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エレナの様子がおかしい。
城へ向かう馬車の中で、ユーリは向かい側の席に座るエレナの顔を盗み見た。
王都へは、馬車で五日程度かかる。余裕をもって一週間前に離宮を出立したユーリたちだったが、馬車の中でエレナはどこか思いつめたような顔をしていた。
思えば、王都へ向かう前から、エレナは少しおかしかった気がする。
緊張しているのだろうか。いや、緊張とも違う気がする。
「エレナ、もしかして具合でも悪いのか?」
体調が悪いのに無理をさせているのかと心配になったユーリだったが、エレナは困ったような微笑みを浮かべてゆっくりと首を振った。
「じゃあ、何か悩み事か?」
エレナはまた首を横に振る。
ユーリはちょっとムッとした。
エレナは明らかに様子がおかしい。それなのに、どうしてユーリに相談しないのだろう。ユーリはエレナの夫である。妻のことを一番知っているのは夫であるべきだ。
けれども、ユーリが怒って無理やり吐かせるのも何かが違う気がした。
ユーリは仕方なくエレナが話す気になるまで待つことにしたが、城に到着するまでにエレナが白状することはなかった。
しかし、エレナがいったい何に思い悩んでいたのか――、それは、久しぶりに会った父王からの一言で知ることになった。
「は? 花嫁が来る?」
エレナを紹介しようと国王の自室を訪れたユーリは耳を疑った。
「花嫁が来るって、どういうことだ」
事前にユーリの呪いが解けた――実際のところは、完全ではないが――ことは、父王には手紙をやって連絡ずみだ。息子が人の姿に戻っているのを目にした国王は、感激のあまりに瞳を潤わせたが、エレナを見ると不思議そうな顔をした。
「どういうことも何も、準備で時間がかかってしまったが、お前の誕生日パーティーの日に花嫁を連れてくると、ノーシュタルト一族の長から連絡があったぞ。お前も、ノーシュタルト一族を妻に迎えることを了承したではないか」
「ちょっと待て! 俺の妻ならここにいる!」
ユーリはエレナの肩を抱いて国王に紹介したが、王は首を傾げるばかりだ。
「何を言っておる」
「何を言っているのか聞きたいのはこっちの方だ! 二か月半前にここのエレナが到着した。妻はこいつだろう!」
「はて、ノーシュタルト一族の長は、二ヶ月半前には花嫁の荷物と侍女しか送りつけておらぬと言っておるのだが――、そこの娘は、その侍女ではないのか?」
「はあ⁉ 手紙にも書いただろ! 俺の呪いを解いたのはここにいるエレナだ。俺の嫁のな!」
「だが、ノーシュタルト一族の長は、確かにパーティーの日に花嫁を紹介すると……」
「話にならん!」
ユーリはイライラしたが、肩を抱いているエレナの顔が真っ青なのを見て、嫌な予感を覚えた。
(……エレナのやつ、おかしかったのはこれが原因か?)
ユーリはさらに不機嫌になって、国王に向かって「俺はエレナ以外の女はいらん!」と啖呵を切ると、国王の制止を無視して、彼女の手首をつかんで部屋から飛び出した。
「それで、どういうことなのか説明してもらおうか?」
離宮で暮らすようになってから久しく戻っていなかった城の部屋に戻ると、ユーリは仁王立ちでエレナを見下ろした。
エレナは国王の自室を出てから顔色が悪くなる一方で、すっかり血の気をなくしたように白い顔をしている。
いつものユーリであれば、エレナのこんな様子を見れば慌てたことだろう。しかし、ユーリは今、頭に血が上っていた。
「お前、俺をだましていたのか?」
エレナは本当にユーリの花嫁ではなく、荷物と一緒に運び込まれた本物の花嫁の「侍女」なのか。もちろんユーリはエレナを信じているが、小刻みに震えているエレナを見ると疑いそうになる。
エレナはきゅっと唇をかんで、それから泣きそうな目でユーリを見た。
ユーリをだましてなんていない。
エレナはそう言いたかったが、言えなかった。バネッサと入れ替わって一族の暮らす地へ戻って来いという父の命令。従いたくはなかったが、従わなければどれほど恐ろしい目に遭わされるだろう。
(わたしだって、帰りたくない……)
父の意図はわからない。でも、あの地へはもう二度と帰りたくない。できれば一生、ユーリのそばにいたい。
(でも、わたしはもともと身代わりがったから……)
もともとユーリの花嫁はバネッサだった。ユーリに父からの手紙の内容を説明するということは、エレナがバネッサのかわりに嫁いできたということを説明するということだ。それを聞いたユーリはどう思うだろう。ユーリは優しいから、エレナのことをいらないとは言わないと信じたい。でも怖くて――。「無能もの」と呼ばれて存在自体価値がないと言われ続けてきたエレナは、ユーリにいらないと言われるのが怖くて仕方がないのだ。
エレナが唇を引き結んだまま黙っていると、ユーリが大きなため息をついた。
「わかった。もういい。お前がそのつもりなら俺にだって考えがある」
ユーリの冷ややかな声に、エレナはびくりと肩を震わせた。
ユーリはびしっとエレナに指を突きつけると、不貞腐れたようにわめいた。
「いいか! お前が口を割るまで、俺はお前とキスしないからな! 狼に戻るからな! パーティーまでお前が話さないなら、狼の姿でパーティーに出席してやる! どうだ、参ったか!」
それをしたら、エレナよりもユーリ――ひいては王家が困るのではないだろうか?
ノーシュタルト一族にかけられた呪いだと騒げば、一族の名誉も傷つくだろうが――、エレナにはまったく被害はない。
困惑するエレナをよそに、ユーリは子供のように拗ねてしまって、ソファにごろりと寝そべった。
「ユーリ殿下……」
「………」
どうやら、口もきいてくれないらしい。
エレナは困ってしまった。
(さすがに、ユーリ殿下を狼の姿でパーティーに出席させるわけには……)
冗談かとも思ったけれど、ユーリなら本当にやりそうな気もする。
エレナは覚悟を決めて、父から届いた手紙のことや自分のことについて、ぽつりぽつりとユーリに語った。