危うさの上で
「つーか、お前は、何でここに来てんだよ」
放課後の屋上、先輩の居場所
空が見える特等席
その横を陣取る私に、彼はそんな事を聞いた
理由を聞かれれば
私は最初何でここにいたのだろう?
それを思い出してそのまま口にする
「…空を飛びに来ました」
それが冗談だとわかるように
私は彼に笑顔を向ける
でも、彼はフェンスの向こうから目線を外すことはなくて
そのまま静かに言葉を続ける
「…何かあった?」
どこか憂いを含んだような、そんな疑問
「理由がないと、空は飛べないんですかね?」
別に、フェンスを乗り越えるだけの衝動はない
それでも、どうしたらいいか分からない
初めて先輩にあった日の私は何も知らなかった
でも、 空を飛ぶ人は、そこから消えようとした人は
それを意識したのだろうか?
ただ普通に歩いていたら
そこに地面がなかっただけでは無いのだろうか?
よく見もしないで歩いて
踏み外しただけじゃないんだろうか?
「…別に何もないですよ」
「本当に、ただ何もないだけです」
ふわふわとした思い
形にならない感情
「ねぇ先輩?、くだらないこと聞いていいですか?」
「…べつにいいけど」
「ニワトリは空を飛ぶ夢を見るんですか?」
いつかみたいに、そんな問いを聞いてみる
私が踏みとどまった、そんな始まりをなぞるように
ニワトリは飛べない
泳げもしない
ただ喚き散らして地面を駆けずり回って
そこから、飛ぶことすらできないだなんて
いつかペンギン以下と言われた、私はそうだった
「…いや、ニワトリはそんな夢を見ないだろ」
強く言い切る先輩はその言葉に自信があるみたいで
「どうしてニワトリも飛べないのに」
「ペンギンだけはそんな夢を見るんですか?」
比喩だとは分かっていても
どうしてそうなのかは分からない
そんな言葉に彼は薄く笑って
「聞くだけ無駄なくだらない話だけど」
「それでも、どうしてそうなのか知りたい?」
「知りたいです」
彼の思うことを知りたい
それを考えて理解したい
「…ペンギンを漢字で書くとどうなる?」
ペンギンの漢字?
知らない、考えもしなかった
彼は私の答えを待つことなく言葉を続ける
「じんちょう、って書く」
「人に鳥でペンギンなんだよ」
「だからペンギンだけが夢を見る」
そこまで聞いて
初めてその問いは、正しく提示された
「人は夢を見たら飛べるのか?」
それは、願えばそれは叶うのか?なんて
そんなふうにも聞こえて
でも多分、それが彼が抱いた本当の疑問だったのだ
「まるで答えを知ってるような口ぶりだったのに」
「先輩も分からなかったんですか?」
「知ったかぶりで悪かったな」
彼はいたずらっぽく笑って
それなのに、その目は笑ってはいなくて
「…ほんと嫌味な名前だよな」
「…人に鳥でペンギンだなんて」
「寒さに震えて、身を寄せあって」
「白銀の冷たさしか知らなくて」
「みんなが当たり前に出来ることが出来ない」
「ペンギンだって、必死に生きてるのに」
「そんで、群れから外れてしまえばただ無力で」
「一人では生きてはいけなくて…」
そこで彼の言葉は途切れる
…ペンギンは一人とは数えない
だから、それは彼の思いなんだろう
寒さに震えて、飛ぶこともできなくて
ただ立ち尽くすだけのそれが
…まるで自分だと
そんな、まどろっこしい比喩
皮肉が効きすぎてて、分かるわけない
先輩は馬鹿だ
もっとわかりやすく喋ればいい
「私は馬鹿だから、ちゃんと言わないと分からないですよ」
彼は寂しそうに笑う
「…それが出来たら、こんな所に居ない」
「こんな事してない」
鈍い痛み
…どうしてそんな顔をするのだろう
どうして、その顔を忘れられないのだろう
後悔しながら、痛みながら
そうやってここにいて
そんな彼を見て私は堪えきれなくなる
何一つ考えずにポケットに手を突っ込む
「先輩っ、これ」
私はポケットからイヤーカフを
ラッピングも何もない小さなそれを先輩に差し出す
それを見て戸惑った顔をする彼
「なにこれ?」
「えっと、イヤーカフ」
「何に使うの?」
「…先輩の耳に付ける」
「何で?」
私は押し黙ってしまう
…先輩のため?
彼女に好かれるため?
聞こえの良い、言い訳は見つからなくて
「…それが似合うと思いました」
一般的も普遍的も常識も流行も
どんな言葉でも包めなかったそれは
先輩を見て、そう思ってしまったなんて
それだけが私の答えで
「先輩の好みかは知らないです」
「それが、彼女の好みかはもっとわからないですけど」
たとえ不正解だったとしても
せめて笑顔くらいは作って
そうやって少しでも正解みたいに誤魔化して
「…私がそう思ったから、先輩にあげる」
先輩はそれを躊躇うようにゆっくり受け取って
そして困ったように笑って
「…初めて似合うって言われた」
呟いたのは、そんな言葉で
それを持て余すように、それでも愛おしむように
「…ありがとな」
そんな感謝を告げられる
「付けないんですか?」
先輩は、イヤーカフを見たまま、それを付けようとはしない
「…付け方がわかんねぇよ」
「じゃあ貸してください」
先輩の手からイヤーカフを受け取り
その左耳に触れる
「くすぐったい」
そんな文句を聞きながら
耳たぶを摘んでカフを付け
それを付けた先輩を眺める
…ああ、やっぱり似合ってる
彼の白い首筋を彩るように鈍色に光るイヤーカフ
それは小さいけど、確かにそこにあると主張していて
彼は気恥ずかしそうに耳を触って
どうでも良さそうな口ぶりで私に聞いた
「実物を見た感想は?」
「とってもよく、似合ってます」
先輩を見て微笑む
彼はそんな私を見て驚いたような顔をして
私はその時どんな顔をしていたのだろう?
何かをはぐらかすように
「…洋服屋の店員とか向いてんじゃね?お前」
まるで、それはお世辞だと言わんばかりの
そんな台詞は、恥ずかしさを隠そうとしてるみたいで
思わず私は笑ってしまう
「お世辞だと思ってるんですか?」
そんな意地悪な質問に
彼はそっぽを向いて
「…他の誰かに言われたらそう思う」
それは私だけは違うみたいに
そんなふうに聞こえて、嬉しくなってしまうけれど
…やっぱり違和感は見逃せず
それに気が付かない先輩ではなくて
「嬉しいんだけど、なんでくれたの?」
その問いは私にも答えられない
彼との関係はそんな甘ったるい物でもないし
誰にでも、そんな物をあげる尻軽でもない
「…この前奢ってくれたんで、そのお返しに」
――でもそんな理由は
「服買いに付き合ってくれた礼って言ったじゃん」
そう、やっぱり使えなかった
だけど理由なんて
そんな名前の言い訳はそれしかない
…素直に受け取ってくれれば、忘れていられたのに
私は痛みを堪えて、彼に告げる
「だって、私達はそんな関係じゃ無いです」
「恵んで貰うのは、ルール違反ですから」
突き放すような、そんな言葉は
誰に向けたものなのだろう
私が間違えないように?
それとも、彼が間違えないように?
私達の関係は
お互いの理想のための踏み台だと
利害の一致だなんて
そんな言葉で繋ぎ止めた仮初だと
どうか間違えてしまわないように
それを許容してしまえば
少しでも踏み外してしまえば
それはまるで――
「…だから、間違えないでください」
「私と先輩の関係は…」
そこまで言って、私は言葉を紡げなくなる
先輩は、その先の言葉を続ける
「…お互いの理想のため」
「利害の一致、それだけの関係」
「お互いがそれ以上を求めない」
「ただの援助交際…なんだっけか」
彼はそのまま黙りこんで
そう、そうやってルールを決めた
目指すべきゴールを決めたのだ
お互いの最良の為というのなら
先輩の最良は彼女と付き合うこと
…それ以外を望むことは許されないし
許す事は出来ない
だって、そうやって始めてしまったのだから
先輩はゆっくりとため息を吐き出す
「…お前、なんのケーキが好きなの?」
「…モンブランですかね」
「じゃあ、デートの練習の時までに美味しい店探しとく」
「それなら別にいいだろ」
確かに、それはルールを破ってはいない
あくまで、ついでだから
そんな感情に
ズキリと鈍い痛みを覚えて
―これは何なんだろう?
私が、叶わない恋なんてしないのなら
この身を焼く感情は、いったい何と呼ぶのだろう?




