6話 少女のこころ
キラリと光った物は、見間違いでは無かった。
暗闇の中に、赤く光る星を見つけた。
手を伸ばしてみた。
もう少しで届いてしまいそうだった。
*
13時。調査から戻った百目鬼隼人が、真っ直ぐ奥の間に向かう。
横浜軒で時貞萬匠を取り逃がしたと分かったとき、カッと頭に血が上り、直ぐにでも飛びだしてしまいそうになったが、折角の昼飯、食ずに出るのは勿体ないと、無理して掻き込んだ。全く味がしなかった。選択は間違えなかったのに、後悔が押し寄せてきていた。
散々な想いも、屋敷までの道のりで大分冷めていた。
奥の間の手前、障子をノックしようとして、手が中空を彷徨った。
(なんて、報告、すれば、いい?)
敵をまた取り逃がしました? 嫌みをたらふく言われて、キレそうになりました? まだ敵は市内に居ますが、どこか分かりません? こちらの行動はバレてます? いや、どれも報告するには、格好が悪すぎる。
ぎゅっと手を握りしめた。
(取り、敢えず、接触、した、事だけ、でも、報告、しなきゃ)
意を決して開いた障子の向こうは、無人だった。
*
昼前のこと、千羽智喜は屋敷を抜け出していた。
千羽町を抱える清涼市の隣町、霧野市田所駅。周辺は稲刈りが終った田んぼと畑ばかりで、これといった建物は民家と薬局が遠くに見えるだけ。そんな地に足を踏み入れた智喜がボソリと悪態をつく。
「全く、辺鄙なところに住みおって」
霧野市には特に妖が湧きやすい地域でも無いため、定住している呪術師など、つい最近まで居なかった。智喜をしても直ぐ近くに住んでいるとは言え、わざわざ訪れるなんてことも殆ど無かった。
駅から暫く歩くと、とんでもなくおんぼろの2階建てアパートが目に入った。
「こんだけ田舎なら、もっと良いアパートでも安いじゃろうに」
はぁとため息をついて、今にも崩れそうな鉄製の階段を上っていく。カンカンという音が響く度に、抜けるのではないかと、何度も身構えた。
201号室の前に立ち、呼び鈴を押し込む。
……何の音もしない。どうやら壊れている様だった。仕方が無いから、ドアをノックする。
「あ~い」
遠くから声がした。案外ドアが分厚いのかも知れない。
ガチャッと音を立てて、だるだるのTシャツを着ただらしのない姿の智成が出てきた。短髪だから寝癖は付いていないが、どう見ても起き抜けだった。
「新聞は取りませんよ~って、親父!」
「智成。大分弛んどる様じゃのう」
「ちょ、どうしたんだ。連絡くれたらこっちから行くのによ~。っまったくセンスねぇなぁ」
「センス無いのはどっちじゃ! 弛んだ格好しおって! 早く中に通さんか!」
「ご、ごめんよ……」
かつて厳しく躾けられた記憶は、今も尚逆らうことを許さなかった。
「こんな質素な暮らしせんでも、生活には困っとらんじゃろ」
6畳(あるかも怪しいくらい狭い)一間のワンルーム。中心に置かれた唯一の家具――ちゃぶ台に向かって座った智喜が、部屋を見渡した。
「まあ、確かに、ちゃんと稼ぎはあるが……。ほら、結局こういう所の方が安全だったりするんだよ。木を隠すなら森。凄腕術師を隠すなら、ど田舎って」
「何か間違っとる気もするが、そういうもんか?」
完全に慣用句を使い間違えていると気がついた智喜だったが、これと言って代替慣用句も浮かばなかったので、気に留めることも無かった。
「そういうもん、そういうもん。で、本題は?」
チャラチャラとした笑声を上げた後、すっと真面目な表情になる。
「実はのう……」
智喜は現在千羽で起こっている事を話して聞かせた。
「事情は分かった。というか、知ってた。俺がこうして山を下りてきたのも、千羽をもっとしっかり見える位置に移動したかったからだし」
「そうか……それなら話が早い。お主、今だけでも屋敷にもどって来んか?」
「昔破門しておいて、よく言うぜ。千羽の当主に、二言あっても良いのかよ」
「……それくらいの事態じゃ」
智喜の表情に、ただならぬ物を感じ取った智成は、刈り上がった後頭部をポリポリ掻きながら、困った表情を浮かべた。だが、彼には何となくこうなるのでは無いかとの想像がついていたから、本来素直になれば、答えは一つに決まっていた。
「俺も忙しいんだけどな~。それに、当主の前で言うことじゃねぇけど、屋敷住まいは窮屈でどうにも好かんのよ」
「……ダメか」
「いや、屋敷には戻らねぇけど、千羽に移住するのはアリかもな~」
照れ隠しに、不意に思いついたような態度をとって、智喜とは目を合わさずにそう言った。
「感謝する」
深くだが深すぎない辞儀を垂れる智喜は、父と当主、両方の感情で動いているようだった。
「ただそんな気分になっただけだ。まあ、なんだ。たまには栞奈の様子でも見に行くかな」
智喜を見送った智成は深くため息をついた。
「ああ~めんどくせぇ。俺もそんな自由の身じゃねぇんだけどなぁ」
彼は押し入れに詰め込まれた布団の奥に手を突っ込んで、黒いスマホを取り出すと、電源を付けた。どこの機種か分からないが、ヤケに頑丈そうな見た目で、裏面には何やら金色の文様が刻印されている。
「うぇッ。めっちゃ連絡入ってる……。ちゃんと仕事してるっての。変な心配ばっかしやがって。センスねぇなぁ」
通知を無視して、電話を掛ける。
『あ~もしもし、俺だけど』
『オレオレ詐欺なら間に合ってます』
相手が通話を切ろうと、スマフォを耳から遠ざけたのを感じ、
『いやいや切るなよ!』
急いで声を荒立てた。
『……ずっと私からの連絡を無視しておいて、よく言えますね』
冷ややかな声を浴びせられる。
『悪かったって。立て込んでたんだよ』
『どうせまた、仕事の連絡なんて見てたら、頭が痛くなるとか言って、押し入れの奥にしまい込んでたんじゃないんですか?』
『お、お前……センスの塊だな』
『お褒めにあずかり、恐縮です。で、要件は? アナタから電話なんて、天変地異の前触れでも無い限り、あり得ないと思うんですけど』
『それなら、止めに行かねぇと。って、そんな訳ねぇじゃんか! 相棒に電話しただけで酷い言われようだな。いやぁさ、ちょっとブッキングしちまってよ~。また居住を移すから、その連絡』
『また引っ越しですか!? 木枯山を下りるのだって、どれだけ手続きが必要だったか……』
『わりぃ。引っ込み付かなくてな~』
『で、次はどちらへ?』
『千羽町』
『え!?』
間髪入れずに、智成が意外な地名を口にしたものだから、相手が声をひっくり返して驚いた。
『まあ、そりゃ驚くよなぁ。俺が一番住まなそうな場所だし』
『またどんな風の吹き回しですか?』
『色々あんだよ。詳しくは次に会ったときにでも。じゃあ、そういうことで、新しい家が見つかったら、連絡くれな』
『お気に入りの住まいを、自分で探したらどうです? ほら、今握ってるそれでちょちょっと調べれば、物件なんて直ぐに見つかりますよ』
『そんなつれないこと言うなよ。俺とお前の仲じゃんよ~』
『どんな仲ですか? 犬猿?』
『そんなには……悪くねぇよな?』
自信が持てずに、不安げな問いを投げた。
『冗談ですよ。2割くらいは』
『2割!? 少ねぇな! 悪かったって。これからはちゃんと仕事もするし、お前の言うことも聞くし、なんならちゃんと定例会に出ても良いんだぜ』
『それは、社会人として当たり前の行為です!』
『うげぇ~そこを何とか~冥沙様~』
冥沙と呼ばれた電話越しの相手は、小さく笑った。
『ホント、しょうがない人ですね。アナタの相棒ってだけで、他の人から変な目で見られるんですよ』
やれやれと首を振っている……様な気がした。
冥沙は最初から承諾するつもりでいたが、いつもの不満を少しくらいぶつけても、罰は当たらないだろうななんて考えていただけだった。
『じゃあ、お前もこっちくるか?』
『行きませんよ! 私はプライドを持って、この仕事をしてるんですから』
『まるで俺にはプライドがねぇみたいな言い方じゃん』
『実際、無いでしょ?』
『……』
『黙らないでくださいよ! もっと魔呪局直属金烏会の……』
智成は無情にも電話を切り、そのまま電源まで落とし、適当に床に放り投げた。
「ホントうっせぇ」
あ~いやいやと首を振って、床に寝そべった。
*
14時を廻った。既に太陽が傾き始めている。秋の日は短く、数時間もしない内に星月が顔を出し始めるだろう。牡丹坂姉妹は翌日に用事がるらしく、準備をしなくてはと言って去って行った。美代子はまた自室に籠もりに行った。居間には智秋と栞奈、竜子が居り、お昼寝に寝かしつけた智鶴が、寝返りを打ちながら、布団を蹴り上げた。
「こいつ、寝ても騒がしいのな」
栞奈が呆れた声を上げる。
「まあ、でも寝顔は天使のようだね」
「そうね」
竜子の発言に、智秋が賛同した。
「ねえ、聞いても良いなら、なんで姉妹疎遠になっちゃったのか、教えて欲しいな。こうして見てると、ホントただの仲良し姉妹にしか見えなくて」
「……」
質問に、一瞬答えるか迷ったが、別に隠すことでも無いだろうと、言葉を選び始める。
「簡単な事よ」
そう切り出した。
「嫉妬。この2文字に尽きるわ。ただの、みっともない、名家にありがちな、嫉妬よ」
智秋の表情は、とても優しさに包まれて居るが、笑ってはいなかった。
「嫉妬……か」
「そう、嫉妬。私のが先に呪術を始めて、この子より先に紙操術を使えるようになって、応用の紙縛術だって小学生の間に習得した。周りは褒めてくれた。それに、智鶴は何故かお父さんが亡くなってから、呪術を禁じられていたから、私が跡目を継ぐなんて事は当たり前で、疑う日は無かったわ」
「……」
智秋の独白に、他の2人が聞き入る。とても静かな空間だった。反響もしない日本家屋に、彼女の声がスッと広がる。
「でも、聞いちゃったの。吹雪会の人が、「跡目って智秋様なのか?」「いや、智鶴様の線もあるだろ。何だって、産の一片が紅だって噂だぜ」って、話してるとこ」
「うぶのひとひら?」
栞奈が始めて聞くワードに首を傾げる。
「私も、それを聞いた瞬間に首を傾げたわ。だから調べたの。智鶴のマネをして、こっそり倉に忍び込んで。倉には中学生になるまで入っちゃダメって言われてたから。で、そこで知っちゃった。千羽家の当主は、生まれた時に握っていると言われる産の一片の色が、より赤い者が継ぐって。私のがサーモンピンクで、智鶴が紅だって」
「そんな……でも、智鶴は術を禁止されてたって」
「うん。その理由は今も知らない。もしかしたら智鶴は、知っているのかも知れないけど、私は知らない」
優しい表情が崩れていく。
「それで、バカバカしくなっちゃったの。毎日努力しても、しょうがないって。呪術を禁じられて、私よりも何も出来ないハズの智鶴が、跡目の候補たり得るって知って。だってそうでしょ? 毎日毎日学校が終わってから、学校のない日は朝から晩まで、呪術、呪術、呪術。座学も実技も何でもかんでも、小学生には理解しきれないことまで、覚えるまで、会得するまで、何度も何度も繰り返すのよ」
智秋はずっと誰にも言わずに秘めてきたことを、貯めてきたモヤモヤのヘドロを、一切合切吐きださんとばかりに、言葉を繰り出す。
「友達と遊ぶ時間も無かったわ。友達がテレビを見ている頃には疲れ切って寝てたし、ちょこっと空いた時間も、学校の勉強に充てなくちゃ、ついて行けなくなるし、辛かった事も沢山あった。でも、その分術が完成していく達成感は大好きだった。知らないことが理解できる高揚感も大好きだった。それもこれも、いつかこの大家を継いで、お爺ちゃんみたいな、お父さんみたいな立派な呪術師になれると思い込んでいたからよ。妹なんて、呪術の世界では眼中になかった。私だけがみんなに期待して貰っていると思っていた、特別だと思い込んでいた。あの子はただただ、妹であるだけ。だから姉妹として仲良く出来た。でも……。でも、違ったの」
智秋の目から涙は流れていなかった。それは、既に流し尽くされていたからかも知れない。いつもは奥底に秘めている感情を露わにした彼女は、どこか恨めしそうに、智鶴の居る客間へ視線をぶつけた。
「智秋……」
栞奈が慰めようと、発した声は、竜子によってかき消された。
「それは、悲しいね。でも、一個間違ってる。智鶴ちゃんだって努力してた。智秋には同情するよ。そんな悲しい事は無いよ。でも、それで、これからも智鶴ちゃんを遠ざけるのは、違うと思う!」
感情のままに言葉を繰り出して、竜子はしまったと口元を手で覆った。
智秋はハッとした顔をしていた。
「ごめん、私が話してって言ったのに、責めた訳じゃ無いんだよ」
「ううん。良いのよ。今は……いやもしかしたら、最初から。そんなこと分かってたから。分かってても意地張っちゃって、素直になれなかったのは、私の方だから」
智鶴にどれだけ話しかけられても、無視していた過去を思い出していた。その時の、悲しさを噛み殺し、平常の顔を保っていた智鶴の顔も。その時の、みっともない自分の心も。……胸がグッと苦しくなった。
分かりきっていた事だったのに、分かりきっていた返答だったのに。分かっていたはずなのに、こんなにも心が痛いなんて。涙が流れてくれたら、きっと2人の受け取り方も違ったかも知れないのに、鼻の奥がツンとなることすらなかった。
「まあ、そんだけよ。素直になれるタイミングを計り続けてるだけだしね」
こんな風に誰かに聞いて貰うだけで、心が軽くなるなんて、自分はなんと単純な人間なのだろうと呆れもしたが、きっとこの2人に聞いて貰ったから、軽くなったのかも知れないと思った。そんな気がした。
「ゆっくりかも知れないけど、ずっと智鶴との仲を、修復していこうと思っていたのよ。でも、なかなか難しかった。それも今回の一件を通して、出来る気がしてきたの」
さっぱりとした表情で、2人に告げた。
「うん。ゆっくりで良いと思う。私たちまだまだ子供だからね」
「この仕事してると、忘れそうになるよな」
「全くだな」
3人が笑顔を取り戻して笑い合っていると、「むにゃ……」と呻きを漏らしながら、智鶴が目を覚ました。
「一番のお子様が目を覚ました」
智秋の発言に、皆の優しい表情が妹に注がれる。
「あれ? お客さん? おねーちゃんと……あとはダレ?」
部屋に戦慄が走った。
どうも。暴走紅茶です。
今回もお読みだ去りありがとうございます!
先週は更新を延期してしまい、誠に申し訳ございませんでした。
ちょっと用事が立て込んで、どうにも制作が出来なかったのです。
隔週更新はここからずれていくのでは無く、来週は予定通り更新しますので、またどうぞ宜しくお願いいたします。
では、また来週!




