9話 正体と決意
「ちょっと、大丈夫?」
動けない百目鬼は、帰りが遅くなった智秋によって発見された。
田舎の夜は暗い。それも、路地となれば尚更だ。智秋はスマフォの懐中電灯を作動させると、それを頼りに護符を剥がす。すると百目鬼は壁に手をつき、よろよろと立ち上がった。
「歩ける?」
「……なんと、か」
「もう、ふらふらじゃない! 肩貸すから、ゆっくりね」
「……ありがとうございます」
百目鬼がふらふらになっているのは霊力不足がその主たる原因だった。霊力とは生きとし生けるものに流れる生命力に近い。失えば失うほどに体の自由は利かなくなる。それでも、百目鬼の手中には敵の霊力を吸った呪符がしっかりと握られていた。
智秋に体を預け、よろよろと門をくぐる百目鬼を見た智鶴は、目を大きく開く。そして、悔しそうな様子を全開に振りまき、怒りを顕わにしていた。
「絶対に許さない……千羽に……私に喧嘩を売った事、後悔させてやる」
今にも飛び出しそうな智鶴を制し、智喜は百目鬼の救護を指示する。美代子と智秋がその任に就き、百目鬼を部屋に連れて行こうとした。
「……まって。智喜様、これ」
そーっと百目鬼の腕が伸び、智喜に何か――それは例の呪符だった――を渡した。すると、役目を果たしたと思ったのか、百目鬼はガクリと気を失った。
「これは……ともすると、有効な手立てになる。智鶴、奥の間へ来なさい。今は慌ててもしょうがない。しっかりと対策を立てるのが、先決じゃ」
そして、奥の間にて二人は顔を突き合わせる。
「おじいちゃん! 悠長な事は言っていられないわ! 今すぐにでも戦力を総動員して……」
「まあ、まて。そんな事をしたら、百目鬼の頑張りが無駄になってしまうわ」
「どういうこと?」
「その前に、隣の仏間に空き瓶があったはずじゃから、それを持ってきてくれんか?」
そう言われ、怒り肩を下ろさないまま、智鶴は素直に取りに行った。
「これでいい?」
「うむ」
智喜はその空き瓶の蓋がしっかり閉まっている事を確認すると、先ほど百目鬼に手渡された呪符をこすりつける。
「何?」
「まあ、見ておれ」
すると、瓶のなかにぽわんと光の塊が浮かぶ。
「これは、敵さんの霊気じゃ。百目鬼はこれを持ち帰ってくれた。これは大きな手がかりとなる」
そう言うと、智喜は素早く蓋の上から封印を施した。
「そうか、これを元にして、力を辿れば」
「そうじゃ、敵の位置を捕捉することができる。……まあ、それも百目鬼が目を覚まし、何があったか話を聞いた後のことじゃが」
「……そうね」
多少は熱が冷めたのか、智鶴は平生を取り戻していた。
「それと、敵の正体が掴めた」
「っ!」
「恐らく、敵の正体は千羽家傘下猫柳家系の十所家。妖と主従関係を結び、己が力とする家じゃ。よもや、敵がワシらのテリトリーから出てしまったとは。情けない」
「で、もっと詳しい事は分からないの?」
「あの家は、求来里という者が当主の時権威を誇ったのじゃが、10年前くらいになるか、彼女が失踪してからというもの、残された一般人の婿入り旦那とその娘だけではどうにもならず、すっかり没落したと聞いておったが……。一体どういう風の吹き回しかのう」
「……私で勝てるかな」
「分からぬが、頑張りなさい。ワシはこの件をお前に任せる。自分の目でしかと確かめてきなさい」
「わかった」
数時間後、美代子によって書かれた呪術紋の上で百目鬼が目を覚ます。そして、一部始終を話して聞かせた。が、それは全てでは無かった。百目鬼は上手い事「千羽の裏の話」というのを避けて話した。何かは分からないが、その話題をここで話してはいけない気がしたのだ。
「そうじゃったか……妖封じのう。百目鬼、おまえは上手くやったな。恐らくその手の光は『焼き印』という術での、主従の契約を結ぶ際に用いるものじゃろう。その手で触れられていたら、今頃お主にも、印が彫られ、奴の従僕となってたろう。本当に無事で良かった今夜は智秋と数名の門下生で見回りをするから、お前はゆっくり休むといい」
「……そんな訳には」
そう言って立ち上がろうとするのを、智秋と美代子が止める。
「今は智秋と美代子さんのおかげで何とか起き上がっているに過ぎんお前が、前線に出て、一体何が出来る」
「……すみません」
悔しい気持ちを噛みしめているのが、表情から分かる。
そんな百目鬼を目にして、智秋が髪を弄りながら、何でも無い事の様に言った。
「まあ、一日くらいなら良いわ」
そう言う彼女を智喜は横目で見ると、小さく笑った。
「じゃあ、行ってくるね」と、智秋。
「私はお粥でも作るわ」と、美代子。
「ワシはもう少し考える事があるでの、奥へ戻るわい」と、智喜。
そして、部屋に残ったのは百目鬼と智鶴だけだった。
「百目鬼。無茶して……。馬鹿」
「……馬鹿って、酷い」
「助けを呼んだら良かったのに」
「助けを、呼ぶのに、力を、裂けなかった」
「……」
そうして、智鶴は智喜に聞いた事を余さず伝えた。
「……十所? っていうと。ウチの高校の。2年に。居た気がする」
「えっ?」
「確か。智秋さんのクラスの」
「うそ」
姉と交流を断ってしまっている代償がこんなところで顕現化してしまうとは……。智鶴にはまた悔しい気持ちがこみ上げてくる。
「で、何でそんな事知ってるの?」
「斎から聞いた」
「斎? って?」
「俺らのクラスメイト」
「……あら」
クラスメイトの事すらマトモに知らない智鶴が他のクラスの事なんて知る筈も無かった。
「ねえ、美夏萠。どうしよう? 百目鬼君にフラれちゃったね」
千羽家から離れた、清涼市駅側のアパートのベランダに、ラフな格好をした少女――十所竜子が空を見上げ呟いていた。いや、正確には見上げていたのは空では無い、空に浮かぶ一匹の蛟だった。
美夏萠は上級妖であるのに喋らないのだが、小さい頃からこうして話しかけると、何となく思考の整理がつく気がして、今ではすっかり癖になっていた。
「折角教えて貰った情報を餌にしたのにね」
「……」
相変わらず、美夏萠は静かに彼女を見つめる。
「上手く行かないなぁ。でもね、彼らを見てて、分かった事もあるの。というか、分かれば分かるほど変な力よね、紙操術って。先ず、物体に力を与える系統の浮遊術の一種っぽいのに、紙しか浮かせられない。でも、紙なら只の浮遊術以上の事が出来る。普通浮遊術と言えば、物を浮かして飛ばして……で、終わりでしょ? それだけでも、立派な術なの。でも紙操術だと、紙を鋭くしたり、鈍器にしたりしていた。そんな術を私は他に知らない。浮遊術師は浮かす事だけしか出来ない。紙を鋭く出来る術者は浮かして飛ばすなんて芸当はそうそう出来るものじゃないの。私はまだ智鶴ちゃんの事しか見てないけど、もしかしたら、他の術者だともっと違う事が出来る可能性は否定出来ないね。
このことから、紙操術は千羽家のおける一子相伝の秘術だって事が分かるの。だって、さっきも言ったように、こんな術を他に知らないから。派生しているような術も記憶に無い。恐らく分家筋でも門外不出にしているか、もしくは千羽家の本流じゃないと使えない理由や仕組みがあるのかも。何にせよぶつかってみるまで何が出てくるか分からない。対策が練られない。……底が見えないって、恐ろしいね」
「……」
「それと、微かに霊力に混じって妖気と他の何か(・・・・)を感じた。妖気は百目鬼君のものとして、他の何かはきっと女の子のほうだよね。霊力を呪力に練り直して呪術を行使する私たち一般の呪術者とはどこか、何か一線を画す力。あれは普通じゃ無い。それに、図書館で調べられる千羽の事が少なすぎる。ここの地主で、昔からこの地に根を張ってきた割には情報が無さ過ぎるの。まるで情報が制限されてるみたい。そもそも調べられる情報だって、全体的に不自然で分からない事が沢山あるの……でね、私考えたんだけど。もう、コソコソするのはやめるわ。美夏萠も手伝ってくれるよね?」
「……」
美夏萠はフシュッと息を吐くと、鼻ヶ岳の方へゆっくりと目をやった。
薄曇りの闇夜で、一人の少女が決意を固めていた。
どうも。暴走紅茶です。前話までの後書きでは寒い寒いと書いていましたが、これを書いている3月7日は段々春の気配も感じられる様になってきています。
今日は道ばたでつくしが生えているのを見かけましたしね。
最近天気が悪いのも、季節の変わり目だからでしょうか。
何にせよ、麗らかな春が待ち遠しいですね。




