10話 どんどん焼き
16時半。真っ赤な夕日がグラウンドを照らしている。
文化祭はとっくに終わり、各教室の後片付けが進んでいた。ある者は看板を数人で持ち、またある者は大量のパンパンに詰まったポリ袋を抱えて、生徒は各々燃えるゴミを同じ方向へ運んで行く。正門から道路を挟んで向かいにあるグラウンド、通称『下のグラウンド』に運んでいたのだ。ゴミは一カ所に集められ、堆く積まれていく。
「終わるとあっけないものね」
智鶴が寂しげな声で呟いた。
「そうだね。あんなに頑張って作ったのに、壊すのは一瞬」
日向が儚げに、抱える看板だった木片を見つめる。
「もったいないわ~燃やしちゃうなんて」
「でもでも! 今年は雨も降らず、どんどん焼きが見られるなんて、私は楽しみだよ」
静佳の言うどんどん焼きとは、清涼祭名物である所謂キャンプファイヤーの事だ。どんどん集まってくる廃材に火を付ける様を、小正月の『どんど焼き』にちなんで、いつかの生徒会長が名付けたという。ゴミが高く積まれていたのはこのためだったのだ。
「それもそうね。じゃあ、ちゃっちゃと運んじゃいましょうか」
廃材の山に看板を投げ入れると、教室へと踵を返した。
16時30分。最後のクラスの委員長が片付けの終了報告を済ませた様で、生徒会長・丹生俊道がマイクを握り、声高に話し出した。
「生徒諸君! 文化祭お疲れ様でした! 楽しい時間というのは、本当にあっというまですね。全ての工程がこれにて終了となりますので、帰っても良いですが、折角なら、清涼祭名物どんどん焼きを見て友と語らってみてください。それでは! 着火式を執り行います! 剣道部部長、御剣祐輔くん。宜しくお願い致します」
紹介に与った剣道部の部長が出てきて、刀身が燃えさかる長刀で演舞を披露し、流れるようにその火を廃材に焼べた。
バチバチバキバキと音を立てて燃え広がるたき火。校舎本館の屋上ではためく校章へ向かい、一礼をする剣道部部長。生徒の中から、自然にパチパチと拍手が沸き起こった。
「また明日から普通に授業か~」
グラウンドに降りる石段の最下段に腰掛けて、どんどん焼きを見つめていると、いつの間にか隣に来ていた静佳が残念そうに呟くいた。
「かったるいわ。不登校になりそう」
「そんなこと言うなんて、楽しかったんだね。良かったよ」
反対側から返事が返ってきた。知らないうちに、日向が座っていた。
「…………まあ」
智鶴は、恥ずかしいのか、ぷいっとそっぽを向いた。
「もう、素直じゃないなぁ。でも、授業があったところで、ちーちゃん、どうせ寝てるだけだもんね」
日向が茶化した。へっへっへと、静佳は悪い笑いを上げていた。
「いやいや。もう先生に目を付けられてしまったからね。今までの行いは悔い改めるわよ」
「ほんと~?」
「ホントよ、ホント」
「また日向ちゃんに突っついて起こしてもらうんでしょ?」
静佳にもからかわれた。
「まあ、そういう事もあるかも知れないわね。睡魔は突然によ」
「ラブストーリーみたいに言わないでよ。意志ヨワヨワじゃん」
「眠い物はしょうがないでしょう」
「それもそうか~」
日向が、分かる分かると首を縦に振っていた。
腹の足しにもならない会話をだらだらと続ける間も、3人はぼーっと炎を見つめていた。
そんな折り、スカートのポケットで、智鶴のスマフォが震える。
ビクッとして取り出すと、そこには桜樺からメッセージが入っていた。
「ごめん! 帰るわ!」
智鶴は飛ぶようにして、石段を駆け上がっていった。
「はぁっ……はぁっ……」
桜並木の通学路を家に向かってひた走る。髪が乱れる。スカートが激しく靡く。汗が頬を伝う。ローファーが地面につく度、タンッタンッと音を立てる。
どんどん焼きも燃えかすになるまで見ていたかったが、それどころではない。
手にしたスマフォをポケットにしまう事すら、時間の無駄に思えて、手に掴んだまま無我夢中に駆けた。
「百目鬼……百目鬼……」
妖を倒す理由を考え直していても、仲間を想う理由なんて考えるまでもなかった。
門を抜ける。靴を脱ぎ捨てる。式台を蹴って廊下に上がる。
「百目鬼!」
スッパーンと玄関脇の襖を開け放って、客間に飛び込んだ。
「あらあら。こちらもマリアナ海溝ですわ」
桜花が小さく呟いて、クスリと笑った。
よたよたと歩いて、布団の脇にしゃがみこみ、顔を覗き込んだ。すっかり腕は再生しており、顔色も幾分か良くなっているのが見て取れた。
「先ほど目を覚まされましたが「またトロトロと眠ってしまわれました「夕飯頃には「起こそうと思っております」
「そ、そう……。もう大丈夫なのよね。寝ているだけなのよね?」
「はい」
椿姫の返事に、ホッと胸を撫で下ろす。
――走って帰ってきたのに、なんで寝てるのよ、もう。文化祭の話したかったのよ? 早く起きなさいよね。
心の中でそんな声を掛けながら、智鶴は彼の頬を、人差し指の先で小さく小さく突いた。
*
智鶴は着替える事無く、制服のままで鼻ヶ岳の石段を登っていた。
修行場へは向かわず、鼻出神社の鳥居を潜ると、一番高い杉の木を探して登る。紙を足場にしなくとも、ただの木登りなんてお茶の子さいさいだった。
「まだ燃えてるわね」
何となく学校には戻りづらいから、この一番見晴らしの良い場所からどんどん焼きを眺めることにしたのだ。
遠くに見える高校と、そこで燃えさかる文化祭の思い出。
「楽しかったけど、やっぱ百目鬼にも楽しんでほしかったわね。斎君もどことなく寂しげだったし」
斎とは百目鬼の友達である。
そんないつもと違う町の風景を眺めていると、不意に後ろから声をかけられた。
「今日は修行しないのか?」
「ええ」
八角斎だった。智鶴は既に気配で気がついていたから、驚く様子も見せなかった。
「何かあったのか?」
「あの炎? 今日学校で文化祭だったのよ。楽しかったわ~」
「そうか、それはよかったな……。でも、そうじゃなくてだな」
天狗が話の切り出し方に迷い、赤い頬の辺りを掻いていたが、智鶴は誰に構うこと無く、話を続けた。
「ねえ、八角斎さんは妖よね? 滅してもいいかしら」
「おいおい、お前さんはまたそうやって……」
「冗談よ。私はもう妖なんてどうでも良いの」
「お前はまた……」
「いっそ見えなくなればいいのに」
「……」
八角斎は、いつもの冗談だと思って、軽く流そうとした。だが、続けられた言葉にただならぬ物を感じ、押し黙った。
彼女の視線はどんどん焼きから外れることは無いが、そこを見てもいなかった。
「どうした? 話なら聞くぞ」
「八角斎さんも知ってたんでしょ? お爺ちゃんに口止めされてた?」
「何が」
「10年前の事」
「……その事がどうした? あれは悲惨な事故だ。天狗は自分たちの異界を守るのに精一杯で、力を貸せなかった未熟さを今でも悔やんでいる」
「私、知らなかったのよ。あの日、ここで何があったかなんて」
「そんな……。だって、親父さんのことだろう? 何で知らせれない? 馬鹿げている」
「ホント、おかしな話よね……。私ピエロみたい。言われたとおりに思惑通りに動いて、誰かに塗りつけられた涙の化粧を、自分の涙だって信じてた。滑稽よね」
「滑稽なんかじゃない!」
八角斎が珍しく、感情から声を荒らげる。
「お前さんはいつもいつも、小さい頃から呪術に真面目に取り組んできただろう。そして強くなった。先日の戦い、遠くから見ていたが、ぬらりひょんの百鬼とも渡り合っていた様に思った。その成果は、その過程には、嘘はないだろう」
智鶴の目が一瞬ハッとして見開かれ、八角斎を捉えたが、直ぐにたき火の方へ向き直る。
「……そうね」
一言だけ呟いた。
冷たい風が頬を撫でて吹き抜ける。
夏が終わろうとしていた。
*
すっかりたき火も燃え尽きた19時頃。月明かりに照らされる庭で、智鶴が池の鯉を眺めていると、背後のガラス戸が開かれた。
「智鶴。おはよう」
「……遅いのよ。全く」
彼女は、はち切れんばかりの笑顔を振りまいて、家に入っていった。
どうも。暴走紅茶です。
今週もお読みくださり、ありがとうございます。
では、また次回。




