枕を投げたら交流のない旦那様にぶつかりました
結婚して半年が経過。甘い甘い蜜月期間、とは程遠く、私、エルトゥールは今夜も1人で眠る予定。
何せ、結婚したマクベスは初夜以降、1度も私の寝室を訪れたことがない。
その初夜の日も、マクベスは「ええ。朝から疲れましたね。寝ましょう」の一言だけを発し、妻となった私に手を出さなかった。
高貴な女性は贅沢な代わりに親に決められた結婚をする、ということは分かっている。特に、自分は王妹。私の結婚に、自由なんてない。
だから、定められた結婚相手と仲睦まじくなれるようにしよう、と決意し、結婚式の日は気合い十分だった。なのに——……。
「これからよろしくお願いします」
「ええ。朝から疲れましたね。寝ましょう」
「はい」
初夜の会話はそれだけ。ひどく不満だった。
しかし「疲れましたね」という台詞の響きが柔らかくて優しかったので、不満を飲み込み、寂しさを押し殺した。
夜明け頃、寒いと思って目を覚ました際に、眠っている様子のマクベスが、布団をかけてそっと抱きしめてくれたのには感激。
その翌日、マクベスは気がついたら隣におらず、その日1日、夫と顔を合わせる事はなかった。そして夜を迎え、彼は私の部屋を訪ねては来なかった。
翌日も同じ。その次の日も同じ。3日が経ち、1週間が経過してしまう。
私は自分で言うのもなんだが美人だ。歩けば老若男女が振り返る。
(私が可愛すぎて恥ずかしいのかしら?)
と前向きに考えてはみたものの、半年も経てば「触りたくないほど好みではないらしい」と結論付けるしかない。
同じ宮廷に住んでいて書面上は夫婦。しかし、私が宮廷内をプラプラ歩いても、滅多に顔を合わせることはない。
廊下で偶然遭遇すれば、挨拶を交わすし、短い世間話もする。主に天気の話だ。というより、天気の話である。
(お好きに恋愛どうぞってことかしら?)
その疑問は私を憂うつにさせた。
彼女はおしどり夫婦の両親を見て育ったので、新婚早々他の男性と交流しようという気持ちを抱けなかった。
他の男からの求愛行為は、数が多いのもあってうっとおしく感じるし、与えられる褒め言葉も、的外れな台詞ばかりで愛想笑いするのも一苦労。
そう、男性が虫のように集まってくるのは、私にとっては疲れるだけ。
そもそも処女なのだ。夫と契る前に他の男に貞操を捧げる訳にはいかない。万が一妊娠したらどうなる。
ある程度宮廷内で人脈を築き、女性同士の噂話に花を咲かせていたら、マクベスが出世街道まっしぐらで、自分との結婚が異例出世のために必要な道具だというのを理解した。
兄である王が、出世させたい男に妹を与えた。とても簡単な方程式。
夫マクベスにとって、妻エルトゥールは既に役目を終えた存在。
まだ若い彼の欲望や快楽の矛先は、好みの女性へ向かう。
とりたてて夫の恋愛話を耳にすることはなかったが、状況を整理すると自然と結論は出た。
そんな私の夜は、恋愛小説で現実逃避をする時間になっている。
今夜はベッドにうつ伏せになり、胸の下に枕を入れて、両手で本を開いて、ムーと唇を尖らせていた。
読んでいる本は宮廷内で流行っている恋愛小説の第2巻。
今読んでいるページは主人公とその婚約者が、政治的策略によって婚約解消となってしまったことを嘆きながら、イチャつくシーン。
(あーあ、キスかあ……。ついばむってどんな感じ? 離れたくない、愛してるって、きゃああああ)
小説内の登場人物を自分とマクベスの姿で想像し、本をサイドテーブルに置く。
枕に顔を沈め、パタパタと足を動かす。その後、枕を抱きしめてゴロゴロ。はしたないが、1人きりなので許される。
「はい、マクベス様」
仰向けになり、枕を胸に乗せたまま、両腕を天井に伸ばして手を合わせる。
マクベス・トラウムは決して美男子ではない。痩せていて、骸骨みたいだが、先代国王である父の側近ラクベルの息子で、お世話になってきたラクベルとどうも重ねてしまう。愛嬌があって話が楽しい方だ。
私の中でマクベスと彼の父ラクベルはほぼイコール。優しくて、朗らかで、楽しい方。本人と話していないから、そう思うしかない。
「ずっと手を繋いでいて。お願いです……」
指と指を絡ませると、私は祈るようにその手を唇に近づけ、目を瞑り、自分の親指にムチュウとキスをした。
何度か唇をちゅ、ちゅ、ちゅ、と押しつけてみる。冷たくて固いので唇とは全く違う感触だが、それは仕方のないこと。
結婚式での誓いのキスの感触を思い出し、小説の内容を頭の中で映像化して、カバーする。
「んふふ。やあん。マクベスさまあ」
嬌声を上げ、足をパタパタとさせた後、私はパタリと動かなくなった。
枕は胸の上に乗ったまま、両手をベッドシーツにだらりと放り投げ、天井を見つめる。
両手で枕を掴み、目の上に乗せて、大きなため息。
「はあ……虚しい。マクベス様は今夜もきませーん。エルルはずうぅっと乙女。美女は3日で飽きるなんて言うけど違うわ。タイプでなくてそそられませんの方よ……」
深いため息を吐くと、しばらくジッとしていた。
悲しみの後、苛立ちが襲ってくる。
「どこのどなたよ! マクベス様の恋人は! ズルいわね!」
マクベスの話はよく知っている。耳にする噂は良い仕事振りだとか、兄に好かれていて狩りの付き添いをした際は馬の扱いが巧みだと褒められたとかそういうこと。
ムシャクシャすると、ポイっと枕を扉に向かって投げる。その後、私は固まった。
枕を投げた先に、マクベスが立っているのが目に入ったから。
枕は見事、マクベスに命中。それも顔面に。ポトリ、と枕が床の上に落下。
マクベスは無表情。いや、呆れ顔や、冷え冷えとした表情かもしれない。
(マ、マクベス様……。いつから見ていたの? き、消えたい……)
私はシーツの上で座ったまま、ジリジリ、ジリジリと後退した。
ベッドの端までの距離感が掴めず、小さな悲鳴を上げてひっくり返るように落下。
体勢を立て直し、ベッドの下に隙間があるなと四つん這いで潜り込み、息を潜める。
どこから聞かれていたとしても、色々と情けないと頭を抱え、現実逃避したくて目をギュッとつむる。
「エルトゥール様、大丈夫ですか?」
駆け寄ってくる足音がした後に、気遣わしげな声で名前を呼ばれ、まぶたを開いた。
ベッドの下は暗くて何も見えないが、隠れてしまった手前、出るに出られない。
「はしたないところをお見せしました。すみません。モノを投げようとするなど……。すみません……」
震え声が出たが、マクベスからの返事はなかった。
暗いベッドの下で半ベソ。
しかし、時間が経つと少々冷静さを取り戻してきた。指で涙を拭い、いつここから出よう、何て言って出よう、と考え始める。
それで、妙に足が涼しいことに気がつく。
そうして、まさか、と右手をそろそろと太腿へ伸ばす。
ペタペタと自分の太腿を触ってみる。
(えっ、裾がめくれてる?)
最悪。枕を投げつけ、次は痴態を晒している。本当、最悪な夜だ。
その時、私の眼前を、掌程の大きさがある蜘蛛が横切った。
父と共に釣りを楽しんできたので、魚なら手で捕まえられるし、母とガーデニングを楽しんでいたので昆虫も平気。
しかし、蜘蛛となると苦手どころか大嫌い。小さくてもゾワゾワして気持ち悪いのに、目の前にいる蜘蛛は大きい。
私は悲鳴を上げて、ベッド下から飛び出した。
「きゃあああああ!」
ベッド下から出ると、腰を抜かして床に座り込み、後退り。
「いやあああ! くもおぉ。いやああああ!」
背中に固い感触。何かと思って振り返ろうとしたが、ベッドの下から、蜘蛛が「こんにちは」というように姿を現した。
こんにちはじゃない! 気持ち悪い! 蜘蛛なんて大嫌い!
「いやああああああ!」
私は背中にぶつかった何か、に縋るように抱きついた。
(あれっ? この固いものは……)
自分が腕を絡めているものを確認。
白いズボン。つまりこの固い感触は足だ……と状況を察し、そろそろと顔を上げる。
夫マクベスと目が合う。実に半年ぶりのこと。マクベスは、困り笑いを浮かべている。
(大丈夫、蜘蛛なら任せろなんて……言ってくれたり……。立つのを手伝ってくれたりするかしら?)
勇気を出して、マクベスに向かってそっと両手を伸ばす。品良く、を心掛けて。
するとマクベスはしゃがんだ。
(抱き上げて助けてくれるのね! 嬉しい!)
歓喜が体を突き動かし、マクベスの首に腕を回した。
「マクベス様。大きな声など出してすみません。私、蜘蛛がとても苦手で……」
チラリと見たら、蜘蛛がカサカサと足へと近寄ってくる。
「い、いやああああ!」
私はますますマクベスにしがみついた。緊急事態だというのに、蜘蛛は「やっほー」と呑気そうな雰囲気で近寄ってくる。全然可愛くないから!
足がバタバタと勝手に動く。
「いやあああああ! 来ないでええええ!」
「大丈夫です。貴女をすぐ遠くへ運びます。蜘蛛もその後すぐ対処します」
「マクベス様……」
あまりにも優しい声で、頼もしい台詞だったので感激してしまった。しかし、それも束の間。視界に蜘蛛が入り、焦る。
「いっ、いやあ! 来ないで来ないで!」
「ゔっ……」
呻き声がして、顔を上げる。
「顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
マクベスがあまりにも青ざめているので、心配で手も体も離した。彼は首を横に振り、微笑んだ。何だろう?
「マクベス様、私、暴れて蜘蛛を蹴ったり潰したかもしれません! いやああああ!」
ふと見たら、蜘蛛が姿を消している。足を確認しながら、暴れるんじゃ無かったと後悔。
「失礼しますエルトゥール様。別の部屋へ運びます。足を確認しましょう」
マクベスは青ざめた表情のまま、ニコリと弱々しく笑った。あっ、と思ったら抱き上げられていた。
(こんなに軽々とお姫様抱っこ……。マクベス様って細いのに、見た目よりもずっと逞しいのね……)
ドキドキする胸に両手を当てて、精悍な表情の夫を見つめる。
マクベスは隣室の書斎にあるソファに私を座らせ、サッと足を確認してくれた。
「蜘蛛を部屋から追い出してきます」と即座に告げて、早足で寝室へ戻っていく。
座ってなんていられなくて、立ち上がる。しかし、蜘蛛がまだいる寝室に戻る気にはなれない。ソワソワして落ち着かなくて、ソファの前を行ったり来たりしてしまう。
ふと見たら、マクベスが戻ってきていた。疲れ顔、というか呆れ顔に見える。
「マクベス様。助けていただきありがとうございました。エルルは本当に蜘蛛が嫌いでして……」
お礼を口にして、しまったと口を噤む。自分のことを「エルル」と呼ぶ幼い女性だとバレた。
バレた、といえば先程の件だ。蜘蛛騒動の前のことを思い出し、羞恥心に襲われ、両手で顔を覆う。
(枕を投げつけちゃったし、裾がめくれていたし、枕を投げる前の台詞も多分聞かれていた……)
マクベスに背を向けて、指と指の間から出した目で、隠れる場所を探す。
最初に目についたのはワークデスク。
私は一目散にワークデスクを目指し、夫の死角になると予測される場所へ身を隠した。
「エルトゥール様……。蜘蛛は寝巻きで掴んでベランダから庭へ捨てました」
「助けていただき、ありがとうございしゅ」
ワークデスクから半分顔を出して、マクベスの表情を確認しようとしたが、噛んだために再びワークデスクの陰にバッと隠れた。
(もう嫌……。しゅって何……)
「エルトゥール様。盗み聞きするつもりはなかったのです。ノックをしてお名前を呼んで、返事があったと間違えて、つい扉を開けてしまいました。すみません」
「いえ。すみませんなどと、それはごく自然な行為でございます。実際は、私にノック音や呼びかけは聞こえていませんでしたが……。それはマクベス様のせいではありません……」
それ以降返事がなくて、私はしゃがんで床に敷かれた絨毯の模様を指で弄った。
(何か言って、何を言おう。何か言って、何を言おう……)
空気が重たい。しばらく沈黙が横たわる。
(ハッ! ここまでみっともないところを見せてしまって、親しくなりたいという想いも伝わってしまった今、もう怖いものなんてないわ!)
私の羞恥は沸点を超えたことで、開き直りに転じた。
(女性は根性って、先月読んだ本に書いてあったもの。何も得ていないから、失うものもないわ!)
私は勢い良く立ち上がり、寝巻きの裾を手で握りしめ、目を閉じ、声を出した。意気込みとは裏腹に、蚊の鳴くような小さな声が出た。
「きゅものこがいるかもしれましぇんので、怖いからマクベスしゃまの部屋で一緒に寝ても……」
噛み噛みな上に、掠れ声。
(もうっ! 本当に……嫌……)
涙ぐみつつも、必死にまぶたを開く。
眉根は自然と下がってはいくが、きちんとマクベスの反応を確かめようと努める。
マクベスは右手で口元を覆い、私から目を逸らし、俯いている。マクベスはふるふると首を横に振った。
惨めでいたたまれない。隠れたい。私は窓際へ移動し、カーテンを体に巻き付けて隠れることにした。
悔しいので泣くものか、と必死に目元に力を入れてみるも、涙は溢れて止まらない
(これ……。私は何をしているのかしら……)
カーテンを体に巻きつけてミノムシ状態。何でこんなことをしてしまったのだろう。
(何か言ってくれないと出られないわ。拒否なら黙って去るのもあり得るけど、そういう気配もないし、この状態……いつまで続くの……)
「エルトゥール様。大切なお話があってまいりました。初夜は大変失礼しました。女性経験が無い上に、身に余る女性との結婚、おまけに貴女の可憐さもあって、激しく緊張してしまい、夫の役目から逃げてしまいました」
ついに何か言ってくれた。しかも、何だか良い内容の予感。
「その後も己の情けなさや羞恥心に負けて、顔を合わせられず……。友人に相談したところ、妻だと認めないという侮辱行為ではないかと指摘され、反省しました。大変すみません」
カーテンでぐるぐる巻きになっていたが、夫の予想外の発言に、体にカーテンを巻くのを止めた。
ミノムシでなくなったが、カーテンで体を隠しつつ、そろそろと顔だけを出す。それから、ジッとマクベスを見据える。
「本当にすみませんでした。信じられないでしょうが、何もしなかったのは、侮辱ではありません。緊張と照れです。しかし、何も知らないエルトゥール様からすれば、初夜に無視して、その後も夜を拒否し続けるという妻への侮辱、冒涜行為です。それなのに貴女様は夫の立場を考え、浮気もせず、悪い噂も流さずにいてくれています。ありがとうございます」
マクベスは固い表情をしている。私はカーテンから上半身を出した。
「侮辱とは考えていませんでした。しかし、言われてみればそうですね。浮気についてもマクベス様の立場を考えたりなんてしておらず、特に気にいる方がいなかっただけです。すみません。あの、その、侮辱に対する罰として、私と親しくする努力をしていただけまちゅか?」
最後の最後で噛んだ!
もう嫌! 私はまたカーテンにくるまった。恥ずかしくて情けない。
それにマクベスの台詞がいまいち信じられない。親しくする努力を、という願いを断られるかもしれない。そう思ったら、止まっていた涙がまた溢れてきた。
「エルトゥール様。蜘蛛の子がいると想像して眠れないようですので、今夜は私の部屋で一緒に過ごしましょう。いえ、過ごして欲しいです」
「先程は……お断りしたのに……。罰など嘘です。そのような心のない義務的な交流など、虚しいだけでしょうから……」
言葉を素直に受け取れないのは、悲劇のヒロインぶっているから? それは良くない。人生は前向きさが大切だ。
そう思ってカーテンから出ようとしたら、カーテンが開かれた。マクベスと目が合う。彼は困り笑いを浮かべていた。
「あの、断ってなど……。義務だなんて……」
「先程嫌だと首を横に振っていたではありませんか……」
決意したのに、前向きになれない。
「え? いや、あの、その首振りは……。エルトゥール様があまりにも可愛らしかったので……」
可愛い=拒否は成立しない。意味不明。マクベスの言葉の意味を理解出来ない。
しょんぼりと俯いて、ポロポロ涙を流し続ける。涙が勝手に流れていく。
(でも可愛いって。嬉しい……)
悲観的な感情が、少し前向きになる。すると、マクベスに手を取られた。驚いていると、マクベスは私に背を向けて、私の手を引きながら、歩き出した。
(まあ、どうしましょう。ニヤニヤが止まらないわ。私達、このまま初夜のやり直しをするのよね? キスされるのよね? 格好良く蜘蛛から助けてくれて、誠実に謝ってくれて……。大きな背中……)
やはり背は高い。痩せているけれど、それでも女性の自分からしてみるとガッチリしていて逞しくて広く見える背中に見惚れる。
マクベスの寝室に入った途端、抱きしめられた。ガチャリ、と鍵の閉まる音が静かな室内に響く。
「エルトゥール様。この半年、影からコソコソと盗み見していました。庭木を切っていたり、馬に乗られたりと意外に活発で、笑顔が絶えなくて、美しいだけではないと、どんどん惹かれて……。想いが募る程顔を見られず、喋れず……。自信がなくて……」
マクベスがそうっと私の頬に唇をつけた。
「情けない男から成長します。貴女をもう2度と泣かせないように励みます」
耳元で囁かれ、今度は左頬にキスされた。
「ああ、エルトゥール様、初めてお会いした時からこの時を夢見ていました」
マクベスが体を押して歩くのでゆっくりと移動。ベッドへ近づき、座らされる。
(キス、キスされる。それもめちゃくちゃに。ベッドってそういうことよ。今夜は初夜のやり直しってことよ)
私は思わず布団の中に隠れた。
「エルトゥール様……?」
「あか、あかり、明かりを消して欲しいです! キ、キ、キスをするのでしたら……」
私の全身を露わにするのなら、真っ暗にして下さい! とまでは言えない。
バッと布団を剥がされて、体を起こす。勢いでめくれた裾を慌てて直した。
(んもうっ! 今夜はこんなことばかり! またドロワーズとか足を見られたかも……)
「す、すみません! 花を渡そうとしたら隠れてしまったのでつい……。明かりを消します……」
しばし沈黙。マクベスは真っ赤な顔で固まっている。明かりを消します、と言ったのに動かない。視線が自分の全身に注がれている気がして、私は俯いた。
すると、その視線の先、膝の上に花束が置かれた。薄紫、白、ピンクのカンパニュラ。
マクベスが私に背を向ける。オイルランプの明かりを小さくして「花瓶を持ってきます」と部屋から出て行った。
「カンパニュラ……。後悔していて、誠実な愛を伝えたいってことよね?」
カンパニュラの花言葉を思い出す。
(きゃあああああ! 素敵!)
花束を抱えて、ベッドに横になる。体が自然とゴロゴロ動く。その後、体を起こして立ち上がった。
「愛? 素敵だわ! 素敵! 今の私、まるで小説の中のヒロインみたい! マクベス様が戻ってきたら、想いのこもった素敵な花をありがとうございます、ね」
んー? と私は首を捻った。
(違うわね、もっと可愛らしい声でないと)
「ありがとうございます♡」
(ぶりっ子過ぎて気持ち悪いわ)
「ありがとう……ございます……」
(これだと陰気臭いかしら。嬉しさが伝わらなそう。はっ。マクベス様が帰ってきたら後ろから抱きついて、ありがとうございますよ。この間読んだ本の挿絵、あのシーンを手本にするのよ!)
花束を抱えながら、寝室内をしばしウロチョロし、よしっと意気込んで出入り口の脇に立つ。
仄暗いドクドクと脈打つ心臓。手に滲む汗。緊張している時というのは、時間が過ぎるのが遅いものだ。
「マクベス様っておっちょこちょいね。消しそびれだわ」
オイルランプが消灯していないことに気がつき、明かりを消した。
「思ったよりも真っ暗。この部屋、私の部屋よりもカーテンの遮光性が高いわ。何かに躓いて花瓶を落としたら大変」
気を利かせて、今度は消灯前の明るさまで戻し、もう少々明るくしておこうと調整。
結果的に、全開の明るさから比べて、丁度半分程度、下を向いて見える足の色がぼんやりと判断出来るくらいとなった。
入り口脇に立ち、マクベスの帰りを待つ。しばらくして、扉が開いた。今だ! と意を決して突撃。
「マクベス様。想いのこもった素敵な花をありがとうございます」
後ろから抱きつき、感謝を伝えた。これできっと、寂しかった半年間の虚無が消える。
きっとそうだ、と願いと祈りを込めて、爆発しそうな自身の心臓の音を聞きながら、腕に力を込めた。
「エル……エルトゥール様……」
名前を呼ばれたので、少し離れた。
「もう……無理……」
「無理?」
マクベスの正面に移動し、顔を覗き込む。彼は指で鼻を摘んでいた。
「マクベス様?」
「ちょっともう無理! 無理無理! エルトゥール様、貴女の全身は凶器です! 押しつけたり、見せつけたり、無理です!」
そう叫ぶと、マクベスは空いている片腕で私を抱きしめた。左肩に顎が乗る。
「恋人なんていません。毎晩貴女の部屋の前で固まっていました。エルトゥール様……。すみません、これ以上は心臓が持ちません」
「まあ……」
自分の容姿が良いことは自他共に認める事実。なので、マクベスの主張をすんなり聞き入れることが出来た。
「それなら……」
「でも羞恥心くらい跳ね除けます。エルトゥール様……」
パッと体が離れたと思ったら、その次は唇を塞がれていた。押しつけられた柔らかさに、目を瞑る。ずっとこうされたかった、とマクベスの首に腕を回す。
パサリ、と花束が床に落ちた。その花束をマクベスが拾い上げる。鼻を摘んでいたはずの手が、いつの間にか私の頬に当てられている。いや、掴んでいる、という方が正しいかもしれない。
今夜、私はついに夫と結ばれる。枕を投げて良かった、と私は心の中で微笑んだ。
しかし、と気がつく。
「明かり……」
「えっ? つけて良いのです? 全身くまなく見たいので、その方が嬉しい……」
マクベスは私から離れ、スキップ混じりでオイルランプに近寄った。部屋が一層明るくなる。振り返ったマクベスが、襟のボタンを外し始めた。
現れる素肌に、見入ってしまう。そうしているうちに距離が縮まり、気がついたらベッドの上で組み敷かれていた。
「エルトゥール様……足に抱きつかれた時から、我慢出来なかった……」
あの青ざめって、我慢だったの? と思って口にする前に、キスされた。優しいキス、と考えた瞬間、あっという間に熱烈なキスが開始。
「マク……マクベスさ……」
「俺の恋人は君だけだ」
本で読んだような、ついばむようなキスから始まるのではなく、貪るような激しいキスの嵐。
この日、私は一晩中眠らせてもらえなかった。
このお話にお付き合いいただきありがとうございました。作者も蜘蛛は嫌いですが、グッジョブ。
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