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エレナのウエディングドレスはマダム・コットンの特注である。
上半身はエレナのほっそりとした肢体に沿うように、ウエスト部分から下は八重咲の薔薇が咲き誇っているかのようにふんわりとボリューミーに作られてある。純白の生地には、エレナの銀色の髪とサファイアのように美しい青い瞳に合わせて、銀糸と青い糸で細かな刺繍が施されていた。これだけだと冷たい印象を与えてしまうので、アクセサリーや髪飾りなどは暖色系でまとめることになっている。
ドレスはほぼ仕上がっていた。あとは微調整を残すだけだ。
「あら、いいじゃないの」
忙しいマダム・コットンの代わりにやってきたジュリアは、ドレスを着たエレナの周りを一周して満足そうにうなずいた。
ジュリアは外見こそ二十歳半ばほどに見えるが、実は五十を数えるらしい。そして、彼女こそ、ノーシュタルト一族出身の強い異能の力を持った魔女で、生まれたばかりのユーリに呪いをかけて狼の姿に変えた張本人であるが、いろいろあって今は和解している。
「そうそう、今日はこれをあげようと思ってきたのよ。サムシング・オールドって言ってね、古いものって言い方もあれだけど、結婚式で歴史のあるものを身に着けると幸せになれるのよ」
そう言ってジュリアから手渡されたのは、大きな涙型のアメシストのペンダントだった。
「これはあたしの母からもらったのよ。一族のものなんて嫌かもしれないけど、でも、あたしには子供がいないから譲る人がいなくてね。あなたがもらってくれたら嬉しいわ」
エレナはペンダントに視線を落として、それをきゅっと握り締めた。ジュリアの子供は生まれてすぐに彼女の夫と、そしてエレナの父によって殺害されているのだ。
ノーシュタルト一族は異能の力を何よりも尊び、逆に「無能」と判断されたものにはひどく冷淡だ。無能と判断された子供を殺害することも厭わない。ジュリアの子供は生まれた直後に無能と判断されて海に投げ捨てられたらしい。ずっと無能と言われていたエレナも、亡き母がかばってくれなければジュリアの子供と同じ末路をたどっていただろう。
「ありがとうございます。嬉しいです……」
母を早くに亡くしてから、肉親の情とは無縁だったエレナは、こうしてジュリアが自分の大切なものを譲ってくれたことが嬉しかった。
ジュリアはエレナからウエディングドレスを脱がせると、丁寧にたたんでケースに収める。
「見た感じ大丈夫そうだけど、マダムの判断も聞いてくるわ」
「はい。……あの、ジュリアさん。結婚式当日は……」
「何度も言ったけど、あたしは出れないわ。いくらなんでも、王子に呪いをかけた魔女が出席したら縁起が悪すぎじゃないの」
「でも……」
「いいのよ。それに、あの馬鹿ダニエルが何かしてこないとも限らないから、あたしはそのあたりを見張っておくことにするわ。あの馬鹿があれであきらめたとは思えないもの」
ダニエルとはエレナの父のことだ。父と言っても、エレナは父らしいことをしてもらった覚えはない。エレナが無能だと判断した父は、エレナが生まれてすぐに興味をなくしてしまい、以来、エレナがどれだけ義母や異母兄妹たちに虐待されても無関心だった。けれどもユーリと結婚したエレナが、絶対解呪というノーシュタルト一族の中でも特異な異能を持っていることが判明し、父は途端にエレナが欲しくなったらしい。
ユーリがエレナを手放さなかったから、こうしてエレナはまだ彼のそばにいることができているが、父がいつまたやってくるのかと気が気ではなかった。
「大丈夫よ、あたしがいる限り、あの馬鹿には手出しはさせないわ。それがあたしにできる償いよ」
ジュリアはユーリに呪いをかけてしまったことを悔いている。ユーリは「もういい」と許したが、ジュリアの中ではまだ罪の意識が消えてはいないようだ。
「あと、あんたたちの間に子供が生まれたら、今度は呪いじゃなくて祝福をおくるわ。今では結構すたれているけど、昔は魔女に扮した女性が生まれたての子供に祝福をおくるって言うのが流行っていてねぇ」
エレナはボンと赤くなった。
「こ、子供、ですか……」
エレナは急に恥ずかしくなって、もじもじと着替えたドレスのスカートをいじった。ユーリとは夫婦だし、子宝に恵まれることもあるだろう。けれどもエレナにはまだ実感の伴わないことであるし、やはりちょっと恥ずかしい。
そばで聞いていたミレットは微笑ましそうにエレナを見やったあとで、ふと真顔に戻ってジュリアに訊ねた。
「旦那様の子供となると……、まさか、子犬の姿で生まれてきたりはしませんよね?」
エレナはうっかり、狼の姿になった時のユーリと同じ黒い毛並みの子犬に囲まれる自分を想像してしまった。
ジュリアがぷっと吹き出して、
「さすがにちゃんと人の子が生まれてくるわよ!」
と言ったから、ちょっぴり残念に思ってしまったことは、ユーリには絶対に内緒にしようと、エレナは心に誓ったのだった。
夜――
エレナが就寝の支度をしていると、部屋の前が騒がしくなった。
結婚式までの二週間、エレナの寝室には立ち入り禁止と言われたユーリだが、言われてから三日――、こうして毎晩エレナの部屋にやってきては、扉の前で見張りをしているメイドのケリーとバジル二人を相手に舌戦を繰り広げている。
「奥様はもうお休みになられます!」
「旦那様は立ち入り禁止です」
「ちょっと話をするだけだろう!」
「いけません、そういって朝まで居座る気なのはわかっています!」
「この前、奥様の部屋のベランダから侵入しようとしていたのを知っていますよ!」
「お前らが結託してエレナに会わせないようにするからだ!」
「夜だけではございませんか!」
「俺はエレナを抱きしめて眠りたいんだ!」
ケリーとバジルに通せんぼされたユーリがすねたようにわめくのが聞こえてきて、エレナは恥ずかしくなって頬を染めた。
エレナだって、ユーリの腕の中にすっぽりとくるまれて眠るのは安心できるし何より幸せだから、彼が隣で眠ることには異論はないが、結婚式までの二週間のしきたりだと言うのだから、それを堂々と破るわけにもいかない。
それにユーリは、夜が明けるとともに眠っているエレナを叩き起こしに来るのだから、眠っているちょっとの間我慢しさえすればすぐに会えるのである。
「さあさあお引き取りください」
「明日の朝までの我慢です」
「待てですよ旦那様」
「俺は犬かっ!」
ユーリが大声で怒鳴ったが、メイドの二人はなかなか強い。
言い争っているうちに今度はライザックの声が聞こえてきて、ユーリを無理やり引きずっていくような音がした。
やがてエレナの寝室の扉が小さく開いて、ケリーとバジルが親指を立てた。
「悪い狼は追い払いました!」
「ゆっくりお休みくださいませ」
エレナは、離宮の使用人の皆がユーリをからかって遊んでいるような気がしてならなかった。