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紙吹雪の舞う夜に  作者: 暴走紅茶
第六章 真実とウソ
101/151

6話 失うモノ

 ぬらりひょん率いる(ひゃっ)()()(ぎょう)の力添えにより、()()を山の上へと押し戻す……とはいかないまでも、前進を食い止めることだけは成功していた。

 (とも)()率いる(せん)()門下も、1人また1人と意識を取り戻し、まるでゾンビのように救護所から這い出しては、攻撃を繰り出していた。

 だが、そんな皆の中で、()()()だけは別行動を取り、1人、救護所に向かっていた。

(さく)()さん。()()()はどう?」

「求来里さん。戦場はよろしくて?」

「あ~まあ、あんまりよくはないんだけど……。でも、この先の被害を最小限に収めるためにも、美代子の力が必要だから。状況を聞きに来たの」

 咲良は、見れば分かるでしょと言いたげに、寝かされている美代子に視線を落とした。

「……目覚める見込みは?」

「無理矢理起こせば、起きるでしょうけど、そんな風にして、術が使えるとは思えませんし、医者としてそれを認める訳にはいきません」

 その言葉が、求来里の顔を暗くしたが、「それでも!」と強く言葉を発して、咲良を見つめる。

「美代子が必要なの。美代子にしか出来ない……」

「あなた、何をする気なの?」

 余りの剣幕に咲良も気圧されたようで、どこか恐怖のような感情を顔に張り付かせて求来里を見つめる。心臓がヤケにうるさくなった。

「鬼を、封じる」

「そんな大技! 起き抜けの彼女には無理よ!」

「うん。分かってる。だけど、大丈夫。美代子ならやれる。そういう作戦にした」

 そう口にする彼女が、急に儚げな表情を浮かべるものだから、咲良の心がキュッと締め付けられた。自分は医者なのだ。薬学を極めているのだ。なら、その持てる技術を全て披露することこそが、今ここでの自分の価値なのではないのか。そうした思いと裏腹に、目の前の女性に無理をさせる心苦しさも感じる。

 感情の板挟みに苛まれ、決断を下しきれなかった。

「咲良さん。大丈夫、大丈夫だよ……」

 求来里に手を取られ、しっかりと顔を見た。決意に満ちた1人の女性の表情に、心を決めさせられてしまう。

「本当にそういう所ですよ。あなたは」

 ボソリと呟くと、袂をまくし上げる。

「よ~し、牡丹坂家当主の腕前、見せてあげますよ~~!」

 患者に向かう彼女の後ろ姿を、求来里は笑顔で見送った。


「智喜様! 智喜様!」

 着物をはだけさせ、汗を滝のように掻いても尚、年甲斐にも無く呪符を(とう)(てき)する智喜に、求来里が駆け寄っていく。

「なんじゃ。今手が離せん」

「だからこそだよ。もう、この戦いを終わらせようと思う」

 その言葉を聞いて、舌の根も乾かぬうちに智喜が手を止めた。

「今なんと言った?」

「だから、もう終わらせるの」

「倒す方法があるのか?」

「ううん。私が連れて行くことにした」

「連れて行く……?」

 求来里の顔がどこか寂しそうな事に、心がざわつきながらも、彼は急に垂れてきた()()(いと)(つか)まんと、質問を続ける事しか出来なかった。

「うん。あの鬼、中身は(とも)(ふさ)さんなんだっけ? まあ、なんでも良いんだけどね。あれ、私のにする。(きょう)(せい)(けい)(やく)を試そうと思う」

「そんなことが出来るのか?」

「分かんない。でも、もうそれしか無いと思うの」

 求来里は辺りに転がる意識を失った者や、ふらつきながらも呪力を練り上げる者を見渡した。

「もう、限界だと思う。倒すのは一旦諦めて、私の作戦に協力してくれないかな?」

「……危険は?」

「全部未知数」

「……」

 (かけ)に出るか。確かに彼女の言うとおり、もう戦況はボロボロで、これ以上は(いたずら)に死傷者を増やすのみにしか思えない。それでも、目の前にいる天才の未来がかかっていると思うと、素直に頷けないでいた。

「大丈夫だよ。大丈夫」

 咲良にしたように、智喜にもその言葉を吐いた。彼女にそう言われると、不思議と何だか大丈夫な気がしてくる。

「……大丈夫、か。お主、本当にそういう所じゃぞ」

「ふふ。ありがとうございます」

「で、どうすれば良い?」

「先ずはね――


 求来里の唱える作戦が始まった。

 先ず第一は求来里自身の霊力を確保する為、一旦彼女の従者を前線から引かせる事。そして、美代子が目覚める事が絶対条件だった。その準備を進めるために、救護所の安全を守ること、戦力が減っても戦況を変えないことが戦闘員の行動目的になった。

「美代子……起きて……あなたが必要なの……」

 術も薬も、知識の尽きぬ限り全てを絞り出して、美代子の目覚めに尽力する咲良。

 終わりが近いと思うことで、最後の底力を発揮し、紙鬼を山頂に押し戻そうとする千羽の門下生。と、それを援護するぬらりひょんの百鬼。

 皆が皆、美代子の目覚めを期待して、文字通り粉骨砕身、紙鬼と対峙した。

 まだか――まだか――まだか――

 期待が高まるにつれ、絶望も増していく。

 もしかしたら、このまま全滅するのでは無いか? 美代子さんは起きないのでは無いか? 人と共に死んでいくなど、妖として嫌だ。そんな負の感情が、動きを鈍らせ、紙鬼にまた一歩の前進を許してしまう。そうしたら、焦って一歩後退させる。そんないたちごっこも長くは続かない。

 見るからに戦闘員の顔色が悪くなった頃だった。


「遅くなりまして、申し訳ございません!」

 

 鳥居を潜った何者かが、大声を上げて、頭を下げた。

 その声を皮切りに、どんどんと人が押し寄せてくる。声の主は(はく)(たく)(いん)(つぐる)だった。そして、山を駆け上がってきたのは、吹雪会の面々。

 既に疲弊し、負傷し、まともに戦えるか分からぬ物も居たが、それでもこの場面での加勢はありがたい外ない。

 白澤院傘下の、(だっ)(さい)()一同の、(ゆき)ヶ(が)(はら)一門の、他にも加勢した数々の力で、紙鬼に攻撃を喰らわす。吹雪会の皆も自身の領地で既に戦いを終えてきたから、全ての力を出すことは叶わず、紙鬼を滅する所では持って行けなかったものの、一気に山頂まで押し戻す事には成功した。

 順調な風が吹き始める。

「美代子さんが目を覚ましました!」

 その声が求来里に届いた瞬間、彼女は()()()に跨がり、紙鬼の目線の高さまで上昇した。

 作戦の核が動いたことに、皆が注視する。

「みんな、いくよ。力を貸して……(きょう)(かい)()() (きょく)!」

 全従者と繋がり、力を吸い上げる。余すところなく主人に力を渡し、次々に従者が倒れていく。

「求来里様有難う御座いました」

「この先も忘れません。まだあなたと共に居たい」

「いつか、いつの日か、たとえ貴女が術師でなくなっても、私たちのことが見えなくなっても、お側に戻れる日を待ちわびています」

 従者たちは倒れる寸前に、求来里へ感謝と後悔を言葉にした。それは、もはや別れの絶望で無く、希望とも真心とも取れる気持ちの発露であった。

 美夏萠には自分を支えられるだけの力を与えて、それ以外は全部自らの体にため込む。人の器を無視した行為に、溢れた力が目映い光となって体から溢れ出す。

「もったいない!」

 あふれた力が霧散しないよう、ちゃんと練り上げて自らの呪力へと変換する。

「紙鬼! アンタ、私のモノになりなさい!」

 求来里が手を掲げると、そこに呪力が集まっていく。想像を絶するほどの濃厚さに、視る者全てが圧倒され、釘付けになる。

(けい)(やく)(じゅつ)! (きょう)(せい)(けい)(やく)!」

 ハッキリと()々(り)しい声が夜空に抜けた。

 その起句を受けて、彼女の掲げた手が契約の光を纏う。神々しく巨大な光は、ただ纏っているというよりも、剣や刀の類いに見えた。

「美夏萠!」

 呼ばれただけで、主人の思考を理解し、紙鬼に突っ込んでいく。

「うおおおおおおおおおおお!」

「グルゥオオオオオオオオオ!」

 求来里と美夏萠の雄叫びがリンクした。

 あと少し。(けい)(やく)(ひかり)を鬼に突き立てる為の予備動作に入る。

 他の者はその邪魔にならないよう、紙鬼に牽制をかけ続ける。

 求来里は、思いっっっっきり腕を引き絞り……。

 その光で紙鬼の霊的弱所――左胸を突き刺した。

 瞬間、体がゾクリとした。冷や汗が全身から吹き出る。

――これが、紙鬼の鬼気――

 どうやって押さえ込むか……。初めて触れる密度の鬼気を前に、思考が始まりかけるが、考えている暇など無い。要は力で圧倒すれば良いだけのこと。()()(しゃ)()に力尽くで鬼の全てに働きかける。

 大好きで最愛で……いや娘の方が愛しているけど、娘の次には最愛で、愛おしくて、離したくなくて、これからもずっと一緒に、戦って、時に笑って、時に泣いて、悔しがって、高めあって……そうしてずっと苦楽をともにする筈だった従者たちから受け取った力を、余すこと無く放出する。

 不思議と、今誰から受け取った力を使っているのか、感覚で分かった。目の前にその姿が浮かぶ。1人1人に感謝の想いを浮かべつつ、紙鬼との力比べに集中する。

「美夏萠~~~~~」

 空中ではこの(みずち)の踏ん張りが命綱だった。押し返されないように、力強く踏ん張る。

 うっすらと鬼の胸元に、契約紋たる蛇の目が浮き上がりだした。

「あ……と! ひと踏ん張り~~~~~~~!」

だが、その瞬間、紙鬼が最後の反抗に、絶叫とも取れる咆哮を放った。

「がおsfづがおsgじょあjsdごじゃsぢおgじゃs;おdgj」

 音ではあるが、それがどういう音であるか、悲痛な叫びなのか雄叫びなのか一切分からない『音』とそれに乗せられる『鬼気』。求来里の意識がフッと消えかかり、術のために蓄えた力が抜けかけた。

 駄目か……。

 倒れそうになりながらも必死に抵抗し、鬼を見た。閉じかけた目を、気合いと根性だけでカッと開く。そこにはまだうっすらと契約紋があった。

「いや! まだやれる! 美夏萠!」

「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ」

 蛟が負けじと咆哮で返した。竜気と鬼気が混ざり合い、大嵐のような乱気流を発生させる。

「もう一度! 契約術! 強制契約!」

 先ほどの様な、強大な力はもう残っていないが、一瞬でも鬼を自分の制御下に置ければ、それで良いのだ。

「もう少し……。もう少し……」

 美夏萠が鬼気を押し返し、どんどん前進する。地上から、空中から、皆が自分の背中を押してくれる。

「いけ、いけ、いけぇぇぇぇぇぇええええ」


 たぁぁあああん。

 

 求来里の手が紙鬼の胸にタッチした。

 瞬間、鬼の動きが停止する。

「やった~~~~~~~~~!」

 だが、契約が成功した途端、体の輪郭がグワンと歪んだ気がした。

 美夏萠のように寄り添ってくれれば、話は別だが、超級の力など、人の身には分不相応。境界霧化も使っていないのに、濃密な鬼気が、『翻訳』無しで体に流れ込んでくる。

 ――吞まれる――

 流れ込んでくる鬼気を吐き出し、出来る限りは翻訳して体に流す。

 そんな無動の抵抗を、場に居る全員が注視する。

 一旦は歓声を上げたのに、鬼の胸に手を当てたまま、両者微動だにしなくなったことに、不安そうなざわめきが起こった。

「……」

 言葉を発さない。ただ春の夜の冷たい風が吹き抜けていくだけ。

 ――さん、求来里さん――

 一歩でも動いたらマズいと全身が伝えてくるから、指の一本さえ静止している中、どこからか声がした。

 ――誰?――

 口も動かせないから、脳内で考える事しか出来ないのに、その思考に応えがあった。

 ――私です。智房です――

 その声はどうやら自分の内側から聞こえてきている様だった。

 ――智房さん!? 何で!?――

 ――恐らくは、求来里さんが鬼気を霊気に変換したからじゃないでしょうか?――

 智房の霊気が鬼気によって汚染されていたのを、求来里の翻訳によって元の霊気に戻したために、智房の人格が出てこられたと言うわけらしい。

 ――求来里さん、私はもうだめです。完全に紙鬼になってしまいました。この鬼の持つ鬼気は感染力が強い。このままじゃ、あなたまでも紙鬼に取り込まれてしまうでしょう。ですから、私のことは見捨てて、どうかその手を離し、契約を切ってください。あなたにもまだまだ小さいお子さんが居ます。お互いの娘の為にも、美代子を連れて逃げてください。どうか、どうか――

 ――だめ。逃げたら、戦況はもっと悪化する。あなたが暴れて、街が滅茶苦茶になったら? その犯人が自分の父だと知ったら? あなたの娘さんはどう思うと思う? それに、ホントゴメン。私、端からあなたを助けになんて来てない――

 ――え?――

 ――てか、ここであなたが出てくるなんて思わなかった――

 ――……――

 ちょっと恥ずかしい思い違いに、智房は二の句を継げなかった。

 ――これでも私は妖のエキスパートだからね。鬼に取り込まれた人がどうなるかなんて、幼少の頃から知ってるし、もうダメなのは分かってた。私がこうしたのは、あなたを、紙鬼を封印し直す為。でも、まあ、何? 最後かどうかは分からないけど、話せて良かったよ。お互い暗い岩の中から娘を想おう。それが今出来る最善策だよ――

 ――え、お互いって――

 ――じゃあ、力を貸して。今から浄化した霊気を紙鬼に流し込むから、一瞬で良い、紙鬼の動きを乗っ取って。それが出来たら、鬼の右手を挙げること。いい?――

 ――え、だから、えっと――

 ――いーい?――

 ――はい……――

 作戦に疑問を挟む余地を与えず、求来里は強引に押し切った。

 ――じゃあ、行くよ。契約術 (じゅん)()(はん)(てん)――

 この術は従者が暴走したとき、強制敵に自分の呪力を流し込み、それを沈める為の術であるが、今は一方的に流れ込んでくる鬼気を押し返す働きをした。だが、それも生半可なモノでは無い。普段の従者になら、いとも容易く流し込めるが、紙鬼にとなるとかなりの踏ん張りがいる。

 額から流れる汗がくすぐったく、拭いたくなるが、それも我慢する。

 ――まだか? まだか?――

 紙鬼の右手がピクピクと動いているのには気がついている。智房が必死になって鬼と戦っているのが分かる。

 ――まだ、まだ、まだ、まだ――

 自分が濾過装置になったと思い込み、どんどん流れ込んでくる鬼気を浄化し続ける。どれほどそうしていただろう。何時間も固まっていたようにも思うが、実際には数分、いや数秒かも知れない。分からない。余りにも重たい鬼気の変換をただずっと続ける事が、苦しくてしょうがない。

 意識が朦朧としてくる。呼吸が荒くなる。ヨダレも、鼻水だって垂れ流している。もうやめたい……そんな弱気が、徐々に顔を見せ始めている。

 その時だ。弾かれたように、勢いよく紙鬼の右手が挙がった。見守っていた術者たちがビクリとしたのが目の端に映る。

 求来里は直ぐに思いっきり息を吸うと、紙鬼の肩越しに、

「美代子~~~~~~~~!!」

 とそう叫んだ。

 ほぼ頂上。紙鬼の祠がある場所に、美代子が居る。ハツカネズミの従者だけ、力を吸い上げずに美代子の側に置いてきていた。その子と視覚と聴覚、発話を共有する。

「美代子、今のうち!」

 ハツカネズミから求来里の声がした。

「ええ。求来里さんは危険なので離れて!」

「ごめんね。それは出来ないかな」

「そんな、何で」

「初めからそのつもりだったし、実際にやってみたら、これが結構辛くてさ。もう私、今ここから一歩たりとも動けないんだ」

「そんな、そんな……娘さんは? 道場の皆さんは? それに呪術師で無い旦那さんは、どうするの……?」

「う~ん。そうだね~。本当にすまないと思ってるよ。でもね、もう仕方ないんだ」

「仕方ないって……。それなら、私、もうやらない」

 美代子の目に大粒の涙が浮かんでいた。智房を失うだけでなく、友人すらも失う事になるなんて、耐えられないことだった。それでも呪術師としての自分は、最適解を分かっていた。分かってはいたが、認めたくなかった。

「美代子、大丈夫、大丈夫。あなたも智房さんとお別れになって辛いとは思うけど、今この場を収められるのは、あなたしかいないの。だからね。お願い。私も、今紙鬼の中で戦っている智房さんも、もう限界が近いから早くしてくれると助か……」

「え、ちょっと、求来里さん!? 求来里さん!」

 それ以降、求来里からの応答は無かった。先ほど急に挙がった紙鬼の手がゆっくりと降りていく。美代子は、それが降りきるのがタイムリミットだと直感した。

「……ズズッ。やるよ。やるから。咲良さん。霊力回復出来るようなモノってある?」

 涙を拭って、鼻水をすすり上げた。キッと呪術師の表情を作る。

「あるけど……オススメは出来ないですよ?」

「うん。それでいい。今だけ力が湧けばそれで十分」

 美代子を心配して付き添ってくれている咲良の袂から、一本の瓶が出てくる。それを素早く開けると、一気に飲み下した。

 トクン。急激な霊力の回復に、心臓が小さく跳ねた。

 腰のポーチから、あらゆる形に削り出された宝玉に組紐の結ばれた呪具を全て取り出す。

 両手でそれを半分ずつ掴み、まんべんなく呪力を注ぐ。

(じゅ)(りょく)(かい)(ほう)! (じゅ)(じゅつ)(えん)(かん)(てん)(かい)!」

 今は様々な感情が思考を巡っていて、術のイメージが上手く広がらないから、久しぶりに起句を詠唱してみた。

 山頂の紙鬼の足下に、(たい)(いん)(たい)(きょく)()を中心とした複雑な幾何学模様と、それを取り囲む太い円環の光が現れた。

 起句の詠唱を皮切りに、脳内には術の展開がスルスルと浮かんでくる。楽器でも演奏しているかのように、必要な呪具に必要な順番、必要な容量で、呪力を流し込む。

 円環と幾何学模様がそれぞれ逆に回転しながら、式の足下から徐々に頭の天辺へと昇っていく。

 術が通り過ぎたところから順に、鬼の体がキラキラとした光の粒へと変換されていく。

 これがどんな術なのか、余りにも高度であり、その場に居た全員、美代子以外の全員が誰一人として理解することが出来なかったものの、誰もが「綺麗だ」と、言葉にしないままに、その光景から目を離せなくなっていた。

 円環が求来里にまで到達する直前。

「美夏萠、バイバイ。竜子のこと、頼んだよ」

 最愛の従者に別れを告げると、もう大丈夫と踏んだのか、紙鬼から手を離して、ぴょんと紙鬼の肩に飛び移った。

「行って! あなたは残るんだよ!」

 美夏萠は哀しげに、名残惜しそうに、ゆっくりと術の効果範囲外まで出る。だがそれ以上離れること無く、(しゅ)(じん)に一番近い特等席で、最後を見届けていた。蛟の頭の中には、沢山の思い出が(よみがえ)っていた。始めて術が成功して笑顔になった求来里。喧嘩に負けて、悔しそうな求来里。娘が出来て幸せそうな求来里。そして、従者に向ける優しい顔の求来里。

 いつもいつも土壇場になっては、「大丈夫だよ」と言ってくれた。その言葉が勇気をくれた。その言葉が自分を、自分たちを強くしてくれた。

 美夏萠の目から流れる涙が、雨の如く地面に滴る。

「出来ることなら、もっと一緒に居たかったです。これからも、大丈夫って、そう言ってほしかったです。あなた無くして私たちは、もう、だめ……」

 竜の姿のままで、美夏萠は悲痛の叫びを上げる。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 長い長い雄叫びは、主人への手向けの(ちん)(こん)()として闇夜に轟いた。


 すっかりと姿を消した紙鬼と求来里。元々彼女らが居たところには。2つの魂が浮かんでいた。それはくっついて離れること無く、片方が引っ張って、それに引きずられるようにして、祠のある場所まで飛んで行く。

 ふわりふわりと漂って、封印石に吸い込まれると、割れていた岩が逆再生するかのように、かっちりと、隙間無く、くっついた。

「それ! 仕上げ!」

 美代子がしめ縄で一気に縛り上げる。

「終わったよ。あなた。求来里。お疲れ様」

 岩から鬼気が漏れ出していないことを確認すると、その岩肌を優しく、優しく撫でた。


 紙鬼の姿が消え、戦闘班も救護班も偵察班も人も妖も全員が全員気が抜けて、腰が抜けて、暫くその場に座りこんでいた。あまりにも儚い結末に、誰も()(どき)など上げられない。

「撤収じゃ」

 何の術も使っていないのに、智喜の声がしんと広がる。誰からとも無くフラフラと立ち上がり、各々帰るべき場所に向かって歩き出した。


 ぬらりひょんたちは気がついたときにはもう消えており。

 吹雪会の面々も千羽家に寄ること無く、真っ直ぐ帰って行った。

 主人を失った求来里の従者たちは、皆どうするか迷っているようだった。求来里なき後、どうするかなんて指示されていない。求来里に惚れていただけで、十所の軍門に降った記憶が無いと、元いた場所に戻るというもの、どうしようもないから取り敢えず旅に出るもの。みなそれぞれに歩き出した。

「消えてしまいましたか」

 人型になった美夏萠は、かつて左手の甲に刻まれていた求来里の契約紋『蛇の目紋』が消えていく様子をただじっと見ていた。それは求来里の姿が消えた時から徐々に薄くなり、封印が完全となった後、全てが消えた。

「皆さん誰も十所家には戻らないんですね。薄情とは言いませんけど、(たける)さんに挨拶くらいしたら良い物を」

 美夏萠はひとつ伸びをすると、

「私はどうしましょうか」

 ボソリと呟くと、蛟の姿となって天空に消えていった。彼女の通った場所で次々に記録的豪雨が観測されることとなるのは、その数日後の事だった。

 そして、彼女はまた10年後、この地に戻ることとなるのを、この時はまだ知らない。


 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん。嫌な気配消えてる!」

()(づる)……まだ朝じゃないよ……」

 午前4時。あんなに恐怖で震えていたのに、気がつけば寝てしまっていた。それでも眠りが浅かったのか、智鶴が目を覚ますと、もう怖い感じが消えていた。それが嬉しくて、つい姉を揺すり起こしてしまった。

「……すぅすぅ」

 対して()(あき)は妹のお守りに疲れたのか、恐怖による気疲れか、深い眠りに落ちているようで、一言声を漏らしただけで、また眠ってしまった。

 ガラガラガラ

 玄関が開く音がする。

「みんな帰ってきたのかな!」

 怖い気配が無くなって嬉しかったから、部屋から出ちゃダメよという母の言いつけなどすっかり忘れ、()()ごと(ふすま)を開け放つと、笑顔で廊下を走っていった。

「おかえ……り?」

 だが、みなの顔色を見て、笑顔が消えた。

 お通夜帰りでもまだマシだろうという皆の顔つきに、子供ながら察するものがあった。

「じーじ、おとーさんは?」

 先頭に立っていた智喜に、ゆっくりと尋ねる。

 智鶴の質問を聞いて、母が泣き崩れた。

 門下の皆は誰も顔を合わせぬよう、悔しそうな顔を様々な方向に向けていた。

「ぬらりひょんの……せいじゃ」

 祖父はその一言しか発さなかった。


 

 数日後。

 千羽の屋敷では葬式が開かれていた。

 真っ黒な服を着た人が往来する家の中で、智鶴はずっと母の着物を掴んでいた。

 沢山の棺桶が並ぶ大広間に、様々な家の様々な術者が訪れ、その宗派宗派による方法で死者を弔った。これが仏教・神道・その他諸々入り交じる呪術界の、葬式である。

 千羽に縁のあるもの、死者に縁のある者が入れ替わり立ち替わりでひっきりなしに来るものだから、千羽家の者は葬式どころでは無い。

「ふう、やっと終わったわ~」

 美代子がへたり込んで、ため息をつく。それは歳相応のお母さんといった感じで、鼻ヶ岳で勇敢に戦っていた術者とは似ても似つかない。

 これから()(じゅ)(きょく)(しょく)(いん)がやってきて、(かん)(おけ)に術を掛け、腐敗を止め、死者を各家に届ける。それまでの間に、『千羽の葬式』を行うのだ。

 余談であるが、この葬式までに色々なことがあった。

 皆が帰ってきたその日の昼。早速、魔呪局員が、事情聴取と葬式の日取りを決めに来た。魔呪局員が帰った後にはすぐ術をかけ直さなきゃと、美代子は再び鼻ヶ岳へ。疲労が抜けきって無く、呪具もその大半が壊れてしまったと言うのに、自身最高傑作の結界と諸々の術を山全体に掛けた。それと時同じくして、門下の中から今回の戦にて、不満をもった一部の者たちが、破門にしてほしいと智喜に詰め寄り、男女合わせ約半数に満たないほどの者が、千羽の門を後にした。その他にも、結界の綻びから飛びだしたモノで破損した街の修繕を行うため。警察が話を聞きに来たり、戦闘被害のあった山の修繕依頼を出したりと、ずっと気を抜く暇が無かった。


「では、皆の者よろしいか」

 智喜が美代子と孫、残った門下生に向けて静かに言う。

()(そう)(じゅつ)(そう)()(せん)()()(とう)(しゅ)(だい)()(せん)()(とも)()の名の下に、()()(そう)(そう)を執り行う」

 紙舞葬送とは、千羽家式の葬儀である。皆それぞれ1枚の白い紙片を、台に乗せられた漆塗りの黒い箱に収めながら、死者に弔いの言葉を告げていく。

「智房初め、(じゅん)(しょく)した門下生の皆。我が一族、我が領地、我らの平穏の為、よくよく戦ってくれた。ここに改めて礼を言う。どうか、安らかに眠ってほしい」

 1番手に、当主の智喜が箱に紙片を収める。

「あなた……あなた……」

 美代子はむせび泣き、それ以上何も言えずに、紙を収めた。

「お父さん、皆さん。天国に行ってください」

「おとーさん。またね」

 智秋と智鶴も皆に倣って言葉を手向け、箱に紙を入れた。

 その後も半減したとは言え、まだ多くの門下生を抱える千羽家だから、1時間くらいの時間を要して、全員の紙が箱に収められていった。

「一度は隠居した身で(せん)(えつ)ながら……。()(そう)(じゅつ) 紙舞葬送」

 智喜がそう唱え、箱の上で手を()ぐと、紙が色づき、一斉に飛び出した。それは蝶の様にしばらくの間、部屋を舞い、開け放たれた窓から一斉に天へ昇っていった。

「わ~。綺麗~」

 智鶴が目を輝かせ、空を仰ぎ見る。

 紙吹雪は風に乗って何処までも流れていく。皆の思いが、無念に死んでいった者らに届くように。


どうも。暴走紅茶です。

過去1番レベルで長い1話でしたが、最後までお読みくださり、ありがとうございます。

ずっと書きたかった『10年前』編もこれにて終幕。

次回からは時間軸を今に戻します。

どうぞよろしく。

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