5話 復活の地響き
歓声が上がっている。抱き合い、慰め合い、弔い、各々が終わったという実感を胸に、退却の準備を始めていた。
鳥居の前では、倒れていく紙鬼を見て、千羽美代子が立ち尽くして泣いていた。終わってしまったと、結局助けられずに、終わってしまったと。
救護所の牡丹坂一門は大忙しであった。負傷した人も妖も、ゾロゾロと列を作って、診察を受けに来ていた。大体は特製の傷薬でどうにかなるものの、それでもどうにもならない大怪我を負った者は手当に時間がかかった。
千羽智喜は独り、倒れた紙鬼を空からずっと眺めていた。十所求来里は知らない間に、何処かへ消えていた。彼は、紙鬼討伐に湧き上がる皆とは対照的に、不安げというか、納得のいかないような表情を浮かべ、首を傾げる。
「ヤケに呆気ないのう……」
確かに、渾身の技ではあったが、正直、滅する所まで持って行けるとは思っていなかった。せいぜい大怪我を負わせ、動きを緩慢にする程度にしか、期待などしていなかった。このくらいで討伐できるなら、皆の攻撃ももっと効いて良いはずなのに。
それなのに……。
「呆気ないね」
何処かへ行ったと思っていた求来里が、美夏萠に乗って現れた。
「何処へ行っておったのじゃ?」
「ちょっと、従者たちの様子を見にね……って、あれ?」
彼女の上げた声に、心がざわっとした。
「どうしたのじゃ?」
「見て!」
求来里が紙鬼を指さす。
「おかしいよ。紙鬼だって、超級の鬼とは言え、妖でしょ? 何で塵化しないの?」
「!!」
求来里の言葉に、ハッとした智喜は急いで拡声の呪符で指示を出す。
「皆の者! まだ終わっとらん! 気を抜く――
皆が智喜の姿を探して、空を仰ぎ見た瞬間。彼が指示を出し切るよりも、少し前。
紙鬼が立ち上がろうと、無事な方の手を強く地面に突いた。
ズドォォォンという衝撃音は、地響きを伴って、智喜の声をかき消す。
紙鬼は更に体へ力を入れるべく、叫び声を上げた。人間で言えば、「よっこらせ」程度のモノだったかも知れない。それでも、それと同時にまき散らされた鬼気が、容赦なく、退避する者共に襲いかかる。
地上に居た者も、空に居た者も、人も妖も、智喜と求来里以外の全ての者が全員怯み、腰を抜かした。ひどい者は失神し、泡を吹いた。咄嗟に起こった事態に、美代子も対応しきれず、救護所にも被害が出たが、何とか少しの侵入を許しただけで、簡易的にではあるが結界を張れた。それでも経験の浅い術者は腰を抜かして立ち上がれなくなっていた。
これで残りの戦力は、智喜・求来里・美代子と、救護所にて回復した数名のみ。絶望的な状況だった。智喜は脳みそをフル回転させたが、打破する方法も、これから紙鬼が動き出した時皆が踏み潰されないよう回収する良い方法も、直ぐには浮かばない。ただ、1つ幸いなことがあるとすれば、智喜の攻撃を避ける為に皆が紙鬼から離れていた事だ。もしも紙鬼が直ぐに立ち上がって攻撃を始めたとして、味方の倒れている所からは距離がある。
「クソッ。遅かったか……」
智喜が悪態をついたのと同時に、美代子もまた鳥居の前で、膝を突いて初めての弱音を零していた。
「不意だった……不覚だった……」
息を整えて、辺りを見回す。何とか一番外側の結界は維持したが、気を緩めた隙に1枚割られ、足止めに張った八角結界はあと1枚を残すのみになっている。
新たに生成しないと……と、呪具を握り直す時に気がついた。復活し、立ち上がった紙鬼の手に握られた、紙の棍棒を。更にはそこに流れる濃密な鬼気を。
「うそ……あんなのに対抗できる結界なんて、直ぐに張れない……」
だとしても、それは彼女が諦める理由になり得なかった。奥歯をギリっと噛みしめる。
「絶対に街へは出さない。あの子たちは私が守る!」
彼女は腰のポーチから短いナイフを取り出すと、迷うこと無く左の掌を切り裂いた。ぽたり。ぽたり。血は組紐を伝い、翡翠の呪具に垂れると、それは紅玉の呪具よりも更に深く、紅の光を灯す。
時間が無い。取り敢えず1枚、プレーンな結界を鬼の目の前に生成。そして、そこに術を上書きする。一度土地に掛けた呪力上げは切って、結界に集中。上書き1つ目は減速。そして、2つ目には鬼気の遮断。3つ目は鬼気の吸収と霊力への変換、それを結界の強化に回す!
これだけの思考・術の展開・結界の生成に費やした時間はたった1.5秒。紙鬼の予備動作の始まりにも満たない時間である。
そんな荒技が出来たのにはタネがある。それは呪具に己の血液を垂らしたことに他ならない。血液は古来より祭祀と縁があり、例えば進物を載せる皿を清めたり、血を神に捧げたりすることがあった。美代子の行為にもこうした意味があり、呪具を清め、また彼女の霊力が濃く混ざり込んだ血液で満たすことで、組紐から呪具までの呪力伝達速度を上げたのだ。
こうして出来上がった結界は、今までの比にならない程の強度を見せる。
紙鬼が思い切り棍棒を振りかざし、そこに叩きつけたが、ぐわぁあああんとまるで鐘を衝いたかのような音を響かせただけで、ビクともしない。
そして、美代子は仕上げに呪力を練ると、その結界を収縮させ、紙鬼の身動きを封じた。
「誰か!」
救護所に向かって叫ぶ。この状態は長く持たない。それは現在術を行使している彼女が一番分かっていた。その声を聞いて、何とか少し回復した偵察班の門下生が駆け寄ってくる。
「お義父さんに伝えてください。今のうちに、みんなを! ああっ!」
言葉を発したことで気が緩んだ。その隙を突かれて、紙鬼が藻掻きを強める。
その反動に呪力を大幅に削られ、片膝をつかされた。
ピシッ。
翡翠の呪具に亀裂が走り、かけらが中空に舞った。
美代子の言葉を聞き終わらぬままに、門下生は一目散に智喜の呪力を追って山の上へと駆け登っていった。
みんな、間に合って……。
心から切に願い、一切の身じろぎをすることも無く、深く集中する。
一方その頃、門下生は智喜の元に辿り着いていた。また、その様子を見ていた救護所の者も何名か後に続いて、倒れた戦闘員の救助に駆けつけた。
「智喜様! 美代子様より言伝が御座います!」
「何じゃ?」
門下生は美代子からの伝言に加え、彼女の様子までを報告した。
「そうか……お主も今のうちに救護に迎え。ワシらも今はそちらに専念する」
智喜の返事を聞き、隣に居た求来里も目を覚まし始めた従者に指示を飛ばして、倒れた者を安全なところまで移動させ始めた。
8割くらい救助が済んだ頃である。鳥居の前で気張っていた美代子が、とうとう霊力切れにより、倒れ込んで意識を失った。
「美代子! 美代子!」
ずっと救護所から様子を見守っていた、牡丹坂家当主 牡丹坂咲良が慌てて駆け寄り、彼女を抱き起こした。
だが、悠長に彼女を呼んでいられる場合では無い。
彼女が倒れた数秒後、紙鬼を苦しめていた結界が大きくたわみ、フッと消えた。自動式である山裾の結界も、紙鬼の暴力的な鬼気に綻びを見せ始め、それは街にも流れ出していた。薄まった鬼気は邪気に転じ、多くの、悪意を持った妖を引きつける。
鬼は真っ直ぐ拝殿へ向かって、ゆっくりと、だが広い歩幅で、着実に麓へと足を踏み出す。
ギリギリ戦える者で抵抗するが、それも敵の放つ紙に呆気なく防御されてしまう。手も足も出ない。万事休すとはまさにこのこと……。と誰しもが諦めの気持ちを心に感じ始めた頃だった。
「全く。見ておれんな。脆弱な人間共は」
どこからとも無く、大量の、それは優に100を超える妖が現れた。そいつらは真っ直ぐに戦地へと向かっていく。
新手か!? と智喜慌てて空に舞い上がり、状況を確認すると、その妖たちは人でなく、紙鬼を攻撃していた。
「……? なんじゃ?」
辺りを見渡す智喜が、ある一点に顔を向けたとき、そこに釘付けとなった。
拝殿の屋根の上で、見覚えのある妖が座して酒を舐めていたのだ。
ほぼ飛び降りるくらいの勢いで、拝殿の屋根に向かう。
「ぬらりひょん!?」
「これはこれは、当主様。ご機嫌麗しゅう」
などと、あからさまな嫌みを吐いて、酒を呷る。
救護所に居た者たちが、拝殿の上を見上げて、あれって……ぬらりひょんか? などと当惑した様子で話している。
「どういう風の吹き回しじゃ」
百鬼の大将へとゆっくり歩いて近づいてく。
「だんだん肴が不味くなってきたからな。我らで料理し直そうと、まあ、気まぐれだ」
「ふん。妖風情に加勢されるなど、ワシも焼きが回ったもんじゃ」
「そう言うな。ほら、お前も加わらんと、我らが全ての手柄を取ってしまうぞ」
「言われずとも!」
智喜は屋根から飛び降りると、戦っている者に、「一角鬼以外はみな味方である」と宣言を出し、自身も呪符を握りしめて、戦場へと赴いていった。
どうも! 暴走紅茶です!
今週もお読みくださり、ありがとうございます!
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