11話 開戦
それは月が影を作り出すほどに明るい晩の事だった。夏の到来を待ちわびて、青き色を取り戻しつつある草木が気持ちよさそうに夜風に揺れ、桜が残りの花びらを手放そうとしていた。
そんな百目鬼襲撃より4日、学校での遭遇より3日後の今夜、事態が動いた。
「今夜も平和ね」
「そうだね。小物が数匹居ただけだし」
いつも通りのパトロール風景だった。いやそうでも無い、智鶴の背には山で修行を重ねたロール紙が背負われていた。
「それも手応えの無いやつだったわね」
「……見逃しても良かったんじゃ」
「何か言った?」
百目鬼が小声で呟くと、智鶴がすかさず切り返した。
「……いや、なんでもない」
そう言って、住宅街を抜け、林の方へ向かおうとしたその時だった。智喜特製のペンダントが激しく輝いた。「うわ!」智鶴が声を上げる。それと同時に目の前に新たな気配が現れた。
今日は妖も少ないからと、踵を返した帰路でのこと。そんな他愛も無いおしゃべりを遮る者が現れた。それは、住宅街の道路の真ん中へ、音も無く、静かに降り立った。
「やあ」
闖入者の正体は竜子だった。彼女は二人の目の前10メートルの位置に降り立つと、小さく手を振った。
余裕を見せる竜子に対し、急に正面から声をかけられ、驚きが隠せない二人だったが、脊髄反射で咄嗟に身構える。
「でたな。十所!」
「どこから、湧いた!?」
「待ってよ。戦う気は無いんだって」
そうは言っても、百目鬼を襲ったときと同じ格好が、余計に闘争心を燃やす。
「問答無用! 千羽に喧嘩を売った事、後悔させてやる」
智鶴が手を振り、それに呼応して紙吹雪が鋭く竜子を襲う。竜子はそれを払いのけるかの様に手を振ると、紙はその威力をなくしてはらりと落ち、無情にも風に飛ばされていった。
「うそ」
「な~んだ。こんなもんなんだ。警戒したのも無駄だったかも」
竜子が頭上高く手を掲げ、パチンと指を鳴らすと、背後に、深く吸い込まれそうな青色の鱗を輝かせ、優雅に体躯をくねらす蛟が現れた。
「美夏萠! 出番だよ」
そう言いながら、手を振り下ろすと、その動きに合わせ、美夏萠が口を開けて襲いかかってくる。
避けるも虚しく、美夏萠が動いただけの風圧で吹き飛ばされる。住宅の塀に叩き付けられ、カハッと口から空気の塊が飛び出す。そして、痛みとは別に、ゾワリとした感覚が智鶴を包み込んだ。
「なにこれ……」
体を抱えて蹲りたい。冷や汗が止まらない。
「……これ、この感覚。智鶴! これ、竜気だ! そうか……これだったのか……」
百目鬼が叫ぶ。自身に纏わり付く感覚は、霊気よりも更に高位な気の感覚。
妖の中には妖気で無く、固有の気を発する者が居る。鬼の鬼気、神の神気、それに竜の竜気。その気は霊気や妖気よりも純度が高く、高位で人や妖を寄せ付けない。
「竜気?」
「詳しく説明する、余裕は無い。でも、気をつけて。これを操られたら、勝機が揺らぐ」
そうか、竜気に包まれていたから、居場所を特定出来なかった。あのとき、掴まれた、青いの、コイツの尻尾か。そうか、そうだったのか。智喜様の纏う高位な、自然と溶け合った、霊気より、更に高位で、自然そのものとさえ、言える、竜気……。読めなかったか。まだまだだな……。
百目鬼は今までの不信なところが全て繋がり、やっと敵の正体が腑に落ちた。
「竜気に当てられるなんて、やっぱりお嬢様は育ちがいいんだね」
立ち上がるのに時間がかかっている智鶴に、竜子が威勢良く言葉をぶつける。
その言葉に、うなだれていた百目鬼がハッと前を向く。
そうだ。今は、戦闘の、最中。うなだれてる。場合じゃ、ない。
「一旦退こう」
智鶴をかばう様に構える百目鬼がそう提案する。
霊気の上位互換である竜気。妖力で活動する百目鬼は智鶴よりも幾分か平気だった。
「だめ、ここで逃がしたら、もうチャンスなんてない気がする」
「でも……」
「用は、『気を紛らわせれば』いいわけでしょ?」
「簡単に言うけどさ」
「簡単だもん」
智鶴が立ち上がると、巾着袋から10枚の紙片が出てきて彼女の体の周りを高速で飛び交い、彼女の紙を靡かせる。まるで、それは地球の周りを飛び交う衛星の様だ。
「これで、気を散らしちゃえば、竜気、恐るるに足らずよ!」
「やるね~。じゃあ、準備も整った様だし、美夏萠!」
蛟が再び襲いかかってくる。それを避けると、土手っ腹に残りの10枚で攻撃を繰り出す。その紙片は鉤爪の様に美夏萠の体を抉ったが、蛟はダメージを受けたような素振りさえ見せない。
「百目鬼は本体をお願い!」
飛び退りながら、彼にそう叫ぶ。指示を聞き、こくりと頷くと、竜子の元へ駆けていった。
走りながら、眼を大きく見開いた。
竜気は克服したものの、その威力はどうにもならない。先ほども竜気のブレスに吹き飛ばされ、コンクリートに叩き付けられた。紙服を堅くしていなかったら今頃骨がバラバラになっていた事だろう。
木陰に隠れ、小技を繰り出す。居場所がバレれば次の木陰へ。
だが、美夏萠も只やられる訳では無い。尻尾で辺りの木々をなぎ払い、智鶴を探し出す。見つけるとそのまま尻尾で叩く。
「グッ」
幾ら私服を堅くしようと、腹に直接入れられた打撃のダメージはそう軽減しない。
口から飛び出た胃液を拭うと、ニヤリと笑った。
「ぼちぼち新技、出しましょうかね」
智鶴はすっかり汚れてしまった巻紙を引き延ばすと、それで二振りの刀を作り出した。
「行くわよ!」
その刀を構え、美夏萠へと突っ込んでいく。蛟は避けようと、上へ飛んだが、それに合わせ、智鶴は下段から切り上げる様に、右手の刀を思いっきり投擲した。それは美夏萠に傷を付けず、顔の前ではらりと元の形へ戻ると、べったりと張り付く。
「やった!」
鼻ヶ岳で掴んだ感覚。小さい紙を操るときの様に、力任せではだめ。きちんと、折る方向、伸ばす方向、鋭利にする部分を意識して、面で無く、点と線で捕らえる。そう、折り紙を折るのと一緒だ。力任せに掴んだだけでは、それは容易く丸まったゴミくずになってしまう。ちゃんと、一辺一辺折り目正しく――。
そして、残った一振りを構え、暴れる美夏萠の元へと木々の間を駆け抜ける。
枝を足場に、木を駆け上り、蛟の目線の高さまで跳躍すると、上段から思いっきり脳天めがけて刀を叩き付けた。その攻撃は鬣を少し切り裂いた程度で、致命傷を負わす事は出来なかったものの、痛みは小技と比べものにならかったようで、竜の怒りは更に増していく。
落ちていく衝撃を広げた紙でトランポリンの様に吸収すると、智鶴は天を見上げ、「よし!」と呟いた。
はい。こんにちは。いや、投稿時間的にはこんばんはですね。暴走紅茶です。
毎度ご愛読ありがとうございます。
そう言えば、「今日は」も「今晩は」も後に続く言葉がありそうですよね。
みなさんなら、挨拶のついでに何て言います?
「今日は、晴天なり」?「今日は、素敵ですね」?
何か一言添えられる挨拶って、素敵ですね。
それではまた来週。




