5話 ナポリタンとB定食
藻掻き続ける。
キラリと光が見えた気がした。
驚いてそちらを見やる。
気のせいだった。
*
5日目は土曜日だった。
朝から竜子・栞奈・智秋が門下生とともに、めまぐるしく家事に勤しむ。
百目鬼は調査と言って、朝一に家を出て行った。
居間では、昨日智鶴に引き留められ、断り切れず1泊した牡丹坂桜樺・椿姫姉妹が、彼女の相手をして遊んでやっていた。
「こらこら「智鶴様「そんなに「帯を引っ張らないで「脱げちゃいます! 「ああ! ご無体な!」
おままごとよりも駆けっこ派のお転婆な智鶴は、朝っぱらから姉妹を困らせていた。
とうとう、椿姫の着物が着崩れた。白い肩が露わになる。
「やめて「ください~~~」
椿姫の事なのに、桜樺もシンクロして抗議をする。
「桜樺ちゃん、椿姫ちゃん、お外行こうよ~」
「それは「だめです」
このような姿になった智鶴を見て、近所の人がもしも異変に気がついてしまったら、千羽の地主としての立ち位置が危うくなると、智鶴の外出は禁じられていた。
「桜樺、あなたが抑えておくから、今のうちに」と椿姫。
「椿姫、あなたが着付け直して」そう指示したのは桜樺。
人前でお互いに話すときは、お互いに命令しあうのも、なかなか変な光景であるが、見慣れた智鶴には疑問も浮かんでいなかった。
そんな様子を、通りがかった千羽家当主であり、智鶴の祖父・千羽智喜が目にして、庭までなら結界があるから良いぞと、許しを出してくれた。万が一に備えて、いつも開け放たれている門が閉ざされ、閂が下ろされた。
サイズのあう靴が無かったから、智喜が紙操術で急ごしらえの靴を作った。やはり孫が可愛いのか、ヤケに張り切った出来映えだった。
「智喜様「凄い「です「流石」
姉妹に褒められて、恥ずかしそうに奥の間へ消えていく智喜と、嬉しさの余り高速で庭に飛び出す智鶴。
「わ~~~い! 椿姫ちゃんが鬼ね!」
智鶴から『鬼』というワードが出てヒヤリとしたが、どうやらすでに鬼ごっこが始まっているようである。あの日鼻ヶ岳で繰り広げられたものと同じ名前の行為とは思えない程、和やかな時間が流れ出した。
「こらこら「待ちなさい」
桜樺は智鶴と併走して逃げているというのに、姉妹の口調は変わることが無かった。
駆けていく幼い術師は、洗濯干し場に向かっていった。
そこでは、竜子が洗濯物を干していた。
「あれ? 智鶴ちゃん。牡丹坂さんに遊んで貰ってるの?」
大きなシーツを、従者の天に手伝って貰い竿に掛けている最中。顔だけ智鶴の方へ曲げ、にこやかな笑顔を向けた。
「うん! 竜子ちゃんも一緒に遊ぶ?」
「ごめんね。いまお仕事中なんだ」
「え~つまんない~」
体を左右へ捻りながら、ぶー垂れる。
「終わったら遊ぼうね」
「うん! また美夏萠みせてね!」
遊びの約束を取り付けた彼女は、直ぐに調子を取り戻すと、笑顔で飛び跳ねた。
先日、平日に学校を休んで面倒を見ていた際に、気を引こうと美夏萠を見せたら、格好いいだの何だのと、目をキラキラさせていたことを思い出す。
「いいよ。今度は他の子も見せたげるね!」
「はい。智鶴様。「捕まえました」
子供の脚力について行けていない15歳の少女が、ヨタヨタと駆け寄り、智鶴にタッチした。
「あ! 今竜子ちゃんとおしゃべりしてたのに! ずるっこだ!」
「え「あ~「すみません」
姉妹が揃いすぎるほどに揃って、ぺこりと頭を下げる。
「い~い~よ~」
智鶴がニコリと笑い、
「じゃあ、次は私が鬼だ!」
その言葉に、姉妹はいつまで続くのかとゾッとしたが、助け船は直ぐに来た。
「あ~いたいた。ちょっと智鶴借りてくね」
縁側に顔を出したのは智鶴の母・美代子だった。
「ぜ、「是非……」
すっかり汗だくで、髪飾りも外れかかっている姉妹は、切れている息を落ち着かせ、ホッと安堵した。
屋敷内、美代子の私室はいつもと様相を異にしていた。その部屋はカーテンが閉め切られ、午前中だというのに薄暗く、様々な呪具が散乱している。
「え~。また~?」
今から美代子による解呪研究が始まると予想した智鶴から、不満の声が上がる。
「ごめんね。でも、今日はイッチーも一緒だから。我慢できるね」
「イッチーと一緒なら、いいよ~」
ベッドに座らされた智鶴に、大きなテディベアが渡される。それをぎゅっと抱きしめると、不安げな表情が少し和らいだ。
「じゃあ、始めるね」
美代子が組紐の付いた宝玉を取り出し、その紐を指に通した。すると、宝玉にぽうっと明かりが灯り暗い部屋を微かに照らした。智鶴を囲うようにして、円環が現れる。それが幾度となく、幼女の足下から頭の先までを往復し始めた。
術者の脳内に様々な術式が浮かぶ。
いつもなら直ぐに退屈して騒ぎ出す智鶴も、今日はイッチーと一緒だからか、大人しくしているのが幸いだった。老いては子に従えとは言い得て妙であるなと素直に思った。
色々な解析術を試している間にふと、夫の霊気を感じた。不思議な感じだった。もうどこにも居るはずも無いのに、今ここで寄り添ってくれている気がした。
(アナタもこの子が心配で、出てきちゃったのね)
何となくそんなことを思った。その瞬間、脳内に手がかりとなりそうな講式が現れた。体がビクンと跳ねた。
「そうか……」
「おかーさん?」
「うんうん。なるほど……でも、これは……う~ん」
訳の分からない独り言を呟く母を、娘が不気味なものを見る様な目で見つめた。
「よし。今日はここまでにしようか。よくじっとしていられたね。えらいえらい」
母に抱きしめられ、頭を撫でられて、目を細める智鶴。
『ゴトゴト』
タイミング良く襖がくぐもった音を立てて揺れた。誰かがノックしたのだ。その直後、廊下から智秋の声で「お昼ご飯だけど、どうする?」と聞こえてきた。
「おねーちゃん!」
美代子から終了を聞かされた智鶴は、大好きな声に向かって飛び込んでいった。
「美代子さん、ご機嫌だね」
昼飯のナポリタンを、器用にフォークで巻き取りながら竜子が話しかけた。ちなみにこのお昼は、竜子も手伝ったものだった。
その昔、純喫茶に取り憑いた妖を退治する仕事があった。その際、店員として潜入したついでに覚えたレシピが役に立ったようで、門下生達から歓喜の声が上がったのは、また別の話。
「うん。ちょっと、ほんのちょっとだけど、手がかりが掴めてね~」
「ちょっと、お母さん、それ本当!?」
母の言葉に、智秋が手にしていたフォークを落とし、ガバッと身を乗り出した。
「もう、智秋ったら。ご飯の時くらい落ち着きなさい」
「は~い。でも……」
「そうね。まあ、手がかりと言っても、今すぐ解決できる訳じゃないし、これからもっと沢山考えなきゃだけど。まあ、期待せずにみんなはみんなの持ち回りを宜しくね」
「うん。分かってるわ……」
「智秋だって、ちゃんと役立ってるわ。イッチーの提案はナイスだったよ」
「ホント!?」
母が呪的に頑張っているのに、自分だって術者なのに、何も出来ていないと思っていた智秋は、嬉しそうに、ぱあっと明るい表情を作った。
「おい!」
和やかなムードに、水を差す声が放たれる。
「毎回言うのもあれなんだけどさ! お前ら、ちょっとは智鶴のメシの面倒を見てくれ!」
そこにはお昼のナポリタンを文字通り食べ散らかし、その上どうしてそうなったか、ケチャップまみれの栞奈が居た。
「そう「です!」
汚れてはいないのものの、今回は牡丹坂姉妹も被害者のようだった。
*
百目鬼隼人は悩んでいた。
ネオンライトが壊れ、『らぁめん ぎょうざ』と主張したいところ『 ぁめん ぎょ ざ』になっている中華料理屋『横浜軒』。所謂町中華である。
お昼時、土曜日らしく私服姿の客で賑わう店内。
メニューから目を逸らすこと無く、額に汗を浮かべる。
「A定食、か、B定食か……はたまた」
A定食の酢豚も捨てがたいが、B定食の唐揚げも魅力的に映る。しかし、対抗馬としてラーメンセットも捨てがたい。こちらは醤油ラーメンとライスにもう一品、好きに選べるシステムになっていた。
「Aか、Bか、ラーメンか……」
「お客さーん。ご注文は~?」
カウンター越しに、店員が急かしてくる。
「うう……B定食で……」
「はいよ~」
百目鬼の決心と対照的に、店員の返事は質素で軽かった。
暫く待つと、お盆に載せられたB定食が到着した。カラッと揚げられた唐揚げを筆頭に、キャベツ、レモン、ポテトサラダの載ったワンプレート、大盛りのライス、お新香と、スープ……。
「いや、違う」
(これは、スープじゃ、無い! 見落と、していた……。これは、ミニ、ラーメンだ!)
中華スープかと思っていたそれには、ひとくちくらいの中華麺が沈められていた。
自分の選択の正しさに感涙しつつ、ライス片手に箸を伸ばそうとした。
「おばちゃん、ラーメンの餃子セットね。ここのラーメンは濃くも無く薄くも無く、だけど質素という訳じゃない。醤油と鶏ガラがきちんと共存していて、どちらの主張も強すぎない。隠し味のニンニクも控えめながら存在感がある。優しいだけじゃないジャンキーさが癖になってついつい通いたくなる。餃子もそう。ニンニクが多すぎず、ニラや白菜とのバランスが絶妙で、豚挽肉も油っっぽくないから胃にもたれない。僕がこの地で食べるにふさわしい中華は、間違い無くここなんだよね」
左隣の客が、只の注文にしては長台詞を吐いたことに、驚き、慌てて、箸が止まる。
「うそ……」
さび付いてしまったかのように、ぎこちなく首を隣の客に向ける。
「おやおや。これはこれはいつかのヒヨッコじゃないか。いや、ヒヨコと言うよりはタマゴかい? タマゴっ子の君も、味覚だけはまともだったみたいで安心だよ。ああ、ああ、そんなに睨まないで。全く怖くないけど。大丈夫安心しなって。流石の僕でも、こんな昼間の町中で、しかもご飯中に、術を使い襲う程君を買っている訳じゃ無いんだ。例え君が襲ってきても、僕は完食したうえ、無傷でここを去る自信がある。自信? 違うな、確信……というか、そう決まっているんだ。君じゃたとえ食事中の僕であろうと、指一本触れることすら出来ないよ」
会話がキャッチボールだとしたら、時貞萬匠のしゃべり方はノックだった。話を割り込ませる暇が無いと言うより、割り込ませなくとも会話が進んで行ってしまう。
「どこに、居た」
「どこ? 変なことを聞くなあ。僕がどこに居ようと関係ないでしょ。だって、見つけたところで何も出来ないんだから。また、ただ指を咥えて赤ちゃんごっこでもするかい? 気が乗らないけど、君がどうしてもって言うなら、考えないでも無いけど。僕は優しいからね。年長者として、年下とはちゃんと付き合いを保つ方なんだ。でも、止めといた方が良いよ。精神衛生上ね。若者はそれでいいんだ。井の中の蛙で居た方が幸せなこともあるんだ。まだよく分からないかも知れないけれど、社会って案外そんなもんだよ。外を知るより内に籠もって居なよ。幸せな、箱庭に、ね?」
とベラベラ言葉を浴びせられている内に、時貞のラーメンが届いた。
「じゃあ、これで失礼するよ。今このラーメン以上に価値あるものなんて無いからね。今君たちが血眼になって僕を探している事は知ってる。僕の星を読もうとしたり、僕を遠くから観察しようとしたりしているね。でも、全部無駄だよ。あの娘はギリギリで耐えてるみたいだけど、いつまで持つかな。もしかして君たちのエースだった? それは悪いことしちゃったなぁ。娘無しでは何も出来ないのかい? 時には切り捨てることも重要だよ。人間ってさ、何故かそれが出来ないから悩むんだよね。じゃあ、こう考えてみなよ。自分以外は全員捨て駒だって。そう考えると、強くならなきゃって思うし、他人に左右されないから自分の道を歩ける。君だって薄々感づいているだろう? 他人がいるから、窮屈なんだって。まあ、ゆっくり考えなよ。僕はまだこの町の何処かに居る。ゆっくりウイスキーでも飲んでるからさ。自分の為に、自分の為だけに集中して、ゆっくり探すといいさ」
一瞬言葉が止まった。それと同時に、百目鬼は生理現象として瞬きをした。ほんの一瞬のことだった。時間にして0.1秒も経っていないだろう。だが、彼が目を開いたときにはもうそこに人の姿は無く、丁寧に汁まで飲み干されたどんぶりと、油汚れだけを残した平皿、お代とごちそうさまでしたのメモ書きが残されているばかりだった。
瞬時に首から下、服に隠されている所だけに集中して万里眼を発動した……が、そこには一般人以外、何も映り込まなかった。
「クソ!」
机を強く叩く。右隣に座る老紳士がビクッと反応した。
唐揚げはすっかり熱を冷ましていた。
うも。暴走紅茶です。
今回もお読みくださり、ありがとうございます!
日々暑くなってきてますね。
こんな暑いと、昼間からキンキンのビールが欲しくなります。
そんな僕は、今年も会社の新人歓迎会でベロベロになりました。
皆さんは吞んでも吞まれるなよ~。
では、また次回もよろしくお願いいたします!!




