15
いつまでもシーツを巻きつけた姿でいるわけにもいかず、ユーリはいったん自室に戻って服を着て戻った。
エレナはまだ放心の体だが、驚いているのはユーリも同じだった。
窓の外は明るいのに、体はいつまでも人の姿のままだ。こんなことは今まで一度もなかった。
「エレナ」
呼びかけると、エレナの肩がびくりと震える。
そろそろとユーリを見上げて、ぱっと顔を赤くするとうつむいた。よほど裸を見たのが恥ずかしかったらしい。
「あー……、悪かった。てっきり朝には姿が戻っていると思ったから、昨日はそのまま眠ったんだ。お前も熟睡しているようだったし」
まさか裸を見られるとは思っていなかったユーリも少々気まずい。
「それよりも、お前は昨日だいぶ酔っていたが、大丈夫なのか?」
「大丈夫です。その……、ご迷惑を」
エレナにはうっすらと酔っているときの記憶が残っていた。断片的に思い出せるから、ユーリに迷惑をかけたことも覚えている。しゅんとしていると頭にユーリの手が乗せられてポンポンと撫でられ、エレナは驚いて顔をあげた。
大きな手。
目の前にいるのは狼ではなくて、長身のすらりとした端正な男性だ。途端に緊張を覚えて、カチンコチンに固まってしまう。
「殿下、その……、昨日が満月だったから、人の姿に……?」
「ああ、まあそうなんだろうが……、朝が来ても人の姿のままなのははじめてで、正直、どうなっているのかよくわからん」
「そうなんですか?」
「ああ。まあ、もう少しすれば狼の姿に戻るだろうが」
「そうですか……」
それは、安心するような残念なような。人の姿のユーリを前にすると緊張するけれど、これが本来の夫の姿だと思うと、せめてもうしばらくはこの姿を見ていたいような気もする。
(そ、そっか……夫……)
エレナの顔が熱を持つ。エレナはユーリに嫁いできたから、人の姿に戻った彼もエレナの「夫」である。いやむしろこれが正しい姿なのかもしれないが、ずっと狼の姿だったので、いざ人の姿の「夫」が現れるとどうしていいのかわからなくなった。
そして、今まで狼姿の彼を遠慮なくぎゅうぎゅう抱きしめて眠っていたことを思い出して、さらにいたたまれなくなった。抱きしめていたのが目の前の彼だと想像するだけで血が沸騰しそうになる。
「あと少しで戻るのなら、しばらくお前のそばにいたいな」
ユーリはそう言うと、ごろんとベッドに横になって、ぽんぽんと隣を叩いた。
「もう少し寝るぞ」
「えっ」
「まだ早いだろ? ミレットが起こしに来るまで時間があるはずだ」
それはそうだが――
エレナはぽんぽんとユーリが叩いている彼の横を見る。ここへ来いと言っているのだろう。
(で、でも……)
狼の添い寝とはわけが違う。
(どうしようどうしよう……!)
動けないでいるエレナに業を煮やしたらしい。ユーリが手を伸ばして、エレナの手首をつかむと、ぐいっと引いてエレナをベッドに無理やり引きずり込んだ。
すぽっとユーリの腕の中に納まったエレナは、ぴしっと硬直するが、ユーリは満足そうに彼女の頭を撫でて笑う。
「ああ、これはいいな。いつも抱きしめられているから今日は逆だ。お前、小さいな。そしてやはり細い」
一方、ご満悦らしいユーリは硬直するエレナにお構いなしで彼女をぎゅっと抱きしめた。
「ほら、もうひと眠りするぞ」
ユーリはそう言って目を閉じてしまうが、エレナは到底眠れそうになかった。
エレナはユーリの腕の中でぎゅうっと固く目を閉じると、自分の大きな鼓動の数を数えて、どうにかして冷静に戻ろうと必死だった。
エレナを起こしに来たミレットは愕然と目を見開いた。
(男……!)
いつも隣で眠っているユーリの姿がなく、かわりに黒髪の男が眠っている。ミレットは真っ青になって、大慌てで部屋を飛び出した。
「ライザック……!」
ミレットはライザックの姿を見つけるとその腕をつかんだ。
ライザックは常に冷静沈着なミレットがひどく混乱しているのを見て驚いたが、次の瞬間耳を疑った。
「お――、奥様の部屋に知らない男が……!」
「なんだって!?」
この離宮には、ユーリが人嫌いのために特別な護衛はいないが、山の中の、針葉樹の森に囲まれた離宮であるし、ユーリが狼であると知っているものは少ないから、万が一不審者が来たとしても大丈夫――と思っていたライザックだったが、ここではじめて、今はエレナがいるのだと気がついた。王子が妻を娶ったということは知られているし、まさかエレナを狙って誰かが――、と警戒したが、ミレットがエレナのベッドの上で男が寝ていると言うから眉を寄せる。
不審者が、堂々と主の妻のベッドで休むだろうか。
エレナが不貞を働いているという線も――、いや考えられない。
ライザックはまさかと思い、ミレットに続いてエレナの部屋を訪れた。そーっとベッドに近づいたライザックは、エレナを抱きしめて眠っている男の顔を見て目を丸くした。
「殿下!?」
「うそっ」
ミレットも一緒になって男の顔を覗き込んで愕然と息を呑む。
二人は窓の外に視線を向けて、朝日が照らしているのを確認した後で、もう一度ユーリに視線を戻した。
「どうして……」
本来ならば狼の姿に戻っているはずの男は、新妻を抱きしめて気持ちよさそうに眠っていた。