7話 結華梨の新たな日常
暗闇の中、強く光る一番星に手を伸ばした。
幾度か掠りつつも、ようやく届いた。
赤い光を掴む。
それは手の中でムクムクとふくらみ、隙間から紅い光が漏れ出した。
掴んでいられなくなって、手を開いてしまう。
閃光が迸った。
辺りの景色が一変する。
真っ黒で真っ暗な空間が、突如真っ赤――というよりは紅色に染まった。
空間の見た目が変わった途端、独りぼっちだと思っていたのに、声がしてきた。
「あ~あ。私、大変な事したな」
「紙鬼!」
千羽智鶴の目の前には、前に会った時と同じく装束も、毛も瞳も、全てが真っ白な少年が浮かんでいた。どこが地面か分からないからそう見えただけで、もしかしたら地に足を着けているのかも知れないが、ハッキリとしたことは分からなかった。
紅の背景に白い子供という色合いは、紅白で縁起が良いはずなのに。彼女の心中は、ゾクゾクとした不安が勝っていた。
「私は私に何が起こっているのか、分かってるか?」
「正直、よく分かってないわ。こうなる前の記憶が大分薄くて……。誰かと戦っていた気がするんだけど。誰だったかしら」
「そうだと思った。それに、今、呪術はおろか、霊気すらまともに操れないだろ」
「ホントだ……。力も入らないし、気配一つ読めないわ。というか、ここどこよ」
智鶴は口をついた疑問をそのまま言葉にしたが、ここがどこだかなんて、うっすら分かっていた。
「わかってるだろ。まあ、順を追って説明するから、待て」
紙鬼による現状の解説が始まった。途中挟もうとした質問は、全て無視された。
「……で、今私は無力な子供の姿から戻れなくなっている。というわけだ」
紙鬼はそこまで一気に話すとようやく息を吸った。
「そして、いま私が握りつぶしたそれは、私が私から拝借していた鬼気で、ほぼ無意識的に抗い抑え込んでいた呪いの一部だ。これで呪いの50パーセント以上が、解き放たれてしまったな」
「戻るにはどうすればいいの?」
「希望はあるが、私自身には何も出来ない。この呪いは、外からしか開けられないみたいだからな」
「……またみんなに迷惑掛けちゃうわね」
智鶴が申し訳ないという気持ちを顔に出した。
「そんなことは知ったことじゃない。これでようやく外に出られる。50パーセント以上の呪いが私を襲っていると言うことが、16歳の私がほぼ消え去ってしまったと言うことが、どういうことか分かるか?」
「……何をする気?」
紙鬼がニヤリと笑う。
「6歳の私が、私を抑え込める訳ないだろう。それに、6歳の私は契約外だ。最近ずっと外に干渉できなくて、ウズウズしてた。これでようやく出られる。アバレラレル」
智鶴の顔が真っ青になった。
「そんなことさせないわ……!」
「震えて居るぞ。怖いのか。何が怖いんだ? 自分を失うことか? 仲間を傷つける事か? 悪いが鬼の本性として、そんなモノには微塵も拘りなんて無い。ただ壊したい、暴れたい。私は契約で我慢していたに過ぎない。私の軍門に降ったわけじゃない」
鬼に凄まれ、智鶴が戦いた。目の前で紙鬼が徐々に体を大きくしているような錯覚に囚われる。鬼気で空間がビリビリ揺れている気さえする。
「さて」
紙鬼がケロッとした表情で話題を変えた。濃密な鬼気は消え去っていた。
「ここからが本題だが」
「何よ」
脅しにしか取れない行動を示されて、どんな要求を突きつけられるか。言葉だけは気丈であっても、足はずっと震えている。
「こうして、久しぶりに面と向かったんだ。そろそろ私の本音を聞かせろ。返答次第では、考えてやらんでも無い」
「分かってるくせに」
「私自身が分かっていないことを、私が分かるはずがない」
「……」
「だんまりか。拒否権が無い事を忘れるな」
「……しょうがないわね」
唇が鉛になってしまったかのように重たかったが、何とか口を開けた。
*
「なんで電話出ないんですか~~~~~~~~!」
日曜日の霧野市田所町はおんぼろアパートに、少女の怒号が響き渡った。
「うるせぇ、うるせぇ。センス無い声出してんじゃねぇ」
千羽智成が鬱陶しそうに、耳に人差し指を突っ込んだ。
「そもそもあなたが、依頼してきたんじゃないですか! 部屋が見つかったから電話したのに、ずっと不在って、ふざけんじゃ無いですよ!」
ゴスロリ基調の黒服姿で、推定18歳くらいの少女は、智成の胸ぐらを掴むと、グワングワン揺らした。
「の、脳が揺れる……おえ」
「翌日直ぐに物件を見つけてくるなんて、こんな有能な相棒は世界中どこ探しても、私ぐらいですからね! 感謝してくださいよ!」
「は、吐く……」
顔面真っ青の智成が、カクリと天を仰いだ。
「さあ! 今すぐ! 引っ越しますよ!」
少女がビシッとアパートの前に停められたハイエースを指さす。
「今からか……? だるい。寝る」
脳みそ揺らし攻撃から解放された智成は、早速床に寝そべり、手で頭を支えると、鼻くそをほじった。
「くそ~。こんなのとバディ組まされているなんて信じられない……」
向き合う様に、床に正座する少女は、心から悔しそうだった。
「冥沙……ごめんな。こんな甲斐性のない俺で……」
智成が流れてもいない涙を拭くフリして、同情を誘ったが、
「分かってんなら、早くしてください!」
何も効果は無かった。
「はいはい」
そうこの少女こそ、昨日電話をしていた智成の相棒である。
冥沙――フルネームを片桐冥沙は相棒の千羽智成を急かしに急かした。
渋々荷物を纏めると、冥沙の用意してくれた中型の段ボール一個とちゃぶ台、あとは紐で縛られた布団だけが並べられた。
「これだけ?」
「これ以上に何があるってんだ?」
「こう、呪具とか、いや、現代人として、書籍とか、家電とか、料理道具とか、そもそも服を詰めるのにだって、もっと荷物ありますよね?」
不思議そうに、疑惑の目で軽い段ボールを持ち上げている。振ってみても、物が沢山詰まっている感じはしなかった。
「……?」智成が首を傾げる。
「……無いな。着替え数着と戦闘着しか自分の物なんて持ってないし」
「はぁ。必死にハイエース運転して東京から出てきたのに……」
勝手にお節介焼いたのはお前だろと思ったが、流石に良心がそれを堰止め、口から零れるのを塞いだ。
スカスカのハイエースに2人で乗り込むと、冥沙が車のキーを回した。エンジンが唸り、車がゆっくりと進み出す。
「そう言えば、言い忘れてましたけど、上からのお達しで、しばらくは私も隣の部屋に住んで、あなたの監視をすることになりましたから」
「えっ!?」
智成の仰天した顔が面白く、冥沙は悪い笑い声を上げた。
*
千羽家本家屋敷にピリピリした空気が流れている。
昨日、智鶴の容態に急変があった。今まで残っていた16歳の智鶴が突如として消えてしまったのだ。
「緊急事態じゃ」
門下生及び、竜子・栞奈の千羽預かり2名と、本家の智秋・美代子が集った大広間に、智喜の声が重くのし掛かる。
「智鶴の容態が悪化した。より鬼気の暴走が危惧されるじゃろう。期限はあと1週間しかないうえに、敵にはこちらの思惑が筒抜けとるようじゃ。恐らくは監視系の術を使える者がおるかと思われる。有り体に言えば万事休すじゃが、必ず何か打開策はあるはずじゃ。皆には歯がゆい想いをさせる事になるが、智鶴の感情を揺すぶらない為にも、できるだけ今まで通りに過ごして欲しい」
その発言に、広間がざわめきに包まれる。
すっと一人の門下生が挙手をした。
「恐れながら、いかに敵へ筒抜けようとも、なにかしらアクションを起こすべきかと。牽制にもなりますし、解決の糸口も机上だけで語るより発見が多いと考えますが、何故待機なのでしょうか」
震えた声で発言すると、手はゆっくりと下ろされた。
「うむ。説明が足なんだな。先ず第一に敵の規模じゃ。千羽を狙うは物部という呪術界の闇に潜む大物。会敵し、負け、無駄に戦力を失う訳にいかん。そうなれば更に後手に回ることになると思うた。第二に監視されとると言うことは、こちらの戦力が筒抜けになる恐れがある。現在どこまで見られとるか確証が持てぬが、屋敷外での行動の方がより筒抜けると考えての事じゃ。最後に、何も机上だけで考えるとは言っておらぬ。動いて貰う者には個別で指令を出す。待機の者はそれまできちんと研鑽を積み、力を蓄えておいて欲しいという思いからじゃ。分かって貰えたかのう」
バラバラと門下生達が首肯する。
「分かって貰えたようで、何より。各自千羽の戦力として自覚を持ち、与えられた使命を全うしてくれ。以上、解散」
広間を後にする者達から、不安の声が、さざ波のように伝播していったのだった。
その後、道場での空気がいつもと変わったと、藤村馨は感じていた。
上手く言葉に表すことが出来ず、もどかしいが。こう、いつもよりも各々覇気が無いように思われた。
「集合っ!」
これではいけないと、藤村は現在道場にいる者達を集める。
「皆さん、先程の集会での一件に不安を持つ気持ちも分かります。ですが、智喜様のご指示が全てです。智喜様のご指示通り、今まで以上に緊張感を持ち、修練に励んでください」
と、そんなことを言ったところで、不満感を煽っているだけだということは、読心の術を専門としない彼でも、優に分かる事だった。
「ですので、今日は全体修行にしましょう。一度基礎を見直すことで、新たな課題を見つけ出すきっかけになるかも知れません。では、等間隔に広がってください」
言われたとおりに広がると、全員で声を合わせ、正拳突きの素振りから始まった。
「はっ! はっ! はっ!」
門下生の声が、道場に木霊する。体術系の呪術者でない中之条結華梨もまた、体作りの基礎として、突きだの蹴りだのの素振りに参加していた。汗が滴り始めた頃、後ろから肩を叩かれた。
「結華梨、智喜様がお呼びよ」
先輩門下生にそう告げられた彼女は、何かしてしまったのかと心臓がドキッとしたが、直ぐに行かなくてはと、列から抜け出し、タオルで汗を拭きつつ、奥の間を目指した。
「中之条結華梨です」
「入れ」
障子の向こうから、主の声がした。
「失礼します」と一声掛けてから、障子をスッと開け、初めて奥の間へ踏み入った。
「座りなさい」
示された座布団にちょこんと正座をするも、不安で心臓が張り裂けそうだった。
(何でしょうか? 弱い私ですし、捨て駒になるよう指示されるとか? もしかして期待されてる? いや、そんなはずは)
と、胸中は穏やかになってくれない。
「先の集会で話したとおり、個別での指示を与える」
前置きなどは省略し、智喜は単刀直入に言葉を切り出した。
「中之条結華梨と申したか。お主を智鶴の子守担当に命ずる」
「え?」
本家付けの者達が居る中で、思わぬ采配に、承諾でも拒否でも無い曖昧な返事をしてしまった。
「智鶴と仲が良かったと聞いておる。大半の記憶を失ってしまった今、それは利点とならぬかも知れぬが、全く間柄がない者よりは、適任かと考えた。どうじゃ? 引き受けてくれるか?」
「はい。勿論にございます」
智喜の考えはまだイマイチ分からなかったが、そう命じられたなら、従う他無い。
結華梨の新たな日常が幕を開けた。
どうも。暴走紅茶です。
今週もお読みくださりありがとうございます。
最近ブランドタッチの練習をしているのですが、一向に上手くなる気配がございません。むしろ、前よりもミスタッチが増えている気さえします。はたして、紙吹雪最終話までにブラインドタッチを習得できるのか!?
打ち間違イライラする(笑)
では、また次回!




