逃避行
結局、どんな理由でそれを許容したのかを先輩は私に告げることは無いまま、それでも手を離すことはせずに歩き続ける
「先輩はどんな格好が好み?」
彼は私を見もせずに
「別に何だって変わらんだろうよ」
何着たって、私には興味ないって事に聞こえるそれ、でも多分先輩が言いたいのはそういう事じゃ無いんだと、少しの時間でも過ごしてきたから分かる
何を着ても、取り繕っても私は私なのだとそう言いたいんだとは理解するけれど、それでも少しからかってみたくなる
「結局脱がしちゃうから関係ないって事?」
その返答に赤面し、呆れた顔をしながら
「…思考が腐れビッチなのは仕様なのかよ?」
毒づきながら、小馬鹿にしながら
それでも少しだけ、私を握る手は強くなり
「何着たって、可愛いんじゃねぇの?」
告げられたそれに、思い描いていた以上の答えに
今度は私が顔を赤くする番で
「この前みたいな格好だって似合ってたし」
多分それは、この前
ケーキを食べた時のことを言っているのだろう
私に似つかわしくないレースのフリルが付いた服に薄い化粧
「ああいうのが好みですか…」
清楚系というか、隠れビッチというか
それでも確かに先輩の想い人を思い出せば分からなくもない
彼女は派手さは無くて、それこそ絹のような透明感で……
「というか」
「あれが好みとかそういう話じゃない」
「…ヤンキーが捨て猫拾う現象っていうか」
「ギャップ萌えつーの?」
「メガネ外したら美人でした的なやつ?」
その言葉に先輩は考えこんで
「…いや、違うか」
どこか諦めたようにそれを口にする
「自分の為にその服を選んでくれた」
「いつもと違う自分を見せてくれた」
「そんな特別感…っていうか優越感みたいな物を感じてただけかもしれない」
そう言いながら苦笑いして
「見事、引っ掛け問題に引っ掛かった、勘違い野郎って事だ」
先輩の言うそれは正しかった
私は確かに、先輩を考えながら着る服を選んで
似合うか分からなくて怯えながら、彼を待った
そこまで考えて気が付く
「よく先輩、私だって分かったよね」
化粧だって万能じゃない
なりたい顔になれる訳じゃないけれど
たしかにあの日の私は違う表情で
いつも一緒にいたはずの群れのみんなすら
気が付かないくらい変わってて
ーーなのに、先輩は声を掛けるのを躊躇しなかった
「…ガラスの靴が落ちてたからな」
どこか気恥ずかしそうな顔で言われた理由は
私には全く理解できなくて
たしかにあの日、持っていっていたのは服だけで、靴は履き替えて無かったけど…
「そんな足ばっか見てるなんて、先輩は足フェチ?」
「…それとも、私の顔が可愛くて見られなかった?」
こっちは、私の願望でそんなことはないと知っている
だけどそれを聞いた先輩はきょとんとした顔をしていて
「なるほど…そういう解釈もあるか」
そう言いながら納得したように薄く笑って
「何にせよ、俺にセンスは無いから」
「着たい服を着て、したい事をして」
「それであんな笑顔を見せられるなら、きっと……」
その先の言葉は消え入るようで、私には聞き取れなくて
「んで、何処に服買いに行くんだ?」
そう問われて、私は少し考えて
「駅前のセレクトショップに可愛いのがあったから」
「そこに行こうかなー」
…確か、この前着た服はそこで買ったはずだと思い出し
せっかく先輩の好みらしいものを聞き出せたのだから、同じ様な毛色の服を買おうと考えて、先輩の手を引き、走り出し
手を引かれた彼は、呆れるようにしながら
「…そんなに急がなくったって、店閉まんねぇだろ」
先輩の言うとおり時間はまだ昼を過ぎたばかりで
それでも時間は有限で、したい事はいくらでもあって
「女の子の買い物は時間が掛かるの」
永遠に続くはずが無いと、そんな事実に目を背けて
行く宛の無い逃避行を続けるのだ
ーー「確かに、時間が掛かるって言ってたけどさ」
「流石に悩み過ぎなんじゃねぇの?」
待ちくたびれた様に先輩は店内の椅子に腰掛けて
鏡の前で服を交互に取っ替え引っ替えにする私に声を掛ける
店に入ってから、かれこれ2時間ほど
やっと2つに絞り込んだものの、最後の最後で決めきれずにいて
ゆるふわ系のワンピースを身体に合わせて先輩の方に向く
「どう、似合ってる?」
「…はいはい、可愛い可愛い」
もう片方のレースのあしらわれたワンピースを合わせて
「じゃあこっちは?」
「似合ってる、似合ってる」
「…全然考えてないよね、先輩?」
何を聞いても壊れたカセットテープの如く同じ様な賛辞を述べる先輩にため息を吐いて
「なんて言ったら満足なのか分からねぇし」
「俺の意見なんて聞かなくったって、そこまで決まったんだから、好きな方買えば良いだろ」
まるで、無関係だと言わんばかりの言葉を放られて
一体誰の為にこんな悩んでいるのかと恨み言の一つも言いたくなるけれど
「予行演習なんだからちゃんと彼氏っぽく」
「そんな態度じゃ、東雲さんに幻滅されるよ?」
口を継いで出たのは聞こえの良い建前でしかなくて
そんな彼女じゃない癖に、そんな事を言ってしまう自分の面の皮の厚さに苦笑いしそうになる
「…じゃあ、最初に見せた方」
発破をかけられて真剣に悩むのかと思ったけど、先輩は少しも悩む事をせずに言い切って
「随分とざっくり決めたね?」
適当でも何でも、初めからそう言ってくれればこんなにも悩む事は無くて、それを聞いた先輩は困ったように
「…そっちの方が好みだったってだけで」
「俺の独断と偏見による決定だから、流行だの、他人からの評価だのは知らん」
「クレームは勘弁願うからな」
…別に考えて無かった訳じゃ無くて、自信が無かっただけなのか
予防線みたいな前置きを先輩は私に告げる
「これを着た私が可愛い過ぎるって言うんなら、コッチにしてあげてもいいよ?」
そんな張り巡らされた不可侵の線引きを掻い潜る様に
先輩に一歩近づいて、狙い澄ました笑顔を向け
ーー引こうとするなら、その分だけ押す
みすみす逃してあげるほど、優しくもなければ
臆病でもいられない
「んじゃ、それで決まり」
「いい加減座ってるのも飽きた」
不意打ち気味の一撃はどうやら上手く躱されてしまったみたいで
それでも先輩が好みだと言うのなら、買わない理由は無く
商品をレジに持っていこうとした時に
「お財布、バッグの中だった…」
「また今度買いに来る」
買おうにも財布は置き去りにしたスクールバッグに入れっぱなしだと気がついて、ラックに戻そうとしたそれを先輩は私の手からひったくって値札を見た後に
「…何時間も居たのに何も買わないで出てくのは気まずい」
「手持ちで足りるから、出してやる」
「それはズルだよ」
「私の為の買い物なんだからルール違反」
先輩は聞こえないみたいにしてレジで会計を済ませ、店を出て
綺麗にラッピングされた包を私に押し付けながら
「『可愛い彼女さんへのプレゼントですか?』だと」
「要らねぇって言ったのにご丁寧に包装までしやがって」
受け取った包をギュッと抱きしめ
先輩は私の顔を見ながら困ったように笑って
「…そんな顔するほど嫌か?」
多分、私は複雑そうな顔をしていたのだろう
どんなふうにそれを解釈すれば良いか分からなくて
どんな気持ちでそう言ってくれたのか分からなくて
…私がイヤーカフをあげた時はルールがどうのなんて言ってた癖に
先輩はごく当たり前みたいな顔で、私を抱き止めた時みたいに適当に理由をこじつけて
ーー間違えない為に引いた線を無自覚に容易く越えて
嬉しくない訳じゃない、嫌だなんて思わない、それでも
「なんで、買ってくれたんですか?」
その空白を埋めるのが
どんな言葉なら許容できるかすら分からないけれど
空白のままにする事は出来なくて
私の疑問に先輩は呆れたように
「買ってやるって言ってんだから、素直に喜べば良いのに」
「ほんっと面倒臭い奴だこと」
そう悪態じみた前置きをして
「…自販機で飲み物を買おうと思ったら万札しかなかった」
「却下、コンビニで買えば良いじゃん」
ジッと先輩の目を見て、この人はどうせまた嘘くさい言い訳を並べるつもりなんだ
「あの万札は実は呪われてて、今日中に使わないと俺が死ぬっていうのはどうだ」
誰がどう聞いたって嘘だと分かる稚拙な言い訳で
「…千秋先輩って馬鹿なの?」
「じゃあ、女子高生の生着替えが拝めると期待してたからっていうのは?」
言った癖にまるで興味の無さそうな千秋先輩をジト目で睨みながら
スマートフォンを取り出して
「…えっと、警察って何番だっけ?」
「冗談です、スイマセンでした」
…大体、分かりやすい下心を出してくれれば
こっちだってこんなふうに思わなくて
誰でも良いなんて、そうじゃ無いから私は先輩の事が好きで
そんな意中の相手じゃないからこんなにも悩んでいるのに
「そうさな…」
「お前が着たら可愛いと思ったから」
「喜んでくれるかも知れないなんて期待したから」
「…そんな理由なら?」
諦めたような声音で告げられた答えは
ーー空白を埋める答えは、あまりに理想解じみていて
「何が好きか分からない」
「自分で選ぶセンスは無い」
「ついでに、あんな所に一人で入る勇気もな」
「だから、お前の言うとおりそれはズルで」
「正解を盗み見るなんて不正でしか無くて」
「…それが今の俺にできる、精一杯の回答」
「お前が出した、引掛け問題への答え」
ーー張り巡らされた予防線も間違えない為の線引きも
そんな全ては複雑に絡まって
運命なんて名前の赤い糸までも絡め取って
繋がる先が自分なんじゃないかなんて
間違えてしまいそうになるけれど
解そうとすれば、手繰ろうとすれば
それは容易く切れてしまいそうで
彼が誰かを好きと知らなければ、傷まなかった
彼が誰かを好きでなければ、出会わなかった
そんな神様の悪戯を恨めしく思いながら
「…なら、誤魔化さないで言えば良いのに」
額面通りには受け取れない言葉は
先輩が語った嘘みたいに聞こえる言い訳の中にあるそれは
本当みたいな嘘だと気が付いているけれど
痛む心も、モヤモヤした気持ちも見ないふりをして笑って
「つーか、なんで上からなんだよ」
「腹立ったから返せ」
抱き抱えた包を奪い返そうと先輩は手を伸ばすが
私はその手からスルリと逃げて舌を出し
「だめー、もう貰っちゃった」
「返してあげないよーだ」
たとえズルだとしても、受け取るべきは私で無かったとしても
それは確かに先輩が選んでくれた物で
「だから、大切に着るよ」
「買ってくれて、ありがと」
「…どういたしまして」
私は彼に悪戯っぽい笑みを浮かべて
埋まらなかった空白を後回しにして
「じゃあ、次は何しようか」
「荷物持ち兼、お財布係の千秋先輩?」




