それはただ
「もう帰る?」
食べ終えてすぐに逃げるように店を出て
ずっと下を向いたまま、何も喋らないで歩く私を見かねたように
先輩は優しく告げる
「…分かんないです」
「じゃあ、取り敢えずどっか座るか」
「ゆっくり考えよう」
自販機の前に据えられたベンチに腰掛けて
先輩は自販機で冷たい紅茶を買って、私に渡す
それを受け取り、先輩に疑問をぶつける
「…先輩は分かってたんですか?」
そんな私の言葉に困ったような顔を浮かべて
隣に腰を下ろす先輩
「…薄々そうじゃないかと思ってはいた」
「勝者の居ないゲームをやる意義」
「上がるメリットのないそれを続ける理由」
「金でもなく、賞賛でもないとしたら」
「罰ゲームこそが目的だろうと」
たしかに趣旨がそうであるなら納得する
「…私は最初から、仲間はずれだったんですね」
「さっきの話を聞く限りだと、そうみたいだな」
先輩は悲痛そうな顔でそれを言ったきり
何も喋ろうとはしない
まるで、知っていて黙っていた事を悔いているようなその表情に疑問を覚えてしまう
どうして、何も悪くない先輩がそんな顔をして
どうして、それをやった彼女達が笑ってるんだろう?
「…でも、安心しました」
「なにが?」
「自分が、そうならないで済んだことにですよ」
「私だって立場が違えばおんなじ事しましたもん」
それでも私は、彼女たちを責められない
だってもしも、私が彼女達の立場だったら
彼女達の誰かが、私の立場だったとしたら
多分、躊躇も戸惑いも無いまま、私は同じことをしたと思う
自分の居場所を守る為に
それがいる間は私がそうなることは無いから
安全な所で笑ってられるから
だから、他人の痛みに無頓着な私は
そんな自分の痛みも、そうやって置き換えてしまえば――
私は先輩を見て微笑む
されて当然だなんて、笑えるのだ
「…自分だってそうするから、されて当然?」
「お前は誰だ?」
「そんなお前はどこに居るんだ?」
その時初めて、私は誰かを問われた
私の目を見ることなく、先輩はぶっきらぼうに言葉を続ける
「飲み慣れるのも大概にしとけ」
「教えてやるよ、さっきの言葉の続き」
「慣れた末のそれは、痩せ我慢って言うんだよ」
「苦いのに、我慢してんのに、笑顔振りまいてんじゃねえよ」
「それが当たり前なんて笑ってんじゃねえよ」
「お前は誰だ?」
「そんな、痩せ我慢をして笑うお前は誰だ?」
その言葉に、流れるはずのない涙は
なくなったはずの痛みは、堪えきれずに
「私は…山城あずき…です」
「…他の誰でもない、わたしです」
堰き止めていたはずの
さざなみのような嗚咽は、風に揺らされ
段々と大きくなり、抗えなくなる
「…なんで私はそうなれなかったんですか」
「中途半端だからですか?」
痛みを与えることも、痛みを感じないことも出来ず
ただ堪えるだけの私が
「どうして、あんなふうに笑えるんですか」
ただ憧れたそれを、嘲ることが
「どうやったら私は認められるんですか?」
「出来ても出来なくても不正解なら」
「この問題の答えって何だったんですか?」
何をしても認められないなら
どうすればよかったんだろう
「考えても、考えても分からないのは私が馬鹿だからですか?」
「なんで、なんで」
「私は、誰にも見られないで…」
息ができず、言葉は続けられず
――不意に、なんの前触れもなく
先輩に抱きしめられる
力の加減すら分からないような、躊躇するような弱さで
それでも、自分の意志だと主張する様に身体を寄せ続け
まるで私の心臓だと錯覚するほど
その鼓動は脈打って
まるで私に息の仕方を教えるように
それは私の耳をくすぐって
「ちゃんと山城あずきはここにいる」
それは、なんの根拠もない肯定
理由すらない安っぽい言葉
それでも、彼の言葉を借りるなら
それこそが正しくて
それ以外は、全部嘘で
「何でなんて無いんだよ」
「ただ、お前がそこにいるだけなんだよ」
その鼓動に合わせるように、耳をくすぐるそれを真似するように
私は息を吸って、言葉にする
「…ルール違反ですよ?」
だってもう、私はさっきまでのそれを空とは呼べない
空を飛ぶために必要な物じゃない
「…理由なら捏造すっから、心配すんなよ」
それだけを言って戸惑うような抱擁を続ける彼
寒空の下そんな暖かさに触れてしまって
凍っていたはずの涙は溶かされて、流れ続けて
――やっと私は理解した
ふわふわとした浮遊感の理由を
恋なんてしない理由を
だって、恋はするものじゃないんだ
そして、飛ぶものでもない
昔の誰かが、林檎を見て気がついたみたいに
恋は、抗いようもなく、当たり前のように
世界の全てがそうある様に
落ちる物だったと、やっと気がついて
それでも私は、そんな引力なんて
ふざけた常識にに抗わないといけない
とべない翼を必死にはためかせて
落ちる訳にはいかない
――だって先輩が好きなのは私ではないから
それでもその温もりを手放せず
ただ落ちていくけれど
だからこれは引力なんてふざけた常識に向けた
恋なんて抗えないそれに向けた
宣戦布告の物語だ




