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プロローグ

新連載開始しました。

主人公たち二人の生い立ちがなかなか悲劇ですが、できるだけ悲壮感が漂わないように頑張ります。暗い話ではありません。


 母は優しい微笑みを浮かべて、何度も何度もエレナの銀色の髪を撫でた。

 大丈夫よ――

 その声は子守唄のようでもあり、優しい呪文のようでもあった。

 大丈夫、大丈夫。

 泣き続けるエレナに、何度も何度もそう言って頭を撫でて抱きしめてくれた母。


 ――大丈夫、あなたは『無能』なんかではないわ。


 力こそすべての一族の中で無能と蔑まれていたエレナを守ってくれた優しい母は、もういない――






 早朝。

 まだ空は紫色をしていて、町の中はしんと静まり返っている。

 町の中でひときわ大きな屋敷の裏庭に建つ小さな小屋から、そっとあたりを伺うようにしながら現れたのは、銀色の髪にサファイアのような美しい青い瞳をしたほっそりとした少女だった。

 エレナ・ノーシュタルト。

 力こそが絶対というノーシュタルト一族において、無能と呼ばれている娘だった。

 ノーシュタルト一族が暮らすのは、最果てにあるどこの国にも属さない半島だ。

 彼らはこの半島で数百年以上も前から、彼らの持つ特異な力――異能の力を守り続けていた。

 異能。それは時に魔法や魔術と呼ばれるものである。

 世界は魔法使いや魔術師を失って久しいが、唯一ノーシュタルト一族の中において、その力は継承され続けていた。

 ノーシュタルト一族はより強い力を次代につなぐことを使命とし、それゆえ、力ない者にはひどく冷淡であった。

 エレナはここノーシュタルト一族の暮らす最果ての半島で、一族の長の娘として生まれながら、無能と判ぜられたことにより長の娘ではなくなった。

 それでも、母が生きていたころは幸せだった。母だけはエレナを愛し、慈しみ、異母兄妹や町のみんなにいじめられるエレナをいつもかばってくれていた。

 けれども六歳の時に母が亡くなると、エレナを取り巻く環境は一気に悪くなった。

 彼女は父や異母兄妹たちが暮らす邸から追い出されて、裏庭の小屋で、彼らの使用人のような生活を送ることとなった。

 一族に無能ものは必要ない。

 生まれ落ちた瞬間に殺されず、蔑まれても生かされているのは、幼いころにかばってくれた母と、それから一族の長を父に持っているおかげだろう。

 もっとも、父はエレナが生まれ落ちたその瞬間に興味を失い、まるでエレナなどこの世に存在していないかのようにふるまった。父と視線が絡んだことは一度もなく、もちろん声をかけられたこともない。

 エレナはそっと小屋から外に出ると、井戸から水を汲み、厩舎から鶏の卵を二つほど取って小屋にもどった。

 エレナは本来家族である者たちから使用人のような扱いを受けているが、本当の使用人と違い、食事を与えられなかった。

 こうして早朝、誰も見ていない間に水と食料を確保しなくては、一日飲まず食わずの状態で働くことになる。異母兄妹や義母たちの目があるときにエレナが食事や水に手をつけると、彼らは容赦なく鞭を振るうからだ。

 いや、鞭ならばまだいいかもしれない。

 時として彼らはその身に宿る異能の力を持ってエレナを苦しめた。

 水を発生させてエレナを溺死寸前までいたぶったり、炎の玉を発生させて彼女の服を焦がしたりやけどをさせたり、風の刃で肌を引き裂いたりした。

 父はエレナをいたぶりはしなかったが、始終無関心を貫いた。

 エレナはどれだけ傷つけられようと、高熱が出ようと、休むことは許されなかったから、それならば彼らが起きていない早朝や深夜に水と食料を確保するしかなかったのだ。

 父たちが食べ残したパンは昨夜のうちにこっそり回収しておいたから、今日はパンと卵にありつける。

 エレナは小屋の中の小さな炊事場で火を起こすと、卵を焼いてパンを温めた。


「お母様、いただきます」


 エレナは天に召された母にそっと祈りをささげると、今日の食事にありつけたことに感謝しながら、パンをちぎって口に入れた。






 エレナが父から呼び出されたのは、彼女が十七歳の誕生日を迎えた朝だった。

 そばにいてもいないものとしてエレナを無視し続けた父に呼び出されたのははじめてで、エレナは恐々としながら父の書斎を訪れた。


「お呼びでしょうか、おと――、いえ、旦那様」


 お父様と呼びかけたエレナだぅたが、彼の中で自分は「娘」ではないのだと思いなおして、途中で呼び方を変えた。

 父はエレナが「旦那様」と言ったのを聞くとわずかに眉を上げ、エレナを見た。

 エレナを、見たのだ。

 あの父が。

 今日まで十七年、存在すら無視し続けられたエレナにとって、それはただただ衝撃的なできごとだった。

 父はまるでその姿を吟味するようにエレナをじっと見つめて、やがていつものようにその視界から彼女を消した。

 書斎机の上におかれた書類に目を落とした父は、その姿勢のまま端的に告げた。


「お前の嫁ぎ先が決まった。ロデニウム国の呪われた第二王子だ。以上」


 あまりに事務的すぎて、エレナは聞き間違いだと思ってしまった。

 今、父は何と言っただろう。

 嫁ぎ先といっただろうか。

 ロデニウムの第二王子。呪われた……?

 エレナが茫然と立ち尽くしていると、父は怪訝そうに顔を上げ、それから思い出したように付け加えた。


「出立は明日の明朝だ。準備はこちらでしてある」


 エレナは理解が追い付かなかったが、父にこれ以上の会話を続ける気はなさそうだった。

 いや、そもそもこれは会話ですらない。

 エレナは母が死んでから、彼らに対して「はい」以外の答えを告げることは許されなかった。

 エレナは放心しながらも、小さく「はい」と答えて父の書斎を後にした。


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