ハドリング
「もう大丈夫ですから」
しばらくの間彼に抱きとめられていた私は
そう言って身体を離し先輩に聞く
「で、理由は考えついたんですか?」
彼は私を見て、どこか寂しそうに笑う
「ハドリングだよ」
「なんですか?それ」
「ペンギンが寒さに堪えるために身を寄せ合うのをそう呼ぶ」
「俺もお前もペンギンならそれでいいだろ?」
…そんな名前だったんだ
外から見れば、仲睦まじく見えるそれも
優しさに見えるそんな行為も
蓋を開けてみれば自分が凍えないためのエゴだと
彼はそんな風に言った
私はとぼけたフリをして彼に問う
「そんなに寒いですか?今日」
「肌寒いくらいじゃねえの?」
彼はパーカーだし、私はワンピースだ
身を寄せあって暖を取らないと死んでしまうほど寒くは無い
「じゃあなんでハドリング?」
彼はゆっくりと顔を伏せて
その表情は窺い知れないが
声音はどこか懐かしむように
それでいてまだ痛むように私に告げる
「…おんなじ寒さを知ってるから」
「一生懸命やった事が誰にも認められなくて」
「頑張り方を間違えてたと気が付いて、嫌になって」
「その正解を知らないまま、生きてるから」
「俺であることを認めてほしいと願ってたから」
「自分すら認められないそれを肯定して欲しいと思ったから」
「…だからこれはハドリングなんだよ」
自分を救うために、私を肯定した
私は彼の言ったその言葉を聞いて、理解して
いつかのそれを謝罪する
「個性なんて幻想って言ってごめんなさい」
「ちゃんと先輩を見てなくてごめんない」
だから、彼はそんな髪色を選んだのだとやっと気がついた
それは、そんな言葉に対するささやかな抵抗だと
決して、どうでもいい誰かになりたく無いと
得体のしれない何かになりたくないなんていう叫びだと
「別にいいよ、俺に似合ってんだろ?」
「この髪も、お前がくれたピアスもどきも」
そう言って屈託なく笑う彼から目を離せない
「だから一応言っといてやるよ」
「今日のお前のその格好だって山城あずきだろ?」
いつもと違う私
私だと気付かれなかった私
彼は目を見て私に告げる
「…よく似あってるよ」
決して、可愛いなんて言わないのは照れ隠しなのだろうか?
それとも、そんな関係じゃないと突き放す言葉なのだろうか?
その問の答えは、先輩だけが知っていて
聞くだけの勇気はない私は誤魔化すのだ
「痴漢のくせに口説いてるんですか?」
彼はベンチから立ち上がり、遠くを見て
「さぁ?どうだかね」
あぁ、イラッとする
違うなら違うと言えばいいのに
それでもこんな関係を続けなければ一緒にいられないから
私はそれを言おう
「…痴漢された慰謝料を請求します」
彼はげんなりした顔で私を見る
「…マジで?」
「合意も同意も無しにそんな事するのは痴漢ですよ?」
「私が叫んで警察に飛び込んだら人生終了ですよ?」
彼は肩を落として
「…ちなみに幾らですか?」
私はいたずらっぽい笑みを浮かべて
「100万円でどうですか?」
「小遣い100ヶ月分とか」
「罰金刑なのに無期懲役に等しいじゃねえかよ」
「…嘘ですよ」
「また、どっかで美味しい物食べさせてください」
呆けたように私を見る先輩
ゆっくりとその顔は苦笑いを浮かべて
「…そんぐらいでいいなら償わせて頂ますよ」
本当は、一生かけてその罪を償い続けて欲しいと思うけれども
それは多分、過ぎたる願いだと思うから
だからせめて、それくらいは望もう
だってそれなら、ルールに抵触しない
これはどこまでも自分勝手な願いで
自己都合のために相手を振り回していいというのなら
都合の良い関係だというのなら
とんだ言葉遊びとは知りつつも
それだってお互い様だと笑って
「じゃあ先輩の名前教えて下さいよ」
「踏み倒されたらかなわないですし」
「私だけ知られてるのはプライバシー保護の観点からありえないと思います」
先輩は苦笑いしながら
「あんまり名前好きじゃないんだよ」
そう言って、私の耳元に顔を寄せる
囁くように告げられたそれは
どこかで聞いたことのあるような名前で
彼は皮肉っぽく笑い
「まぁ、似合ってないのはお互い様か」
そして、ぎこちなくそれを言う
「もう帰んぞ…山城あずき」
フルネーム、恥ずかしがりやな先輩らしいけど
それはこそばゆいから、ちゃんと訂正する
「あずきで良いですよ?先輩」
「お前は俺の名前で呼ばないのズルくねぇ?」
それは、私の最後の砦だ
だってそんなことをしたら、私も周りも勘違いしてしまう
そうなりたいとは願うけれども
そうなれないと分かっているから、あえて呼ばない
それに、もしも例えば神様のいたずらなんかで
そんなふうになれた時に
何も変わらないのはつまらないから
だからこれは願いで、それでいて戒めで
私を苦しめる呪いなんだと




