

 ガッと足を開かれた招き蜘蛛は、痛みに悲鳴を上げ、智鶴はズルリと地面に滑り落ちた。

(智鶴を救出したいけど、もう指が足りない! 足は……だめ、踏ん張れなくなる。ああ、もう、この妖固いわね。引きちぎるところまでは持って行けない)

 

 またもや膠着に陥るかと思った。だが、急に現れた人影が、智鶴を攫っていった。


「だ、だれ!?」

 新手か!? と身構えたが、違った。

「遅れて、ゴメン。大丈夫、って、思い込み、過ぎてた」

「百目鬼!」

 智鶴に魔の手が迫ったことを視た百目鬼は、智秋に遅れて屋敷を飛びだしてきたのだ。智鶴に注視するばかりで、森にまで気を配れなかった自分を恥じるが、そんな暇は無い。彼女を離れた木の根元に寝かせると、智秋に加勢しようと、踵を返した。

 だが、その必要は無かった様だ。

「智鶴が居ないなら、ようやく本気を出せるわ」

 智秋が不敵に笑うと、蜘蛛を縛る糸が撓み、一瞬自由を与えたかに見えたが、また急速に引き絞られ、妖は天高く飛ばされた。

「ギ、ギギギギギギギギギィ~~~~~~~~~~」

 可笑しな悲鳴が空に木霊する。招き蜘蛛は、落ちる衝撃を緩和しようと、地面に向かって糸を吐いたが、時既に遅いことを自覚した。地面には既に、智秋の糸が張り巡らされていたのだ。

 それでも、まだ諦めるには早いと、その糸を上書きするべく更に糸を吐いた。それ自体は上手くいき、智秋の糸を上書きする事に成功したのだが、智秋の蜘蛛の(そもそもそれ)はフェイクだった。

 既に森は智秋の物である。

 自分が上手に立ったと信じ、智秋を探そうと体の向きを変えた直後、死角から鋭く糸が飛び出てきた。これには流石の糸使いたる蜘蛛でも反応しきれず、キツく縛り上げられてしまう。

「ウチの妹に、ちょっかい掛けてくれたお礼よ。紙縛術! 終炎!」

「ギ、ギギギギギギギギギィ~~~~~~~~~~」

 断末魔を上げる招き蜘蛛は、呆気なく燃やし尽くされた。張り巡らせていた糸を回収した智秋は、パンパンと手のホコリを払う仕草をして、智鶴のいる方を向いた。

 そこには、目を覚ました智鶴と、シークレットサービスの様に背後に立ち、警護する百目鬼がいた。

「おねぇちゃぁぁぁぁあああああん!」

 感情の堰が切れた智鶴が、顔面をぐちゃぐちゃにしながら、胸に飛び込んでくる。

「おねえちゃん、お姉ちゃん、怖かった、怖かったよぉ~」

 うわ~~~んと大声を上げて泣きじゃくる智鶴をしっかりと抱き留めて、何度も何度も頭を撫でてやった。

「1人で耐えて偉かったね。もう、1人にはさせないからね」

 大声で泣きじゃくっている手前、聞こえて居るのか定かでは無かったが、智秋の優しい想いだけは、しっかりと智鶴に伝わっていると、百目鬼は優しく見つめながら、そう思った。


 *


「一度では飽き足らず、二度も……。誠に、誠に、誠に、誠に、申し訳ありまぜん~~~~~~~~」

 屋敷では、中之条結華梨が泣きわめいていた。

 智鶴がいなくなった騒動に際し、奥の間へ入ることも、障子を開けることすらも躊躇われて、廊下で土下座し中に向かって謝り続けていた。と、そこへ白澤院告を引き連れた智喜が、玄関の方から歩いてきた。

「お主、何をしておる……?」

 智鶴が見つかり、智秋が迎えに行ったと報告を聞いていた主は、結華梨の惨状に呆れかえった。


「ただいま~」


 智喜と告が結華梨をなだめていると、玄関から声が聞こえた。

「ほら、無事に帰ってきたぞ。もうよい、顔を上げなさい」

 ズルリと音を立てて鼻水をすすり上げながら、ゆっくり顔を上げたかと思うと、瞬間移動も負ける程の速度で玄関へ飛んでいき、次は智秋に向かって土下座を始めたものだから、もう手が付けられなかった。

「中之条には、大役過ぎたかのう」

 最近自分の采配が上手くいかないと感じた智喜は、苦く思い詰めた表情で、髭を触っていた。


 *


 智鶴を寝かしつけた後、独り憂いを溜めた表情の智秋が縁側に座っていた。

 夜風が冷たく吹き込んでくる。今日は非番だった。

「どうかしたのか?」

 声に釣られて顔を上げると、風呂上がりでほかほかの栞奈が、うんと長い髪の毛を拭きながら自分を見下ろしていた。

「お風呂が熱かったからな~。夜風に当たりに来たんだ。真冬まではまだちょっとあるな」

 そんなことを言いながら、隣に座ってくる。彼女とはこの一件の間に、ちょこっと仲良くなっていた。

「何でも無いわ……。私もなんとなく夜風に当たりに、ね」

「おそろいだな。でも、それにしてはちょっぴり、顔が暗い気がするな」

「秋の夜空は、感傷的になって嫌ね」

 庭を見つめていた目線を、すっと空に向けて月を眺めた。

「分かる気がする。こう、なんか、寂しい感じするよな」

「そうなの」

 顔を見合わせないまま、会話が続く。

「これは独り言なんだけど。今日、ちょっと不甲斐なくてね。もっと上手く立ち回れたはずだし、もっと術に応用も利かせられるはずだったって、思っちゃって。呪術から離れる選択をしたのは自分なんだから、後悔なんて甘いことは言わないけど、どうしてもあの時ああしたらとか、この時こうだったらとか、タラレバを考えちゃうのよ」

「わっちも独り言だ。タラレバは全部未来の自分に託して、乗り越えるしか無いんだよな~」

「返事になってるじゃない」

「あ、ホントだ」

 二人は小さく小さく笑い合った。それは少し表情が崩れる程度のモノだったが、それでも智秋の心がほんのり軽くなった。

「あなたって、きっと周りの人から好かれるタイプよね」

「なかなか自分でそう言い切るのは、恥ずかしいもんだぞ。でも、嫌われるよりは、好かれることの方が多いかもな」

「うらやましい」

 足を抱えて、膝に頬を付けると、栞奈の横顔を見た。

「何でだ?」

 栞奈も視線を返す。

「私、敵を作ってばかりだから」

「そうなのか? 少なくともわっちは、智秋のこと、好きだぞ?」

 好きと言われて、また少し心がふわっとした。

「そう? ありがとう」

「? どういたしまして」

 いったん会話が途切れた。2人とも自然と視線が庭に戻る。

 沈黙に、秋の虫たちが間奏を差し込む。

「智秋は、変わろうとしてるんだな」

「へ?」

 沈黙が意外な言葉で破られて、智秋が変な声を上げた。

「弱い自分、嫌われる自分、色んな自分を自覚して、否定しちゃうなんて、変わりたいから以外に理由なんて無いだろ。どうでも良かったら、そもそも自覚なんてしないしな」

「……そうなのかな」

 栞奈の視線を見つめ返せないまま、智秋は不抜けた声で返事をした。

「私、このまま大人になって、就職とか結婚とか、この家の外でして。……ずっと呪術とは無縁を貫くものとばかり思っていたから、今、不思議な気持ちなの。帰ってきたって思うのに、安心感は無くて、むしろ苦しくて、辛いのに、どこかでワクワクしてる」

「そっか、なら、頑張らなきゃだな。出かけてた分を取り返さないと」

「そうね」

 つい肯定した自分に驚いて、口元を手で塞いだ。

「そうなのね。また、一からやろうかしらね」

 栞奈に言ったというより、自分自身に語りかけていた。

 秋の夜は深まっていく。

 彼女の思いと一緒に、ずっと深く。


どうも。暴走紅茶です。

今回もお読みくださり、ありがとうございます。

前回更新日は誕生日でして、Twitter(現X)のほうにて、沢山の方にお祝いいただき、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。

ってなところで、また次回!

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